第4話
翌朝。
学校の門をくぐると、俺に向かって、昨日とはまた違う種類の視線が一斉に突き刺さってきた。
嘲笑は消えた。
代わりに向けられるのは、畏怖と、好奇心と、それから……なんだかよく分からない熱っぽい何か。
「来たぞ、如月だ」
「マジであの魔導生物を一撃で?」
「黙ってれば普通にイケメンじゃない?」
廊下を歩くだけで、遠巻きにヒソヒソと噂され、モーゼの十戒みたいに道が開く。
おいおい、俺は伝染病か何かか?
「よお、イオリ! すっかり有名人じゃねーか! 昨日のお前の武勇伝、もう学年中に広まってるぞ!」
隣を歩くユウトが、面白くてたまらないといった様子で俺の肩をバンバン叩く。
こいつだけは昨日から全く態度が変わらない。
ある意味、貴重な存在だ。
「うるせぇ。目立つのはごめんだって言ってるだろ」
俺は眉間に深い皺を刻み込み、足早に教室へ向かう。
望んでもいない注目を集めるのは、やっぱりどうしようもなく面倒くさい。
早く席について、空気になりたい。
だが、そんな俺のささやかな願いは、教室に入るなり打ち砕かれた。
ホームルームが始まる前だというのに、俺の席の隣に、見慣れた銀髪の少女がふんぞり返って座っていたのだ。
腕には風紀委員の腕章がキラリと光っている。
「おはよう、如月イオリ」
エミリア=グラシア。
彼女は俺を一瞥すると、ツンと澄ました顔で言い放つ。
「あなたの昨日の非正規戦闘行為、及び魔導生物に対する過剰な実力行使は、学園の秩序を著しく乱しましたわ! よってこの私が、あなたの行動を徹底的に監視いあしますわ!」
ビシッ! と効果音が付きそうな勢いで宣言するエミリア。
だが、その頬は心なしか赤く、視線も微妙に泳いでいる。
おいおい、監視って体で、ただ俺のそばにいたいだけなんじゃないのか、これ。
「はぁ? 監視? なんでだよ」
「と、当然の職務です! あなたのようなイレギュラーが、再び問題を起こさないとも限らないでしょう! これは風紀委員としての、公的な決定事項です! 異論は一切認めません!」
エミリアは有無を言わせぬ口調でまくし立てると、プイッと横を向いてしまう。
その真剣な横顔は綺麗だが、俺にとっては新たな、そして新たな面倒事の始まりでしかなかった。
勘弁してくれ。
◇
昼休み。
学食でユウトと向かい合ってカレーを食べていると、案の定、ユウトがニヤニヤしながら突っ込んできた。
ちなみにエミリアは、少し離れた席から俺たちを監視(?)している。
分かりやすすぎるだろ。
「お前、マジですげーよな。あの氷の女王、エミリア様が、お前のストーカーだぜ? 昨日倒した魔導生物よりレアな光景じゃね?」
「ストーカーじゃねぇ、監視だっつってるだろ。公務執行中らしいぞ」
俺は心底うんざりした顔で、スプーンでカレーをかき混ぜる。
「はいはい、公務ね。で? 癒しの天使、クレアちゃんとはどうなんだよ? さっきも授業の合間に、なんか心配そうにお前の様子見に来て、保健室に連行しようとしてただろ? お前、マジで無自覚にフラグ立てまくってる自覚、ちょっとは持てよな?」
「フラグってなんだよ。食いもんか?」
俺が本気で首を傾げると、ユウトは「お前って奴は……!」と頭を抱え、盛大にため息をついた。
失礼な奴だ。
◇
昼食後、午後の授業まで中庭のベンチで時間を潰そうとしていると、「イオリくーん!」という、鈴を転がすような明るい声が聞こえた。
声の主はクレア=フェンネルだ。
彼女は可愛らしいバスケットを手に、パタパタと効果音が付きそうな勢いで駆け寄ってくる。
「あの、これ! 昨日のお詫びに、サンドイッチ作ってきたんです! よかったら、一緒に食べませんか?」
バスケットの中には、少しだけ形が不揃いだが、見るからに美味しそうなサンドイッチがぎっしり詰められている。
律儀な奴だな。
「いや、俺はもう昼飯食ったし……」
「えー! そんなこと言わないでくださいよぉ! それに、イオリくんのこと、もっと聞きたくて!」
キラキラした純粋な瞳で詰め寄ってくるクレア。
その距離の近さと、ほんのり香る甘い匂いに、俺は思わず後ずさる。
こいつ、天然でパーソナルスペースって概念がないのか?
結局、クレアの押しに負けた。
サンドイッチ(普通に美味かった)をご馳走になりながら、クレアの他愛ない、ときどき異次元に飛ぶ不思議な話を聞く羽目に。
その間、クレアは「ちょっとだけ、回復魔法の練習しますね!」と言って、手のひらに優しい光を灯し始めた。
だが、やはり俺が近くにいるせいか、光の粒子が微妙に乱れたりする。
「うーん、やっぱり今日も調子悪いなぁ。どうしてでしょう?」
クレアは不思議そうに小首を傾げる。
(十中八九、俺のせいだな……)
内心で確信するが、それを口に出すのは憚られた。
彼女のこの純粋な好意は、正直、少しだけ……ほんの少しだけだが、心地よく感じ始めていたからかもしれない。
◇
翌日。
朝一の授業が始まる直前。
教室がざわついている。
担任のニコル先生が、一人の見慣れない生徒を連れて入ってきたのだ。
「えー、ちゅーもーく! 今日からウチのクラスに新しい仲間が増えまーす。アイゼルくんでーす。みんな、仲良くするように」
ニコル先生に紹介されたのは、鋭い銀色の瞳を持つ、クールでミステリアスな雰囲気の少年だった。
整った顔立ちだが、どこか影がある。
彼は教室全体を冷ややかに一瞥すると、俺の席でピタリと視線を止め、フン、と小さく鼻を鳴らした。
なんだこいつ、感じ悪いな。
「ちなみに、このアイゼルくん、なんと生徒会長直々のご推薦で転入してきたエリートらしいぞー」
ニコル先生が付け加えた言葉に、教室はさらに大きくどよめく。
生徒会長の推薦?
こいつ、一体何者だ?
俺はアイゼルから放たれる、俺自身の力と同質でありながら、どこか歪んで冷たい気配を感じ取り、無意識のうちに警戒レベルを引き上げていた。
◇
休み時間。
俺が一人で窓の外を眺めていると、背後から声がかかった。
アイゼルだ。
「貴様が、如月イオリか」
その声は、温度というものが感じられないほど冷たい。
「魔力ゼロの噂は聞いている」
明確な敵意と侮蔑。
初対面のはずだが、こいつは明らかに俺を敵視している。
「俺に何か用か?」
俺は振り返らずに、淡々と答える。
「用などない。ただ、貴様のようなイレギュラーが、この神聖な学び舎に存在していることが、気に食わんだけだ」
アイゼルはそれだけ言うと、俺の隣に並び、同じように窓の外を見つめ始めた。
言葉はないが、ピリピリとした奇妙な緊張感が、俺たちの間に流れる。
こいつとは、いずれぶつかることになるだろう。
そんな予感がした。
俺とアイゼルの間に流れる不穏な空気を敏感に察知したのか、それとも単にタイミングが良かっただけなのか、エミリアが駆け寄ってきた。
「あなたたち! そこで何をしているの! 転校生を威嚇するなど、風紀委員として見過ごせませんよ、如月イオリ!」
また俺かよ!
アイゼルが先に喧嘩売ってきたんだろうが!
「いや、別に威嚇とかじゃ……」
「問答無用! あなたには罰として、放課後、風紀委員会の業務を手伝ってもらいます! これは決定事項です!」
明らかに口実丸出しだが、エミリアの勢いは凄まじく、俺は反論する気力すら削がれる。
「はぁ……」と深いため息をつくしかない。
周囲の生徒たちは、「またイオリがエミリア様と……」「あれ絶対デートの誘い方じゃん」と、好き勝手なことをヒソヒソ噂している。
その声が聞こえたのか、エミリアの顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。
分かりやすい奴だ。
そして放課後。
俺はエミリアに腕をガッチリと掴まれ、風紀委員会室へと強制連行される途中だった。
「いいですか! 委員会室では私の指示に絶対に従えってもらいますからね! もし少しでもサボったら……」
エミリアがいつもの調子で説教を垂れていると、食堂の前を通りかかったところで、聞き覚えのある声がした。
「あ、イオリくん! ちょうどよかった、これから一緒に帰りませんか?」
そこには、満面の笑みで手を振ってくるクレアの姿があった。
クレアの手には、手作りらしきお菓子が入ったバスケットが握られている。
「抜け駆けは許しませんよ、クレア=フェンネル! 彼はこれから風紀委員会の業務があるのです!」
エミリアがクレアに向かって、敵意むき出しで言い放つ。
完全に私情だろ、それ。
クレアも「えー! でも、イオリくん、疲れてるみたいですし……私が癒してあげないと!」と一歩も引かない。
二人が火花を散らし始めた、その時。
「――如月イオリ」
冷たい声と共に、アイゼルが冷静な表情で二人の間に割って入った。
「生徒会長がお呼びだ。速やかに同行しろ」
エミリアの監視(という名のデート?)、クレアのお菓子攻撃(という名の餌付け?)、そしてアイゼルからの生徒会召喚。
三方向からの視線と要求を受け、俺は心の底から、本気で、こう呟いた。
「あのさ、俺、もう帰って寝たいんだけど。ダメ?」
もちろん、そのささやかな願いが聞き入れられることはなかった。