出発
大通りに出て、少年はスピッキーの前でそうしたようにギターを鳴らした。オアシスの「Little by little」のイントロが流れて、少しの人数が足を止める。
少年が歌おうと口を開けた瞬間、スピッキーが隣に来て歌った。少年は驚きつつも、演奏をやめるわけにはいかずそのまま弾いた。
スピッキーはなおも歌い続け、そのまま一曲歌いきってしまった。周りからは拍手が送られる。少年もその一人だ。
「ごめん、知ってる曲だったからつい」
スピッキーは少年を振り返って、申し訳なさそうに言った。突然邪魔をしてしまった。
少年はそれに答える代わりに、再びギターを鳴らした。このイントロは「Half the world away」だ。
スピッキーが少年の顔をうかがうと、彼は首を聴衆の方に振った。それが意味することは一つ。
少年のギターに今度はスピッキーの歌が乗る。初めて、しかも即興だというのに、息は示し合わせたようにぴったりだった。
「俺はシャル・ブルック。ギターを弾いて世界を旅してる」
「僕はスピッキー・ダール。地元の学生だよ」
二人はライヴの後、自己紹介をした。話を聞くと、シャルはスピッキーよりも一つ年上らしい。
「シャルはどうして世界を旅しているの?」
「元々旅行が好きで、世界中に行きたい所があった。全部行きたいなら、世界を旅すればいいという結論にたどり着いたんだ」
「随分無謀」
「よく言われる」
結局あの後、スピッキーの家に世話になることになった。シャルがチップの半分をスピッキーに渡そうとした所、それはいらないから家に来てくれと言われて、お邪魔したらそのまま泊めてくれた。
次の日を迎え、昼にサンドイッチを食べていると、シャルは今日ここを発つと言った。明日には首都に着くらしい。
「バスからの眺めは最高さ。特に二階建てバスの上は楽しいよ」
彼は今まで旅行をして楽しかったことや嬉しかったことをたくさんスピッキーに聞かせた。苦労話より楽しい話の方が多い。
彼が旅の話を語るときは本当に楽しそうな顔をしていた。スピッキーは段々心が疼き始めるのを感じた。
シャルが羨ましい。自分もそんな風に世界を見てみたい。
「僕はあんまり社交的なタイプじゃないんだ」
午後にスコーンを食べながら話していると、スピッキーが不意に言った。
「主だった友達もいないし、これと言って趣味もない。つまらない人生なんだ。だけど、シャルの話を聞いて少し世界に関心を持ったよ。僕も見てみたいな、広い広い世界」
スピッキーが言うと、シャルは立ち上がって手を広げた。
「なぁ、俺と一緒に来ないか?一緒に世界を見よう!」
「えっ!?そんなん無理だよ!」
「そんなことない、俺はスピッキーの歌声が好きなんだ。昨日一緒にしたライヴは俺の中に雷を落とした。衝撃が走ったんだ。スピッキーの声には人を惹き付ける力がある。俺のギターとスピッキーの声があれば、きっと人を幸せにできる!」
シャルの目はきらきらと光っていた。これから無限に広がる世界を前にして、込みあがる不安よりも好奇心の方が強い。そんな目だ。
「でも・・・・・・簡単なことじゃないよ」
「そりゃそうだ。俺だって苦労はいっぱいしてる。別に、いつでもいいんだ。いつかスピッキーが俺と一緒に組むまで、俺はスピッキーを待ってる」
夢を見たい気持ちと現実を見る気持ち。狭間で揺れるスピッキーは曖昧に頷いて言葉を濁した。
「シャル、行くんだ?」
夕方になり、荷物をまとめ終わったシャルがスピッキーの家を出る。世話になったスピッキーの両親に礼を言って、玄関を出る。
「ああ」
「ねぇ、ちょっと僕について来ない?」
「どこに行くんだ?」
スピッキーは何も言わず、シャルの前を歩いた。道を数回曲がり、着いた先はスピッキーとシャルが初めて会った道だった。
「ここからこの繁みの向こうに行くんだ」
木々が茂っている中を通り抜けると、素晴らしい夕日が二人を迎えた。
「ヴンダーバール……」
シャルが感嘆してスピッキーの知らない言葉で何かを呟いた。
「何て言った?」
「ワンダフル!凄いと言ったんだ」
「でしょ?お気に入りの場所なんだ。ここを見せておきたいと思って」
シャルはそのまま夕日が沈むまでそこに立って見ていた。まだ空が茜色に染まっている時に、シャルはギターを降ろして構えた。
「夕日を見せてもらったお礼に、一曲歌うよ」
スピッキーは頷いて、そこに座った。
「New World
みんなが愛だ恋だ言ってる時に
僕は違う道を歩いてた
他のものには目もくれず
道をただ真っ直ぐ進むと決めて
僕には愛なんてわかりやしない
けどその分道を歩くんだ
誰も踏み出したことのない
その新たなる道を
みんなが出会いだ別れだ言ってる時
僕は違う道を進むんだ
誰も見たことのない
その先にある光を求めて
僕には恋なんてわかりやしない
けど後悔なんてしていない
進むと決めたこの道を
後戻りはしない
僕が拓く新たな世界
鳥が自由に舞い踊る
だから後ろ歩きはできない
僕には愛なんてわかりやしない
けどその分道を歩くんだ
誰も踏み出したことのない
その新たなる道を
拓くんだ絶対」
「聴いてくれてどうもありがとう。行かなきゃ」
シャルはギターを再び背負って、繁みの向こうへ消えた。スピッキーは空虚な空間を見つめたまま立ち止まっていたが、意を決して繁みの向こうへ出た。
「シャル!」
少し先を行っていたシャルの背中に呼びかける。シャルは振り返ってそこで待っている。
「二週間後!二週間後に学校が夏休みに入るんだ。二週間後にここで待ってる。そしたら一緒に旅に出よう!」
言い切ると、シャルは笑って大きく手を振った。
「フェアシュプレッヒェン!約束だ!」
二週間後、スピッキーの学校は夏休みを迎えた。この二週間、スピッキーは大変だった。まず両親を説得して、旅に行かせてもらえるように頼み込んだ。度重なる説得の結果、休み中だけは許すと言われた。
そして旅の準備を進め、貯金も崩した。準備は万端。
スピッキーはいつものように消え入る夕日を眺めていた。すると、後ろからガサガサと音がした。
「シャル!」
二週間ぶりに見る彼の姿が会った。シャルはスピッキーを見ると、安堵したようにそこに座り込んだ。
「良かった。さっき道に迷って、間に合わなかったらどうしようと思ったんだ。走り回ったから疲れたよ。スピッキー、久しぶり」
「久しぶり。制限はついちゃったけど、旅に出れることになったよ。国内なら、休み中だけ行き放題だ」
「よし、じゃあこの三週間、国中を回ろう。二人でたくさんライヴしよう。旅に出るんだ」
「僕はワンダー・マンじゃなくてトラベラーになるんだ」
「そう。ライゼンデさ」
「ライゼンデ?」
「僕の母国ではトラベラーのことをそう言う」
「そっか。じゃあ僕はライゼンデ。行こう。出会いが待ってる」