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この山を越えて

 岩田聡と歩く道

 この山を越えて


 1993年、競馬では黒い刺客ライスシャワーがマックイーンを差し、サッカーのJリーグが開幕した時代。


 緊張した面構えのまま女性秘書は岩田と共に、山梨のHAL研から東京へと向かっていた。沢山の仕事をくれていた会社や、負債を抱えている銀行への挨拶巡りだった。

 新幹線に揺れる弱冠33歳、まだ黒髪がつやつやしている優しい瞳の岩田を見て、秘書は思う。

(大丈夫かしら? タフな交渉になりそうだけど。最後まで持つのかな?)


 わっとアスファルトが夏の熱気でむんとする。

 ビル風が吹いていた。


 東京の貸しビルの一角。着崩したスーツの相手社長に対して、岩田はじっと瞳を見つめてそれからお辞儀をして

「この度はひじょうに申し訳ないことをしてしまいました」

 相手の社長は柔らかく。

「しょうがないですよ。こんな時代です。色んな会社がばんばん消えていく。実はウチもかつかつ……で、ですね」

 岩田はじっと前を見て

「本社はこれから任天堂の支援下に入ります。それでも任天堂さんは今までの仕事をお座なりにせず続けて良い、とおっしゃってくださいました。わたしの想いも同じです。どうか、わたしたちと一緒にこれからも」

 秘書は慌てた。

(任天堂のことなんてわざわざ言う必要ないのに、岩田さんぶっちゃけすぎ)

 相手の社長は笑いながら。

「あいわかりました」

 岩田の声が弾む。

「それでは!」

 相手の社長は応える。

「ええ、これからもHAL研との仕事を続けさせてもらいましょう」

「ありがとうございます」

 秘書もほころんで

「良かったですね、岩田さん」

「ええ、良かった」

 相手の社長はちょっと意地悪な顔になり。

「秘書さんは知らないでしょう? 岩田さんが最初に言ったモットー」

 岩田は思わず。

「ああ、そういうこともありましたね。そっか。ありがたい」

 相手の社長はすらりと口にする。


 わたしは、ずっと前から自分が誰かと仕事をしたら「次もあいつと仕事をしたい」と言わせよう、というのがモットーなんです。


「なんて言ってましたね。岩田さん。その言葉通り、僕たちはあなたと次も仕事がしたい。いや、あなたが社長になったからこそ、その思いが強くなりました」


 秘書は思う。

(ああ、あの人のよかったは重みが違う。信念の人なんだ)

 それから深々とお辞儀をして

「どうか、ウチの社長を、HAL研をよろしくお願いします!」


 結局、今までの仕事づきあいの会社で「HAL研を切る」という選択をした会社はなかった。

 それでも秘書は苦々しい思いで、帰りの山梨への新幹線で俯かざるを得なかった。


 銀行巡り。夏のビル街の東京で缶コーヒーを飲みながら、歩き続ける二人。最初の一社が「大丈夫です。待ちますよ。HAL研の再建を」と言ってくれたので、安心していた秘書だった。

 しかし、その次のとある中堅銀行でそれは起きた。

 銀行の照明は暗く、妙に慌ただしい空気があった。銀行員のセールス向けの笑顔も、何処かとげとげしている。嫌な予感がした。


 岩田が事情を話すと、銀行員はあからさまに顔色と口調を変えた。

「まだ若いね。キミ。本当に借金を返済するような腕があるの? みんな無理だと思ってるよ。そうしたら困るのはわたしたちなんだからね!」

 高圧的な物言いだった。

「申し訳ありません」

 岩田はとくとくと返済プランについて語る。テレビゲームという理解されにくいものを、なんとか分かりやすく嚙み砕いた内容に、岩田の優しい強さが込められていた。

 しかし銀行員はまるでそのことを話半分にしか聞いていない。

「テレビゲームなんて子供のオモチャでしょ? そんなものに一生懸命になって、なんになるの? お金を稼げると思ってるの? 社会の役に立つと思ってるの? キミ? わたしたちみたいに」

 岩田はじっと前を見て

「申し訳ありません。善処します」

 銀行員は更に執拗に口を開き、歯を剥いて……


 新幹線こだまの社内。乗客もぽつぽつとした少し寂れた中、女性秘書は高原野菜とカツの弁当をつついている。岩田はもくもくと焼肉弁当を食べていた。

 秘書は精一杯気を回し

「岩田さぁん。東京に行ったら美味しいイタリアン紹介するって言ってたじゃないですか? それが駅弁?」

 スケジュール管理も秘書の仕事だとすると、自分の仕事失格を宣言するようなものだが、それでも耐えられない沈黙だったのだ。

 岩田は応える。

「思ったよりも、時間かかっちゃいましたからね。次こそ良い店、紹介しますよ」

 そう言い岩田はまた黙る。

 秘書は少し泣きそうになる。あれからの銀行巡り、肯定してくれるところが3割なら、愚痴と否定ばかり聞かされるところが6割、その他に全く取り合いもしないで「ただ返せ!」と言われたところ。

 哀しい想いになる。山梨に理想郷を作る、そんな夢に投資したと思っていたら、本音などそんなものだった。そしてテレビゲーム自体がこんなに「くだらないもの」とあしらわれる存在だったなんて。みんな「マリオ」を一度もプレイしたことがない人なんだろうか。効率ばかりを重視する彼らはそうなんだろうな。そんなことを思う。

「なに、暗い顔してるんですか?」

 岩田の突然の問いに、秘書は戸惑いながら

「いっ、いや。なんというか。銀行さんも容赦ないなって」

 秘書は愚痴をぶつける。

 岩田は笑う。

 秘書はどきっとする。

「なんです? そんなわたし可笑しなこと言いました?」

 岩田は微笑みながら

「いや、あなた、今までで一番、本音でざっくばらんに語ってくれたなって。ちょっと嬉しいですね」

 秘書は慌てて

「しっ、失礼しました!」

 岩田は咎めずに

「いえっ、そのままで良いんですよ。あなたらしいのが一番です。銀行さんにしても本音ほど参考になるデータはありませんからね」

「えっ?」

 それから岩田は高圧的だったある銀行を例えにして

「あそこ、少しトイレが汚れていました。恐らくそこまで気が回らないほど経営が切羽詰まっているのではないかと。こちらを見る余裕が無いんですね。彼らもまた必死なんです」

 それから岩田は実にチャーミングに笑い

「それに僕が社長にしては若いってことは事実だし。テレビゲーム自体が玩具という側面が強いのもまた事実。でも悔しいですね。僕たちが心血注いでいるそれをあんなに馬鹿にされるなんて」

 実に悔しがった表情の後、一変

「見せてやりましょう。テレビゲームでもここまでやれるんだって」


 秘書は

「はい!」

 なんて笑いつつ、

(ずっと頭の中で考えてたんだ。怒るよりも分析しちゃう……岩田さんらしい)



   *



 東京行脚の翌朝、岩田はポロシャツを着て、髪を整えて、散歩をしていた。緑豊かな街の風景、ミンミンゼミの鳴き声、夏なのに少し涼し気な山の風。

 社員が良く通う温泉で一っ風呂。昼から美味しいビールを飲む。それでも心は晴れない。

「俺がしっかりしなくちゃな」

 なんて富士山を望みながら思う。


 近所の犬の散歩をしているおじさんに「こんにちわ」を言い、何時ものパン屋で、クリームパンを買う。それからふわふわと歩いた岩田にあるものが飛び込んできた。

 幼稚園の壁だった。

 幼児による乱暴だが味のある落書きで滅茶苦茶になった壁。

 陽光が差し込んでいる。


 まーるかいてー


 おまめがふたつ


 おむすびひとつ


 あーっというまに ほしのかーびぃ


 そこにはカービィの落書きがあった。

 岩田を満たす静かなものがあった。

 認められたんだ。僕たちの作ったものが。世の中に。

 ぎゅっと視界が滲んだ。



   *


 岩田は次の日、さっそく桜井の元へと駆け寄る。

「桜井クン、桜井クン。カービィの新作の件だが」

 桜井は溌溂と応える。

「はいっ!」

 岩田は言う。

「ファミコンで作ってくれ」

「えっ?」

 桜井は戸惑い

「ファミコンで、ですか? スーパーファミコンじゃなく……?」

 桜井は思い切って続ける。

「カービィとファミコンはコンセプトが噛み合いません!」

 岩田は応じる。

「そう……かもしれませんね」

 桜井は半ば怒りを秘め

「カービィは初心者が楽しめるというコンセプト。反対にファミコンはスーパーファミコンが出て2年。市場が熟しきっていて、新しい初心者のユーザーが入ってこない。水と油です」

 岩田は桜井をじっと見つめて。

「素晴らしい分析力だね。桜井クン。その通り」

 桜井は語気を荒げる。

「じゃあ! なんで!」

 少しの沈黙ののち更に強い語気で

「会社の余裕がないからですか! スーパーファミコンでの開発はお金もかかるし環境整備にも時間がかかる! だからといってこれまでと同じ自転車操業では!」

 岩田はじっと見つめたまま。

「確かにそれもある。桜井クンが言う理由が一番の理由と言えばそうかもしれない。だけど、僕は信じている。キミならファミコンでも傑作が作れると」

 桜井は立ち上がり。

「ちょっとコーヒーのお替りをします。では!」

「桜井クン」

 桜井は去り際

「僕なら出来ると思うんですか? そんなマジックを?」

 岩田は力強く言う。

「キミだからこそ出来ると思うんだよ」


 岩田と秘書はHAL研の研究所みたいに清潔な廊下を歩いている。

 そのやりとりをじっと見ていた秘書は言う。

「なんでファミコンに拘るんです?」

 岩田が社内事情だけを気にする器ではないことは秘書にも分かっていた。桜井もそれを承知しているとも。

「短いリリースラッシュでカービィを社会に強く認知させたい! っていうと大げさかなぁ」

 岩田は続ける。

「要するに今が勝負時ってことかな?」

 そのまま角を曲がって

「それに桜井クンはある種の制約の中で拘ったり、困難なものに挑戦してこそ、輝く才能な気がする。また、そうじゃなきゃ、桜井クンを中心に巨大な借金を抱えたHAL研究所を再建しようとする目論み自体が不可能なものになってしまう」

 岩田は笑う。

「ちょっと演説っぽくなっちゃったかな」


 それから社長室の扉をくぐる。

 岩田はにこやかに、社長室の椅子に座り、すっと前を見つめ。

 取って置きのプランを秘書に語る。


「えっ?」

「社員全員を繋ぐにはこれしかないんだ」

「でも前代未聞ですよ?」

「なら僕たちが前例になればいい。僕たちはお互いを知る必要があるんですよ」


 岩田聡が行う社内改革。それを聞いて、秘書は改めて強く思った。

(この社長、面白い! 岩田さんについていったら、どんな地図を見せてくれるんだろう?)

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