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バルーンは風に乗って



「岩田聡と歩く道 バルーンは風に乗って」


本文


 昭和五十九年。競馬ではシンボリルドルフが無敗の3冠を達成した年。日本が世界一の長寿国になった時代。


「独創」という額がかかった社長室。がっしりとした椅子にスーツで寄りかかる任天堂社長、山内溥の姿があった。ばっさりとした短髪に色眼鏡、そして眼光鋭い「慧眼」とも呼ばれるその眼。任天堂を一代で小さなカルタ会社から、巨大ゲーム会社へと発展させたそのワンマン経営による剛腕。その姿格好もあって、時に彼は社長ではなくヤクザのそれの「組長」と影で呼ぶものもいた。その一人、秘書の斎藤は、何時も通り低身なものの、少しだけ心穏やかだった。どうやら組長の機嫌は良いようだ。

「宮本君のマリオブラザース、調子がええそうやな」

「はい。次回作スーパーマリオブラザーズの開発も順調で。これがヒットすればファミコンも安泰かと」

「そや。キラーソフト。このソフトを遊びたいがために、ファミコンごと買うようなソフトが必要なんや」

「はい」

「そのキラーソフトの為に必要なのはなんかわかっとるか?」

「はっ」

 山内は実にらしい笑みをして

「じゃあ、言うてみい」

 秘書はまさか具体的に突っ込まれるとは思っていなく、ただ胃がずきずきとしていた。

「はっ」

「わからんか」

 静かな言葉に恫喝のような迫力がある。山内がワンマン社長であり、この業界のゴッドファーザーとも呼ばれる所以である。

「すみません」

 もう、悪さが見つかった生徒のような秘書だった。

「ははっ、答えなんてわかっとったら、ゲーム作りには苦労せんわ。今頃、俺もお前も大金持ちや」

 壁にかかった「独創」という額。他者を真似ず、独自に何かを創り出す。「独創」山内によればこうだ。


「娯楽は他と同じが一番アカン。よそと違わないのだけどちょっとだけ良いんですよ、なんて答えは愚の骨頂。娯楽は他と違う遊びが求められるんや。「独創」であれ。


 その「独創」を体現した作品がマリオであり、ドンキーコングであり、山内がもっとも信頼する懐刀である宮本茂だった。だが、同時に任天堂以外でそれを示そうとしている何者かがいた。

 山内は懐のポケットから「ゴルフ」というソフトを出す。十八ホールを回る本格的なゴルフをテレビゲームという形で再現したソフト。ワン、タン、メンとボタンをタイミングよくショットすると飛距離が出る魔法のゲーム。瞬く間に売れ、今やミリオンセールスを記録している。

「このゴルフってソフト作ったのは、ウチじゃなく下請けだそうやな。誰や? 作ったのは」

 秘書は分厚い手帳をパラパラと捲り

「HAL研究所です。他にピンボールやF1などいくつか、スマッシュヒットを飛ばしてますね」

「誰や? と訊いたんや」

 厳しい問いだ。インターネットもない時代、情報は制限され、一開発者の名など手に入れるのは難しい。それでも秘書は大企業の秘書なりの仕事をしている。「岩田聡」という名がページの片隅に雑にメモされていた。

「いわたさとし? でしょうか?」

「誰や? そいつ」

「いや、そこまでは」

「調べておけ」

「はいっ」

 秘書は山内の表情を探った。しかしそこには不機嫌なそれではなく、どこか楽しそうなそれがあった。まるで新しい玩具を見つけたような。

「いわたさとし……ためしてみる価値はあるんやろか」

 秘書は組長に眼をつけられた「岩田」に密かな同情を覚えた。


   *


 岩田は東京の少しだけ大きくなったHAL研の一室で、カップヌードルをすすっていた。「青春という名のラーメン」という名前のカップラーメンだった。こんなのがウケルとは流行りとは何だかわからないものだなぁと首を傾げつつ、CMで艶やかな唇を見せる美女に少し思いを馳せて食べていた。

「プログラマーってもてない職業だよな」

 時間は深夜1時。今日も今日とて残業中。確かに一般的な生活をする素人さんとは付き合いにくい業種だ。

「岩田君、岩田君」

 一人っきりになったのを見計らったようにこれまた残業中の社長が声をかけた。

「仕事が来たよ。あの任天堂から。しかもキミ個人を指定して。任天堂本社でプログラムしてくれって」

「ほー、京都ですかー。久し振りだな。今度は京美人見つけられるかな? こうお上品な」

「岩田君……」

「はい?」

 社長は冗談のように気安く、でも真剣な顔で。

「キミ、任天堂に引き抜かれたりしないよね? いや、わかるんだよ。岩田君くらいの才能があればあっちでも花形になれるって」

「社長……」

「ウチがもっと潤っていれば、岩田君にも贅沢させてやれるのに」

「社長、僕はここが好きです。ここのみんなと、少しずつ大きくなっていくこの会社のつながりが、どうにも言えないくらい」

「岩田君……」

 岩田はカップヌードルをスープまで飲み干した。ふぅと息をついて。

「ずっといますよ。ここに。ずっと」

「ありがとう」

 社長は岩田の肩をぽんと叩いた。

「西に任天堂の宮本がいるのなら、東にHAL研の岩田がいるとこ、見せてやんしゃいな!」

 社長はにっこり笑った。

 岩田もにっこり笑った。

「宮本さんですか。あのドンキーコングのね。でも、僕の方がプログラマーとしてイケテルってところ見せてやりますよ! プログラムの腕なら誰にも負けませんから!」

 岩田はにっこり笑いつつ、まだ見ぬライバルの姿を眼鏡の奥にイメージしていた。


   *


 小林は任天堂でも中堅のプログラマー。本来なら「バルーンファイト」のメインプログラムを任されても良いはずだ。しかしそれを担当することになったのが社外の外様の、しかも当時下請けとして活躍していたが名と言えば無名に近い会社の男だった。それも東京者。「東京都」と「京都」。同じ都をつけられながら、東の京都という名前通り、昔ながらの伝統ある京都人の誇りが、新参な東京人へのちょっとした侮蔑的な想いを小林に与えていた。

 京都の任天堂本社の一室に招かれた「岩田聡」という男。少しふくよかな如何にもインテリオタクっぽい風貌の彼に、小林は皮肉な笑みを浮かべながら言う。

「バルーンファイトはアーケード、ゲームセンター用とファミコン用、同時展開で開発します。岩田さんはファミコン用ですが、どうかアーケードの方に遅れをとらないでくださいね」

 当の岩田は仕様書を読みながら

「バルーンファイトか。なにやら楽しそうなイメージのタイトルですね」

 なんて暢気に言っている。小林はその穏やかさに、過剰すぎるほどの自信ゆえの傲慢さを感じとった。

「出来ますか?」

「ええ……」

 そう言うと岩田は大柄の身体を熊のように揺らし、辺りを回るようにうろつき始めた。片手で額に手を当てながらぶつぶつ言っている。

 これが社長のご執心の奴か。その不気味でありながら一方でどこか可愛い動作を、小林は見つめていた。

 しばらくすると、岩田はパソコンデスクに腰を下ろした。それから間髪入れず、キーボードを叩き続けた。

 ブラインドタッチ。扱える人は少ないが、任天堂本社のエリートからするとそう珍しいものではない。特異なのはそのスピードだった。ピアノというよりもドラムを叩くような勢いで迷いなくタイピングが続く。コードが生成されていく。パソコン画面にプログラムがどんどんと並べられていく。

 小林にはそのプログラムが良いものかどうかの判断も出来なかった。プログラムにはそのプログラマーの個性が出るものだが、岩田のそれはかなり我流なそれだったが、とても柔らかく分かりやすい印象だった。のだが、高速で打ち込まれるので、全体的な意味づけをする前にどんどんとスクロールされてしまう。「わからなかった」ではなく、文字通り「わかることが出来なかった」のだ。社長にどう報告すれば良いのか慌てて、一瞬、「天才プログラマー」という呼称が浮かび、それを「早計だ」となんとか否定した。

 タイピングの轟音が響き、やがて止まった。それから岩田は席を立って、ふらふらと歩きはじめる。小林はなにかしらの手詰まりがあったのか、やはりあの速さはハッタリで無理が生まれたのか、と思いながらそれを見つめる。次いでパソコン画面をのぞく。パソコンはプログラムをバッチ処理していた。大量のプログラムデータを変換して処理するには時間がかかる。岩田はそれにお構いなく、人差し指をあごにかけながらのしのしと歩いている。やがて岩田が席に座ると同時に、バッチ処理が終わった。それからまた岩田はキーボードを叩き続ける。

 パソコンの処理時間も把握しきっているのか。小林は腕時計を見つめつつ、少し震えた。


   *


 岩田が任天堂にしばしば通い、「バルーンファイト」のプログラムを打ち続けて二カ月。とうとうそれが完成する日が来た。

「出来た!」

 岩田はキーボードの手を止め、板ガムを口にした。遠い京都の任天堂本社にも、すっかり馴染みになって油断してしまった岩田だった。その油断をついてか、ガムをくちゃくちゃしていた岩田の横に灰色の髪の男が立っていた。

 にこやかでひょうきんそうな男は、しかし、何も言わず出来たばかりの「バルーンファイト」を起動した。

 岩田は呆気に取られて何も言えず、それから気まずそうにガムをそのまま飲み込んだ。灰色の髪の男は、ゲームをプレイし続ける。全くの世に出ていないゲームなのに、妙に遊び慣れてる感じだなと思いつつ、岩田はそれを見ていた。どこか楽しそうに遊ぶ彼に、はじめてのユーザーがこんなおじさんでも、妙に嬉しくなってしまう。その人のプレイには得点を稼ごうという効率よりも、気持ちよく遊んでやろうという「遊び心」が溢れていた。それでいて、岩田のプログラムを試すような動きも混ざっていた。岩田は嘗てプログラム電卓で高校の時に自分のゲームをはじめて遊んだ想い出、由良との懐かしい青春に似たような感じを受けた。温かい気持ちになった。

 やがて、灰色の髪の男はゲームを止めて、静かに語りかけてきた。

「空中浮遊のプログラム、ちょっとした仕掛けをこらしてるな。良いセンスだ」

 かなり細かな、でも芯となるプログラムの工夫を言い当てられ驚いた岩田に、次からはダメ出しが続いた。

 灰色の男は語り続ける。


「でも、ここはどうかな?」

「ここはこうした方がいいかな?」

「ここはこうして」


 岩田は自分でも気付かなかった、いや大抵のプログラマーやディレクターは見逃すだろう指摘の連続に、「はぁ」と頷くしかなかった。口の中が乾き、でもコーヒーカップは空っぽだった。


   *


 岩田は砂糖一杯のあつあつのコーヒーで一息ついて、男に指摘された部分を変えてみた。すると微妙に、だが、確実にゲームは「より良いもの」になっていた。その遊び心地のささいな違いが十万、二十万の売上の違いになることを知っていた岩田は、ただ嘆息していた。

 それから少し暇を持て余していたOLに、岩田は「こういう人いたんだけど、誰なんです?」と尋ねた。


 女性は目を丸くして。

「知らなかったんですか? あの横井さんですよ」

「横井さんって?」

「横井軍平さん」

「えー?」

「可笑しな人、ほんとに知らなかったの?」

「いや、名前と経歴は流石に知ってますよ。ゲームウォッチの」

「ええ、横井さんがいなかったら、任天堂のゲーム事業部はなかったって人ですよ。今も、あの、岩田さんでしたっけ、岩田さんのこの仕事自体なかったりするかも」

 妙に軽く妙に深刻なことを言う。

「わたしの仕事もスチュワーデスだったかも」

「うーん、あー、横井さん。そうか、そうだよな」

 横井軍平、マジックハンドからはじまりラブテスターなど任天堂初期の遊び心ある玩具を開発し続けた人。ゲームウォッチにより当時赤字企業だった任天堂に巨大な資金をもたらし、ファミコンを開発させた人。それ以上に彼は岩田の密かなあこがれの人だった。週刊誌のインタビューで、電卓で遊んでいるサラリーマンを見てゲームウォッチを閃いたと知った。その電卓とはきっと岩田の高校時代の相棒のプログラム電卓だったのだろう。その彼の狭い遊びから、一大ブームとして広く大衆に伝える遊びへと変えた発明家。

「そっか……」

 岩田は感慨にふける。偉大な人物に会えた喜びと同時に、自分が会えるところまでとうとう来たのだという想いに。


「岩田さん、横井さんがお呼びです」

 岩田はにこやかに、しかし堂々と返事する。

「はい、今、行きます」


 横井は顔のしわを揺らしながら

「ええな」

 岩田はかしこまって

「ありがとうございます。いい仕事が出来ました。これで終わっちゃうのが残念なくらい」

 横井はいよいよしわだらけになり

「ほう、まだ仕事し足りないと。そんなら、もう一つ遊びを付け加えようか。あんたなら出来る気がする」

「良いんですか、納品間近のゲームでしょ」

「はは、キミ、京都に泊まり込む予定はあるかい?」


   *


 こうして「バルーンファイト」というソフトに「バルーントリップ」という遊びが、岩田の懸命な三日のプログラムによって付け加えられた。

 完成したての「バルーントリップ」を岩田がプレイする。

 軽快な音楽と共に、赤い風船を背につけた少年が、ボタンを押すと手をじたばたさせ、空中を上昇する。そしてボタンを離すと落下し始める。左へとひたすら進むコースは下が海中になっていて落ちるとミス。道中に浮かんでいる針山のような障害物にふれると風船が割れてミス。ところどころに浮かんでいる緑の風船にふれると得点が手に入る。大まかな流れはこのような感じだが、その浮遊する感覚、落下する感覚が、プログラムによって絶妙に制御されていて、動かしていてその浮かんでいる感覚が心地よい。と同時にその浮遊の動きをいかにコントロールして風船小僧を動かすかに、ゲームとしての面白さがある。コースはランダムで変わるので、ゲームプレイ一回一回にアドリブが求められ、また緑の風船を欲張るべきか、ここは諦めて安全なコースを通ることにするか、などの駆け引きが生まれる。

 岩田はその三日で作ったにしては妙に奥の深いこのゲームに、横井の天才的なひらめきの凄さと、それに貢献できた自分の仕事への誇りを感じていた。


 岩田のプレイするバルーン少年は、高所から左右に微妙にずれて縦に並んでいる五つの風船を一気に落下して割った。だが、勢いを止めることが出来ずそのまま海へと接近してしまう。岩田は、ボタンを連打し回避を試みる。慣性の伴った落下は、しかしぎりぎり止まり風船は上昇し始める。だがボタン連打がコンマ何秒か制御しきれず、上昇し続けたバルーン少年は針山に衝突して落下してしまう。

 岩田はうつむき、眼鏡とひたいの間に手をやって「悔しい、やってしまった」の意を表する。


「そんじゃ、キミ、わたしがプレイしてみよう」

 横井はプレイし終えると、満足げにほほえむ。

「なかなかやるな、岩田君」

 パッとする岩田に、しかし横井は続ける。

「でも、こことここ直しといてな。そんじゃコーヒー飲んでくるから、出来たらまた呼んで」

 横井の厳しいチェック。岩田を信頼してのものだった。岩田は真面目な顔をして。

「ちょっと待ってください」

「はっ?」

「今、やります、ほんのちょっと待っていただければ」

「いや、待てって。流石に休ませてくれよ、岩田君」

 プログラムの修正はプラグラムを紙に起こして、電話帳みたいに厚い紙の束を調べてからする必要があった。通常なら一時間か数時間かかるものだった。しかし、岩田は全てのプログラムを頭に記憶していた。すらすらと修正プログラムを打ち込む。

「出来ました」

 岩田は笑う。

「きっと良いゲームになりますよ」


  *


 高校三年生がファミコンをピコピコしている。

 ゆったりとリズミカルに右の親指でコントローラーのボタンを押している。

 テレビ画面はバルーントリップ、風船旅行を映している。

 ピコピコピコ。

「あー! ミスった」

 でも、高校生から悔しそうな声が漏れる。それでもコントローラーは手から離さない。

「もう一回! くー、ハマるな! このゲーム! もう受験だってのに! よし次ミスったら、英語やろうな。それにしてもこのゲーム作った奴、なかなかやるなぁ」

 しばらく勉強はおあずけになりそうだ。


  *


 横井のひらめきと岩田のプログラミングで、三日と三分で完成した「バルーントリップ」は、「密かなファミコンの傑作」として今も多くのレトロゲームユーザーから愛されている。

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