2-7 決戦の幕開け
翌日の昼過ぎ。
俺は今、広い謁見の間の玉座に座っている。
水晶玉の観察により、勇者がもうすぐやってくることはわかっている。
彼らは昨日以上に念入りな準備を済ませ、満を持してこちらに向かっている。
俺も今朝はちゃんと鏡を見てクマができていないことを確認したし、ゲームはまた棚の二段底の奥にしっかりと収納した。準備は万端だ。
また、今は俺の体に身体能力を大幅に抑える闇魔法をかけている。
できるだけ使いたくはなかった魔法だが、これも彼らに違和感なく勝たせるため。ついでに俺も本気を出して戦えるように。背に腹は代えられない。
普段より体が重く感じるが、これは前の世界での身体能力と同程度。
感覚を思い出せるように朝のうちにしっかり鍛錬はしておいたから、多分問題なく動けるだろうと思う。
一方魔力に関しては特に抑えていないから、こちらは意識して制御しなければならない。まあどうにかなるだろう。
そして時は来た。
謁見の間の大扉が開かれる。
現れたのはもちろんトルテ、シルフィ、ファルスの勇者パーティ。
俺は指を鳴らし、今回は早めに燭台に火を灯した。
「待っていたぞ」
俺はゆっくりと玉座から立ち上がり、彼らの方へ歩みを進める。
彼らもこちらへ歩き、数歩分の距離をあけてどちらともなく停止した。
「よくぞ逃げずに参った。歓迎しよう、勇者達よ」
偉そうに言葉をつむぐ魔王。
俺がこのような演技をするのも今回で最後になるのだろう。
別に少し楽しかったからといって残念がっているわけではない。少し感慨深い気がしただけだ。
「して、覚悟はできているのだろうな?」
命がけで戦う覚悟。ここで魔王に殺される覚悟。まあ殺さないけど。
シルフィはこちらをじっと見つめ、ファルスは不敵な笑みを浮かべている。
俺の問に対し、勇者トルテは真剣な目で頷いた。
「貴方を倒す覚悟なら、できている」
「ふ、ははは。そうか、よかろう。ならばやってみるがいい。もっとも、我はそう簡単には倒されぬがな!」
そう俺は笑って、魔剣を二本創造した。
今日は最初から少しテンションが高めだと自覚している。クライマックスだからか、戦いへの期待からか、二日連続徹夜したからか。
いずれにせよ、泣いても笑ってもこれが最後の戦い。
後悔のないように存分に楽しもう。
俺は謁見の間の中を闇の結界で囲んだ。
燭台の光は届くので勇者達の視界は確保できているはずだ。
いわば、これは魔力的に隔離された亜空間。
十分な広さもあるし、魔法を使って暴れようと外に被害が出ることはない。
演出的にもなかなかいいバトルフィールドではないだろうか。
これでラストバトルの舞台は整った。
俺はニヤリと笑って右手の魔剣を勇者達に突きつけた。
「さあ、遠慮は無用。全力でかかってこい。こちらも容赦はしないぞ!」
彼らが得物を構えるのを確認し、俺は床を蹴って一気に距離をつめる。
シルフィが障壁を張って防ごうとするが、風の魔力を纏わせた魔剣を薙いで障壁を切り裂いた。それぐらいで壁にはならない。
目を丸くしたシルフィは後ろに飛び退き、俺の間合いから逃げる。彼女を守るようにトルテが前に出て、神器を横に構えた。
俺は追撃はやめて左に跳躍し、後ろから迫っていたファルスの斬撃を避けた。
隙のできる着地地点を狙ってトルテが雷の矢を放つ。俺は薄い氷の障壁を作って防御し、その内側から衝撃波の魔法で自分の障壁を粉砕。細かい氷の礫をその勢いに乗せて彼らへと吹き飛ばした。
それを見たファルスが前に出て、気合を込めて一閃。氷の礫はさらに細かい粒子となり、風に溶けていった。俺は目を細める。魔法もなしに防ぎやがった。
その後ろからトルテが飛び出し、雷を纏った神器を薙ぎ払う。
俺は一歩後ろに下がって避け、雷の追撃は右手の魔剣で振り払う。
横からファルスが剣を振り下ろしたので両手の魔剣で受け止める。力任せに押し返し、後ろにいたトルテともども吹き飛ばした。
さて、シルフィはどこだ。しばらく攻撃に参加していない。このパターンはいつものやつだろう。
トルテとファルスには牽制として炎の槍を投げ、シルフィを見る。
彼女はやはり強大な魔法の詠唱をしていた。
詠唱を遮断する闇魔法は届かない距離だ。ならば物理的に止めようと左手の魔剣を投擲したが、ファルスが剣で上手く弾いた。
トルテが俺に肉薄して神器を振り、小さな閃光の爆発をいくつも起こす。
威力はないに等しいが、爆風を食らうと足止めされてしまう。
俺は小刻みにステップを踏み、それらをかわす。
しかしその間に時間稼ぎが完了してしまった。
シルフィは詠唱を終え、杖をかざす。
一瞬の眩い光が迸った後、明るく光る俺の足元から、金色に輝く鎖が勢いよく何本も伸びてきた。
俺は避けようとしたが鎖の方が速く、足にきつく巻きついてくる。
右手の魔剣で斬ろうとするが、その魔剣ごと絡めとられてしまう。
光る鎖は俺の両手両足、それと右手の魔剣を縛り上げて固定した。
引っ張っても千切れる気配はない。完全に動きを封じられてしまった。
魔法で身体能力を抑えていなければ多分避けきれただろう。悔しいような、しかしある意味狙い通りで喜ばしいような。とりあえず舌打ち。
当然、これを好機と見て彼らは攻勢に出る。
トルテが神器を振りかぶる。
その神器の剣の輝きは辺りを照らすほどの強さであり、その攻撃を受ければ魔王である俺はひとたまりもないだろう。
どうやらこの鎖は俺の魔法を封じる効果もあるようで、障壁を作って彼の剣を凌ぐことはできそうにない。当然この状況では避けることもできない。
だが俺もそう簡単に倒れてやるつもりはない。
動けないなら、鎖を破壊すればいいのだ。
結界を壊す時の要領で、床から伸びる鎖に闇の魔力を浸透させる。
しかし鎖が完全に黒く染まって効力をなくすよりも、トルテが掛け声と共に神器を振り下ろす方がほんの一瞬早かった。
避けられない。
脆くなりつつある鎖を力任せに引きちぎり、咄嗟に左腕を顔の前に持ってくる。
一閃。
「──ッ!」
神器が放つ光か俺の受けた衝撃か、目の前が真っ白になる。
ともすれば消え去りそうな意識を無理やり引き戻し、奥歯を噛み締め、足を踏みしめる。
輝く剣は俺の左腕を容易く切断し、離れた腕は血を撒き散らしながら宙に舞う。
その血は俺とトルテを赤く染め上げ、戦況の変化を俺達に知らしめた。
一瞬遅れて、俺に巻きついた黒い鎖が崩壊する。
俺は大きく後ろへ跳躍し、よろめきつつも着地する。
追撃対策に軽く結界を張ってから右手に掴んでいた魔剣を床に突き刺し、右手で左腕を押さえた。
痛い痛い痛い。物凄く痛い。余裕で死ねる。やばい。テンション上がる。
小さくふらつく。脂汗が浮かぶ。左腕の傷を押さえる右手の指の隙間からは絶え間なく血が零れ、俺の足元に血の池が形作られる。
大きく肩で息をしながら、俺は彼らを睨んだ。
「攻撃が、通った……!」
トルテは驚いたように小さく呟いた。
ファルスはトルテに油断しないよう声をかけ、シルフィは俺を警戒している。
彼には予想外だったのかもしれないが、攻撃が通ったどころか大ダメージだ。
俺にHPゲージが存在したならば、おそらく半分以上削られているだろう。
俺の体力が低いのではない。神器が強すぎるのだ。
輝きを失った剣を構えるトルテ。その後方には俺の左腕だったものが血溜りを作って転がっている。二の腕から先をなくした俺自身の左腕も、ドクドクと血を流し続けている。
これが痛みか。これが狩られる側の立場というものか。
荒い息を整えることもせず、俺は胸の内からの激情に身を委ねた。
「──ふ、ふははっ、ははははははッ!」
歓喜。興奮。そして戦意。
今の俺の脳内を占める要素はもはやそれだけだ。
「素晴らしい。大したものだ! まさかこの俺がこうも追い詰められるとはな……!」
体力はもう半分を切った。
急激に血を失い、軽く眩暈を感じる。
片腕を失ったことでバランスをなくした。
痛みや失血により集中力も低下しているだろう。
さらに身体能力の抑制や結界の維持のために、常に魔力を使い続けている。
それに対して彼らはほぼ無傷。状況は最悪といっていい。
だが、それがどうしたというのか。
「感謝するぞ。これほどまでに強くなってくれたこと。これほどまでに楽しませてくれたことを」
これが戦い。これが俺の望んだもの。
それをすぐに終わらせる気など毛頭ない。
彼らに討たれるその時まで、存分に満喫しようじゃないか。
戦いはまだ始まったばかりだ。
「だが、まだ勝ったとは思わないことだな。魔王の力がこの程度だと誤解されてしまっては困る」
左腕の傷を炎で焼き、止血する。
かなり痛いが神器で受ける傷の痛みよりはずっとマシだ。
それから闇の魔力で俺の左腕を覆い、実体を持った影を義手の代わりとした。
もう遠慮はしない。きっと彼らなら大丈夫だ。好きなように戦おう。
「さあ、続けるぞ。持てる力の全てを出し切り、そして俺に打ち勝ってみせろ!」
何故か少し戸惑ったような顔の彼らを見据えつつ、俺は素早く魔力を練り上げ、右手を彼らの方へ突き出す。
突如勇者達の足元が燃え上がった。
彼らはすんでのところで反応し、横に飛び退く。
魔法により、俺は幾つもの火柱を燃え上がらせる。彼らはその全てを避けるが、炎はすぐには消えない。次第に辺りは火の海になった。
火と火の隙間に身を寄せる彼らへ、俺は容赦なく魔法で旋風を巻き起こす。
残っていた炎が纏まって燃え上がる。彼らを中心に巨大な一つの火柱が出来上がるが、どうやらシルフィがドーム型の結界を張って防いだようだ。
俺は床に突き刺していた魔剣を手に取り、魔力を纏わせて再度突き刺す。
魔力が床を伝わって、彼らの足元から石の槍を数本生成した。
その場を貫こうとする槍に気付き、シルフィが慌てて結界を広げ、トルテとファルスは間一髪で飛び退く。
「しまっ……!」
「シルフィ!」
しかし一瞬の差でシルフィは足に傷を負ったようだ。結界を広げていた分対応が遅れたのだろう。
シルフィは足から血を流し、表情を歪めて床に突いた杖にもたれかかっている。
彼女は片手を自らの足に当てて、小さく口を動かしている。おそらく回復魔法を試みているのだろう。
トルテはシルフィの無事を確認し、結界の中から水魔法で鎮火を試みていた。
段々と静まっていく炎を見ながら、俺は魔力を凝縮して、シルフィに向かって闇と雷の複合魔法を放った。
黒く染まった雷は瞬く間にシルフィの結界にたどり着き、一瞬の抵抗の後、甲高い音を伴って結界を破砕し、貫通した。
それでも雷の勢いは収まらず、目を見開いたシルフィへと襲い掛かる。
動けないシルフィを守るようにファルスが飛び出した。
剣の腹で雷を受けようとするが、その程度で散るような魔法ではない。
闇の雷はファルスの剣に弾かれつつも拡散し、ファルスを呑み込んだ。
「ファルスッ!」
トルテが叫ぶ。
黒い雷をまともに喰らったファルスは、呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。
直撃しても死なないように威力は調節しているが、治療しなければ、身を苛む激痛により丸一日ほど動けないだろう。
闇の雷を受けたことによりひびが入っていたファルスの剣の刃は、落下した衝撃で砕け散った。
ファルスに駆け寄ろうとするシルフィに闇の弾を放って牽制しながら、俺はふっと息をつく。
ひとまずこれで一人は撃破か。
少し冷静になるように意識し、現状を分析する。
実体を持つ影で思い通りに動く義手を作っているとはいえ、完全に元の腕の代わりを果たせるというわけではない。
左腕を欠損した分重心がずれ、普段のように思い通り動けるとは限らないのだ。
回避に信頼性がない今一番厄介なのは、まともに防御することができないトルテの神器。しかし俺の左腕を両断した時に全力を注ぎ込んだのか、今は神器には大した力を感じない。暫くは強い閃光の攻撃を受けることはないと考えていいだろう。
魔法は大体結界で防げるが、物理攻撃はできるかぎり受けたくない。ファルスがシルフィを守って倒れたのは俺にとっても好都合だ。
シルフィにファルスの回復をさせないよう注意しながら、神器の力を取り戻される前にトルテを狙うか。
それとも回復や足止めの対策も兼ねてシルフィを先に倒しておくのが最善か。
いや、そうではない。今回は俺は勝ってはいけないのだった。
目的を見失いかけていた。危なかった。冷静になろう。
ではどうしようか。あえてシルフィに回復をさせるべきか。だがそれはそれで気に入らない。ならば──
続く作戦を考えようとするが、神器で受けた傷がまた強く痛みだし、思考はやむなく中断された。
左腕を右手で押さえ、息を整える。顔に汗が一筋流れた。
不意に空気が流れる気配を感じた。
気付くとトルテが俺に肉薄していた。
床に突き刺していた魔剣を左手の影の義手で掴み、剣戟を受け止め、押し返す。
もういいか。
戦略を考えている余裕はない。成り行きに任せよう。
何か問題が起こったとしても、その時はその時だ。
その対処法を考えるのは今でなくていい。
俺は思考を放棄し、再び俺に迫ろうとする攻撃へと意識を切り替えた。




