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その四

 

 何という悪夢か。

 高潔な王子然とした普段の言動とは真逆の卑猥な言葉の羅列。

 もしかして、誰かが裏で吹き替えでもしているのだろうか。なんて、一瞬現実から目を背けてみたけれど、聞こえてくるのはいつもの美声で、内容が内容だけにやたらと艶めかしく響くのが気に障る。


 反射的に『隷属の首輪』を放り投げた私は、放物線を描いて談話スペースの彼方へと消えた黄金の残像を見届けると、軽く眩暈を覚えて頭を振った。ここ数分の間にどっと疲れた気がする。

 心を落ち着かせるために小さく息を吐きだす。と同時に、誰がやったのか部屋の明かりも復活した。


「ははは。本気にしたかい? さすがに冗談だ」

「……」

「しもべへの魔力の補充は必要ない。主人が魔力切れさえ起こさなければ、首輪の効果は持続するよ」


 打って変わって爽やかな笑顔を浮かべる整った顔に、チョップをかまそうとする右手を左手で押さえこんで何とか耐えた。

 その間に、足元に跪いていた王子が私の座るソファの空きスペースに座ってきたので、さりげなく横にずれて距離をとる。


 気がつけば老紳士が先ほど私が投擲したはずの首輪を、さりげなく王子に届けていた。

 仕事早っ……。視界の端でそれを捉えた私は、がくりとソファの上で脱力した。


「爺、今私の胸に渦巻くこのどす黒い感情が、嫉妬というものであろうか?」

「おそらく、そうでありましょうな」

「なかなかに、御し難いものであるな」

「色恋にはつきものでございます。それも醍醐味かと」

「確かに一興ではある」


 おもむろに始まった主従コントに白い眼を向けそうになりながらも黙って見守る。


「姫、どうやら私は嫉妬したらしい」

「さようでございますか」

「姫と出会ってからというもの、自分の中に新たに芽生える様々な感情に驚かされてばかりだ」


 肩をすくめ、やれやれといった態で語る王子。

 ええと、もしかして、今まで嫉妬したことがなかったっていう意味だろうか。恋愛関係以外でも?

 深く考えたら負けな気がしてスルーする。


「特に、先日の御前試合で、観客席にいる貴女と試合場に立つ彼の騎士が視線を交えているのを見たときには、一瞬にして頭に血が上って、どうにかなってしまいそうだった」


 アイスブルーの瞳に再び冷たい光が宿る。


「そう言われましても、私の見た手引き書によれば、聖女の身近に侍る男性たちはそちらが宛がった人たちではないですか」

「そうではあるが、日増しに彼らの目の色が本気を帯びたものに変わっていくのを見ているだけというのは、歯痒いものであった。なかでも辺境伯領出身の彼は召喚当初から姫と接触し、辺境伯領での準備期間中、姫がまだ聖女に任じられていないのをいいことに対等な立場で親しくしていたのだ。筋書き通りとはいえ、妬ましいことこの上ない」


 膝に置いていた私の手に大きな掌が重ねられる。当然のように私の手を取って自分の方へと引き寄せる王子の指先は、いつもと違って少し冷たかった。


「だから、彼が優勝したとき、うっかり段取りを無視して乱入してしまったよ」


 極上の笑顔で事もなげに言う王子に呆れていると、取られた手の甲を親指でさらりと撫でられた。

 いつもより手つきがセクハラくさい。抗議しようと王子を見れば、艶やかな笑みを浮かべていて、そのまま手の甲に口づけられた。


「!」

「姫、他の男でなく、私を選んでほしい」


 キスされた手がひっくり返されて、掌の上にあの首輪を乗せられる。


 魔法で人を強制的に隷属させるなんて、私の中のモラルが許さない。

 がしかし、怪しい光を放つ首輪を見つめていると、妙な心地になってくる。

 この国にとって太陽のような存在の王子に首輪を嵌めたなら、たまにイラっとしたりモヤっとしたりする感情が鎮まって、スッキリするような気もした。


「その気になったかな?」

「――いやいやいや。無理ですから!」


 無意識に首輪に魅入られていた自分に気がづいて、私は慌てて王子に首輪を突き返した。


「そもそも、なんでそんなに首輪を嵌めたがるのですか? 王子は被虐趣味がおありで?」

「そう、実は、姫に出会ってから目覚めたようなのだ」

「へ?」


 嘘か真か、恥じらいもなく言ってくれる。たぶん彼の感情リストに『羞恥』という項目はない。


「姫は上手く隠していると思っているようだが、貴女はときどき、ものすごく胡散臭そうな目で私を見ている」


 嫌味のつもりだったのに、予想外の展開になって私は目を瞬かせた。


「そ、そのようなこと、見間違いではございませんか?」

「いや、()()を使っていないときは隠し切れていないし、距離があると油断している」

「……まさか」

「別に非難している訳ではない。周囲の殆どの者が好意の視線を送るなか、姫の蔑むような眼差しや渋面を見ると不思議と高揚してくるのだ」


 喜色満面で話す王子に私は引いた。Mってことでよろしいか。

 というか、自分はそれほど露骨に表情に出していたのかと少し反省して俯いた。

 そんな私の頬に王子の手が添えられて、少し強引に彼の方へと顔を向けさせられる。

 ち、近いよ。焦ってソファの端に退避すれば、離れた分だけジリジリと距離を詰められた。


「いつか覆す日のことを考えると心が躍る」

「!」


 驚きのあまり息を飲んだ。神々しい笑顔が急に禍々しく思えてきた。

 ええとつまり、Mと見せかけたドS、と思わせて我儘なドM、いや、どっちにしろ変態だ!

 そんなことをぐるぐる考えていると、ふと違和感を覚えた。


 ――き、切れている!


 いつのまにか『泰然』の魔法の効果がきれいさっぱりなくなっていた。


「な……」


 何をしてくれちゃってんの!?

 知らないうちに『加護魔法解除』の魔法をかけられたようだった。もちろん犯人はコイツしかいない。たぶん、手の甲にキスされたときだ。


「ふふふ。やはりいい。今のその怒った顔もそそられる」

「これが地顔なのです……」


 苦し紛れの言い訳をしつつ『泰然』の魔法をかけなおそうと試みるが、いつものように魔力が上手く巡ってくれない。

 これはもしかして、『魔法封印』までかけられている……


「姫、『乙女の耳飾り』、『腕輪』、『指輪』を外してしまっただろう?」

「そういえば……」


 聖女の装飾品はどれも煌びやかで、旅装には不釣り合いだったから置いてきたんだった。

 だけども、アレらには毒や呪い他、色んなバッドステータスから身を守る加護が組みこまれていた。もう少し慎重に装備を選ぶべきだったと後悔した。


「いつもその無粋な魔法を解除して、素の姫を見たいと思っていた」


 大人二人がゆったりと座れるソファの肘掛まで追いつめられる。

 魔法がなければ私はただの小娘に過ぎず、眼前に迫る絶世の美貌に不覚にも顔を赤らめてしまう。


「今も私だからいいものの、姫など魔法を封じられてしまったら、簡単に捕まって人買いに売り飛ばされてしまうだろう」

「考えが甘かったみたいです……」

「外の世界は貴女が思っているよりも危険だ。人を人とも思わぬ残虐非道な輩もいる」


 概ね同意する。が――だがしかし、一番危険なのは目の前の美貌の人だと思われる。

 いっそのこと彼の希望通りに隷属の首輪を嵌めて、護衛として連れて行こうか。戦闘能力はチート級だし。御前試合での闘いっぷりを思い出す。そう言えばあのとき……


「殿下、ひとつお訊ねしますが――」


 私は意を決すると、王子の形のよい顎をがしっと掴んで身体ごと彼を遠ざけた。魔法が使えないなら腕力に訴えるのみ。

 開き直った私を見て愉悦の笑みを浮かべる王子にゾワっとしながらも、気持ちを強く持って先を続けた。


「この国は今後も聖女を召喚し続けるのですよね」

「そうだね。迷宮に瘴気が溜まるかぎりは」

「次の召喚はいつの予定ですか」

「瘴気が飽和する周期がおよそ百年。召喚に必要な膨大な魔力を蓄積するのにも同じ年月がかかる。次回は百年後だろう」


 王子の尊顔を押さえていた私の手は、再び彼の手に握られていた。

 私はこれまで自分一人のことしか考えていなかったけれど、この世界を取り巻く状況を考えてみる。そして、これから攫われるかもしれない自分と同じような少女のことを。


「殿下、私は迷宮攻略に挑戦しようと思います。一緒に来てくれますか?」


 澄んだ薄青い瞳を見つめて言う私は真剣だった。

 御前試合の時の神懸った強さを見て、彼なら迷宮を踏破できるのではと思ったのだ。この国の王になる者は他にも候補者がいるが、迷宮の攻略はきっと彼にしかできないだろう。


「歴代の聖女で迷宮に挑んだ者はいない。聖女自ら迷宮に潜れば……。姫、やはり貴女は興味深い存在だ。もちろんお供するよ。地の果てだろうと迷宮の最深部だろうと、どこまでもね」


 晴れやかな表情の王子に、内心でホッとした。

 この世界に来て私は強大な力を手に入れた。聖女固有の魔法は私しか使えないし、他の魔法も天才級なのだから私だって十分チートな存在だ。

 観光目的な旅行はいつでもできるから、まずは聖女の力がなくならないうちに、ドでかいことを成し遂げてみようか。もし途中で無理だと思ったら、そのときは命を大事にで諦めればいい。っていうのは、キラキラしい眼差しを向けてくる王子には内緒だ。


「ありがとうございます。それと、やっぱりその『隷属の首輪』は受け取れません」

「そうか。まあ、これは貴女と一緒に行動するための方便だから強制はしないよ」


 そう言って王子は黄金の首輪を老紳士に渡した。


「それから、一緒に旅をするにあたっていくつかお願いがあります」

「何だい?」

「まず、お互いこれまでの身分は忘れて対等な関係として接すること」

「ああ。それは私からも提案しようと思っていた」

「そして、必要以上に身体に触れないこと」


 私は握られていた手を強引に跳ねのけた。気を悪くする風でもない王子の笑顔が逆に怖い。


「分かってると思いますが、迷宮攻略には聖女の力は必須ですからね。不埒なことを考えないように」

「はあ……本当にその縛りは忌々しいね」


 深刻そうな溜息を吐く王子に、隠すことなく胡散臭そうな視線を送る。


「すみませーん。その首輪やっぱりください」


 私は老紳士に直訴して首輪を貰った。王子も特に口を挟んでこなかったので、ひとまず保険として旅の荷物の中に押し込んでおく。

 そうして、宿の部屋は別々にとか、さっきみたいに加護魔法解除や封印をかけないとか、今思いつくかぎりの要望を突きつけた。


「……姫の要求に雁字搦めとは、なかなかに来るね」


 最早王子の変態もオープンになっていて、いちいちビクついてもしょうがないと、私も考えを改めることにした。


「その姫ってのも、もうやめてください」

「ということは……美桜(みお)と呼んでも?」

「どうぞ。私はなんて呼べば?」

「レドでいい」


 正式な名前は覚えられないほど長ったらしいものだったけど、王子の愛称はそういえばそんなだった。


「じゃあ、レド、これからよろしく」

「こちらこそ、よろしく、美桜」


 とりあえず私たちは、こうしてがっちりと固い握手を交わした。




 すでに日は完全に昇って、焼きたてのパンの匂いが街に満ちる時間帯。

 私たちは王都の西に位置する小高い丘から王都の街並みを見下ろしていた。

 横を通る街道では、王都を出発した旅人や行商人が引っ切り無しに通り過ぎでいく。


 結局あれからレドに装備を一新され、馬まで用意してもらった。見た目は逃亡時とそう変わらないけれど、身につけたアクセサリには加護が満載だ。

 一方のレドは、格好自体は地味になったものの、華やかなオーラと偉そうな感じは消し切れていない。滲み出る雰囲気については変えられようもなく、私は早々に諦めることにした。


 眼下の王都はどこぞの世界遺産のように美しく、一際目立つ立派な王城を見ていると、ここ一年の様々な思い出が蘇ってくるけれど、未練等はまったくない。むしろ、晴れやかな気持ちでワクワクしている。

 この世界に来てから、私はあの手引き書のままに流されてずっと受け身だった。それが今、自分で進む方向を決め、自分の足で立っているのだ。知らずテンションも上がる。


「美桜、旅立ちの門出に『祝福』を」


 横で美貌が何か言っている。

 迷宮にはしばらく潜らないのに、祝福魔法をかけろだと……

 私たちはこれから大陸の西の端にある迷宮産業が盛んな都市まで一ヶ月かけて旅をして、そこで迷宮に挑戦する予定だった。


 まあ、縁起ものってことでかけておこうかと横を向けば、相変わらずの爽やかな笑顔で、やりにくいったらありゃしない。


 じゃ。失礼して。


 腕に片手をかけて背伸びをするも、少し届かないので屈んでくれるかと思いきや、いきなり顎を掴まれた。


「!」

 

 条件反射で近づいてきた顔を張り倒す。コンマ数秒の早業だ。

 ふう。危うくマウス・トゥー・マウスしてしまうところだった。


「姫、なんと粗暴な」

「もう姫ではないので。それから、『セクハラ』は禁止と誓ったはずです」

「だが、御前試合では彼の騎士と熱烈にしていたではないか。あのときあの場で、彼を八つ裂きにしなかった私を褒めてほしい」

「彼にも頬にしかしてませんが……」


 その後、一悶着ありつつも、私は嫌々ヤツの頬にキスして『祝福』をかけた。


「今後、もし仲間ができても、そやつらには『祝福』でなく他の魔法で代用してほしいのだが」

「……」


 面倒くせー。私はほんの数瞬、彼と迷宮を攻略するという自分の選択を後悔した。

 だけども、決意を新たにする。私は迷宮の攻略と同時に、例の首輪を使わずに、彼の残念な変態思考を矯正してやろうと考えていた。

 本人に言ってしまうと、調教だなんだと喜びそうなので秘密である。


「そろそろ、行こうか」


 街道の交通量が多くなってきたので、私たちはそれぞれの馬に騎乗した。


「美桜、迷宮攻略が終わったら、結婚してくれないか?」

「縁起でもないこと、言わないでください」


 どうしてこのタイミングでブっ込んでくるのか。一周半回って笑えてくる。

 私は手綱を緩めて馬を促すと、王子と連れだって長閑な街道を進んだ。


 いつの日かこの街に戻ってきて、もう必要ないからとあの手引き書を燃やす日を夢見て――。




  ◇◆◇




 五年後。


 とある冒険者のパーティーが、南西部の迷宮の最下層に到達し、付近一帯の主と目される巨大な魔物を討伐したという一報が大陸中を駆け巡った。

 真偽のほどは不確かだったが、実際、迷宮全体の瘴気に流れが生じ、その後、一部の吹き溜まりはあれど、魔物の大量発生を誘発するような飽和状態を生み出すことはなくなった。

 噂のパーティーの存在は一部地域では有名で、彼らを知る者はみな主討伐の報をついにしてやったかと当然のように受け取った。

 リーダーは金髪碧眼の色男。メンバーは桃色の髪の魔術師や赤髪の聖騎士、黒衣の剣士など、少数精鋭で構成されており、なかでも副リーダーである女神官は希少な神聖魔法の使い手で、その魔法の神々しさから女神のように崇められているとかいないとか。リーダーの男と常に漫才のような痴話喧嘩を繰り広げているという噂もある。

 彼らはすでに西部の都市から姿を消しており、迷宮のさらに深層に挑んでいるとか、どこかで国を興しているとか、新大陸に目指して航海に出たとか、壮大な憶測が後を絶たない。

 がしかし、彼らが健在であることを、残された者たちは疑いようもないのだった。

 

 

 

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