【第1章】『ペンと笑顔と、最初の魔法』第1シーン「ミリア、笑う」
「ミリア、笑う」
――冬の風が、割れた窓から吹き込んでくる。
ルシエナ・ヴァルステッドの屋敷は、すでにほとんど空だった。
かつては貴族の栄華を誇った広間も、今では埃と沈黙だけが住みついている。
そんな廃屋に、足音がひとつ。
「……まったく、どうして私がこんなところまで……」
腰にエプロンを巻いた少女――メイドのミリアが、ため息をつきながらドアを押し開けた。
王都で“悪役令嬢の断罪”があったあとも、彼女だけは去りきれなかった。
真面目で、几帳面で、融通が利かない。けれど――情に厚い。
「また食事を抜かれて……倒れたりしたらどうするんですか、まったく」
そう言いながら、ミリアは台所に入る。
冷たい鍋。パン屑ひとつ落ちていない棚。
けれど、壁際の小さな机の上に、見慣れぬ“紙の束”が置かれていた。
「……これは?」
手に取った瞬間、ふわりと炭の香りがした。
黒い線が描かれている。丸いパン、ランプ、そして――小さな子猫。
ページをめくる。
子猫がパンを盗み、叱られるかと思いきや、お姉さんが笑って許す。
その一連の絵の中に、言葉を超えた“温かさ”があった。
「……な、なんですか、これ……可愛い……!」
声が漏れた。
胸の奥がじんと熱くなる。
気づけば、彼女は笑いながら――涙を流していた。
その瞬間、絵の束がかすかに光を帯びる。
淡い金の粒子が、炭筆の線をなぞるように舞った。
「……え?」
驚くミリアの背後から、疲れた声が聞こえた。
「見たのね。……私の漫画を」
ドアの影から、ルシエナが現れる。
乱れた髪、薄い寝間着。けれどその瞳だけは、不思議な強さを宿していた。
「ま、漫画……?」
「私の世界の“物語の描き方”よ。絵で、感情を伝えるの」
ルシエナは照れくさそうに笑う。
ミリアは原稿を抱きしめたまま、涙をぬぐった。
「こんな……優しい物語、初めて見ました。
ルシエナ様、私……手伝わせてください!」
「え?」
「この物語を、もっと多くの人に読ませたいんです!」
その瞳の輝きに、ルシエナは言葉を失った。
これまで、誰にも理解されなかった“描く理由”を、
初めて――他人の心が受け止めてくれた。
ルシエナはゆっくりと微笑む。
> 「……ありがとう。じゃあ、一緒に描きましょうか。
この世界に、笑顔を描く物語を。」
外では風が吹き、夜明けの光が差し込む。
机の上の原稿が、再びかすかに輝いた。
それは、“創作の魔法”が確かに世界に芽生えた瞬間だった。




