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その一

 

 何の因果か、普通の中学生だった私は、瘴気渦巻く地下迷宮をベースに発展した剣と魔法の世界アイズワースに異世界トリップしてしまった。

 現地人とは人種も違えば、言語や文化、社会制度も異なって、私の異世界生活の始まりは十分ハードモードだったけれど、出会った人々や環境に恵まれ、私自身にも魔法の才能があったおかげで、私はとんとん拍子に聖女なんて大層なものにまでなってしまったのだった。

 さすがに上手くいきすぎでしょって、今なら思う。

 だけどもあのときの私は、日々聖女として敬われ、様々なタイプの美形に囲まれて、流されるままに理想の異世界ライフを満喫していたのだった。それらすべてが仕組まれた筋書き通りの展開だったとも知らずに……

 そう、実は私がこの世界に来たのは、こちらの世界の人間が、わざわざ次元を超えて召喚したからだというのだ。迷宮の瘴気を祓う聖女の資質は、異世界の少女にしかないという。

 トリップから三年後、その事実を知った私は怒り狂った。聖女なんか辞めて、出奔しようと企てた。

 そんな私の逃亡計画はあっさりとバレてしまったけれど、それまで真面目に聖女の仕事に取り組んでいたこともあって、旅に出ることは許された。

 元の世界に帰ることはできないので、せめて私が召喚される原因になった迷宮に挑戦しようと思う。

 だけどもこの旅にはちょっと厄介な同行者がいて……


 私の異世界生活第二のスタートも波乱の幕開けになる予感がした。



  ◇◆◇



 その言語の特徴は、やたらと韻を踏み、流れるような緩急でもって詩でも吟ずるように話すところだ。

 まったく意味の分からない状態で聞いていると眠くなるので、語学の授業は大変だった。しかし今思うに、あの語学の先生は、日本語をかなりのレベルで理解していたのではないだろうか。確かに教え方自体もうまかったけれど、お互いの言語を知らない者同士にしては、何もかもがスムーズ過ぎた。


 聞けば、これまでこの世界に召喚された少女は、すべて初代聖女と同じ現代日本に座標を合わせて召喚されていたしい。秘密裏に日本語の辞書や教本が作られて、修得している人間がいてもおかしくはなかった。

 まあ、今となってはどうでもいい話だと思う。


 そんな苦労をして私が一から身につけた大陸共通言語を、より綺麗な発音と美声で紡ぐ美貌の横顔をチラリと盗み見る。

 話しかけられている屋台の主人は動揺を隠せない様子で、なんとかヤツの世間話という名の情報収集に付き合っていた。絶世の美青年を前にした驚きと感動、そしてその薄青い瞳に見つめられる焦りや照れ臭さなんかが、傍で見ている私にも伝わってくる。


 あまり不躾に観察するのも失礼だと思って、緊張や興奮に頬を上気させている壮年のおじさんから目を逸らす。

 私は買ってもらったマンゴーのような果肉がたっぷり入った冷たいスムージーを、なんかの植物の茎でできたストローで啜りながら、辺りに視線を巡らした。


 実際、このおじさんは健闘している方なのだ。男性ってこともあるし、さすが年の功というか、商売人魂のなせるワザか。

 酷い人はヤツを目にしたとたん絶句して固まったり、いきなり拝み倒したり平伏しちゃったりすることもある。現に、屋台が連なり大勢の人で賑わう通りでは、買ったばかりのアイスを落としたことにも気付かずに見惚れるお嬢さん方や、立ち止まって口をポカンと開ける買い物帰りのおばさんがいて、私たちの周りにはちょっとした人垣が形成されつつあった。


 確かに見た目は半端なくいい。それだけでなく、密閉不能の王族オーラが周囲を無意識に圧倒しているようなのだ。その上、魔法の『魅了』に似た何かまで放っているから、耐性のない人たちにとっては堪ったもんじゃないと思う。


 辺りをぐるりと見回したなかには、昨日この街に着いてからずっと遠巻きにストーキングしている町娘さんたちのグループもいた。心なしか人数が増えているような気がする。明日にはさらに増えてるんじゃなかろうか。


美桜(みお)、やっぱり、地図を買うよりガイドを雇おう。罠も解除してくれるし、ある程度雑用も引き受けてくれるらしい」

「そう。じゃ、先にギルドに登録する?」

「ああ。そもそも初回の探索時には、ギルド公認のガイドが同行する決まりらしい」


 私たちは屋台のおじさんに礼を言うと、二人並んで歩きだした。同時にギャラリーが二つに割れて道を作る。


 アクスロヴィア王国の王都を出発して二十一日。

 こんな日常に私はそろそろ慣れ始めていた。




 谷合の街エルムグレン――ここは国境を越えて最初の大きな街だ。旅の行程でいうと、ちょうど中間地点になる。

 残念なことに、旅のペースは当初の予定よりもだいぶ遅れてしまっていた。

 これは、主に某第一王子の顔が国民に広く知られていたせいだ。私たちは国外に出るまで、行く街々で熱烈な歓待を受け、数日間の滞在を余儀なくされた。結局、急を要する旅ではないということで方針転換をし、名所旧跡を見て回りながら大陸の西の果てにある迷宮都市メイズゲートを目指すことにした。


 日程的にはしょっぱなから躓いてしまったものの、レドと二人だけの旅は意外に順調だった。馬もあったし財布の中身も余裕がある。何より女の一人旅に比べて断然に安全で、私は純粋に異世界の観光を楽しんだ。


 それでも、これまでに二回ほど、レドと離れたちょっとした隙に私は人攫いに拉致られかけた。もちろん、チート級な魔法の腕前のおかげで、自分の力だけで切り抜けることは可能だったけど。

 私の想像以上に、この世界で黒髪黒目の少女というのは珍しいものであるらしい。ちょうど、同じカラーリングの聖女が現役で存在していることも希少価値を高めているのだとか。ちなみに、聖女が職を辞したことはまだ公にはされていないので、私がその聖女本人だってことはバレていないと思う。


 しかも同じ理由で、やたらとナンパもされる。

 ちょっと声を掛けてみましたっていう軽いノリものから、強引なものまで。大概がレドの絶対零度の視線に射ぬかれて散っていった。


 認めたくはないけども、彼と一緒にいればナンパも人攫いも寄ってこないし、四六時中警戒している必要もないから正直助かっている。


「一口、味見させて」

「……全部飲んでいいよ」


 隣りから差し出された手に、半分まで減ったスムージーのカップを渡す。


「美桜に買ったんだから、味見だけでいいんだ」

「自分の分も買えばよかったのに」

「甘いものは、こんなに飲めないよ」


 遠巻きについてきている少女の集団から小さく悲鳴が上がる。私は前を向いたまま、意識してヤツがストローに口をつける瞬間を見ないようにした。


「冷たいからそんなに甘くないよ」

「確かに。酸味もきいてて美味い」


 生粋の王子様であるレドは、行く先々で庶民の生活や風習に興味を持ってマネしたりした。

 最近は、気安い者同士で食べ物を分け合う行為がお気に入りらしい。


「ほら」

「……」


 返されたカップには、まだ十分に中身がある。潔癖症という訳ではないので、私は渋々残りを飲むことにした。

 ストローを銜える横顔にヤツの視線を感じるのは気のせいではないだろう。

 キッと睨めば、変態は嬉しそうに破顔した。


 これくらいは我慢しよう。喉元まででかかった文句の言葉をスムージーで流し込む。

 なんだかんだと、レドは出発前の約束をきちんと守ってくれていた。

 必要以上の身体的接触はないし、口説いてもこない。当初悲観していたより、精神的な疲労は少なくすんでいたのだった。


 で、今私たちが向かっているのは、この街の迷宮を管理しているギルドの本部だ。

 このエルムグレンには、初心者から中級者向けとされる比較的小規模な迷宮がある。私たちは迷宮都市に着くまでに一度腕試しをしようと、この街にしばらく滞在することを決めたのだった。


 ちなみに、初心者向けの迷宮っていうのは、深層に繋がっていない迷宮のことだ。

 この大陸の地下に広がる迷宮には、表層と深層とで大きな違いがあって、表層は土壁や岩盤などでできた通路と部屋で構成される迷路のような構造で、かたや深層は一層一層がとても広いとか。どこか異次元のようだと言われるように、なかには水路が縦横無尽に張り巡らされたものや、大樹の森が広がるフィールド、青い空があって浮遊島を渡り歩くものまであるという噂だった。


 そうして、このエルムグレンの迷宮を一日で踏破できる実力があれば、深層でもやっていけると言われていた。




「げ、六十階まであるし……」


 ギルド本部の一階、総合案内所の壁に掲示されていた迷宮を横から切り取った構図の全体像を見て、私は唸った。

 表層という単語から、もう少し浅いものをイメージしていたのだ。

 六十階分の迷路を歩くだけでも疲れそうなのに、魔物まで出るとなると、とても一日で踏破できる自信がない。唯一、最深部までいけば、帰還用の転送陣があるのが救いだ。


「迷宮都市の表層は百階以上あるらしい」

「えええ……」

「まだ、地図が公開されていない区域もあるそうだ」


 レドに言われて、私は驚きのあまり、申込用紙の隅にインクをボトリと垂らしてしまった。

 なんで気軽に迷宮に挑戦するなんて言ったんだ、私。と、過去の浅慮な自分の言動を後悔するが、とりあえず一回は体験してみようと気を取り直す。


 一方のレドは流麗な筆跡で、短くなったフルネームを申込用紙にさらりと書いた。短くなったとは言っても、王太子のときに比べればで、今の名前もそれなりに長ったらしい。王位継承権は辞退したものの、国王が第一子に与える爵位の中から使い勝手がいい侯爵位を名乗っているそうだ。舌を咬みそうな名前なので、私は絶対に呼ばないと思う。


 そんないかにもお忍びの貴族風なレドと黒髪の私という組み合わせは、フロア中の視線を集めてしまっていた。

 この街に集う冒険者たちは、日々の生活の糧を得るために迷宮に潜っているものが大半なので、どうしたって生活感のない身ぎれいな私たちは浮いてしまう。


 一挙手一投足を注視されているような好奇の眼差しのなか、新規受付のカウンターに申込用紙を提出すれば、程なくして私たちは真新しいギルドカードを手に入れることができた。

 このカードはエルムグランの迷宮専用のカードで、氏名や性別、年齢、出身地が刻字されているほか、迷宮の攻略状況によって、挑戦回数、累積滞在日数、最深の到達階なんかが表示される仕組みらしい。


「あんたら、迷宮は初めてか?」


 ギルドカードの発行に続いて、ギルド主催の『初めての迷宮』講座の受講を予約した私たちに、冒険者風の武装の男が一人声をかけてきた。

 赤茶色の短髪に、顎に薄く髭を蓄えた男は三十代半ばといたところ。使い込まれた装備はきちんと手入れがされているようで、レドが放つ諸々の雰囲気に気負いなく対峙している姿は風格があった。直感でこの人強そうだなと思う。


「そうだが」

「ガイドを雇うなら、俺に任せてくれないか? だいたいの要望に応えられると思うぜ」

「考えておこう。名前は?」

「フィルだ」


 臆することなく売り込んできた男を一瞥し、レドは最低限の対応をするのみで、私を促しその場を離れた。男もしつこく食い下がってくることはなかった。


「あの人、強そうだったね」


 ギルド本館の一階で営業している食堂でお昼ご飯を食べながら、私は目の前でフォーのような米粉麺を上品な箸使いで啜っているレドに話しかけた。

 この世界にも主に長粒種だけどお米が存在していて、私が今食べているのは、スープで炊いたピラフのようなご飯に、グリーンカレー風のスパイシーでいて肉と野菜がごろごろと入ったルーを掛けた料理だった。絶妙に後を引くピリ辛さに食が進んでしまう。


 日本人ならお米だよねって、実はここ中央大陸では、和風の料理も結構な範囲で普及していたのだった。

 なんでも三代目の聖女が食に並々ならぬこだわりを持っていたようで、元々この世界にはなかった醤油や味噌といった和の調味料を苦心して再現したらしい。彼女の没後数百年経った今では、庶民層にまで浸透していて、私もその恩恵に与っている。先日まで過ごした王都では、日本のお米に近いものまであって、普通に日本食が食事に出されることも多かった。


「ああ、相当できるな、アレは」

「ガイド頼む?」


 初めて迷宮に挑戦する冒険者には、ギルドが提供するビギナー向け講習の受講が義務付けられいる上に、初回の迷宮探索には必ずベテラン冒険者のガイドと一緒に潜り、チュートリアルを受ける決まりになっていた。ガイドはギルドが紹介してくれる者に任せてもいいし、自分で雇ってもいい。


「いや。逆にでき過ぎて危険だ。深層に挑戦するくらいの冒険者なら当たり前なんだろうが、私に付与されている加護の種類を見抜いていたようだ」

「だから、話しかけてきたのかな?」

「美桜の正体に思い当たったのかもしれない」


 王都を発ってから二十一日間の間に、私は朝の挨拶の一環で、レドに聖女の固有魔法『祝福』を与えるのが日課になってしまっていた。つまり毎朝彼の頬にキスをしていて、お返しに同じようにされている。私、流されてしまっているのかも……。改めて思った。


「じゃあ、しばらく『祝福』やめようか」

「その必要は全然ないよ」


 私の提案を鮮やかな笑顔でもって一蹴するレド。

 いやいや。そもそも『祝福』の効果って七日も続くチート魔法だからね。毎日かけてる方がおかしいから。


「それじゃあ、見た目だけでも変えようかな。髪染めるとか」


 渋々と代替案を出す。本当は人攫いに二回攫われかけた時点でそうしようかと考えていたのだけど、今まで一度も染めたことがなくて、密かに髪色も髪質も気に入っていたから迷っていたのだ。黒髪黒目で生まれた女の子のほとんどは、ここでは髪の色を偽って生きているらしい。


「それも却下。そんな綺麗な髪を染めるなんて勿体ない」


 真顔で言われると思わず照れる。

 誤魔化すように、生姜の効いた出汁に溶き卵と韮のような野菜の入ったスープをかき混ぜる。


「聖女の便利魔法に、そういうのあればいいのに」

「魔法か……」

「魔法だったら目の色とか変えられそう」

「……少し心当たりがある。後で調べてみよう」


 午後には講習が控えていたので、私たちは食べることに集中した。

 レドは追加で私と同じ料理を頼み、私はデザートに爽やかな後味のミントシャーベットを注文した。


「ちょっといいかしら?」


 食後のお茶を飲んでいるところに、メゾソプラノの声がかかった。

 


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