2-5 最後の襲撃
翌日の未明。じきに空が明るみ始める頃。
あれから俺は一睡もせず、水晶玉をのんびりと見張っていた。
強靭な魔王の体のおかげか、別に体調的には一徹くらいどうということはない。
徹夜で何をしていたかというと、最後のターゲットや勇者の動向の監視である。
まあゲームにも手を出してはいたが、あくまでメインは監視である。あくまでも。
俺が昨日勇者にわざわざ次の目的地を告げたのは、その情報を上層階級の人間達に伝え広げてもらうためだ。
命を惜しんだ貴族達は、俺が襲いにくる朝までに何とか町を脱出しようとした。
まあ生物として当然の行動だろう。
だが、一般市民には混乱を避けるために詳しい公表はせず、曖昧な説明をして地下の避難所に退避するよう促していただけだった。
狡いとは思うが、これもある程度は仕方ないことなのかもしれない。大勢の市民がパニックを起こし、誰もまともに避難できないままタイムリミットが来て魔王に中枢都市を滅ぼされる、という最悪のパターンは国としても避けねばならないのだ。
そして、案の定というか期待通りというか。
夜の遅い時間帯に、やはりターゲットは他の貴族達をも押しのけて、大した護衛もつけず我先にと町を飛び出していった。
それを魔物の偵察や水晶玉による観察で発見できさえすれば後は簡単だ。
町の離れで、他の人間が来る前に、そこらに生息する魔物に指示を出して手早く始末すればいい。
あえて痕跡を残し、後から逃げてきた他の貴族にもわかりやすくしておく。
つまり、警備の薄い場所を移動中に不幸にも魔物に襲われてしまった、ただの哀れな犠牲者だ。
こうして、遼也に渡された表に書かれた不穏分子の掃討は秘密裏に完了した。
その後も水晶玉の指定対象を勇者に切り替え、俺は観察を続行する。
とはいえ当然その時間は彼も休んでいるし、観察をする意味など殆どない。
正直なところ観察はただの建前で、片手間にゲームがしたかっただけだ。もうすぐクリアできそうだったのだ。作戦が終わればゲームができる機会など暫く来ないのだ。
だが思ったよりもラスボスが手強く、攻撃や回復にアイテムを使わないという制限プレイをしていた俺はかなりの苦戦を強いられた。数度全滅した。
できるだけアイテムを戦闘中に使わないのは俺のポリシーである。また、意図的なレベル上げもしない主義だ。回復手段やMPが限られた中、敵の猛攻からどう耐え忍ぶか。または防御を捨てて一気に畳み掛けるのか。そういう試行錯誤が楽しいのだ。
意地でもアイテムには手を出さず戦略を練って挑み、どうにか撃破した頃にはいつの間にか空が明るみ始めようとしていたのだ。
結果的に言えば徹夜だ。
俺は朝が苦手であり、中途半端に眠ると思い通りの時間にうまく目を覚ますことができない。ちょうどよかったと思おう。
水晶玉を見ると、トルテは早くも目覚めていたようで武器の手入れをしていた。
俺もそろそろ準備を始めるか。
スタッフロールを流し終えてタイトル画面に戻ったゲームの電源を切ってテーブルに置き、俺は大きく伸びをした。
* * *
黎明。
魔物の偵察で、人間達の迎撃準備が大方整ったと確認できた頃。
空が黒い雲に覆われていなければ、綺麗な朝焼けが見られたであろう時間。
セントリアの王都の上空に、俺は気配を消しながら転移した。
まずは町の周囲に控えさせている魔物達を向かわせようと指示を出しかけた時、下方からこちらに迫る大きな魔力の気配を察知した。
驚きつつも咄嗟に半球状の結界を張る。
轟音と膨大な熱量を伴って俺に近づいていた大きな火球は、周囲の小さな魔物を巻き込みながら分散し、やがて消え失せた。
さらに畳み掛けるように、幾本もの炎の矢が俺の結界を回りこむように曲線を描いて飛来した。俺は周囲に突風を巻き起こして炎を散らす。完全に消しきれていなかったのか、それでも少し熱さは感じた。
煤になった魔物達の中心で、俺は結界を消し、目を細める。
眼下ではシルフィがこちらに杖を向けていた。
魔法で気配を絶っていたというのに、よく俺の出現に気付いたものだ。
やはり前に戦ったときよりも、彼らの力は格段に増している。その成長振りに俺は舌を巻いた。
不意打ちが目的だったのか、これ以上の追撃が来る気配はない。
居場所がばれているならもう気配を隠す意味はない。俺は気配隠蔽の魔法を解除し、大げさに手を振って魔物を一斉に投入した。
こうやって町を襲うのはおそらくこれで最後になるだろう。もう少し数を減らしておきたい魔物達を大盤振る舞いしておく。
空から陸から、様々な種類の魔物を豪快に寄せ集める。魔物達がひしめく様子はさながら百鬼夜行。大した抵抗がなければ容易に町を滅ぼすことのできる軍勢だ。
それを上から眺めながら、俺は腕を組んだ。
さあ、彼らはどう乗り切るか。暫し高みの見物といこう。
爆音が響く。
一所にまとまっていた一部の陸の魔物が瞬く間に塵と化した。
どうやらその中心で爆発が起きたらしい。
同様の爆発が他の箇所でも続々と起こる。
見ると、大砲のような兵器が爆心地にその口を向けていた。
なるほど、これは戦争で用いていた兵器なのだろう。
近くの家々はその爆発に巻き込まれて崩れていくが、そうでなくともどうせ押し寄せてくる魑魅魍魎に為す術もなく押しつぶされているところだ。ならば魔物の殲滅を優先する判断は正しいだろう。
兵士達も奮闘している。彼らも勇者達と同様に厳しい研鑽を積んできたのだろう。しっかり統率されていて、小さな魔物には後れを取らず、順調に魔物の数を減らしていく。
よく見ると、兵士達の装備にはいくつかの種類がある。どうやら様々な国の兵士達が混ざっているらしい。
中心にいるのは、以前も見た騎士の男と魔導師の青年。そして他国の王都で見た、同様に国の中心といえるであろう戦士達。彼らは無駄のない動きで数々の魔物を相手取っている。
その様子を観察していると、ついつい口元が緩んだ。
全く、見事なものだ。始めにここに来たときと比べると随分と見違えた。
彼らも随分頑張ってくれたようだ。背水の陣とはよく言ったもの。
遼也が神として手助けをしたおかげもあるのだろうか。彼が何をどうしたのかは未だによく理解していないが、どうやら彼の力はうまく作用していたようだ。多分。
ちなみに勇者達3人は今何をしているかというと、俺を警戒しつつも、どうやら小さめの物資の運搬など兵士達への軽い後方支援に回っているようだった。
この魔物の大群がただの前哨戦であることを理解して、力の温存を図っているのかもしれない。
では、そろそろ期待に応えて次の段階へと移行しようか。
眼下の魔物がその数を大幅に減らしたのを確認し、俺は片手を前に伸ばした。
雷鳴が轟き、街の中心にある広場に、魔物や人を諸共巻き込んだ稲妻が落ちる。
その稲光が収まったあとには、大きく翼を広げた白い天馬、ペガサスがたてがみをなびかせて鎮座していた。
魔物の四天王のような存在のうちの最後の一体だ。
ちなみに四天王といっても厳密に言えば四体ではない。八天王ぐらいいたかもしれない。だがこの際数など関係ないだろう。
更に言えば、今回間引きする対象から外した魔物や火山に眠るテュフォンも含めればその数はもっと増える。数十天王くらいにはなるだろう。これも今は全くどうでもいいことだが。
大きく嘶いたペガサスを前に、ついに勇者パーティが動き出した。
兵士達も彼らの支援をしようとするが、残った魔物達が立ちはだかる。お前達の相手はこいつらだ。
先手必勝とばかりにトルテが神器の力を解放するが、ペガサスは身軽な動きでかわし続け、なかなか有効打を与えられていない。
ペガサスは雷撃を撒き散らしながら低空を翔け、勇者達を近寄らせない。
ペガサスが呼んだ雷がいくつも落ち、辺りは少しずつ焦土と化していく。ちなみに俺は魔法で周囲に結界を張っているので避雷針にはならない。
軽快に翔けるペガサスの目の前に、突如シルフィの土魔法による障壁が出現する。驚いたペガサスは一瞬動きを止めてしまった。
ペガサスは障壁を避けようと向きを変えたが、その隙を逃さずに跳躍したファルスが剣を大きく振りかぶり、一閃。
嘶きと共に、白い羽と赤い血が舞った。
羽に大きく傷を負ったペガサスは地面に墜落する。
トルテが駆け寄り、光り輝く神器を振りかざした。手負いのペガサスには彼の剣戟を避けることができるはずもない。
だが自らの敗北を悟ったペガサスは、最後の力で特大の雷を自ら目掛けて落とした。自分諸共勇者を消す魂胆だろう。
地に響き渡る轟音と眩い稲光。
それが収まった後に見えたのは、間一髪で発動したシルフィの結界と、神器でペガサスに止めを刺したトルテ。
どうやら早くも決着がついたようだ。
勇者の勝利を知った兵士達が歓声に湧く。
雑多な魔物達は既に大方片付けられているようだ。
治療班とでもいうのか、白い服を着た魔導師達が勇者達に駆け寄り、手早く回復魔法による治療を施す。
治療を受けながら、続けて襲ってくる魔物がいないと確認し、勇者達は兵士達や治療班の魔導師達を下がらせた。
まだ戦いは終わっていない。所詮これも前座なのだ。
勇者は依然上空で観察を続ける俺を見据え、口を開いた。
「──ゴルゴンゾーラ!」
はいはい。どうせ俺はゴルゴンゾーラですよ。
呼ばれてしまっては仕方がない。望みに応えてやろう。
俺は組んでいた腕を解き、浮遊の魔法を解除する。
重力に任せて頭から自然落下し、地表付近で体をひねる。うまく膝を使って音を立てずに足から着地した。
そして風にマントをはためかせつつゆっくりと立ち上がる。
こちらを見据える勇者達の視線を捉えて見つめ返し、やや置いて俺は口角を上げた。
「ふ、見事だ。これほどまで鮮やかに我がしもべを退けるとはな。以前に比べると見違えるようだよ」
「それは光栄だ、魔物の王よ」
余裕の笑みを湛えながら賞賛すると、意外にも勇者達の背後から返答が来た。
周りの制止を振り切って前に出たのは、金の髪に王冠を載くセントリア国の若き王。
「久しいな、魔王ゴルゴンゾーラ。このような形で再び出会うことになったことが、私には誠に残念でならぬ」
当然ながら、以前見たときよりも数年分の威厳が出ている。
改めて見るとトルテに非常に似た顔立ちだ。親族だろうか。
それより、まさかまだ王がここに残っていたとは。他の貴族と同様に逃げたものだと思っていた。
しかも何故出てきた。俺に不意打ちされないとでも思っているのか。しないけど。
「……アデルバート、といったか。我らの来襲を知ってなお、この町に留まっていたとはな」
「私はこの国の王。国を捨てて逃げ延びるわけにはいかぬ」
毅然と言うアデルバート王。
なるほど、王都が滅びることはつまり国が滅びることなのか。
俺が思っていた以上にこの町は重要な立ち位置だったのだな。
少し派手に破壊しすぎたかもしれない。復興は頑張ってくれ。
「ふむ、国と運命を共にするか。それもよかろう。──して、我に何用か」
「……用というわけではないのだが、最後に確認をさせてくれ。本当に、貴殿は人の国を滅ぼす気なのだな? 我々人間との共存は望めないのだな?」
「……」
こいつもか。
俺は半眼で王を睨んだ。
トルテといい王といい、この世界の金髪は何故こう素直に魔王を悪と断定してくれないのか。
もういいけどな。無理な軌道修正は諦めたけどな。
でも一応念押しはしておこう。
「くどい。我は幾度も告げたはずだ。表舞台から人間を引きずり下ろし、我ら魔の眷属がその頂点に立つ、と」
「……。そうか……、残念だ。貴殿がそう言うのであれば、もはや私から言うことは何もない。……トルティア、任せるぞ」
「ええ、兄上。後は僕達が担います」
トルティアと呼ばれた少年、トルテが静かに返事をする。
王が何をしたかったのか俺にはよくわからないが、引き下がったならいいか。
勇者パーティは王を庇うように前に出て、王は騎士達に守られて退場していく。
ところで二人は兄弟だったのだな。似た顔立ちも納得だ。
というかトルテってそっちだったか。ザッハトルテではなくトルティーヤだったのか。残念なような安心したような複雑な感覚である。どうでもいい。
兵士達は彼らの邪魔をせぬよう遠くへ下がり、そしてこの一帯には俺と勇者パーティだけになった。
トルテは短い間目を閉じて、ゆっくりと開く。
その瞳には強い意志が宿っていた。
「ゴルゴンゾーラ。僕達はここで貴方を止める。この町は、この国は絶対に破壊させない!」
トルテが鞘から神器を抜く。シルフィとファルスも各々の武器を構える。
彼らに応えて、俺も右手に赤い魔剣を創造し、軽く横に薙いだ。
「いいだろう。やってみるがいい」
そう言って軽く挑発する。
久々の戦いなのだが、いまひとつテンションは上がらなかった。
今はちょうど計画の重要なポイントであり、予定通り進めば今日か明日で俺達の計画は全て完了する。そのためにはここで思う存分暴れるわけにはいかないのだ。
雑多な魔物やペガサスとの戦闘の余波により建物がいくつか崩れてはいるものの、町が跡形もなく焦土になったわけではない。魔物の軍勢がこなかった辺りには、国の中枢都市としての町並みが揃ってもいる。できればあまりこれ以上焼け野原を広げたくはない。
また、次の作戦につなげるために、前回と同様に彼らを叩きのめすこともしてはならない。
枷だらけの戦闘。
それでも少しは楽しめることを願い、俺は口元に薄く笑みを浮かべた。




