桜色の夢
岩田聡と歩く道
桜色の夢
1990年、オグリキャップが引退レースを劇的に勝利し、バブル景気が崩壊した時代。
バブルとは地価や株価が実態以上の急上昇を続けている状態。思えば誰もが熱に浮かれ、必要以上の夢を見ていた時代だった。
新生HAL研究所は山梨に巨大な敷地を陣取り、最先端の設備とテニスコートなどの施設を作りあげた「都会から離れた桃源郷」のようなものだった。ゲームの理想郷。夢の建物。だが、皮肉にもその大きすぎる夢は、地価の暴落、銀行への借金などで、崩壊への絶対的な軋みをあげていた。
だが、その時に、その最高の設備と環境だからこそ、輝く一人の才能がHAL研にはいた。開発部長の岩田の直弟子、桜井政博だった。
*
桜井は入社後すぐに、20才の若さで新企画「誰でも楽しめるゲーム」のディレクター担当となっていた。これは30代になってからディレクターをするのが通例で、大抵の若手はプログラミングや雑事に追われるのとは対照的なことだ。
桜井はブラックコーヒーを片手に、コンピューターに企画のアイディアを打ち出していた。ネーミングは「はるかぜポポポ」。
だが同期の橋本は
「それでいいのか?」
と言う。
山田も
「これは違うだろう?」
と言う。
それでも桜井は
「それで良いんですよ!」
と言いきった。
思いっきり缶をゴミ箱に投げ捨てる音がした。
「生意気な奴め!」
ついで応えるように
「なんせ新米ちゃんだからさ、ゲームについて良くわかってないんだよ」
桜井は丸っこい主人公キャラクターをデザインしながら、「ふぅ」と窓ガラスの富士山の方を見た。そこには開発部長の岩田がいた。岩田はそれでも、やはりにこやかに笑っていた。
時は入社面接に遡る。
桜井は緊張しながら、ぱりぱりのリクルートスーツ姿で、面談に赴いた。
高校時代からゲームを独学で研究し続けた。数多のゲームをプレイし、分析し、その良い点、悪い点を追求し続けた。その中でクリアしてもさっぱりと後味の薄いゲームばかりで残念に思うことがほとんどだった。だが、とあるゲームのCONGRATULATIONから始まる高らかな音楽と自機の動きのある弾を華麗に発射するエンディング、それが桜井の眼には眩しく映った。そして最後に堂々とクレジットされるPresented by HAL Laboratory。そんなHAL研究所に彼は加わろうと必死だった。少し喉が渇く。尿意が思ったよりもある。それでも持ち前の度胸で、独自のプレゼン資料を渡し、解説していく。
「御社のガルフォースというゲームのエンディングに僕は強く打たれました。あのような感動を誰かに、僕は、与えたい。どうか僕をここで」
その時、一人のふくよかな男がにこやかに話しかけた。
「あなた、こんな性能のワープロで良くこんな資料を書き上げたね、あの○○社のものでしょ?」
「えっ?」
確かに格安で買った、学生だから格安で買わざるを得なかったワープロだ。だからこそノンブランドに近い。それを言い当てられた。
しかし、桜井の心は何故かその一言で落ち着いていた。彼自身も不思議に思うくらい。
「いやー、あなたは良い筋してるよ。HAL研はね、今年で10周年。まだまだ若い会社。あなたみたいな人にはきっと丁度いいと思うよ」
なぜ緊張が和らぐか分かった。その男は本当に屈託なく笑う楽しそうな人だったのだ。会社を背負ってるんだから面接官だって緊張するだろうに。なんて思った瞬間、桜井は「なに相手のことを心配してるんだ」と自分でツッコミを入れながら、同じく楽しさが伝播しているのを感じた。
良い面接だった。
ここで働きたいと思った。
後に桜井は、その笑顔の男がガルフォースのエンディングでエグゼクティブプロデューサーとして「S・IWATA」とクレジットされた人だと知ることになる。
*
会議室で、桜井はコンセプトを語る。
「何事もリスクとリターンで出来ています」
数人のメンバーが仏頂面で佇んでいる。
「はるかぜポポポ、はそのリスクを減らしてリターンを増やします。具体的には敵を遠くから吸い込むことによって、敵から直接攻撃を受けるリスクを減らす。ヒットポイントゲージを作ることによって一撃でゲームオーバーするリスクを減らす。そして目玉がホバリング、空中浮遊によって落下死のリスクを減らす」
山田は憮然とした表情だ。
「要するに初心者に媚びるってことね」
桜井は堂々と言いきる。
「そうです。初心者こそがターゲットです」
山田は思わず立ち上がって
「あのね! 僕たちは技術のHAL研なの! 甘ちゃんなんてお呼びじゃないの!」
桜井は言う。
「だから、『こうなった』んじゃないですか!」
HAL研は他にはない高い技術を持ちながらも、自社IP、つまり自社で作っているキャラクターでヒット作を生み出せないでいる。マニアなファンはいるが、大衆とはどんどん離れた方向に行っていた。何時しか「技術だけのHAL研」と揶揄する声も聞こえだした。
それは山田にもわかる。桜井にもわかる。他のメンバー全員にもわかっている。
そして、そのHAL研がこのままだと借金で終わることも。
だからこそ、山田は立ち上がって
「真剣に作ろうよ! 桜井! 俺たちの全力で!」
桜井はだからこそ吠える。
「真剣に作りますとも! だから協力してください!」
三坂が思いきったように言う。
「吸い込みまでは歓迎だ。だが、ホバリング、空中飛行がいつでも可能って言うのはどうだ。俺はマップデザイナーだぞ。マップデザインの常識はマリオのジャンプアクションだぞ。だからこそ面白い。それを空中で全く苦もなく浮かび通ることは面白いのか?」
「大丈夫です! そこに新しい自由があるんです!」
三坂は思わず大声になる。
「大丈夫じゃない! それは自由じゃない! ゲームバランスの崩壊だ!」
その時、岩田が会議室の扉を開いた。
「何を揉めているんだい?」
山田は言った。
「あの新人はゲームのことをまだ何もわかってない。彼にやらせても誰もうならせないクソゲーが出来ますよ!」
三坂は言った。
「彼のコンセプトは確かに斬新です。でもそれは奇をてらった悪手にしか僕には思えない」
岩田はそれでもふくよかに応える。
「つまり君たちの言いたいことは、桜井君がゲームに詳しくない素人だということかな。僕にはそう思えないが。ねぇ、桜井君」
桜井はただ自動的に応えてしまう。
「はっ、はい」
山田は言う。
「信じられないな。口だけならゲーム通を名乗れる。俺たちだって」
岩田はぽりぽりと頭をかきながら
「じゃあ、ゲーム大会してみよう。僕のバルーントリップで最高得点を取った人が優勝で、彼の言うことに従うように」
桜井は言う。
「岩田さん! そうしましよう」
山田は思う。
岩田さんはこの大会で最高得点を取って桜井にやり易いようにさせるのだろう。だけど、そうはいくか。
山田には自信があった。山田には人一倍の岩田への敬意があった。それゆえにバルーントリップを何よりもプレイしていた経験があった。
*
最先端のピカピカのモニタールームで大画面のテレビで当時としても懐かしのファミコンゲーム、バルーントリップが遊ばれていた。開発したのは横井軍平、そしてプログラミングの岩田聡だった。
赤い船に浮かぶバルーン小僧が、針山を避け、海に落ちないようにしながら、緑色のバルーンを割っていく。
緑の風船がオレンジ色に変わる。プレイ時間が2分半を超える。最初から大記録だ。
ファミコンの小さなコントローラーを器用に動かすその眼鏡の安田は、
「よしっ!」
と笑う。
山田は
「その程度でかよ!」
なんて思わず言う。
三坂も
「これくらいHAL研標準にも満ちませんよ」
すると岩田が
「それでは、さっそく、二番手は僕ということで」
岩田はちょくちょく機会があると、このバルーントリップに触れていた。風船小僧は圧倒的精密さで動き、一つも風船を逃すことなく連続ゲットしていく。プレイ時間は4分を過ぎた。風船の色がグリーン、そしてオレンジからレッドに変わる。プレイ時間が五分もたった。場の空気が変わる。
「岩田さん。すごいっすね」
「そりゃ、プログラムしたんだから、おむすび屋さんが自分のお米を美味しく炊けるようなもんすよ」
「なんだそれ」
「ほんと、なんだよそれ!」
そんなだらけた会話が、妙に間延びしたように続き、それにつられてか、殆ど意図的にか、岩田は開始8分で自機のバルーン小僧を剣山に当ててゲームオーバーとした。高いスコアが出た。
山田は猛る。
「それでも! 僕は! 岩田さんに! いや! 岩田に! 勝つ!」
バルーンは長い長い旅をはじめる。
1分。
2分。
3分。
4分。
9分。
岩田のバルーンよりも長い旅だった。
だが、風船の撃破率はやや低く、スコアは岩田に及ぶものではなかった。
山田は岩田に詰め寄る。
「岩田さん、僕は、こんな岩田さんのやること認めませんからね」
岩田は言う。
「僕は大真面目にやってますよ。本当に」
「なにが本当ですか?」
この前だって、と長々と愚痴を言うのを途中で岩田が遮る。
「ほらっ、見てごらん」
見ると、三坂のバルーンは最終形態の赤になっていた。そしてゲームプレイ時間は思えば15分を優に超えている。
「おまっ! 三坂!」
その声に思わず三坂は緊張をしてしまい、バルーンは海のサメに食べられてしまった。
「このやろ! 山田!」
「すまん……!」
それでも岩田の記録を大幅にオーバーする大記録が生まれた。
会場の場が緩む。誰もが負けが決まっている試合、つまり勝ち負けではないゲームを楽しんでいた。
「それじゃ、優勝は三坂ってことで」
パチパチと拍手が鳴り響いたのを遠慮がちに
「僕が残ってますよ」
桜井が手を挙げた。
*
「まさか、キミが優勝するとはね」
岩田はねぎらうようにぽんぽんと肩を叩く。
「だてに、ゲームを研究してませんから」
岩田は笑う。
「うん、君が誰よりもハードコアなゲーマーだというのは僕も分かってた。でも、それでも優勝するとは」
桜井は少し焦れて
「あれ? あれは僕が優勝して、僕の思った通りにゲームプランを進めるっていう岩田さんの計画じゃないんですか? その計画通りになっただけでしょ?」
岩田は笑う。
「ははっ。それも一つ。でもそれよりも大きいのがみんなゲームが大好きで、ゲームをプレイし合えば一つの輪が、チームが出来るってことさ」
岩田は伸びをする。
「それにしても、僕は不思議だよ。ここまでハードゲーマーな桜井君が、なんでこんなにイージーで初心者向けのゲームを作ろうとしているのか」
桜井は堂々と答える。
「ユーザーの身になる。ってことですかね。僕の信念としては。【僕が楽しい=ユーザーが楽しい】じゃないですよね。全てゲーム作りはユーザーのために在るべきなんです」
岩田は復唱する
「ユーザーの為……確かにゲーム通となった僕たちの作るものは一般の人には複雑すぎるゲームになっているのかもしれない」
その時、全くの初心者のOLにあのラリーゲームを遊ばせた天才の姿が、まだ若いその青年と妙にだぶって重なった。
*
新作「はるかぜポポポ」もとい「ティンクル★ポポ」の開発は熱をもって続けられた。
「たららーたららららーたららーたららーたららー」
「良い音楽です。HAL研らしくてHAL研らしくもない」
「名付けてポポポップ」
「このデザイン、桜井さんの仮のものですけど、本採用しましょう」
「意外とイイネ。このおまんじゅうみたいなキャラ」
「このグラフィックは半分作って左右反転させてくっつけて成り立たせよう」
「左右対称のものを反転くっつけ合体。一バイトも無駄にしちゃいかんからね」
桜井という才能が春に向けて花開こうとしている。
そんな熱の中、少し目頭が熱くなり、少し喉元が苦しくなる岩田だった。
*
とうとう「ティンクル★ポポ」の広告が打たれた。
「敵キャラぱっくん! 浮かんでプックン! がんばれポポポの大冒険!」
受注が集まる。HAL研のスタンダードラインを超える受注。
2万6千本という数字。
決して低い数字ではない。
しかし、社運を賭けたゲーム、いやそれ以上のものを賭けたゲームとしてはなんとも物足りない数字でもあった。
少なくとも岩田はそう判断した。
だからこそ彼は任天堂本社の玄関をくぐった。
向かった先は、桜井と同じ匂いを持つ、岩田とは異彩の天才、宮本茂。
宮本はイカスミスパゲティで歯を黒くしながら
「微妙やな」
「はい……」
「でも、ちょっと惜しいなぁ。発売は決定してるんだよなー。受注したってことは」
岩田はピザを飲み込んだ。その眼に宿る遊び心をかきたてられたような少年の目を信じて。
*
独創という額の下、任天堂社長、謂わばゲーム業界のゴッドファーザー、山内博がたたずんでいる。
宮本は流石に緊張した面持ちで
「あの、HAL研の」
山内は少し苦々しそうに
「ああ……あそこか。あそこはもうダメだな。アカンことになった、時代を読み損ねた」
宮本は思い切って
「『ティンクルポポ』っていうのがあるんですけどね……ちょっといじるだけで、ものすごくおもしろくなるやつがあるんです。あれ発売を中止して作りなおしていいですか?」
山内は思わず笑った。
「おいおい、一度中止にするってことは受注をキャンセルして0に戻すことやろ?」
宮本は狐顔で
「ええ、そです」
「とんだ、ちゃぶ台返しだな。でも面白い。さて、HAL研は……いや、あの男はどう出るか?」
*
HAL研は宮本の、任天堂の提案で揉めに揉めていた。
受注を取るのに懸命だった営業の強烈な反発がまず一つ。焦って発売せねば会社が傾くという圧力がまず一つ。自分たちだけで何かを成したいというプライトがまた一つ。
社長は何も言わない。
桜井もまた何も言えない。
議論に次ぐ議論で一日がつぶれた。
次の日も議論で午前、食事中も議論で、午後もずっと議論。答えなど出るはずもない。「売れて欲しい」その思いは誰もが同じだ。だからこそ誰かが、決定しないといけない。そして岩田は決断した。
「宮本さんに任天堂に託しましょう。賭けましょう」
*
こうして任天堂によって「ティンクル★ポポ」は「星のカービィ」と改名された。
名付け親については定かではないが、こんな噂話、いや笑い話が残っている。
「岩田クン、岩田クン、ティンクル★ポポはあかんやろ」
「なんでです?」
「だって略したら【ティ〇ポ】やないの」
「ぶっ」
任天堂の支援によって当時の幼児たちの多くに記憶を残したCMソングも流れた。
まーるかいてー
おまめがふたつ
おむすびひとつ
あーっというまに ほしのかーびぃ
星のカービィは当時のゲームボーイとしては爆発的なヒットを果たした。それもロングセールスの予感すら感じる流れだった。
山梨の小さな居酒屋で祝宴が開かれる。桜の開花に遅れた5月、少し涼しい風の中みんな笑っている。
「かんぱーい、桜井君、信じてたよー」
「山田ー、その口が言うかー?」
どっと笑いがこぼれる。
「山梨に来て良かったって言えば、山梨のブドウワインが飲めることだな。こりゃフランスなんかは上品すぎてな。何せ山梨は水から美味い!」
「ほんと、ほんとー」
「さっ、もう一杯」
岩田はそれを感慨深げに見つめている。少し遠くで。
それから廊下で社長と二人きりになる。
社長の眼は赤かった。泣き腫らしたものだった。もともと人情家だった社長だが、これほどまでに深いそれは岩田でも見たことがなかった。
岩田も思わず目頭が熱くなり、シャツの袖で眼を拭いた。
社長が真っ暗な窓を見ながら
「山梨に桜が咲いたよ」
「ええ」
「綺麗な花やな」
「ええ」
岩田はそう答えるしかなかった。
「キラーソフト、誰もが夢見るソフト。作れたんやなぁ」
「ええ」
「わかっとるかい」
「はい」
「わかってるよ、念のため聞いただけや」
それから社長は切り出す。
「HAL研が生きた証になったよ。カービィは。愛されるキャラを僕たちは最後の最後に作れたんやなぁ」
「最後なんて言わないでください」
「わかっとると言ったやないか」
「あの山梨移転の賭けは、賛同した僕の責任でもあります」
「いや、ええんや。実質上はじめからこの会社を作りあげたのは僕じゃなくて岩田クンや。どこぞでもスカウトが来とるやろ。旅立ちの時や」
「借金の総額は……?」
「50億……」
「そうですか」
「思ったよりも大きくてショックやろ」
「いえ」
「流石、敏腕プログラマーやな。そしてこの数字、下手なミリオンヒットの3つや4つで返せる数字じゃないのもわかるやろ」
「いえ」
「わかってくれ、岩田クン」
岩田はあの時の言葉をもう一度繰り返した。
「僕はここから離れません」
「岩田クン、もうええ」
「僕は……」
岩田の瞳から一筋の涙がこぼれた。それにつられて社長は嗚咽のようなものを出した。
「ここで……終わりだよ……岩田クン……最後に……夢をありがとう……カービィの名と一緒に僕たちの名は……ゲーム史に残るんや……」
社長は別れの握手の手をさし伸ばした。
岩田はただぎゅっと握りこぶしを作っていた。




