ギャンブル
昭和六十三年。競馬では地方の雄オグリキャップがタマモクロスと激闘を繰り広げた時。ファミコンソフト「ドラゴンクエストⅢ」の大行列が話題になった時代。
ゲーム業界の間で「技術のHAL研」とまで呼ばれるようになったHAL研究所。雑然としたタバコ臭い空気に、散らかったデスク。給湯所にがちゃがちゃと放り込まれたコーヒーカップ。引っ越しを繰り返しながらも70名に膨らんだ社員たちにとって、手狭になったオフィスで新作ゲームのテストプレイが行われていた。
『ファイアーバム』
横スクロールアクション、すなわち右へ右へ進むスーパーマリオブラザーズとはモチーフは同じだが、その特徴は超高速スクロール。つまり移動が、画面の動きがとんでもなく速いのだった。HAL研の技術の賜物だった。もちろんコントローラーを押す指のボタンも慌ただしく、テクニックが要るようになる。そのテクニックそのものが面白さだった。
「いやー、爽快、爽快」
一人の社員が口に出す。
「いや、でも早すぎないか?」
「慣れれば大丈夫だよ。一杯遊んで極みプレイすれば、めっちゃ面白いよ」
もう一人の長髪男が、笑う。
「いや、むしろ、ここ、敵を強くした方が、やり甲斐出ると思う。ゲームのエキスパートの俺たちが言うんだから、間違いないよ」
「うん……そ……だな」
画面では高速に動く勇者が、敵となる青い鳥を華麗なテクニックで飛び越えていた。
ひとしきりプレイした後、長髪がなぜか不在の開発部長のことを話題にした。
「ところでさ、岩田さんは?」
「あー、岩田さん。なんかデートだって」
「会社がこれからって時にこれかよ。でもなんで岩田さんなんかがあんな可愛い彼女もってんだよ?」
「岩田さん、人が良いから。意外とモテるのかも」
「なんだよ、俺が根性曲がってるみたいじゃんか」
*
東京の雑然としたオフィス、HAL研究所には緊張が包まれていた。
あの人が来る。
社員の間で噂話が絶えなかった。岩田にとっても彼は特別な存在だった。一方的だが、密かにライバルとすら思っていた。
「やっ、よろしくっ」
任天堂の切り札、いや今や任天堂の顔と言って良いスーパークリエイター宮本茂である。宮本は「ドンキーコング」「マリオ」「ゼルダの伝説」と立て続けにキラ―ソフト級のヒットを飛ばし、任天堂に限らずゲーム業界で知らぬ者はいない存在だった。
少しやせ気味でひょうひょうとした狐顔の、でもどこか憎めない全く威圧感の無いオーラ。
宮本はデスクにどっかり座り、社長と他愛ない雑談、たとえば最近庭いじりにはまってるとか、東京の飯は旨いけどやっぱ高いなぁ、など陽気に笑っている。
それが一息ついてから。
「そな、ゲーム見せてもらいましょ? プログラミングは完成しとるんでしょ。スリーディー、えーと」
隣の岩田がすぐさま答える。
「3Dホットラリーです、僕もプログラミングを担当しました。プログラムの出来は十分だと思うのですが」
続けて社長が少し嫌味な面持ちで。
「宮本さん、任天堂や宮本さんと共同開発したこれ。共同開発した割りに、ちょっとと面白さが。なんででしょうか」
精一杯の対抗心が皮肉を生ませた。
「だから、変えていきましょ。テストプレイで」
「宮本さんがテストプレイを?」
「ふふっ」
「ここのカーブが」
「うん、ここは処理できる」
「よしっ、ここのスピード調整を」
カーレースゲーム。まるで実際に車に乗っているフロントガラスからの視点のもう少し奥の視点。車全体が見える視点で、コースをハンドルを切るように右へ左へ曲がるレースゲーム。過去にF1レースなどを開発しているHAL研にとっては「おはこ」のジャンルだった。その厳しい眼による微調整で、ゲームは整えられていく。
それを宮本は楽しそうに見つめていた。
「さて」
それから立ち上がり
「ちょっと、おねーちゃん、遊ばない? ゲーム?」
若いOLに呼びかける。まるでナンパをしているような態度に、岩田は少し苛立ちながらも冷静さを装いながら
「彼女はゲームの経験ないです。残念ながら、お役に立てないかと」
HAL研究所の最古参の社員の岩田は、他の社員の情報を全部とは言わないまでも、ある程度把握していた。彼女の趣味はピアノで、ゲームはトランプと百人一首とオセロくらい。ビデオゲームなど。
それでも宮本は
「ええから、ええから、何事も初体験や」
OLはたどたどしく言う。
「あの、この、ファミコンのコントローラーどう握るんですか?」
左が十字キーで、右のAボタンとBボタンって、なんて、素人へのレクチャーを宮本はしている。
岩田は珍しく苛立っていた。なに、してるんだ、宮本さん、僕はキミをライバルだと思って一所懸命プログラミングしたんだぞ、なのにキミはふざけて! その程度の男だったのか。僕たちはゲームを良くするために一緒にやってるんじゃないのか? 少しでも面白いゲームにしようと。
それでもなんとか自制して、
「どうしてこんなことを? 意図を教えてください」
宮本はひょうひょうと答える。
「いや、なんとなく」
OLは不器用さ全開のぎこちない操作で、ゲームを遊ぶ。宮本はそれをOLの肩越しに見つめる。
最初は遊びとしてさえ成立していなかった。何度もプレイして、右へ左へ車を蛇行させ、カーブではコースから外れ砂地を踏み減速してしまい、コンピューターの対戦カーに大きく遅れて、なんとかビリでコースをゴールした。
宮本はOLと感想を話し合う。まるで遊園地のジェットコースターを遊び終えたカップルのようだ。
「楽しかった?」
「うーん、わからないけど、なんだかスッキリしました」
「えーやないか」
「ただ……」
「ん?」
「なんか地味だなって」
岩田は戸惑う。レースゲームの中でもこれだけハイスピードで起伏のあるゲームが地味?
「なんか自分の車も相手の車もぜんぶ同じみたいで」
岩田の苛立ちは仲間であるOLにまで広がってしまった。何を言っているんだ。グラフィックは車と車で繊細に微妙なトーンで描き分けたんだぞ。むしろ、その微妙な繊細さこそが僕たちの拘りでアピールポイントなんだ。やっぱり素人じゃ、ゲームを検証しきれないんだ。
宮本は、うん、うん、せやな、と言ってOLを送り返した。
その後もHAL研の魂のテストプレイは続く。コース設計、コンピューターが操作するライバルカーの動きの調整、情報の画面の配置。
錬磨されていく。
一応、OLの言うことも聞いて、色のトーンをもっと派手にすることも検討することにした。
だが、宮本は浮かない顔で虚空を見つめ続ける。とんとんと足踏みしながら。
次いで、言う。
「そや、地味みたいだから。いっそマリオ乗せてみん?」
「へ? マリオ? いや、これレースゲームですよ」
余りにも唐突で、岩田の答えも間の抜けたものになってしまった。
「だから、車のビジュアルを、マリオくんが車に乗っているのに変えるんや。面白いと思わん? マリオの使用許可は大丈夫やで。なんせ僕が作ったキャラだから」
それから岩田らの懸命なプログラミングによってゲームは修正され、マリオが車に乗ることになった。その最終テストプレイに、また宮本が京都の任天堂から東京のHAL研へと赴いていった。
「やー、僕、ギターやってたんだけど、あれ、BOOWYの布袋くん、ええね。やー、痺れるわー」
それから宮本自らゲームをプレイする。
前もってプレイしていた岩田は、本当に微妙な感覚だが、ゲームプレイの感覚が変わっていることに気付いていた。決して面白くなったとは言いきれない。だが、遊びのタイプが微妙に変わっている。車にマリオを付けただけなのに。だが気づきはそこで止まっていた。プログラミング思考で培われた分析力には自信があった。なのに、それが今回は役に立たない。ライバルであった筈の宮本が遠くなっている。それは勝敗などではなく、より根源として土俵ごと違ってしまった感覚。その答えへの糸口を宮本から聞きたかった。
「それで、どうです? 宮本さん」
「いやー、微妙。わからんわ。でもちょっとイマイチやな。もしかしたら何か出来そうやけど。もう納期も迫ってるしな。出来んわ。ちと、しくったかな? ごめんなさい、HAL研さん、岩田さん。僕もここまでやったわ」
それは皮肉でもなく、宮本も微妙なニュアンスの違いを説明できていないことを岩田は悟った。自分でも説明できないことをやってのけてしまう。それが才能なのだろうか。
*
異なる才能が出会って数カ月。もう一つの才能がホットラリーに出会おうとしていた。
狭い四畳半の洋室、しかし整然としていてごみ一つ無い部屋。圧迫するような棚にはずらりゲームソフトのパッケージが並べられている。その中心で一人の高校三年生がホットラリーをプレイしている。何回も、何十回も。華麗なるドライビングテクニックが画面に繰り広げられる。
「うん、うん、なるほどね」
それから高校生はノートにシャーペンを走らせる。
「うん、うん、いや、勉強になるなー」
シャーペンを滑り終わらせ、高校生は満足げに息をつく。
「よしっ」
その余韻に浸る間もなく、母が呼ぶ声が聞こえた。
「まさひろー。ごはんよー」
高校生は「はいはい」と階段を下りていく。
残されたノート。そこにはこう書かれていた。
「ゲーム徹底分析127。3Dホットラリー。ハードの都合上か、売上は伴わなかったが、非常に遊ぶ価値あり。マリオを画面に置くことが◎。普通のレースゲーム=車を操作している、カーシミュレーションに近い、車を運転できる大人向け。マリオ=マリオというキャラクターを操作する、子供にも親しみやすいマリオ、ユーザーが広がる可能性あり」
ノートのメモは続く。
「虚構と現実の関連について。
車を操作=良くも悪くも現実に縛られる。現実故の説得力。
マリオを操作=フィクション性の獲得。マリオだから実際の車に縛られ過ぎなくていい。発展の可能性」
フィクションせいのかくとくからの発展。
デザイナー的提言
ex)ファイアマリオになってファイアボールを投げつけてライバルカーを攻撃。当たったらスピンするなどして一定時間減速。ex)マリオのステージ、スーパーマリオブラザーズのクッパ城などをレースコースに見立てる」
もう10冊目となる研究ノートの持ち主、彼の名を桜井政博という。ゲームクリエイターを志し、日夜独学でゲームを研究する彼。彼の卒業後の第一志望はHAL研究所だった。
*
HAL研の小さな社長室。過去にリリースしたゲームが棚に整然と並んでいる。
「ギャンブルだな」
そう言い終えると、社長は思いっきり息を吐く。
「ええ、ギャンブルだと思います。でも社長、社長のギャンブルは十分に勝算あります」
岩田はその横で強張り、しかし決意した目で言う。
「社長、僕は賛成です」
社長は顔を崩す。そして言う。
「それに景気もええし」
「何よりです」
「ありがとう、岩田くん、会議にかけてみるよ」
社長の大きな目がぎらぎらしていた。
*
イタ飯ブーム。イタリア料理店が乱立した時代。カジュアルなイタリアンレストラン。観葉植物の横の小さな二人席に岩田とHAL研創設から一緒にいた新田がいた。
「新田、頼む」
岩田は請う。
「な、新田、山梨まで一緒に来てくれ」
「岩田、俺、借金までしてそうする必要感じない」
岩田はそれでも両手を拝むように組んで。
「最新の設備、開発機材、都会から隔絶された環境、自然豊かなリラックススペース、テニスコート。この理想の環境ならきっとキラーソフトを作れる。HAL研待望のキラーソフトを。だから、頼む」
観葉植物が冷房に揺れた。
「ごめん、岩田、色々今まで楽しかったけど、俺、ここまでだわ。お前らがきっとうまくいくことを祈るよ」
岩田は歯を噛んだ。
大好きなスパゲティはとっくにのびてしまっていた。
まだだ、まだだ。きっと他の人が。
岩田は社員の説得を続けた。
「うーん、ま、仕方ないか」
「登山でも趣味にしよっかな」
「せっかく地方の大学から東京まで来たばかりなのに、またド田舎にとんぼ返りですかー、もう! 岩田さん!」
応える人が一人、一人いた。増え続けた。その中に入社したばかりの桜井もいた。
*
HAL研究所は東京から山梨に移転した。多額の借金を背負い、それに相応しい環境を手に入れた。引っ越しは大作業だった。
山梨は富士山のふもとの広大な土地。そこに建つ大きなHAL研究所。社員60名。
岩田は結婚したばかりのパートナーの愛妻弁当を広げる。
「おっ、岩田さんやけるなー」
なんて笑い声。
流石に山梨への移転に反対する者、ここまでついてくれなかった人、別れてしまった親友もいた。それでもたった5人から始まったHALに60名も付いて来てくれた。彼らと一緒にデコボコ道を歩いていこう。
山梨開発センターを高地の爽やかな風が吹き抜け。
テニスコートではぽんぽんとラリーが続き。
ピカピカの部屋ではピカピカのワークステーションが並び。
最新の開発キットが置かれ。
まさに研究所のような内装の白い開けた室内に。
カタカタカタカタカタカタ。
キーボードを打つ音が響く。
桜井も岩田もまたそのハーモニーに加わる。
富士山の見える研究所は、柔らかな響きに包まれていた。
カタカタカタカタカタカタカタカタ。
その時。
バブルが弾けた。
バブル崩壊。株価と地価が急降下し、数多の企業が倒産する長い大不況の始まりである。




