第2話
「始め!」
教官の号令と共に、エミリアは即座に行動を開始した。
彼女の周囲の空気が急速に冷却され、鋭い氷の槍が数本、瞬時に生成される。
そして、それは寸分の狂いもなく、俺目掛けて高速で飛来してきた。
観客は俺が一瞬で串刺し&氷漬けになる様を想像していただろう。
だが、俺は身体が勝手に動くのに任せ、最小限のステップで全ての氷槍をひらりとかわす。
まるでスローモーション映像でも見ているかのように、攻撃の軌道が手に取るように分かるのだ。
これは魔力による身体強化なんかじゃない。
俺の“力”の一部だ。
「なっ……!?」
俺の動きを見て、エミリアの表情が初めて驚きに染まる。
他の生徒や教官も、予想外の展開に目を丸くしている。
「今の、危なかったなー。もうちょっとで当たるとこだったぜ」
俺は頭を掻きながら、わざとらしく言ってみる。
もちろん、当たる気なんて全くしなかったけど。
エミリアは俺の態度にプライドを刺激されたのか、さらに激しく攻撃を仕掛けてくる。
巨大な氷塊を落としてきたり、地面から氷の棘を生やしてきたり、絶対零度の息吹を吹き付けてきたり。
だが、俺はその全てを、まるでダンスでも踊るかのように、予測し、回避し続ける。
「もっと狙いすまさないと、俺には当たらないって」
俺の(無自覚な)軽口が、エミリアの冷静さを少しずつ奪っていくのが分かる。
顔がどんどん赤くなっていく。
可愛いけど、今はそれどころじゃない。
観客席からは、「なんで当たらないんだ!?」「動きが人間離れしてるぞ!」「どうなってんだ?」と、困惑と疑念の声が大きくなっていく。
だが、ただ一人、ニコル先生だけが、肘をついて面白そうにこの茶番を観戦しているようだ。
「これで……終わりですわ!」
ついにエミリアは距離を取り、切り札を出すことにしたらしい。
彼女の足元に複雑な魔法陣が展開され、周囲の気温が急激に低下していく。
空気が凍てつき、白い息が漏れる。
明らかに高位の、広範囲殲滅魔法だ。
「凍てつきなさい、 絶対凍土!」
エミリアがそう叫び、魔法陣が最大限の輝きを放った、その瞬間――。
プツン。
まるで電球が切れるように、魔法陣の光が不安定に揺らぎ、そして完全に消え失せた。
「え……? う、嘘……不発ですって!? わ、わたくしの魔法が……ありえませんわ!?」
エミリアは自身の魔力制御を疑い、信じられないといった表情で自分の両手を見つめている。
何が起こったのか理解できず、混乱しているようだ。
プライドがズタズタだろうな。
俺は「あれ? 不発? 残念だったな」と首を傾げる。
まあ、本当は俺のせいなんだけど。
俺の無意識の“理不尽フィールド”が、彼女の魔法の発動プロセスに干渉して、強制的に中断させたのだ。
もちろん、そんなこと説明する気はない。
混乱しながらも、エミリアは再度魔力を練り上げ、最後の力を振り絞るように、渾身の氷結弾を俺に向かって放った。
それは回避不能な速度で、俺の胸部に直撃した。
「やったか!?」
誰もがそう思っただろう。
氷結のエネルギーが炸裂し、白い爆煙が立ち込める。
しかし、煙が晴れると、俺は服についた氷の破片を手で払いながら、けろりと立っていた。
魔法の効果である凍結はおろか、物理的な衝撃によるダメージすら、俺には全く効いていない。
「そ、そんな……魔法が……効かない? わたくしの魔法が、このような者に……ありえませんわ」
エミリアはついに膝から崩れ落ち、愕然とした表情で俺を見上げる。
その瞳には、恐怖と、理解不能なものへの畏敬のような色が混じっていた。
観客席は、水を打ったように静まり返っていた。
「嘘だろ……エミリア様の魔法が」
「魔法が効かない人間なんて……」
「あいつ……一体何者なんだ……?」
尊敬と憧れの対象だったはずの魔法が、目の前でいとも簡単に無効化される。
その現実を目の当たりにし、生徒たちの間に動揺と恐怖が広がっていく。
教師たちも同様だった。
「ありえん!」
「魔力耐性が異常に高いというレベルではないぞ!」
「物理法則を無視しているかのようだ!」
彼らは激しく動揺し、互いに顔を見合わせている。
ニコル先生だけは楽しそうに口笛を吹いているようだ。
「し、試合中止! 中止だ! 今すぐ中止しろ!」
教官が蒼白な顔で叫び、模擬戦は強制的に終了させられた。
エミリアはまだ立ち上がれず、呆然と俺を見つめている。
その視線は、もはや単なる敵意や侮蔑ではなく、何か別の、もっと複雑な感情を含んでいるように見えた。
俺は「えー、もう終わり? せっかく面白くなってきたところだったのに、つまんねーの」と不満そうに肩をすくめる。
その態度が、さらに周囲の「こいつ、ヤバい奴だ」という認識を加速させたのは言うまでもない。
◇◇◇
この騒ぎを、少し離れた場所から冷徹な紅い瞳で見つめている人物がいた。
漆黒のポニーテールを揺らす、気高い雰囲気の美少女。生徒会長、リュシア=ファルゼンだ。
彼女の傍らに控える、怜悧な顔立ちの副会長らしき男――ゼファルが、囁くように言う。
「報告通り、いえ、それ以上の異質さですね、如月イオリは」
リュシアは静かに頷く。
「ええ。兄さんが言っていた存在……魔法の絶対的な理を破壊しかねない“世界のバグ”。放置はできませんね」
彼女の視線には、イオリという存在への明確な警戒心と、それだけではない、何か個人的な因縁を感じさせる複雑な感情が宿っていた。
◇◇◇
騒ぎから逃れるように、俺はさっさとグラウンドを後にしようとした。
今日の面倒事はもう十分だ。
早く寮に帰って寝たい。
そんなことを考えながら歩いていたせいか、前方不注意だった。
建物の曲がり角から、誰かが勢いよく飛び出してくるのが見えたが、避ける間もなかった。
ドンッ!
「きゃあっ!」
「うおっ!」
盛大な衝突音。
俺はバランスを崩して尻餅をつき、相手の小柄な少女は、そのまま俺の上に倒れ込んできた。
ふわっ、と柔らかい感触と、甘いミルクティーのような香りが鼻をくすぐる。
見上げると、涙目で慌てふためく、ミルクティーベージュの巻き髪の少女の顔があった。
おっとりとした雰囲気で、その……なんだ、胸がかなり大きい。
「ふえぇ~! ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
少女は、涙目で必死に謝ってくる。
俺は頭を打ち付けた軽い痛みと、この非常に面倒くさい状況に、「最悪だ」と顔をしかめるしかなかった。
なんで俺ばっかりこんな目に遭うんだ。