44 元婚約者の失恋 ②
「は?」
「シエッタ殿下は私のことをミーリル殿下だと思っているんですか? それとも違うと思っているんですか?」
「……っ! わたしがあんたなんかにやりこめられるなんて!」
シエッタ殿下は悔しそうな顔をして叫んだ。
私をミーリルだと認めたら、地位的には同じ立場になるため話はできない。認めなかった場合は、私に『国に戻ってこい』とは言えなくなる。
シエッタ殿下の今日の目的は、反省したふりをして私を連れ戻すことだ。そうすれば、自分たちの不幸はなくなり、私とお兄様を引き離すこともできると思っている。私を餌にして、お兄様をフラル王国に呼べるとでも思っているのかもね。
私をミーリルだと認めたとしても、私が否定すれば意味がない。私がミーリルではないことを証明しろと言われた場合、証明する書類を集めたりするのに時間がかかるから、今日この場で私を連れて帰ることはできない。
私を睨みつけたまま、何も答えないシエッタ殿下に話しかける。
「ご家族にお伝え願いたいのですが」
「……何よ!」
「私は何があってもフラル王国に入国することはありません。旅行に行くことも用事で出かけることもありません。それから私がミーリル殿下だった場合、こう言うと思います」
どうせ、私がミーリルだということはバレている。なら、言いたいことを言わせてもらう。
一呼吸置いてから、笑顔で口を開く。
「私は何があっても母国には戻りません。死ぬまで不幸な生活を送り続けてくださいませ」
「なんてことを言うのよ!」
シエッタ殿下が我を忘れて飛び掛かってこようとした時、お兄様が私を庇うように立ってくれた。
「ミリルに近づかないでください」
「……っ! あなただってわかっているのでしょう! 彼女はミーリルなのよ!」
「……あの」
お兄様がシエッタ殿下に答えを返す前に、ノンクード様が間抜けな顔で挙手した。シエッタ殿下がイライラした様子で叫ぶ。
「何よ!」
「あの、さっきから、どうしてミリルのことをミーリルと呼ぶんです?」
「あなたは本当に馬鹿ね!」
我慢しきれなくなったのか、シエッタ殿下は近くに立っていた侍女から扇を受け取ると、ノンクード様の鼻をばしりと叩いた。
その後、さすがのシエッタ殿下も今日は私を連れ戻せないとわかったのか、何も言わずにくるりと踵を返した。叩かれた鼻を押さえて涙目になっているノンクード様を置いて、そのまま去っていくのかと思ったけれど、自分のドレスを踏んでしまい、顔を地面に打ちつけた。
「「だ、大丈夫ですか」」
憎い相手とはいえ、顔面を地面に打ちつけた瞬間を見てしまい、私とお兄様が声をかけると、シエッタ殿下が顔だけこちらに向けて答える。
「大丈夫じゃないに決まっているでしょう!」
叫んだ時に彼女の白い歯が見え、ちょうど真ん中の位置にある上の歯が一本だけ欠けていることに気づき、私とお兄様は思わず顔を見合わせた。
顔面を地面にぶつけたからといって、歯が欠けるものなのかしら。
そう思って地面をよく見てみると、シエッタ殿下が顔をぶつけたあたりに石が転がっていることに気が付いた。広場には背の低い草か草のない地面しかないのに、ただ、一つだけ手のひらサイズの丸い石が転がっている。
どうしてちょうどいい場所に石が転がっているんだろう。
今日のシイちゃんは私のポーチの中にいるので確認しようとすると、ピンク色のポーチが一瞬だけ白に変わった。
どうやら、シイちゃんの仕業みたいね。
「しっかりしてください!」
ノンクード様はシエッタ殿下に駆け寄り、彼女を助け起こそうとしたが、シエッタ殿下は差し出された手を振り払う。
「触らないで! あなたの顔なんて見たくないわ!」
「えっ!」
「計画が狂ったのは全部あなたのせいよ! どうしても付いてきたいというから許したら、好き勝手なことばかりして!」
「で、ですが、僕はシエッタ殿下のために何かしたくて」
「わたしのために何かしたいと言うのなら、目の前から消えて!」
シエッタ殿下はヒステリックに叫ぶと、呆然と立ち尽くしている侍女に命令する。
「何をやっているのよ! はやく立ち上がらせて」
「か、かしこまりました!」
侍女の手を借りて起き上がったシエッタ殿下は、固まっているノンクード様に冷い目を向ける。
「さようなら、ノンクード。あなたはもうフラル王国の王城に……、いえ、フラル王国に入国もさせないわ!」
「そ、そんな! 王城にはママがいるんですよ!」
「そんなにママが好きなら、ママも追い出してあげるから待っていなさいよ」
シエッタ殿下は私たちの存在など忘れてしまっているのか、もしくはそれどころじゃなくなったからか、ノンクード様の顔に指を突き付けて叫んだあと、侍女と共に来た道を戻っていった。
「……そ、そんな……っ、僕はシエッタ殿下のためを思ってっ」
ノンクード様は膝から崩れ落ちると、頭を抱え、嗚咽をあげて泣き始めた。
ノンクード様は母親に似て恋をすると周りが見えなくなるタイプなのね。彼のことははっきり言ってどうでもいいんだけど、このまま声もかけずに帰るのも、何も知らない兵士たちにすれば、冷たい人間に見えるかしら。
悩んでいると、お兄様がノンクード様に話しかける。
「あなたはまだビサイズ公爵家の令息です。馬車を手配しますので、家に帰られてはどうですか」
「で、でも……っ! 僕は自分で父から離れたんです! そんな僕をっ、父が受け入れてくれるかどうかっ」
「ビサイズ公爵は慈悲深い人ですよ。少なくとも、あなたが未成年の間は面倒を見てくれるはずです」
そう言って、お兄様は近くにいた兵士の一人に馬車の手配を頼んだ。
「ぼっ、僕はっ……、本当にっ、シエッタ殿下のためになりたかっただけなのに……っ」
ノンクード様は子供のように大きな声をあげて泣き始め、私たちが彼を兵士に任せて去っていく時になっても泣き止むことはなかった。




