7 嬉しくない婚約
私が十歳、お兄様が十二歳になった時、お兄様に婚約者ができた。
お相手がお兄様に一目ぼれをして決まった縁談で、お兄様だけじゃなくお父様たちもどこか、乗り気ではなさそうだった。でも、お兄様の年齢だと、婚約者がいてもおかしくないし、相手が公爵家だったということもあり、断る理由が見つからなかったのだと思う。
お兄様の婚約者を初めて見た時は、フラル王国の王女たちを思い出して嫌な気分になった。だって、私のことをはなから見下していて、嫌な態度ばかり取られたから。でも、お兄様の婚約者を悪く言うわけにはいかない。だから、私は思ったことを口には出さず、二人の婚約を祝った。
それから五年が経ったある日のことだ。家族四人で夕食をとっていた時、お兄様が不機嫌そうな顔をして「もう、お兄様って呼ばなくていい」と私に言った。
突然の発言に驚いた私が反応するよりも早く、私の向かい側に座っているお母様が尋ねる。
「いきなりどうしたの。喧嘩でもしたの?」
「違います」
お兄様はお母様から視線をそらして続ける。
「婚約者がいなくなったので、もういいかなと」
「……ああ。そういうことだったのね」
お母様はお兄様の話を聞いて、なぜか悲しげな表情になった。
「婚約者がいなくなったって、どういうこと?」
私は何も聞いていなかったので、驚いて尋ねた。すると、公爵令嬢に他に好きな人ができたから、婚約を解消する話になったのだと教えてくれた。
「そうだったのね。でも、どうして、それがお兄様と呼ばなくていい理由になるの?」
「その、そうだな。ちゃんとした理由があるんだよ」
「どんな理由?」
どこか照れくさそうな様子のお兄様に私が尋ねた時、お父様が会話に割って入る。
「リディアス、言うのが少し遅かったな。悪いが、ミリルに婚約の申し込みがあったんだ」
「「……え?」」
私とお兄様は同時に聞き返した。
こ、婚約? 私が? そんなの聞いてないんですけど!
横に座っているお兄様に目を向けると、私よりもショックを受けたような顔をしていた。私の視線に気づくと、不機嫌そうな表情になって文句を言う。
「どうして教えてくれなかったんですか」
「私も知りませんでした! どういうことですか?」
私も思わず大きな声を出して抗議した。
ビサイズ公爵家というと、ノンクード様のことかしら。そうだったとしたら最悪だわ。
「悪かった。食事が終わってから話そうと思っていたんだ。私としてはリディアスとミリルが上手くいってくれれば良かったんだが……」
「……そうね。そうすれば、ミリルはずっとこの家にいられるもの」
お父様の言葉に、お母様が悲しそうな顔をして頷く。その表情を見た私は不安になって尋ねる。
「あの……、私はこの家にいられなくなるのですか?」
「違うのよ。そういう意味じゃないわ。言い方が悪かったわね。ミリルはいつか誰かのお嫁さんになるでしょう。そうなったら、この家から出ていくの」
「わかります。でも、嫌です。ここにいたいです」
十五歳にもなれば、多くの結婚が恋愛結婚ではなく、親が決めた相手との結婚だということがわかってきた。
それが貴族の当たり前なのでしょう。
頭では理解しているつもりだけど、ノンクード様との結婚はどうしても気が乗らなかった。
ノンクード様は、ビサイズ公爵家の次男で私と同い年で今はクラスメイトでもある。
つい、先日、彼から『君が好きだ』と告白された。挨拶しか交わしたことがなかったので、『私のどこが好きなのですか』と尋ねると、彼が口にした私の好きなところは、ほぼほぼ顔だった。
『人に優しくしている時の顔とか笑った顔とか焦った顔』と言われた時は、馬鹿馬鹿しくなって話すことをやめたくなった。
普通は優しいところが好き、とかじゃない?
それもあってお断りしたのだけど、彼は権力を使って私を婚約者にすることにしたみたいだった。
「すまない、ミリル」
お父様は家族を守るだけではなく、領民も守らなければならない。縁談を断れば公爵家が裏で何をしてくるかわからないもの。そのことを考えれば、私は嫌だなんて言える立場ではない。私は今の家族が大好きだ。迷惑なんてかけたくない。もう、いらない子なんて思われたくないもの。
「こちらこそ、わがままを言ってごめんなさい。婚約の件は承知いたしました」
「ミリル、心配しなくてもいい。ビサイズ公爵も息子が我儘を言っているということは理解していらっしゃる。どうしても嫌なら、婚約の解消を願い出るつもりだ。でも、今すぐ断るというのは無理なんだ」
「わかっています。個人的にお断りしているのに、無理やり婚約しようとしてきた人ですもの。私に夢中になっている間は、婚約の解消は無理でしょう」
冷静に答えると、お父様は苦笑する。
「わかってくれるのは有り難いが、ミリルは聞き分けが良すぎるな」
「どうせ断れないんなら一緒じゃないですか。ミリルは聞き分けが良いんじゃなくて、お父様のことが好きだから、迷惑をかけたくないんですよ」
お兄様は私にとって、一番の理解者だ。口も悪いし、たまに意地悪だけど、いつも私の気持ちを寄り添おうとしてくれる。
お兄様に叱られたお父様は眉尻を下げる。
「そうか。そうだった。私が一番悪いんだ。もっと早くに、リディアスの気持ちに気づいておくべきだった」
「それとこれとは関係ないです」
「お兄様の気持ちってどういうこと?」
聞き返したら、お兄様だけでなくお父様たちも一緒に声を揃えて「気にしなくていい」と言った。
数日後、お兄様がフラル王国の辺境伯家のパーティーに招待されたと聞いた。それをきっかけに、私は元姉と再会することになる。そして、衰退していたレドリー家は滅亡の道を辿っていくことになるのだけど、この時の私はそんなことを予想できるはずもなかった。




