カックロー
「シャル、疲れた!」
「早いよ。俺なんてギター持ってるのにがんばってるんだから、スピッキーは俺より三歩先を進まなきゃいけない」
「無茶言うなよ」
出発して3日が経った。市を越えて街を越えて、二人は国境近くの町に来ていた。
シャルの言っていた通り貧乏旅行に違いはないが、それでも曲を聞いてくれる人や町で関わる人との出会いは素晴らしかった。
曲を聴いてくれた人が終演後に話しかけてくれて、バーガーをごちそうになったり、国外からきている観光客と仲良くなったり、喜びにあふれた出会いだった。
今日は国立公園の中をずっと歩いている。昼を前にして唇を尖らせていうスピッキーに、シャルはギターケースを一度置いて歩を止めた。
「ねぇ、シャル、ここら辺で歌おうよ。僕、そろそろうずうずしてきた」
「しょうがないな。じゃあ歌おうか」
シャルはケースからギターを取り出して、チューニングを始めた。今年の夏は暑いせいでチューニングがよく狂う。
「何歌う?何歌う?」
目を輝かせて聞くスピッキーに、シャルは適当にギターを鳴らしながら考えた。
「じゃあ、オアシスのDon’t look back in angerにしよう。そこで客が取れたらオリジナルだ」
「わかった!」
スピッキーは元気よく返事をして、良さそうな場所に立った。シャルもその隣に立って、イントロを鳴らし始める。
数人の来園者が有名なこの曲に足を止めて聴いていく。サビが来て、スピッキーの伸びのある声が如何なく発揮される。その声に足を止める人は増え、学生らしき男の子たちが合唱を始めた。
「ありがとうございました」
一曲を歌い終わると、ギターケースにコインや紙幣が放り込まれた。それが一段落すると、シャルが次の曲のイントロを鳴らし始めた。
「Still More
そのままただひたすらに跳ぶ心
ここからどこへでも ミズーリからL.A.
僕が歌うStand by me聞き届けてbabe
独りの心はいたたまれない そうだろ?
And anymore…?
求められたら応えるしかないね
Hurry up! 急げこの熱冷める前に
沸騰させろ そのまま ひたすら もっと
Stand up! 広げろ行き場を失くしたYour soul
マンハッタンでぐずつくな 動け
ステージはもっと先にある 街へ
この心をCrazyだと言うのなら それまで
ここが終着点 さよなら また会いましょう
Oh,no!Wait!
求められたら応えるのが礼儀
この気持ち醒める前にサウンド上げろ
ヴォリュームのツマミいっぱいに Bass全開で
Come on! Lonely nightを望まないのならここに
Hurry up! 急げこのまま頂点まで
沸騰させろ 今日だけは無礼講
Stand up! 広げろ 行き場を失くしたYour soul」
周りから歓声が上がる。先ほどの曲で合唱していた学生たちがはやし立てる。
「もっと?じゃあ、行くよ」
結局そのあと小一時間のライヴをして、二人は再び歩き出した。ライヴで歌いすぎたせいで休む前よりも疲れた。
体力的には疲れたのだが、気分はいまだに高揚している。そのせいで疲れも感じず、かえって足が軽やかになるようだ。
「シャルは何で旅をしながらギターを弾こうと思ったの?」
歩きながらスピッキーが尋ねると、シャルはケースを手で触りながら答えた。
「俺は昔、体が弱くてね。ずっと入院してたんだ。その病院でギターを教えてくれる人がいた。俺はどんどんのめりこんで、ずっとギターを弾いてた。それは最早生活の一部で、ギターなしの生活なんて考えられないんだ。だから、旅にギターを持ってくるっていうのも、当たり前だった」
「へぇ……。てっきりお金を稼ぐためかと思ってた」
「それは二の次三の次さ。俺自身、音楽に助けられたことは多々ある。そんな体験を一人でも多くの人にしてもらいたいんだ」
シャルは輝く目を青空に向けて、雲の先を見やった。
「そっか。だからシャルはギターを弾く時にあんな楽しそうな顔をしてるんだ」
スピッキーが言うと、シャルは目を点にしてスピッキーを見つめた。
「俺、そんな楽しそうかな?」
「うん。どんな曲でも、すっごく楽しそうなんだ。バラードとかのときは顔には出ないけど、心の中で、っていうのかな。音を奏でることにすごく喜びを覚えてるってのが伝わってくるんだ。だから僕は、シャルの隣で歌うのが好きだし、気持ちいいんだ。シャルのギターは歌ってて楽しい」
「……真正面から言われると照れるな。でも、嬉しいよ」
シャルは照れて歩くペースを速めた。スピッキーはそれを追いかけて、急に足を止めた。
「シャル、歌おうよ!僕、歌いたくなってきちゃった」
「奇遇だな。俺もそう思っていたところだ」
「何歌う?何歌う?」
スピッキーが捲し立て、シャルがそれを窘めながらギターを準備する。二人は相談した結果、新曲を歌うことにした。
「ALIVE A SONG
跳ね馬みたいなギター背負って
今日も一日が始まる
作り上げる音の中に 隠された想いを乗せて
今日も人の中で生きてるこの音
消え去ることのない
この音は生きてて
今日も誰かのもとへ
突然やってきて
心を揺らして帰る
ALIVE A SONG
暴れ馬みたいなギター背負って
とにかく突き進んでく
想いの全てをその音色に乗せて
かき消されてしまいそうな音
けど必死に生きてゆく
君のために 君だけの歌
唄うから 気持ちこめて
さぁ君へ行くんだ
心へ
誰にも真似できない
世界でたった一つの音
そんな音 そんな曲
響く
生きてるこの音
どこまでも行くよ
消されそうになっても
突き進んで 止まらずに
ALIVE A SONG
ALIVE A SONG ALIVE A SONG……」
シャルのギターがかき鳴らされ、振り上げた腕が下りると同時に曲が終わる。いつの間にかできていた人垣から歓声が上がった。
思わぬところから収入を得たスピッキーたちは、公園でかなり遅めの昼ご飯を食べていた。この公園は緑が多く、芝生が豊富で土もやわらかい。子供たちの笑い声と母親たちの話し声。スピッキーは音楽が好きだが、これなら歌わなくてもいいと思える。葉が擦れる音さえ一つの音楽だ。
「これからどうする?」
公園に売りに来ていたパン屋からクロワッサンを買って、食べながら二人は今後の予定について話し合っていた。
スピッキーの問いに、シャルはコーラを飲むのをやめて、フムと考え込んだ。
「そういえば、さっき看板見たんだけど、この先に小さい診療所があるんだそうだ」
「診療所?」
「うん。入院も少しならできるらしい。だから、そこに行って小さなライブをしたいと思うんだ」
「名案だ!やろうよ!」
「まだ許可もらわないとだから、できるかわかんないけど、やれたらやろう」
スピッキーはパンの残りを口に放り込んでベンチからぴょんと飛び降りた。足をばたつかせて、表情だけでシャルを急かす。
「待てって。俺はまだ食い終わってないんだから……」
「じゃあ発声練習してる!」
言うが早いか、スピッキーは腹に手を当てて様々な音域の声を出し始めた。周囲の視線が痛い。
「~っ!わかったよ、行くよ!」
スピッキーのやる気とうるささに圧倒され、シャルは昼食のパンを急いで噛み砕いた。コーラでそれを流し込むと、ギターを持った。
「シャル、早く行こう!」
駆け出すスピッキーにつられ、シャルはギターケースの重さに耐えながら彼を追った。
「シャル、あったよ!これでしょ?」
スピッキーが十五歩先を歩いていたところ、目的の診療所を見つけた。周りが空き地で、辺りにはこの診療所しかない。入り口には「ホルム診療所」と書かれており、診療時間と休診日が添えられていた。
「今は時間外か……」
シャルが入口のところで止まっていると、スピッキーが何のためらいもなくドアを開けた。
「すみませーん」
「スピッキー!?」
シャルが彼の頭を引っ叩くよりも前に、中から人が現れた。
「はい……?」
現れたのはまだ若いと言える男性で、白衣をまとってメガネをかけている。
「あ、病院の方ですか?あの、僕たち、ライヴしたいんですけど!」
今度こそスピッキーの頭を叩いたシャルが、驚く医師を前に頭を下げた。
「突然申し訳ありません。実は僕たち、各地を回りながら音楽活動をしているんです。それで、ここの診療所でライヴをさせていただければ、と。勿論お金は取りませんし、患者さんを配慮してやらせていただきますので」
「ボランティア、みたいな感じですか?」
「はい、そんなところです。ぜひお願いしたいのですが」
そこで医師はしばらく黙考した。うずうずと体を震わせるスピッキーをシャルが手で制しながら、もうひと押しする。
「患者さんのために、歌いたいんです。お願いします」
「う~ん……では、少しの間だけですが、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「ありがとうございます!」
スピッキーとシャルの声が珍しくかぶった。
「シャル、譜面台ここでいい?」
「ああ、サンキュ。……よし、準備オーケーだ。やれるぜ」
「院長さん、OKです」
あの後、ホルム院長に許可をもらって診療所の中で打ち合わせをした。結果、入って右側にある病室と待合室をつなぐドアを開け放ち、待合室をステージとして、患者さんたちにはベッドにいながらライヴを楽しんでもらおうということになった。
ちょうどこの日の午後が休診だったので、その時間を使ってライヴをすることにした。入院中の患者さんたちにはイベントがあるということだけ知らせておいて、いきなりライヴを始めた方が楽しいだろうというホルム院長の粋な計らいのもと、二人はなるべく静かに準備をし、リハーサルは外でやった。
入院中の患者は現在五名で、いずれも男性だ。骨折や内臓の病気など理由は様々。そんな人々に楽しんでもらえる音楽を。スピッキーとシャルは拳を突き合わせて、ステージに立った。
「こんにちは!今日は皆さんのためだけにライヴをしたいと思っています!よろしくお願いします」
「1,2!」
シャルのカウントが始まり、ギターが鳴らされる。キレのいいギターサウンドと、軽快な音楽が鳴り響く。
「TODAY IS MEMORY
今日は最高で最高な日
だってみんなとこの時を分かち合うことが
できるから どうかこの時を忘れないで
Yeah Yeah Yeah Yeah
ビートルズの足元にも及ばない
こんな僕たちの音楽
それを聞いてくれて本当にありがとう!
感謝を音に乗せて届けるよ
この今日という日を忘れないで
できたら思い出にして
良かったと思えるようなステージを作り上げるから
Yeah Yeah Yeah Yeah
ビーチボーイズにはまだ届かないけど
それでも精一杯やる
この音がどうかみんなの心の中に
入って心を揺らしますように
ビートルズの足元にも及ばない
こんな僕たちの音楽
それを聞いてくれて本当にありがとう!
感謝を音に乗せて届けるよ」
計八曲を演奏し、このライヴは幕を閉じた。
「ありがとうございました!」
二人は礼を言って、頭を下げた。患者、いや、お客さんからは、温かい拍手が送られた。
「患者さんたちも喜んでくれていました。どうもありがとうございました」
ライヴの後片付けも終了し、ホルム医師に礼を言おうと思ったら先回りされた。
「いえ、俺たちも楽しかったし、嬉しかったです。場所を貸していただいて、ありがとうございました」
シャルが頭を下げたのを見て、スピッキーもばっと一礼した。
「スピッキー、行こう」
「うん」
シャルに促され、二人は再び歩き出した。診療所から少し離れたところで、不意にシャルが足を止めた。
「シャル、どうしたの?」
「俺さ、新しく作った曲があるんだ」
「どんな曲っ?」
スピッキーが目を爛々と輝かせ、シャルを見つめている。シャルは澄み渡った空を見上げて、それから周囲を見回した。
「俺はずっと旅をしてる。スピッキーもわかると思うけど、旅をすると、その場所を好きになるんだ」
「それ、僕もわかるよ。お金がなくて昼ご飯が食べれなくても、その場所は好きだよ」
「そう。だから俺は、そんな思い出を作らせてくれた街に、『ありがとう』を言いたいんだ。その気持ちを乗せて、この曲を作った。『Memories』……。
Memories
段々色を変えていく夕焼け雲
季節の移り変わりを教える木の葉
静かな街並みの中で感じることは
そう 『幸せ』 ずっとずっと
絵本のような世界の中で
主人公は全てで
賑わうオープンカフェ レストラン
そして降ってくる雨でさえも
漆黒にぽつりと浮かび上がっている月
通りを行き交う人々の笑い声
明るい時の流れの中で感じるのは
そう 『喜び』 ずっとずっと
例えその時だけの出会いでも
思い出はいつまでも
話したこと感じたこと 全てが
僕の心の中を温める
この街の全てに言えることは
ただ一つ 『ありがとう』
絵本のような世界の中で
時は動き続ける
変わることがないように いつまでも
その笑顔 その気持ち きっと」
シャルはスピッキーとはまた違った声質を持っていて、澄んだ細い声はこの曲によく合っていた。
「シャル、僕もその曲歌いたい」
歌を聞いて心が震えたスピッキーが、拳を握りしめた。早く歌いたい、そんな気持ちがよく表れていた。
「一緒に歌おう」
シャルはギターを鳴らし、歌い始めた。スピッキーはリズムを追いながら、少しずつ曲の感じを受け取った。
「この曲、好きだな」
歌い終わるとスピッキーが言った。心にふつふつとわきあがる旅への感動、思い出となった景色。その中に気持ち良くたゆたいながら、曲の余韻に浸った。
「そろそろ、行く?」
「うん、行こう」
スピッキーは意識を戻して、靴紐を結びなおした。二人がそのまま歩き出そうとすると、その後ろから声がかかった。
「あの……」
二人が振り返ると、見覚えのある顔があった。輝くブロンドに白い肌、小ぶりな顔の女性は先ほどのライヴで聴衆の中にいた。
「入院されていた男性のお見舞いに来ていた方ですよね?」
シャルが確認すると、彼女はこくりと頷いた。右側の一番奥、窓際にいた男性の隣に座っていた女性だ。ライヴをしているとき、患者の男性と楽しそうに笑ってくれていたのが印象的だった。
「どうされました?」
シャルが聞くと、彼女の頬に一筋の涙が伝った。スピッキーとシャルは目を合わせて、口には出さず狼狽した。二人とも、泣いている女性にかける言葉を知らないので、どうすることもできずただ立ち尽くした。
「すみません……。あの、さっきはありがとうございました。私はニーナ。入院しているポール・ギルバートの恋人です」
「恋人の方でしたか。こちらこそありがとうございました。あんな顔をしてもらえると、俺たちも演奏して良かったと思えます」
「……ポールは、重度の肺の病を患っています。来週には大病院への転院も決まっていて……。最近、何も笑わなくなってしまって。ただ生きるのが辛そうなんです。私見ていられなくて。でも、今日あなたたちの音楽を聴いて、とても楽しそうだった。久しぶりに笑顔になったんです。だから私、嬉しくて」
そこでまた、涙が流れた。シャルはハンカチを差し出して、彼女に笑いかけた。
「俺たちの音楽は手助けをしただけです。例え俺たちが歌っても、あなたと一緒でなかったら彼は笑わなかったでしょう。これからも、お幸せに」
シャルの言葉に、ニーナはわっと泣きだした。今まで我慢していた分の嗚咽が、一気に溢れだした。
「シャル、格好いいじゃん」
「そんなんじゃない」
泣き止んだニーナが晴れ晴れとした表情で病院へと帰った後、二人は改めて歩き出した。
「よかったね、ニーナさんも、ポールさんも」
「俺たちがしたことも、少しは役に立ったみたいでよかった」
「ねえ、シャル、僕たちって、何て名前?」
「俺たちの名前?」
「ほら、バンド名だよ!今日ステージに出て、何か物足りないと思ったんだ。僕たちには、名前がない」
「そういえばそうだな……」
シャルが手を顎に当てて考え込む。スピッキーと勢いで組んだものの、考えてみれば名前がまだなかった。一人で活動していたときには気にもしなかったが、確かに必要だ。
「何て名前にしようか?」
ぐぅ~。
シャルがスピッキーに尋ねると、声ではなく腹が答えた。気付けば辺りは夜になっていて、そろそろ夕飯時だ。
「レストランに行こうか」
「やった!」
飛び跳ねるスピッキーを見ると、自分が兄になったような気がする。厄介な弟だが、楽しいからそれもいい。
今日の夕飯に選んだレストランはソーセージが有名で、太く大きいソーセージの盛り合わせを頼んだ。肉の山を二人で切り崩しながら、先ほどの話題までさかのぼった。
「バンド名、何にしようか」
スピッキーが忙しなく物を食べながらしゃべる。ソーセージをのどに詰まらせながら急いで水を流し込む。本当にじっとしていられない人間だ。
「やっぱり格好いい名前がいいな。ステージに出て行って大声で叫べる名前。長くなくて、バン!と決まるような」
「今夜は辞書とにらめっこしようかな」
「俺は寝るけどね」
「シャルの薄情者!」
涙目になるスピッキーを無視しながら、シャルは新たなソーセージを口に運んだ。
結局その日は安いホテルに泊まった。スピッキーはホテルのフロントで辞書を借りて、本当に一晩中にらめっこしていた。ずっと唸っているのでシャルが眠れなかった。
「シャル!起きて!」
朝になってようやく眠れたと思ったら、スピッキーが持ち前の大声を張り上げた。シャルはそれに驚き、びくりと跳ね起きて、何事かとスピッキーを見た。当の本人は窓の外を見ながら、口をあんぐりとあけている。
「どした?スピッキー」
まだ覚めきっていない眠気眼をこすりながら、シャルはスピッキーに問いかけた。しかしそれでもスピッキーはこちらを見ようともしない。
シャルが諦めてベッドから降りると、スピッキーはやっとこちらを向いてシャルの手首をつかんだ。引き寄せられるままに窓際によると、素晴らしい朝日がシャルを迎えた。
「スゲェ……」
太陽は赤く燃え上がって、それを囲む空は煌めく金色、オレンジ、それとは対照的に大人しさを感じさせる紫紺。西側はまだ黒い。それらがすべて重なって、口では言い表せない感動の空を作り出していた。
「スピッキー、名前が決まったよ」
「え?」
「カックロー。俺たちは『Cockcrow(夜明け)』だ。こんな感動を感じらせられるような曲を、歌を届けられるようにと願って、この名をつけよう」
「カックロー……いいね!僕も賛成だ。僕たちはこの空のような、朝日のようなバンドになる。シャル、約束しよう」
「ああ、約束だ」
スピッキーとシャルは拳を突き合わせた。