【序章】『断罪の日、ペンを取る』【第1シーン】「原稿と最期」
――チカ、チカ、と蛍光灯が瞬いた。
狭いワンルームに夜更けの空気が沈む。
机の上には、擦り切れた原稿用紙の束。
その上で、佐倉灯はペンを握っていた。
ページの端には「パンとランプと子猫」というタイトル。
だけど、物語はまだ始まってもいない。
ネームの途中で止まったコマの中、子猫の輪郭が歪んでいる。
「……また、うまくいかないな」
呟いた声は、夜気に吸い込まれて消えた。
机の隅には冷めたカップ麺。
壁際には、かつての担当から返された原稿。
“面白いけど、読者には響かないと思う”――赤いペンでそう書かれている。
「十連敗、か……。そろそろ現実、見た方がいいのかな」
ぽつりと笑い、灯は鉛筆を転がした。
笑ったつもりなのに、胸の奥は痛かった。
それでも、ペンを取る。
細い線が、原稿の上に滑る。
線は震え、途切れ、それでも――一匹の子猫が、ランプの光に照らされて笑っていた。
「……うん。これでいい。
誰か、たった一人でも……この子を見て笑ってくれたら」
唇がかすかに震えた。
それでも笑っていた。
壁の時計が午前三時を指す。
外では、遠くで新聞配達のバイクの音。
世界は眠り、誰も彼女の描線を知らない。
灯は、ふとペンを置いた。
視界がぼやける。
体の奥から、力が抜けていく。
「……それでも、描くのが、好きだから……」
机の上に突っ伏すようにして、彼女は静かに目を閉じた。
その手には、まだペンが握られている。
その指先が、淡く光った気がした。
――誰かの心を照らす一本の線を、いつか描けたら。
そう願うような心の声とともに、
世界が白く、やさしく光に包まれていった。




