第3章 第2シーン「悪役の祈り」
王都の夜は、冷たく静まり返っていた。
昼間の聖堂広場で燃やされた本の灰が、まだ風に舞っている。
ルシエナはその灰を踏みしめながら、裏通りの古びた建物へと入った。
そこは、誰も知らない小さなアトリエ。
窓の外に灯るのは、月だけ。
机の上には羊皮紙と炭筆、そして消えかけた蝋燭が一本。
ルシエナは椅子に腰かけ、深く息をつく。
その手は煤にまみれているのに、指先は確かに震えていた。
描きたい。けれど、怖い。
――それでも、描く。
炭筆の先が紙に触れた瞬間、淡い光が走った。
彼女は静かに呟く。
「……あのとき、誰も私を赦してくれなかった。」
ミリアが息を呑む。
ユリウスも、ライネルも、黙って彼女の言葉を待っていた。
ルシエナは、炎の揺らめく光の中で遠い夜を思い出していた。
“悪役令嬢”と呼ばれ、断罪され、追放された夜――。
何も信じられず、ただ孤独に震えたあの時。
けれど、あの痛みが今の自分を描かせている。
「だから私は――“悪役にだって救いがある”って描きたいの。」
その声には迷いがなかった。
ミリアは目を潤ませながら頷き、ユリウスは静かに筆記を止めた。
そして、ルシエナは新しい羊皮紙を机の中央に広げる。
「新しい物語を描くわ。タイトルは――『光の下で眠る花』。」
炭筆の先が、ゆっくりと線を刻む。
描かれていくのは、罪を犯した花売りの少女。
彼女は処刑前夜に、ただひとつの“光”を信じて泣く。
そしてその涙が花を咲かせ、町を救う――そんな祈りの物語。
ライネルが背もたれに腕を組み、低く言った。
「……そんな物語を書いたら、また敵を作るぞ。
“罪人に救いはない”って教会は騒ぐだろう。」
ルシエナは顔を上げ、真っ直ぐに彼を見た。
炎の光がその瞳に宿る。
「それでも――描かなきゃ、誰も救われない。」
その一言に、部屋の空気が震えた。
ミリアはそっと口元を押さえ、ユリウスは目を細める。
そしてライネルは短く息を吐いて、肩をすくめた。
「……あんた、ほんとに面倒な女だな。」
「ふふっ。面倒な物語ほど、世界を変えるのよ。」
その夜、ルシエナのアトリエには静かな祈りが宿った。
罪を赦し、涙に意味を与える――そんな祈り。
彼女の描く“悪役の救済”が、やがて王国全土を揺るがすことになるとも知らずに。




