表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夫に疲れ果てた昭和60年の私。脳内のボディコン美女に唆されて、年下上司と一線を超えました  作者: ベルガ・モルザ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/29

第十五記録【愛は泣いてたんだろう秘密の場所で】



 紫色のベルベットと鏡に囲まれた、背徳の城。

 昭和のバブル景気が生み出した、悪趣味なまでに豪華な室内。


 足が震えていた。

 寒さのせいではない。ここに入ってしまったという事実の重みに、膝が笑っているのだ。


 徹さんが、濡れたジャケットをハンガーに掛け、振り返る。

 雨に濡れて張り付いたワイシャツ。

 そこから透ける肌の色が、妙に生々しい。


 彼が近づいてくる。


 その瞳は、熱病に浮かされたように潤んでいる。

 普段の礼儀正しさは消え失せ、そこには一人の男が立っていた。


「シャワー、浴びましょう。冷えちゃいますから」


 彼の提案に、私は機械的に頷いた。

 拒否権なんて、最初から持っていない。

 この部屋に入った時点で、私はもう貞淑な妻という看板を下ろしたのだ。


 しかし、バスルームを見て、私は息を飲んだ。

 ガラス張りだった。

 浴槽も、洗い場も、部屋から丸見えのスケスケ仕様。

 80年代特有の、見られることを前提とした舞台装置。


「……っ」


 羞恥心で顔から火が出そうだった。

 30歳のおばさんの裸なんて。

 少し肉のついた腰回りや、張りのなくなった胸。

 そんなものを見られたら、幻滅されるに決まっている。


「……恥ずかしい。電気、消していい?」


 私はバスルームの入り口で、懇願するように彼を見た。

 暗闇なら、まだ誤魔化せるかもしれない。


 けれど、徹さんは首を横に振った。


「消さないでください」


 彼は私の手首を掴み、ガラスの向こう側へと引き寄せた。


「全部、見たいんです。洋子さんのすべてを、目に焼き付けたい」


 その言葉は、どんな甘い愛の言葉よりも強烈に、私の劣等感を溶かしていった。



 私は反射的に腕で胸を隠し、体を丸めた。


 見ないで。

 若くないの。

 あの子のような、ピチピチした肌じゃないの。


 でも、彼は私の体を、まるで壊れ物を扱うように見つめていた。


「綺麗だ」


 吐息のような声。

 彼の手のひらが、私の肩に触れる。

 その熱さに、ビクリと震える。


 シャワーの音が響く。

 湯気がガラスを白く曇らせるが、お湯がかかればすぐに透明に戻る。


 石鹸の泡が、二人の体を包んでいく。

 彼の手は、いやらしいというよりも、探索するようだった。

 首筋、鎖骨、背中の窪み。

 一つ一つを指先でなぞり、確認していく。


『羞恥心は最大の媚薬ね』


 湯気の中に、明菜の声が混じった。

 彼女はバスタブの縁に腰掛け、面白そうに私たちを眺めている。


『見られたくない、でも見られたい。この矛盾した感情が、脳下垂体を刺激して興奮物質を垂れ流してるわ。洋子の肌、今ピンク色に発光してるみたいよ』


 あっち行っててよ。


『無理ね。私はアンタの一部だもの。この快楽のデータ、一秒たりとも漏らさず記録させてもらうわ』


 彼が私の体を洗い流し、バスタオルで包んでくれる。

 その手つきの優しさに、私は泣きたくなった。


 夫との生活で、こんなふうに扱われたことがあっただろうか。

 ない。一度もない。


 夫にとって私の体は、ただの家具の一部か、

 あるいは欲を処理するための排泄口でしかなかった。


 でも、徹さんは違う。

 彼は私を一人の人間として、そして愛しい女性として扱ってくれている。


 ベッドルームに戻ると、照明が少し落とされていた。

 枕元のコントロールパネルには、有線放送のチャンネルや、照明の調整ボタンが並んでいる。


 彼は私をベッドに押し倒した。

 ふかふかのマットに体が沈み込む。

 上から覆いかぶさる彼の重み。

 男性特有の、硬い筋肉の感触。


「洋子さん……」


 彼は何度も私の名前を呼んだ。

 そのたびに、口づけが降ってくる。

 額に、瞼に、鼻先に、そして唇に。


 夫との行為を思い出す。

 それはいつも、突然始まるものだった。

 テレビを見ている最中、あるいは寝ようとした時に、

 無言でパジャマの中に手が入ってくる。


 愛なんてない。

 ただ事務的に、自分の快楽だけを追求して、

 終われば背中を向けて寝息を立てる。


 そこには会話もなければ、心の触れ合いもなかった。


 でも、今は違う。

 徹さんの手は、時間をかけて私の準備が整うのを待ってくれている。

 指先が、慈しむように肌を這う。


「……あっ」


 声が漏れる。

 甘噛みされる痛みと快楽。

 私が女であることを、細胞の一つ一つが思い出していく。


 そうだ。

 私は家政婦じゃない。

 私はお母さん代わりじゃない。

 私は、感じることができる女なんだ。


『データの書き換えを開始しまーす♡』


 天井の鏡の中から、明菜が実況中継を始めた。

 彼女はクリップボードを持ち、チェックを入れている。


『古いファイル「夫との屈辱的な記憶」を削除。新しいファイル「徹との快楽」で上書き保存中。……すごい容量ね。アンタの体、こんなに感度良かったっけ?』


 ちょっと!


『エンドルフィン分泌。鎮痛作用あり。もう「罪悪感」なんて痛み、感じないでしょ?今あるのは純粋な快感だけ』


 その通りだった。

 夫への裏切り?

 そんなものは、彼の指先が触れるたびに蒸発していく。


 今はただ、彼が欲しい。

 もっと奥まで、私を満たしてほしい。


 彼の指が、秘部へと伸びる。


「楽しい」


 彼が掠れた声で囁く。

 恥ずかしさよりも、彼を興奮させているという事実が嬉しかった。


 私でも、まだ男の人をこんな風に夢中にさせられるんだ。


「いいですか?」


 彼は耳元で問いかけた。

 許可を求めてくれる優しさ。


 私は彼の首に腕を回し、力強く頷いた。


「いいよ」


 初めて、自分から言葉にした。

 夫には一度も言ったことのない言葉。


 満たされていく感覚。

 長年、心に空いていた風穴が、

 物理的な質量を持って塞がれていく。


 彼は私を強く抱きしめた。


「洋子さん……好きです。愛してます」


 愛してる。

 その言葉が、体内に入ってきた熱よりも熱く、心臓を焼いた。


 荒い息遣い。

 彼にしがみつき、爪を立てた。


 天井の鏡には、乱れた髪を振り乱し、

 快楽に顔を歪める女が映っていた。


 地味な事務員の佐々木洋子は、もうどこにもいなかった。

 そこにいるのは、ただの一匹の雌。


 快楽の波が押し寄せてくる。

 世界が白く弾けた。


 ドクン、ドクン、ドクン。


 二人の心臓が、一つのリズムで重なり合う。

 体温が溶け合い、境界線が消滅する。


 私たちは抱き合ったまま、しばらく動けなかった。


 余韻。

 甘く、重く、気だるい余韻。


『聞こえる? 脳内でパチパチ音がしてるわ』


 ベッドの隅で、明菜が静かに呟いた。


『今、大量のオキシトシン(愛情ホルモン)が分泌されたわ。これは「結合」の合図。哺乳類はね、このホルモンが出た相手を「運命のつがい」だと脳に刷り込むの』


 彼女は憐れむように、でも祝福するように私たちを見下ろした。


『おめでとう。アンタの脳の構造は、完全に書き換わったわ。もう、昨日のアンタには戻れない。夫のところへ帰っても、体はこの快楽を忘れられないわよ』


 戻れなくていい。


 私は彼の汗ばんだ背中を撫でながら思った。

 もう、戻るつもりなんてない。


 


 ふと目が覚めると、部屋の中は青白い光に満ちていた。


 窓のカーテンの隙間から、鋭い陽光が差し込んでいる。


 日をまたいでいた。


 隣を見ると、徹さんが子供のような顔で眠っていた。

 長い睫毛。通った鼻筋。

 昨夜の獣のような激しさが嘘のように、無防備な寝顔だ。


 私は音を立てないように起き上がり、天井の鏡を見上げた。


 ひどい顔だ。

 メイクは落ちて目の周りは黒ずんでいるし、

 髪は鳥の巣みたいにボサボサだ。


 でも、肌は内側から発光しているように艶々としていた。

 これが、女の顔なのかもしれない。


 賢者タイム。

 俗にそう呼ばれる時間。

 急激に現実が押し寄せてくる。


 やってしまった。

 ついに、一線を越えてしまった。


 これは不貞行為だ。

 法律上の離婚事由だ。


 もしバレたら、私は慰謝料を請求され、

 社会的な信用を失い、路頭に迷うかもしれない。


 恐怖がないと言えば嘘になる。

 でも、後悔はなかった。


 昨夜の充足感は、何物にも代えがたい真実だった。

 私は30年間の人生で、初めて生きた気がしたのだから。


 私は徹さんの肩を揺すった。


「……徹さん」

「……んん……」

「朝だよ」


 彼がゆっくりと目を開ける。

 私を見て、一瞬ぼんやりとし、それからパッと顔を赤らめた。

 昨夜の記憶が蘇ったのだろう。


「お、おはようございます……」

「おはよう。……台風、行ったみたい」


 私は窓の外を指差した。


 身支度を整え、ホテルを出る。

 外は、目が痛くなるような快晴だった。


 台風一過の青空。

 昨日の嵐が嘘のように、空は高く、澄み渡っている。


 朝の空気が冷たくて美味しい。

 雀がチュンチュンと鳴き、

 新聞配達のバイクの音が遠くで聞こえる。


 日常の音だ。


 昨夜のような甘い雰囲気はない。

 あるのは、共犯者特有の、重たくて静かな連帯感だ。


「……会社、行かなきゃですね」


 徹さんが眩しそうに空を見上げて言った。

 いつも通りの火曜日が始まる。


「……うん。行かなきゃ」


 私は頷いた。


 でも、知っている。

 これから向かう会社も、

 家に帰れば待っている夫も、

 昨日までとは違って見えるだろう。


 私の体には、消えない烙印が押されている。

 彼に愛された記憶。

 彼を受け入れた記憶。


 会社の玄関扉の前で、私たちは一度だけ視線を交わした。

 言葉はいらなかった。


 お互いの瞳の中に、

 同じ熱が燻っていることを確認しただけで十分だった。


 私はヒールを鳴らして歩き出した。

 足取りは重いが、心はどこまでも軽かった。


 私は、堕ちた。

 そして、生まれ変わったのだ。



【明菜先生の研究メモ】


被験者データ No.001

氏名:佐々木 洋子(30)

職業:事務職/メス


■ 現在のステータス

・フェロモン値:測定不能(全身から放出中)

・依存度:Sランク

 (オキシトシンによるインプリンティング完了)

・夫への関心:ゼロ以下

 (生理的嫌悪感が発生するレベル)


■ 明菜の分析ログ


 ついにやっちゃったわね。

 おめでとう。これでアンタは立派な「背徳のヒロイン」よ。


 性行為はただの運動じゃない。

 脳の書き換え作業よ。


 夫との事務的な行為しか知らなかったアンタにとって、

 徹の愛撫は麻薬以上の劇薬だったはず。


 もう、あの冷めた味噌汁の味には戻れない。


 でも気をつけて。

 賢者タイムが終われば、

 次は「欲求の暴走」が始まる。


「もっと会いたい」

「もっと触れたい」。


 その渇望が、

 アンタの生活を少しずつ、

 確実に狂わせていくのよ。

毎日21∶20に投稿


※作中の医学・心理学描写について

本作に登場する心理学用語や医学的な説明は、作者なりに調べて執筆しておりますが、あくまで「明菜先生の独自解釈」や「物語上の演出」が含まれます。

厳密な学術書ではなく、エンターテインメントとして楽しんでいただければ幸いです!


この作品が面白い!と思っていただけたのなら

是非ぜひブクマと評価のほうよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ