戦うプログラマー
昭和五十七年。バンブーアトラスのダービーでのまさかのレコード勝利で沸いた年。ソニーが世界で初めてCDプレイヤーを168000円で発売した時代。
岩田は秋葉原のマンションを掃除していた。灰色になったモップをごしごし動かしながら。それでも床は綺麗な方だった。社員5名、しかしバイトも合わせると10人ほどのデスクは、雑然と書類やら何処かからのフィギュアやらタバコの吸い殻やらお菓子の空袋やらが積もり、見てられないものだった。その狭い机を更にでっかいパソコンが占拠している。そこが岩田が新入社員として入った小さな会社HAL研究所だった。研究所とは名ばかりの、パソコンゲームやパソコンの周辺機器で生計を立てている。HALという言葉には更に力負けしている。映画「猿の惑星」でのスーパーコンピューターHALの名とは遠く、まだアップルのコンピューターも買えず、安価なコンピューターでしのぐ会社だった。
初夏の柔らかな温かさ。陽はもう十分に昇っていた。
もう十時。こういうゲーム会社は大抵みな出社するのが遅い。遅く出社してきて、夜遅く深夜まで働くことが多い。それが不健康ではあるけど、そういう風に生きるのに流れるように人は出来ているのかもしれない。
ようやく出社してきた社長が声をかける。
「やー、岩田君、早くからご苦労さん、お早いお目覚め、ではなくて、今日も完徹かい?」
「はい、新入社員は僕だけですから、なんでもやりますよ」
「おやおや、入社条件に、経営に口を出しても良い、なんてのを要求する大物がそんなことおっしゃるなんてなぁ」
「ははは」
わずか数人の会社での岩田の役割は、掃除夫であり、プログラマーであり、デザイナーであり、スケジュール管理人であり、ゲームの売り込みであり、そして。
「あっ! そうだ!」
岩田は慌てて、電話番号が羅列されたメモを取り出す。
「今日の出前、松楽にします? 天一にします?」
出前の注文も岩田の仕事だった。
「じゃ、俺、天一のラーメンで」
岩田はふくよかなお腹をなでながら
「僕は中華丼にしようかな。中華丼って素敵ですよね。あの少し冷めた温かいアンに、ご飯が馴染んでね。あそこのエビはぷりっぷりで」
「ははは、お腹すかすこと言うな。腹空いて仕事にならんわ。お昼まで休憩な」
そこにバイトの松岡が割って入って来る。
「僕は、カルビ丼で」
社長はひゅうと口笛を吹きそうな顔で。
「バイト君なのに、贅沢なやっちゃな。流石東工大のぼっちゃんは違うわ。まっ、こんなとこそんなエリート大学の子が通う会社じゃないんだけどな」
岩田がわざとらしく頬を膨らませて。
「なっ! 僕のこと忘れてません。僕だって東工大でバイトしてましたよ」
社長が鮮やかに応酬する。
「そんで、更に入社しちまう変わり者だってな」
松岡がくったくなく笑う。
「でも岩田さん、ほんとに楽しそうに仕事するから。僕もここに入っちゃおかな」
社長はもう破顔してしまい。
「せやせや、入ると良い。岩田も松岡もそっくりや。良い兄弟になるぜ」
岩田は何処か素っ気ない。
「うーん」
社長は饒舌になってしまう。
「岩田君の名前は聡。松岡君の名前は聡。読み方は違えど同じ聡って漢字だろ? 良いコンビじゃないか」
岩田はそれから真面目な顔をして、ちょっと困惑して言う。
「うーん、でも松岡はどちらかというと」
松岡はそれを遮り何時もの調子で
「それよりも岩田さん、カルビ丼ね。前みたいに間違えて焼肉丼にしないでね。ここのカルビ丼は絶品でさ」
社長はうーむと疑問に思い。
「なんでや? どこも変わらんだろう」
「それがさ、ウチの近く、韓国大使館があるんすよ。だから近くに本場のキムチとか売っててそこで育って、僕、こっち方面の料理にはうるさいですよ。あそこのカルビ丼はかなり本場のコチュジャンとかタレ使ってますよ。美味い!」
社長はほほぅと頷き。
「そんなら、俺もカルビにしよっかな」
それから付け足すように
「なんならお前らキムチブラザーズって名乗ればいいんじゃない? なんてな」
岩田はマイペースに笑う。
「僕は中華丼でいきます。変わりません」
*
ファミリーコンピューター。
そんなかけ声とともに赤と白のツートーンのゲーム機が登場する。
カラーの画面でコンピューターと麻雀やドンキーコングが出来る。次々と襲ってくる最先端のゲーム達。
そして最後にどでんと記された価格。
14800円。
そんなテレビCMがお茶の間に流れる。沢山の子供は愚か大人たちまでも夢中にさせたファミコンの登場だ。
岩田もまた衝撃を受けた一人だった。
「これは……何十万円もするパソコンよりも
一万五千円のファミコンのほうがゲームをやるうえで圧倒的!」
そして自分の手が震えているのに気付いた。新しい時代が来るのかもしれない。その時、自分がいる場所は。
「こんな凄いものが一万五千円。これは世の中が変わる。そうだ、そうだ、俺はどうしてもこれに関わらなきゃ」
岩田は社長に飛びついた。文字通り、飛びつくようなぎらぎらした目で、熱のこもった声で言う。
「社長! ファミコンですよ! ウチもファミコンで勝負しましょう!」
社長は苦笑いを隠しきれない。
「岩田君、ファミコンは、ファミコンの開発元の任天堂は、厳しい審査で有名だよ! 普通の中小企業じゃ弾かれるくらい。そんでウチはまだ小にも満たない言っちゃ悪いが零細企業だよ!」
「ウチだから勝負になるんですよ!」
岩田の目は荒いだけではなく、自信を帯びたそれだった。岩田は説得を続けた。
*
東京と京都を繋ぐ新幹線「ひかり」。それに乗って岩田は京都までやって来た。買ったばかりの黒いスーツが、一目でお上りさんと思わせるそんな若坊ちゃんみたいな見た目にさせていた。それでも岩田の胸の奥の野心はごうごうと力強く燃えていた。
京都にある任天堂。そこに社長からのなけなしのツテでアポイントを取り、赴くことになっていた。
京都は高いビルなどは景観政策によって厳しく制限されていて、昔ながらの情緒を残していた。それでいて道は網の目のように整然としていた。芸者がいるか等を見る余裕はなかったが、街中にはのどかな京の住民と、賑やかな修学旅行などの学生が行き交っていた。岩田はHAL研の友への土産として、八つ橋、生餅でアンコを包んだものを買い込んだ。高校の修学旅行以来だなと思いつつ、もっと大きな土産も持って帰らなきゃなと思いつつ。途中、腹が減ったので、ラーメン屋に寄った。スープが真っ黒だった。
「京都も可笑しいな。おはぐろ用かな」
と思いつつ。
「いつか美味しい京の懐石とか食べれる日が来るかな? 食べれないだろうな。だけど任天堂さんと上手くお付き合いできれば。もしかしたらそんな機会も」
なんて夢見つつ。
京都のラーメンの真っ黒のスープはちょっとしょっぱかった。
任天堂の本社は巨大な四角いビルだった。
岩田は軽く深呼吸をして、持ち前の度胸でそこに乗り込んだ。
*
HAL研究所。東京の小さなマンションの一部屋。
松岡ははじめてパンダを観るようなワクワクした顔で岩田に尋ねる。
「どうでした? だめでした?」
聞きそこなった社長もそろそろと岩田に詰め寄る。岩田は笑う。
「ダメなのか、いいのかは、これから次第だね」
社長が笑う。
「そうは言ってないように見えるけど」
岩田はどんと胸を叩いて。
「いいって言わせますよ。宿題をいただきました。このゲームソフトのプログラムを書けるかって言われてね。そんなら僕がいるなら〈いい〉って言われたようなもんじゃないですか」
社長がよいしょする。
「よっ! スタープログラマー岩田!」
しかし松岡が我に返ったように
「っていってもウチ、社員バイト合わせて20名くらいでしょ。そんなんで出来るんですか?」
岩田はにぃとする。
「いや、その20名こそが、スタープログラマーもとい、ファミコンのスペシャリストになれるんですよ。僕も含めてね」
岩田はパソコンデスクに座りプログラミングを打ち始める。
キーボードを見ないで打つブラインドタッチ、現代ならば当たり前のテクニックでも、当時出来る者は専門のプログラマー職でも限られていた。その中でも岩田のタイピングは図抜けて早かった。そして力強い。ドドドッドドドドドッドドというまるで効果音のようなドリルが掘るような音が鳴り響いていた。
松岡は感嘆する。
「すごいですね、岩田さんの、タイピング」
社長はちょっと汗吹いて
「あまりにも力強く高速で叩くもんだから、キーボードすぐにダメにしちまうけどな。これで5代目のキーボードや。まさにキーボードクラッシャーだな」
岩田は語る。
「ファミコンを作る時に、コストダウンとコピー商品が容易に作られないように、6502っていうCPUを使ったとのことでした」
松岡はハッとする。
岩田は続ける。
「だけど、その珍しい6502。コピーが作られない代わりに、アーケード、ゲーセンでゲームを作っている会社じゃとても出来ない珍しいCPUになってしまったんです。彼らじゃ技術が違って歯が立たない。任天堂さんも困った困った」
社長は笑う。
岩田は続ける。
「そこで僕のコンピューター歴ですが。ほんとはアップルのコンピューターが欲しかった。みんなが求める人気のトレンドでしたから。でも、安い値段のコモドールのパソコンを選ばざるを得なかった。でも、それが運命。コモドールにも同じ6502のCPUが使われてたんです。技術がそのままファミコンで応用できる。そして」
社長がたまらず続ける。
「そんで岩田とワイが出会った、HAL研究所の始まりの場となったあのデパートのパソコンの集まり。そこもコモドールのパソコンだったなぁ。つまり」
松岡が続ける。
「僕たちは何時の間にかコモドールのパソコンの使い手として、ファミコンのCPUの6502のエキスパートの集まりになってたんですね」
岩田と社長と松岡は、そのわざとらしい言葉のラリーが、わざとらしくもスムーズに繋がったことをふふふと笑う。
そして大声で笑いあった。
*
こうして岩田が作ったプログラムはそのスピードと正確性から任天堂を驚かせた。そのゲームは諸事情があって販売されることは無かったが、HAL研究所への信頼と仕事関係を築くには十分なものだった。
次いで任天堂はHAL研究所に「ピンボール」というゲームのプログラミングを依頼する。もちろんプログムは岩田がすると思われたが、岩田はまだバイトの松岡にメインプラグラマーになることを勧める。そして自分はサブプログラマーとしてそれを補佐すると。
*
小さなHAL研究所はタバコの煙とラジオの音と笑い声で満たされていた。
「チー」
「また鳴いたよ、松岡、せこいなー」
「松岡、大学の方は大丈夫なの?」
松岡はてへへと頭をかく。
「いやいや、大学よりもこっちの方が早いコンピュータがあって、それも二台。夢の環境で捗りますー。修士課程も上手く行きそう」
「へー、そんなもんかー」
岩田が堂々と麻雀パイを掴む。
「じゃこっちはこれでリーチ」
「リーチかー、岩田は岩田で律儀な麻雀するよな」
「へへっ、堅実に行きますからね。あっ? これ大丈夫ですよね? ママよ!」
「ロン!」
そのまま岩田も松岡もオフィスにせんべい布団で泊まり込んだ。
「岩田さん、初仕事ですよ。これが大事な任天堂との。なんで僕がメインなんですか? 岩田さんの方が適任だと思うんですけど」
岩田は横でプログラムの補足を打ち込んでいる。
「いや、松岡はパソコンゲームでもピンボールの実績があるし、それにこういうの松岡の方が向いているんじゃないかなって」
松岡は自信なさげに
「そうですかー」
岩田は気にも留めず
「松岡は俺より才能があるかもね、綺麗なコードを書いてるよ」
「うーん……」
松岡の不安は的中した。納品がまだだったのだが、まだプログラムは完成していなかった。ピンボールゲームとは、現実では斜め下に傾いたピンボール台で落ちてくる金属の球をフリッパーというもので弾いて、ピンやターゲットに当てていくゲーム。それをデジタルで再現する際に、球が落下してものにぶつかって反射する、その動きをリアルに再現するには技術がいる。技術だけではなく、コンピューターの性能もいる。パソコンゲームではそれを再現できた松岡だったが、容量や性能の限られたファミコンではスペックを超えていて如何ともしがたかった。ボールの反射や摩擦、動くフリッパーとの衝突判定……物理現象をリアルタイムで再現するには、ファミコンでは計算速度が足りない。
「出来ません」
松岡はぼそりと呟いた。
隣で鼻歌を口ずさみながらプログラミングしていた岩田の手が止まった。
「松岡……」
「岩田さん、僕には出来ません」
岩田は唇を真一文字にし、松岡を見つめ、その視線を松岡が逸らすと、またパソコン画面を見つめながら口を開いた。
「プログラマーはできない、と言ってはいけない」
松岡ははっとする。
「えっ?」
岩田は続ける。
「プログラマーは水道の蛇口なんだよ。どんな良いアイディアでも、グラフィックでも、シナリオやストーリーでも、水道が出なかったら、ちょろちょろとしか水が出なかったら、もう何も産まれないのと同じなんだよ」
「岩田さん……」
「反対に水道の蛇口が大きく、どんどん水が出れば、色んなエネルギー、色んなアイディアや表現がどんどん湧き出てくるように流れるんだよ」
「……」
「この〈ピンボール〉良いゲームとして流れるかどうかは、僕たち次第なんだ。だから〈できない〉なんて言っちゃいけない」
そう言うと岩田は席を立ち去った。その際に松岡の背中を優しくポンと叩いた。
松岡はまたプログラムを打ち続ける。悩みながら、でも大きな先輩に見守られて、必死に。
*
悩んでいても、今日も今日とて夜更けの麻雀がはじまる。
「ボール、ボール」
「松岡、お前の番だぞ。なんだ、トンズでも探してるんか?」
トンズとは丸の模様が描かれた麻雀パイだ。
「ごめん、ピンボールのゲームなんだけど、ボールの制御が出来なくて」
「麻雀の時は麻雀に専念しろよ」
「じゃあ、これ」
「なんだよトンズ捨てるのか? ってこれロンね!」
「ああ!」
別の先輩が忠告する。
「シンプルに行こうよ。麻雀パイは麻雀パイだよ」
それから先輩は長方形の手元にずらりと並んだ麻雀パイをじゃらじゃらとかき回し、そこから長方形のその一個を取り出し。
「ボールなんかじゃない、四角だってな!」
「えっ? ああ!」
「どうした? 松岡!」
「いや、今のもう一回!」
「シンプルにやれって?」
「その後」
「麻雀パイは麻雀パイだよって」
「そう四角!」
「へっ」
「丸を四角にする! はははっ」
*
ピンボールは小さなヒットを飛ばした。発売元はファミコンだったが、それを制作したHAL研究所という名は、小さくゲーム史に刻まれようとしていた。
徹夜明けの朝、吉野家に岩田と松岡はいた。吉野家は最近朝定食をはじめていて、牛丼と鮭の塩焼のセットが朝から安い値段で食べられたのだ。実はデスクワークと言いつつ、大飯ぐらいのプログラマーにはとても助かるところとなっていた。特に岩田は大食漢だから。
岩田は鮭を豪快に箸で切り分け、もぐもぐと吸い込むように食べる。
「それにしても、なかなか良いアイディアだったよ」
松岡も小さな口で牛丼を頬張る。
「ボールを球、曲がったものとして捉えていたから、物理計算が複雑になりすぎて、使える容量を超えてしまったんです」
「ならば?」
岩田のその楽しそうな相づちに、松岡は何度目かの自信に満ちた解説を続ける。
「ならば、四角にすればいい。ボールを四角の集合体として考えればいいんですね。打撃面は沢山の四角の一個の一部と。そうすることで、ボールの反射などをリアルに、まぁ実際のリアルとは違うんですけど、ゲーム内のリアルに沿った形で再現できる」
岩田は笑う。
「よしよし」
牛丼をもぐもぐし、お茶をすする。
それから岩田は満足そうに笑う。
「このソフト、十万本売れると思うよ。もしかしたら百万本も夢じゃないかも。それはさ、ソフトだけじゃなくて、ファミコンっていうゲーム機の可能性としてね」
「はい、それで、岩田さん」
松岡は意を決して
「うん?」
「僕迷ってるんです。大学院の修士課程の研究と、HAL研の開発、両立は出来ませんよね。どっちにしようかと」
松岡は密かに期待していた。岩田に「一緒にやろう、一緒にHAL研究所でピンボール以上のゲームを作ろう」と言われることを。
「僕はエンジニアなんだと思います。ドクター進学を1年やって、ダメならやめて就職すりゃいいかなって」
そして岩田さんと……、松岡は思う。
しかし岩田は黙っている。少しの、でも二人には長い時間が過ぎた。
岩田はそれからお茶を口にし、口内を整理して、松岡の方を見て。
「松岡、お前は研究者の方が向いてるよ」
「えっ?」
それは大学に残れ、残って研究を続けろ、というそのまま岩田との別離を意味する言葉だった。
「松岡、俺はゲームが好きだ。高校の時はスタートレックなんて海外ドラマのゲーム作って友達と遊んだ。楽しかったなぁ」
松岡は味噌汁をすすった。とっくに冷めていた。
「松岡は同じプログラミングにしても、向いてるのは研究の方だと思うよ。ボールの球の制御という物理的な動きのアプローチ。そういうのに強いのは研究にも活きるはず」
それから岩田はもくもくと牛丼の残りをかきこんだ。松岡も牛丼を胃に詰め込む。
ごちそうさまと会計のわずかな間。岩田はこうつぶやいた。
「俺はゲーム業界できっと成功する」
それから松岡の方を向いて
「それでお前も必ず研究者として成功する」
松岡の眼は潤み、岩田の顔を見ることが出来なかった。
ただ、それぞれ空のどんぶりが残っていた。
*
松岡はHAL研究所から離れ、東京工業大学の博士課程に進学し研究に専念する。
松岡はパソコンを見つめながら。岩田の予言を残り火に、一つの決意をする。
僕はコンピューターゲームから離れたけど、コンピュータからは離れられない。
だからスパコン、スーパーコンピューター、作ってやる。
夢は大きく、コンピューター500000個分。いや、倍で100000個分の性能のスーパーコンピューター!
岩田さん、僕はこっちであなたを追い越しちゃいますからね!
人類が夢見続け未だ到底かなわない途方もない夢、大きすぎるほど大きな夢を、松岡はただ強く決意するのだった。




