その三
翌日は朝からよく晴れていた。
迷宮攻略には全く関係のない要素だけれども気分がいい。
レースのカーテン越しに部屋に差し込む早朝のきらきらした陽光に、今日一日が充実した日になるような予感がして、私は眩しさに目を細めながらベッドの上で大きく伸びをした。
迷宮デビューにはうってつけの日だ。
朝食はレドの部屋に運んでもらうよう手配してあったので、着替えて向かうと、ノックをするまでもなくドアが開いた。まるで自動ドアだ。
「おはよう。美桜」
「ん。おはよ」
昨日の夜、遠足前日の小学生ばりに興奮してしまって寝るのが遅かった私は、寝ぼけ眼のまま出迎えたレドのキスを頬に受けた。やたらと抱き寄せられている気もしたけれど、足元がおぼつかないこともあって、密着したままヤツの頬にキスして『祝福』をかける。
迷宮の瘴気に対するバリアに加え、生命力や身体能力が向上する聖女固有のチート魔法は、こういう日にこそふさわしい。
「今日もいい朝だ」
「……そうだねー」
なにやらご機嫌な気配のレドに適当に相槌を打ちながら、食卓へとエスコートしてもらうと、そのタイミングで給仕さんたちが部屋に入ってきた。
出来たてのパンとスープの匂いが私の脳みそを目覚めさせる。
朝ご飯を食べ終わる頃には、眠気も吹き飛んでいることだろう。
朝食後、再び着替えるのは迷宮探索用の武装だ。
今まで荷物として運ぶだけだったそれらがやっと日の目を見る。
まずメインとなるのは、同じデザインのシリーズで揃えた胸当てと両腕の籠手に長靴。これら金属製の防具には、すべて軽量化の魔法がかけられている。
その他、鎧下や皮のラップスカート、厚手のタイツにも防刃や耐魔、耐熱耐冷等の性能が付与されていてるという特別仕様だ。
そうして、武器の方はというと、ウエストのベルトの背中部分に中型のナイフを一本仕込んであるけれど、メインは先端に貴重な魔石が埋め込まれたロッドだ。
一応、魔術師という設定なので、この上にカーキ色でフード付きのローブというかポンチョを羽織る。
まるっきり小説やゲームの登場人物のような装備に、知らずテンションも上がってくる。
がしかし、宿のエントランスで落ち合ったレドは思いのほか軽装で肩透かしを食らった。
「ええと、レドさん。その格好でお出かけですか?」
「ああ。抜かりない」
「……」
涼しい顔の王子様は、軍服のような詰襟の濃紺のロングコートにボトムは長靴にインして、防具は利き手の右腕に着けた籠手のみという、そこらへんの衛兵よりも軽装だった。
一方で、二重に巻かれたウエストのベルトには、シンプルに見えるけど実は魔剣という使い手を選ぶアブナイ一品を佩いている。
御前試合で使っていたキンキラ金の剣は典礼用で、実はこの魔剣が戦役でも使用した愛剣らしい。
うん。まあ、この人はチートだから何も言うまい……
そんなこんなで宿を出発した私たちは、エルムグレンの街をぐるりと囲む外壁の南の門を目指した。そこでヴィヴィたちと待ち合わせをしているのだ。
集合時間の七時よりもだいぶ早く着いてしまったが、彼女たちはすでに全員集まっていた。
「おはよう。レド。今日も素敵ね」
そう言うヴィヴィは今日も元気溌剌で、武装したレドに熱い視点を送ってくる。
彼女が喜色満面なのも無理からぬ話で、悔しいけれど、武装したレドも様になっているというか、貴公子然としながら歴戦の経験を感じさせる余裕が窺えるのがまた憎らしいというか。とにかく、迷宮探索の連れとしては申し分ない風格が溢れちゃっているのである。
今日も今日とて、朝早いというのに宿の前で待機していた町娘さんのグループが、旅装とは違うレドの装いに歓喜して上げた悲鳴は、いまだに耳の奥に残っている。というか、振り向けばストーキングの最中だったりする。どの顔も恍惚としていて心配になるくらいだ。
「おはよう。君も朝から元気だね」
「そうかしら? 早速だけど、今日のメンバーを紹介するわね。ジョスとパーシー、ガッドよ」
ヴィヴィの後ろには、昨日夕ご飯を一緒に食べたジョスの他に、二人の男性冒険者が立っていた。パーシーと呼ばれた細身の優しそうな青年は、黒髪に薄緑色の瞳をした槍使いで、もう一人のベテラン冒険者といった風貌のガッドは、灰色の髪が渋いがっしりとした体形の剣士だった。歳は四十代くらいなので、今日のパーティーの中では彼が最年長のようだ。
二人とも物珍しそうに私たちを見ている。
「三人とも六十階に難なく到達できる実力の持ち主よ。まあ、今日は基本手を出さないようにお願いしてるわ。あと魔石拾いも」
「ああ。よろしく頼むよ」
「ルートは最短でよかったわね?」
「そうだ」
短い打ち合わせを終えて前金を支払うと、私たちは迷宮に向けて出発した。エルムグレンの迷宮は、外壁から歩いて十五分ほどの場所にある。
街並みは外壁の外にも続いていて、それらは民家というよりは冒険者相手の商店街のようだった。武器や防具に薬から日用品、お土産屋までが並んでいるそんな雑多な印象のエリアを抜けると、食堂や屋台が連なる景色に変わる。
ほとんどのお店がすでに開店しているのは、迷宮の入場が朝五時から可能だからだろうか。
迷宮の出入り口はギルドが管理していて、探索の際には入場料が徴収される。入場は朝の五時から昼の三時までの受付だけども、帰りは二十四時間いつでも出ることができた。
朝ご飯を食べたばかりだというのに、つい屋台に目が行ってしまう。見たことのない食べ物と調理のパフォーマンスが、おいしそうな匂いと相まって、私を惹きつけてやまないのだ。
甘い匂いに誘われて、私は鈴カステラのような丸いお菓子を一袋購入した。
レドはというと、はしゃぐヴィヴィに捕まって遥か前を歩いているので、あーんと口を開けて味見を催促されることもない。
私は心おきなくまだ温かい紙袋を開け、表面がこんがりとしたキツネ色のお菓子をひとつ右手で摘んだ。瞬間、手首に嵌めた腕輪から毒消しの魔法が施される。手に持った食べ物に毒が入っていてもいなくても、自動的に発動するそれは、意識して見ていても判別できないほどの早業だ。
「うん。おいしい」
口に放り込んだ鈴カステラもどきは、優しい蜂蜜とレモン風味の外がカリッとして中がフワフワのお菓子だった。
「食べる?」
得物の大剣を背負って横を歩くジョスから視線を感じたので、紙袋を差し出してみる。
「いや、結構。しっかし、すごい装備だな」
「え? 気合入り過ぎてる人になってる?」
呆れたようなジョスの表情に私は首をかしげた。
こうして迷宮への道を歩きながら他の冒険者を見てみると、レドが例外なだけであって、自分がそれほど重装備とは思っていなかったのだ。
剣や斧を持つ前衛の冒険者の中には、私よりも金属の割合が多い人間も沢山見受けられる。
「見る奴が見れば加護満載だからな。ここの迷宮は表層しかないから、頑張り過ぎかビビリか……要は、金に飽かせた装備ってとこだ」
ジョスが渋い表情で言う。
装備を選ぶ際、私はデザインしか見てなくて、性能方面はレドに丸投げにしてしまったのだけど、まさかそんなに浮いた格好だったとは。
まあでも、その派手な美貌の人と一緒に旅をしていれば、周囲の視線を集めてしまうのは今さらな気もする。
「マジですか。一緒に歩きたくない感じ?」
「いいや、そんなことはない。それに、メイズゲートに行くなら間違っちゃいないさ。あの街は深く潜ってなんぼだからな。深層を探索する冒険者は一目置かれるし、待遇も厚い。実力のある奴ほどいい装備を身につけてるから、それこそ競うように装備に金をかけるらしい」
「なるほど」
迷宮都市は面白いところのようだ。
「つーか、俺が引いたのは、すげえ牽制だと思ってよ」
「牽制?」
「そう。それを用意した人間のあんたに対する執着の強さが滲み出てるようなところがな……」
「……」
あれ、なんか鎧が重く感じできちゃったよ。さっきまで羽毛のようだったのに。
固まってしまった私に、ジョスは少し言い淀んでから爆弾を投下する。
「まあ、なんだ……それだけ大事にされてるってことだろ」
「げふっ」
強烈な精神攻撃に、私は吐血するかと思ってしまった。迷宮に入る前に私のライフが――
「おい、ジョス! 何気色悪いこと言ってんだよ。鳥肌が立つぜ!」
「その顔で反則ですよ」
私たちの後ろを歩いていたガッドとパーシーも相次いで突っ込んだ。ガッドはにやにやと笑っているし、パーシーは肩をすくめている。
「確かに尋常じゃないですけどね。特に装飾品類が。状態異常無効に魔法封じ防止、疲労軽減、魔力回復、位置追跡等々、極めつけは、守護者入りの耳飾りと瀕死になったら一度だけ全快する指輪ですね。国宝級です」
「お前、よく分かったな」
「あれ? ガッドさんに言ってなかったですっけ。俺、鑑定の高等技術持ってるんですよ」
「……」
パーシーの説明に眩暈がした。口調は穏やかなのに、言ってることが空恐ろしい。
旅装のときからアクセ類が多いなと思っていたけれど、知らないうちになんて物を身に着けていたんだ、私。
こっちの世界に来てから両耳に開けたピアス穴。左耳には先端に青玉がついたロングピアスをつけていたのだけど、まさか国宝級の代物だったとは夢にも思わなかった。とうか、守護者って何?
指輪にいたっては両手であわせて六つもしている。この中で一番力を感じるのは……今日の朝、レドから渡された右手の薬指に重ね付けしているものの一つ、オパールのような石の填った指輪だ。
私は生唾を呑んで指輪を見つめた。
「それにその聖珠な。どんだけ神殿に寄進したんだっていう」
ジョスが私の胸元を指さす。
そこには、神殿の象徴である聖珠と呼ばれる円の上に十字が載ったマークのネックレスが下がっていた。『♀』を逆にしたものだ。
これは聖女になったときに神殿から贈られたもので、出奔するときに一度置いてきたのだけど、レドに持っているよう勧められてつけている。彼が言うには、聖女の私が瘴気に触れると、身の回りを無意識に浄化してしまうらしい。そのせいで周囲に聖女だとバレるとやっかいなので、カモフラージュのためにも、瘴気をある程度和らげる高位神官用の聖珠は持っていた方がいいとのことだった。
「何やら、楽しそうだね」
「!」
突然、隣りからした声に見上げれば、いつの間にか前方にいたはずのレドがそこに立っていた。完全に気配を断って近づいたようだ。
不意打ちに私は声もない。他の三人も少なからず動揺しているように見受けられた。
「美桜。朝ご飯を食べたばかりなのに、もうお腹が空いたのかい?」
「ついね……レドも食べる?」
完璧な王子様スマイルのレドに背筋がゾクっとするのは、装備の詳細を知ってしまったせいか、それとも彼が妙な威圧感を放っているからだろうか。
なぜだか後ろめたく思ってしまった私は、自らお菓子を摘んで見せると、レドも素直に口を開けた。
「素朴な味だ」
律儀に感想を言ういつもの彼に少しホッとして、エスコートされるままに歩きだす。
「レド、装備のことなんだけど、私何も知らなくて」
「ごめん。説明していなかったよね」
「国宝級ってホント?」
左耳で揺れるピアスの青玉に触れる。
「みんなの気持ちだよ。側にいなくても、美桜に何かしてあげたいと思ってのことだ」
「そっか……」
そういう風に言われれば、返すとか、自分もお金を出すなんて提案はできなくなった。
ジョスの言う執着説も無きにしも非ずだけど、このままアクスロヴィア王国のみなさんからの餞別ということにしておいた方が、精神衛生上いいかもしれない。
「レドー! いきなりいなくなるから、ビックリしたじゃない!」
先を行っていたヴィヴィが駆け戻ってきて、彼女とレドを挟み三人並んで迷宮を目指す。
それからは気配を消してさりげなく後ろの集団に混ざろうとしても、レドが見逃してくれなかった。
結局、迷宮に着くまでの間に三回ほどレドに強請られてお菓子を食べさせ、ヴィヴィから非難するような視線をもらってしまったのだった。
エルムグレンの迷宮の入り口は、切り立った岩山を刳り抜いて出来ていた。地面から垂直に聳え立つ岩山自体が、人工的に作られた神殿のようにも見える。岩山の高さは四階建のビルほどで、出入り口は縦に長い造りになっているものの、入るとすぐに地下に降りる階段があるらしい。
出入り口の前は半円状の広場になっていて、広場の外周はストーンヘンジの遺跡のように巨石に囲まれていた。この半円を描く巨石は、ギルドが施した対魔物の結界の一部なんだとか。
広場には沢山の冒険者と観光客がいて活気にあふれていた。
私たちも早速パーティーの申請をすると、入場料を払って入り口へと足を向ける。
迷宮初探索の始まりだ。