43 元婚約者の失恋 ①
十日後、シエッタ殿下と会う日がやってきた。その日までにお父様たちと話し合い、連れ去られるなんて馬鹿なことにならないように、しっかりと打ち合わせをした。
油断しているわけではないけれど、シイちゃんとお兄様が近くにいてくれるから、絶対にそうなることはないと確信もしている。
今日はとても良い天気で、空には雲一つない青空が広がっている。ピクニック日和だというのに、公園内は一般人立ち入り禁止になっていて、そのかわり、数えきれない程の兵士であふれていた。
「ど、どうしてこんなに兵士がいっぱいいるの⁉」
広場にあるベンチに座ってお兄様と一緒に待っていると、シエッタ殿下の叫ぶ声が聞こえてきた。目を向けると、お兄様に会えると思ったからか、まるでパーティーに来たときのように派手なドレスを着た彼女が、ノンクード様を従えて歩いてくる姿が見えた。
「待たせて悪かったわね」
シエッタ殿下は愛想笑いを浮かべたあと、私に向かって手を伸ばし、周りにいる兵士に聞こえないように小声で言う。
「まさか、生きているなんて思わなかった。会いたかったわ、ミーリル」
私を抱きしめるつもりだとわかった瞬間、ひらりと身をかわして、ベンチの上に置いていた透明なガラスのコップを手に取った。その中には、ゴプッゴプッと音を立てている液体が入っている。それを見たシエッタ殿下は後ろに下がって叫ぶ。
「な、何よそれ、気持ち悪い!」
「再会の記念ということで、シエッタ殿下のために作った美容に良い飲み物です。お兄様に会えなくて夜も眠れないと手紙に書いておられましたので、肌が荒れているかと思って作りました。薬草を使っていますので、ちゃんと薬師から承認を得ています」
「美容に良いようにはまったく見えないんだけど⁉」
シエッタ殿下が答えると同時にコップの中で液体が跳ね『はよ、のめやぁ。のまんならかえるぞぉ』という幻聴が聞こえて来た。
早く飲め、飲まないなら帰るって言っているんだけど、何かガラの悪いものを作ってしまった気がするわ。
その時、後ろで様子を見守っていたノンクード様がシエッタ殿下の前に立ち、私の手からコップを奪い取ったかと思うと、中身を地面に捨てて叫ぶ。
「こんな危ないものを飲ませるわけにはいかない!」
ノンクード様の口からこんな言葉が出るとは驚きだわ。警戒心というものがあったのね。まあ、私も飲まなくても良いとは思っていたけど、捨てたのはまずかったわね。
私はこれ見よがしにため息を吐いてから、シエッタ殿下に話しかける。
「今回、シエッタ殿下からの話を聞くには、条件を一つのんでほしいと手紙に書いていましたわよね」
「そ、そうだけど、何をしろって言うの⁉」
お兄様の前なのに演技をする余裕がなくなったシエッタ殿下は、ヒステリックに叫んだ。
「今の飲み物を飲んでくれれば話を聞くという条件でした。捨てたということは話をする必要はないということですわね」
微笑んで言うと、ノンクード様はシエッタ殿下を見て真っ青な顔になり、シエッタ殿下は凶悪な顔になってノンクード様を睨みつけた。
はじめて私の作った薬を見た人は大体、その見た目に躊躇して飲むことを嫌がる。シエッタ殿下の場合は毒見役に飲ませたあとでも、見た目だけで飲むことを嫌がるだろうと予想していた。相手に話をさせず、こちらが話したいことだけ話して帰る作戦を考えていた。
それをノンクード様が飲むこともできない状態にしてくれたのは、こちらにとっては有り難いことでもあった。
薬草はもったいないことになったと思ったけれど、液体が浸み込んだ地面に生えている草が艶々し始めたので、まったくの無駄にはならなかったみたいで良かった。
「なんてことをしてくれたのよ!」
「で、でも、あんな危ないものをシエッタ殿下に飲ませようとするんですよ! 黙っていられません!」
怒鳴られたノンクード様は泣きそうな顔で訴えた。シエッタ殿下は怒りがおさまらないのか、地面に転がったコップを指さして叫ぶ。
「普通は話を聞いてから行動するものじゃないの⁉ どうするのよ、これ!」
「ミリルはあなたを殺そうとしたのかもしれませんよ!」
ノンクード様は私がミーリルだということを聞かされていないみたい。そうなると余計に得体のしれないものを飲ませようとしたという警戒心が出てもおかしくはない。彼なりにシエッタ殿下を守ったつもりなのね。
「ミリルの出した条件をのむなら話を聞くという約束でした。知らなかったとはいえ、飲まなければならなかったものを拒否したのですから、そちらからの話はないものと受け止めさせていただきます」
お兄様はシエッタ殿下に冷たい口調で言うと、私に目を向けて促す。
「ミリル、伝えておきたいことがあるんだよな」
「うん」
私が頷いた時、シエッタ殿下が訴えてきた。
「ちょっと待って! 大体、辺境伯令嬢が王女に条件をつけるなんて間違っているわ! さっきの液体を飲まなくても、私は他国とはいえ王女で偉いんだから、あなたに話を聞かせる権利はあるはずよ!」
普通の人なら王族が相手だと萎縮してしまうわよね。言いたいことは分かるんだけど、私にはそれが通じない。
「……シエッタ殿下、あなたは先ほど、私のことをミーリルと言いましたよね?」
「……そうよ。だってあなたはミーリルなんでしょう?」
「もし、シエッタ殿下のおっしゃる通り、私がミーリル殿下だとしたら、私も王女だということになります。そうなると、王族という立場は同じです。姉だからといって約束を破ってもいい理由にはなりません」
「あなたは自分がミーリルだと認めるの?」
怒りで口元をひくひくと引きつらせたシエッタ殿下に尋ねられた私は、質問を返す。
「あなたは私がミーリル殿下だと思いますか?」
尋ねると、シエッタ殿下は目を見開いて私を見つめた。




