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夫に疲れ果てた昭和60年の私。脳内のボディコン美女に唆されて、年下上司と一線を超えました  作者: ベルガ・モルザ


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最終記録【ボディコンの悪魔】




 昭和六十四年、夏。

 南房総の海沿いの町には、けだるい蝉時雨と、湿った潮騒が満ちていた。


 店内のラジオからは、東京の狂騒がノイズ混じりに流れてくる。


 『日経平均株価は連日の最高値更新です』

 『六本木ではタクシーを止めるのに一万円札を振る若者が……』


 バブル景気。

 日本中が金と欲望に踊る時代。


 けれど、この古びた商店街の片隅にある小さな花屋『フラワーショップ・ソレイユ』には、そんな熱狂とは無縁の、穏やかな時間が流れていた。


「ありがとうございましたー! またお越しください!」


 店先でホースを手に、私は深々と頭を下げた。

 仏花を買ってくれた近所のお婆ちゃんが、ゆっくりと歩き去っていく。


 顔を上げる。

 ショーウィンドウに映る私は、三十四歳になっていた。


 かつてオフィスで白さを競っていた肌は、日焼けして健康的な小麦色になり、目尻には笑い皺が刻まれている。

 でも、今の顔の方が好きだ。


 誰かの顔色を伺って作った能面のような笑顔ではなく、心からの笑顔だから。


 空を見上げる。

 巨大な入道雲が、青空を侵食するように湧き上がっている。


 毎年、この季節が来ると、思い出す。

 湿った団地のコンクリートの匂い。

 背徳の熱に浮かされた肌の感触。

 お腹に宿り、そして消えていった小さな命の重み。


 そして。

 私の頭の中に住み着いていた、あの紫色のことを。


 私がしゃがみ込み、花の苗を整理していると、背後から大きな影が覆いかぶさった。


「ただいま」


 甘く、低い声。

 耳元にかかる吐息が、首筋をくすぐる。


 徹だ。


 二十八歳になった彼は、もう線の細いエリート青年ではない。

 毎朝市場へ行き、重い鉢植えを運ぶ労働で培われた筋肉が、Tシャツの上からでもわかる。

 日焼けし精悍(せいかん)な顔に、少し伸びた前髪がかかっている。


「おかえり」


 私は立ち上がり、汗を拭った。


「もう配達終わったの?」

「ああ。たった今」


 彼は私の腰に手を回し、人目を盗むように引き寄せた。


「……で、ご褒美は?」


 チュッ。

 音を立てて、私の首筋にキスを落とす。


「もう!誰かに見られるってば」


 口ではたしなめるけれど、体は彼を受け入れている。


 数年経っても、私たちの熱は冷めるどころか、共犯者としての苦難を乗り越えた分だけ、より深く、粘着質なほどに強くなっていた。


 かつての「洋子さん」「徹さん」という他人行儀な敬称は消えた。

 私たちは、ただの男と女として、ここに在る。


 徹が私の唇を塞ごうと顔を近づけた、その時だった。


 カランコロン♪


 ドアベルが軽快な音を立てた。

 私たちは弾かれたように体を離した。


「い、いらっしゃいませ!」


 声を揃えて入り口を見る。


 そこに立っていたのは、この寂れた海辺の町にはあまりにも不釣り合いな「異物」だった。


 紫色のボディコンスーツ。

 派手に立ち上げたワンレンの黒髪。

 唇には、血のような真紅のルージュ。

 高いピンヒールが、店の床をコツンと鳴らす。


 息を飲んだ。


 明菜……!?


 記憶の中の姿そのままだ。

 でも、彼女は私を見てもニヤリともせず、初対面の客として艶然と微笑んだ。


「お花、いいかしら?」


 鈴を転がすような声。

 店内に、都会的で濃厚な香水の香りが広がる。


 徹がポカンと口を開けていた。

 あまりの美女、それも強烈なフェロモンを放つイイ女の登場に、男としての本能が反応してしまったのだろう。

 鼻の下が伸びている。


 私は無言で手を伸ばし、徹の耳たぶをギュッとつねり上げた。


「いっ……!」


 徹が悲鳴を上げそうになり、慌てて口を押さえる。


 私は彼をジロリと睨みつけ、「仕事」と目で合図した。


 その様子を見て、客の女性が「クスッ」と楽しそうに笑った。


 その意地悪そうな、でもどこか愛おしい笑い方。

 間違いない。


 でも、彼女は私にしか見えない幻影だったはず。

 どうして、徹にも見えているの?

 どうして、自動ドアが開いたの?


「……ご注文は?」


 私が動揺を隠して尋ねると、彼女は店先の一輪挿しを指差した。


「ひまわりを一輪、いただける?」


 徹が慌ててひまわりを取りに行き、丁寧にラッピングをする。


 その間、彼女はずっと私を見ていた。

 品定めをするような、成長を確認するような目で。


「お待たせしました。三百円です」


 徹が花を差し出す。


 彼女は小銭をトレーに置き、ひまわりを受け取った。

 そして、その花に顔を寄せ、香りを楽しむように目を細めた。


「ひまわりの花言葉、知ってる?」


 彼女が独り言のように呟く。


「……『あなただけを見つめる』」


 彼女は顔を上げ、私と徹を交互に見て、片目をパチリと閉じた。

 意味深なウインク。


「とても仲のいいご夫婦ね。……いつまでも、お幸せに」


 彼女はひらりと手を振り、颯爽と店を出て行った。

 紫色の背中が、夏の強い陽射しの中に溶けていく。


 私たちはしばらく、その場に立ち尽くしていた。

 嵐が過ぎ去った後のような静寂。


「……すっげえ美人だったな」


 徹がぼんやりと呟く。


 私はもう一度、彼の耳を引っ張った。


「痛い痛い! ごめんってば!」


 


 その日の夜。


 私たちは小さなちゃぶ台を囲んでいた。

 夕食のメニューは、アジの開き。

 それに、豆腐とわかめの味噌汁、炊きたての白米。


 数年前、あの団地で一人で食べていた時は、これほど惨めで味気ない食事はなかった。

 冷え切った魚。孤独の味。


 でも今は、湯気が立っている。

 向かいには、美味しそうに魚の身をほぐす愛する人がいる。


「うまっ。やっぱアジは干物に限るなー」


 徹がご飯をかき込む。


 私は箸を止め、彼に話しかけた。


「ねえ……今日のお客さん。なんか、知ってる気がするんだよね」


「えー? あんなバブリーな美人、洋子の知り合いにいた?」


 徹は笑い飛ばす。


「忘れたわけじゃなくて……似てるの」


「似てる? 誰に?」


 徹が不思議そうに首を傾げる。


 うん、そう。似てるんだよ。

 意地悪で、口が悪くて。

 何かにつけて「これは心理学的に〜」とか「脳科学的には〜」なんて変な理屈をこねてきて。

 おまけに「人の不幸と修羅場が大好物」なんて公言していた、あのハチャメチャな悪魔に。


 彼女が本当に実在したのか、それとも今日の客はただの他人の空似なのか。

 それはもう、わからない。


 でも。


 私は目の前にある温かい味噌汁を一口飲んだ。

 美味しい。


「ううん、なんでもない! 食べよ!」


 私たちは顔を見合わせ、笑いながら箸を進めた。


 借金はまだ残っている。

 生活は楽じゃない。


 それでも、ここには確かに「幸せ」があった。

 正しさを捨てた共犯者たちが辿り着いた、ささやかな楽園。


 ***


 家の外。

 満天の星空の下。


 窓から漏れるオレンジ色の明かりを、明菜が見つめていた。


 彼女は重力を無視してふわふわと空中に浮かび、手にしたジュリ扇を優雅に扇いでいる。


『ちぇ〜』


 彼女はつまらなそうに唇を尖らせた。


『借金まみれの生活に疲れて、罵り合って、もっと泥沼になってると思ったのに。つまんない女ね……』


 期待していた「不幸な結末」は見られなかった。

 しかし、彼女の口元は、隠しきれない笑みで緩んでいた。


『けどまぁ、いいわ。だって見た?』


 明菜は懐から手帳を取り出した。


『洋子のあの顔。昔の自信なさげなオバサンじゃない。愛も生活も、全部飲み込んで生きていく、ふてぶてしい悪女の顔だったわ』


 彼女は手帳にペンを走らせ、パタンと閉じた。


 【研究終了。被験者・高橋洋子。平凡な主婦から、愛に生きる悪女への転落を確認。……データ収集完了】


 明菜はふわりと上昇した。

 夜風が彼女の髪を揺らす。


 ニヤリと、挑戦的な笑みを浮かべて。


『アタシは明菜先生。しがない通りすがりの「愛欲コンサルタント」。専門は深層心理学に性科学、それから恋愛工学。趣味は、退屈な女が、道を踏み外していく様を特等席で眺めること』


 彼女の姿が、夜の闇に溶け込んでいく。


『でも本当は……』


 カッ。


 暗闇の中で、彼女の瞳が妖しく赤く光った。


『ただの、悪魔キューピッドよ』


 高笑いが夜空に響き渡り、一筋の流星となって消えていった。


 家の中からは、二人の穏やかな笑い声が聞こえてくる。


 悪魔が種を蒔き、女が育てた愛の花は、

 この先も枯れることなく、ひまわりのように太陽を見つめ続けるのだろう。


 


【明菜先生の研究メモ(最終報告)】

 被験者データ No.001(研究終了)

 氏名: 高橋 洋子(34)

 職業: 花屋『ソレイユ』共同経営者 / 幸福な共犯者


■ 最終ステータス

・借金残高: まだまだある(愛の重さと比例)

・幸福度: 測定不能(一般的な尺度では計測不可)

・獲得スキル: 鋼のメンタル、「ふてぶてしさ」という名の美しさ


■ 明菜の分析ログ

 これにて、観察終了。

 最初はただの退屈で自信のない主婦だったけれど……見違えたわね。


 人間は「失う」ことでしか手に入れられない強さがある。

 彼女は地位も、名誉も、正しさも、そして一度は宿した命さえも失って、最後に残った「愛」という名の毒を飲み干した。


 毒も喰らえば皿まで。

 二人で飲み干せば、それは極上の蜜の味ってわけ。


 借金まみれで、世間からは後ろ指を指される人生かもしれない。

 でも、あの二人の食卓には、どんな高級フレンチよりも温かい「生」の味がするわ。


 さて、アタシは次のターゲットを探しに行かなくちゃ。

 この世にはまだまだ、退屈な日常に窒息しそうな男女が溢れているもの。


 次は誰の耳元で囁こうかしら?

 もしかしたら……今これを読んでいる、アナタかもしれないわよ?

ここまで読んでいただきありがとうございます。

いかがだったでしょうか?


当初はこの作品バッドエンドにするつもりでした。

ですが二人の恋愛を書いていくうちに悪女として人生を貫き通すのだったら、夫を捨ててまで彼を選び図々しく幸せに生きてこそだなと思い


一応ハッピーエンドという形になりました。


面白かったと思っていただけたなら幸いです。

また別のジャンルではありますが

この『明菜』と名乗る悪魔を使った小説を書くのでよかったら見に来てください。

ほんとうにありがとうございました。


そしてそして、いくつもある作品の中で気に入っていただきそれが連載中の週間1位をいただけたことは大切な宝物になりました(〒﹏〒)


では……また(。・ω・。)ノ♡

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