13 薬草学
「嬢ちゃん。兄貴と喧嘩でもしたのか」
キララと話をした次の日の夕方、鍛錬場の横を通った時に、騎士隊長のシロウズ・エルモンドに話しかけられた。
四十手前のジャルヌ辺境伯家の騎士隊長は外にいることが多いからか、肌が見えている部分は日焼けしているのと汗のせいで黒光りしている。大柄でがっしりとした体躯のため私と並ぶと親と子供といったくらいの違いがある。
茶色のぼさぼさの髪に同じ色の瞳、がさつそうだけど顔は整っているから、一部の女性に人気があり、男性陣には憧れの存在だ。
お兄様は幼い頃から、シロウズに剣の扱い方や乗馬を教えてもらっている。シロウズは平民出身で騎士の称号を与えられたあとは、ずっとジャルヌ家に仕えているらしい。
お兄様の言葉遣いが悪いのは、家族といるよりも、シロウズといるほうが多いからだ。ちなみに、シロウズは私のことをお父様とお母様以外の前では嬢ちゃんと呼んでいる。
子供の頃は気にならなかったけど、十五歳にもなると引っかかりはある。だけど、呼び方を変える気配もないし、愛称だと思うことにしていた。
「喧嘩はしていないわ」
「そうか。なら、どうしてリディアスはあんなに元気がないんだ?」
「……元気がない?」
「ああ。鍛錬中もどこか上の空でな。嬢ちゃん絡みだと思ったんだが違うのか」
心当たりがあるといえばある。この二日間、お兄様との会話を減らしているからだ。
キララにあんなことを言われてしまったら、さすがの私も意識はする。
でも、私たちは兄妹だ。血の繋がりがないのに恋愛感情を持ってしまうと、いつか別れなければならない日が来るかもしれない。
でも、家族なら血の繋がりがなくても、望まない限り縁が切れることはない。私はお兄様とずっと仲良くしていたいのだ。
「わからないわ。私のせいかもしれないけれど、私のためでもあるの」
「珍しいな。兄貴が悲しんでも良いのか」
「そういう意味じゃないわ!」
「なら、どういう意味なんだ?」
「シロウズ、私、強くなりたいの! 今は人に守られてばかり! だから、まずは自分で自分を守れるようになりたいの。お兄様が外に目を向けられようにしたいのよ!」
お兄様には私なんかよりももっと素敵な人と幸せになってほしいもの。
「もしかして、兄貴に頼らないようにと思って避けてるのか?」
避けているつもりはないけれど、お兄様はそう受け止めていると思うので頷く。
「そういうこと。嫌いになったりしたわけではないの。お兄様のことは大好きよ」
「そうか。それなら話し合えと言いたいとこだが、あの過保護っぷりじゃ話し合いにならないだろうな。自分で自分の身を守るのは悪いことじゃない。よし、このオレ様が力を貸してやろう」
「本当に⁉」
「ああ。嬢ちゃんには嬢ちゃんに合う護身の方法を教えてやる。オレからカーク様には話をしておいてやる」
シロウズは、お父様の許可が下りたら、教えてくれる人を明日に連れてくると約束してくれた。
どんな人を連れてきてくれるんだろう。
ドキドキワクワクしながら、私は部屋に戻った。
夕食の時間になり、ダイニングルームに向かうと、お母様とお父様はすでに席に着いていた。遅くなったことを詫びて席に着くと、お父様は苦笑する。
「指定の時間よりも早く来ているのだから、詫びる必要はない。それよりも、食事前に伝えておきたいことと聞いておきたいことがあるんだ」
「何でしょうか」
お父様が真剣な表情をしているので、居住まいを正して見つめる。
「ビサイズ公爵から連絡があって、お前に申し訳ないと言っていた。だから、こちらから婚約破棄をしてほしいとのことだった」
「こちらからで良いんですか?」
「ああ。酷いことをされたのだから、慰謝料の請求もするようにと」
「そうなんですね」
ノンクード様が婚約者じゃなくなるのは、手を叩いて喜びたいくらいに嬉しい。でも、こちらからの婚約破棄なのはどうしてかしら。
こういう時って相手が悪くても爵位が下の人のほうが不利だったりするよね。
そう考えていると、お父様は疑問に答えてくれる。
「いくら向こうの爵位が上でも、悪いことをしたのは向こうだから、こちらからの婚約破棄で良いとのことだ。それに、婚約破棄された令嬢よりも、婚約破棄をした令嬢のほうが、まだ聞こえも良いだろう。書類も交わしたから安心しなさい」
「ありがとうございます、お父様」
嬉しい! ノンクード様は納得していない可能性はあるけど、きっとビサイズ公爵閣下が何とかしてくださるわよね。
「それから、聞きたいことがあるんだが」
「何でしょうか」
「シロウズから、ミリルに薬草学の先生を紹介したいと言われたんだが、何をするつもりなんだ?」
「……薬草学?」
あまり聞き慣れない言葉だったので聞き返すと、お母様が説明してくれる。
「そのままよ。薬草について学ぶの。薬師になる人や植物学者、冒険者になる人は特に勉強する分野だわ」
「教えていただきありがとうございます。私はシロウズに自分で自分の身を守りたいと言っただけで、詳しいことはまだ聞いていないんです」
シロウズは私に薬草学を学ばせて、どうするつもりなのかしら。
「そうか」
お父様は少し考えてから、話題を変える。
「フラル王国のシエッタ殿下が十日間だけ、リディアスのクラスに通うことになった。なぜかわからないが、王家全員でハピパル王国に入国するらしい」
「王家全員で?」
「ああ。家族で集まっていなければ体調が悪くなったり、不幸が起きやすくなるらしい」
意味がわからないし、私はもうあの人たちの顔を見たくない。でも、辺境伯令嬢がどうこうできることでもないわね。
……王家全員で来るなんて、国政のことではよっぽど頼りにされていないのね。
「私はどうすれば良いでしょう。学園を十日間も休むのは不自然ですよね」
「何日かは体調不良と家の用事で休むといい。あとは、シエッタ殿下がミリルに接触しにくいようにリディアスに調整させる」
「ありがとうございます。……あの、お父様。どうして、ハピパル王国の国王陛下はフラル王国の王家の入国を許したんでしょうか」
「駄目な理由もないからな。それに近くにいてくれたほうが、彼らを調べやすいということもある。正式に招待したわけではないから、不慮の事故があってもハピパル王国に責任はない」
お父様の言う通りだわ。
フラル王国の王家は本当に何も考えていないのね。
王城にいれば、暗殺のリスクは低い。不幸なことが起きるというのであれば、他国にくるほうが暗殺のリスクが高くなるのに……。
まあ、いいわ。彼らはまだ私を秘密裏に捜している。
とにかく、私がミーリルだったということを知られないようにしなくちゃ。




