エピローグ
「流石にこの部屋を片付けるにはあと数日は欲しいね」
「ええ、せめて人手が欲しいわね」
シルファは同僚のサイラスと共にメンテナンス部が配置されている地下室を掃除しながら深いため息をついた。
デイモンを拘束したあの日、港町ルビトでの調査を終えたシルファたちは、その日のうちに魔塔へと帰還した。
ルビトはスペンサー伯爵領と隣接しており、デイモンが手を加えた魔導具の多くが流されていたためにメンテナンスの依頼量が他の都市と比べて多かったことが分かった。
デイモンの細工は、彼の好きなタイミングで蓄積した魔力を暴発できるものだった。
シルファが最上階に席を移してから依頼数が急増したのは、単にデイモンの嫌がらせだったのだろう。
一歩間違えれば大事故にも繋がりかねない工作ということで、重い罪に問われることになるだろうとルーカスが教えてくれた。
継母のフレデリカと義妹のフローラも、シルファ誘拐の共犯ということで取り調べを受けた。そして、多額の借金返済も兼ねて、地方に送られ強制労働の刑が言い渡された。
子爵位は国に返上することとなり、屋敷や家財は全て没収。領地や領民は国の管轄下に置かれて運営されることが決まった。
こんな状況でも領地を捨てずに奮闘してくれていた領民のことが気がかりであったが、国から役人が派遣されて再興に向けて動き出している。
「まさか、部長が不正をしていただなんて……未だに信じられないよ」
「本当にね……」
必要な書類や記録を箱に詰めながら、サイラスは瞳を伏せた。
魔導師としてのデイモンを尊敬していたサイラスにはショックが大きかったらしい。
あの一件からすでに季節が一つ進み、もうすぐ春が訪れようという頃合いとなっているが、なかなか折り合いがつけられないようだ。
「それにしてもこの数ヶ月は本当に忙しかったよ……」
「目が回りそうだったわよね」
デイモンの不正については、嘘偽りなく魔塔内に知らされた。
デイモンの罪を暴いたルーカスを称賛する声もあれば、長きに渡りデイモンを泳がせてしまっていたことを追求する声も上がった。
ルーカスは魔塔の最高責任者として、今回の件を重く捉え、魔塔の仕組みを刷新することを提唱した。
実力や適性に応じて配置換えを行い、どの部署も等しく重要で尊重すべき仕事をしていると明言したのだ。魔塔の上層ほど緻密で難解な作業を行う部署が配置されていたが、「上層の部署ほど偉い」という構図を壊すために魔塔内の部署の配置もガラリと変えることになった。関連部署を近くに配置し、横の連携が取りやすいように作業の流れを意識した配置が考えられているところだ。
各部署や研究室はものが散乱してすぐに移動できる状態ではなかったこともあり、次の春に向けて一冬かけて準備が進められた。
通常業務と並行して作業の引き継ぎや部署の引越し準備に追われ、魔塔に所属する魔導師は皆多忙を極めた。さらには春を迎える前に予定されていた開放市は生まれ変わった魔塔のアピールの場となるからと、予定通り開催が決まったのでてんてこ舞いであった。
とりわけルーカスは、元の姿に戻ったことで最上階から積極的に外に出て姿を見せるようになった。彼を取り巻く様々な噂話を一蹴し、生来のカリスマ性を発揮して魔塔を改めて一つにまとめ切った。
冷徹魔導師と名高い魔塔の主が、実は気さくで面倒見のいい美丈夫だということで、今やルーカスに認められることが魔塔で働く魔導師の目標でありモチベーションとなっている。
そしてもう一つ。
ルーカスに関して魔塔の全員が認識を改めることがあった。
「シルファ、君も幸せそうで何よりだよ」
「そうね。素敵な夫と同僚を持って、とても幸せよ」
サイラスの言葉に、シルファは苦笑しながら答えた。
今やルーカスを冷徹魔導師と揶揄する者はいない。
ルーカスは魔塔内で堂々とシルファに愛を囁き、慈しみ、蕩けた笑顔を向ける。
意外なことに、所構わず甘い雰囲気を醸し出す二人を周囲は温かく受け入れた。愛妻家、嫁の尻に敷かれているなど、一気に親しみやすさが増したようだ。
シルファに対する評価も、デイモンの一件を契機に随分と変わった。
デイモンが細工した魔導具はまだまだ市井に広がったままであった。
デイモンの担当した魔導具の記録から該当する魔導具を特定して回収し、回路の修復を行う必要があった。
その作業を一手に担ったのがシルファとサイラスの二人が所属するメンテナンス部だったのだ。
毎日大量に持ち込まれる魔導具の余剰な魔力を的確に吸収し、デイモンの細工を紐解いて正しい回路を刻み直す。どちらも二人にしかできない緻密かつ専門的な作業であったのだ。
これまで最底辺だと馬鹿にされていたメンテナンス部は、すっかり重要な部署の一つとして認められるようになった。
シルファはメンテナンスの仕事に誇りを持っている。それは今も昔も変わらない。
だがやはり、周囲に認められて嬉しくないわけがない。
現に、今回の部署の配置換えでメンテナンス部は地下室ではなく正式に地上階に部屋を用意してもらえることになった。この地下室は、今後は倉庫として使用されることになる。
「片付けは進んでいるか?」
「ルーカス!」
すっかり物寂しくなった地下室を見渡して感傷に浸っていると、重い鉄の扉が開いてルーカスがひょっこり顔を出した。
シルファが駆け寄ると、ルーカスは嬉しそうにシルファを抱きしめた。
この光景も見慣れたものとなっており、サイラスは胸に小さな痛みを残しつつも、やれやれいつものことかと小さく息を吐く。サイラスはずっと、シルファの幸せを願っている。
「もうこんな時間だったのですね。掃除に夢中で時計を見ていませんでした」
「そうだぞ。一分一秒でも早く会いたくて迎えに来てしまった」
いつの間にか定時を過ぎていたようで、帰りが遅いシルファをルーカスが痺れを切らして迎えに来てくれたようだ。
過保護だなあと思いつつも、ルーカスの気持ちは素直に嬉しい。
「じゃあね、サイラス。また明日も頑張りましょう」
「うん、また明日」
サイラスに手を振り、地下室から出たシルファはルーカスにそっと身を寄せた。
「順調そうだな」
「配置換えの予定日には間に合いそうです。ルーカスも今日の仕事は終わりましたか?」
「ああ、後は当日の細かな導線の確認と魔導具の搬入ぐらいだな」
「いよいよですね」
「楽しみだ」
忙しい中、魔塔一同で準備を進めてきた開放市が三日後に迫っている。
シルファも自動インク補充型の羽ペンで出店するため、今から楽しみで仕方がない。
「開放市が無事に終わって、魔塔内の体制も落ち着いたら、ようやく少しゆっくりできそうだ」
「ルーカスがいつ倒れるのかって、気が気じゃありませんでしたよ」
「お互い様だろう」
シルファの言葉にルーカスは笑うが、決して冗談で言っているわけではない。
毎日定時過ぎまでメンテナンスの作業を行い、それから開放市の準備をする日々が三ヶ月ほど続いた。毎晩フラフラになり突っ伏すようにベッドに倒れ込んで泥のように眠った。
ルーカスはそんなシルファよりもさらに遅くにベッドに入り、シルファが起きるよりも早くに仕事を始めていた。
本人はやりがいがあって毎日楽しくて仕方がないと言うのだが、側で見ているシルファはずっとヤキモキさせられていた。
魔塔の最上階に向かう昇降機を待ちながら、ルーカスを見上げる。
すっかり大きくなったという表現も適切ではないのだが、元の姿に戻ったルーカスは想像していたよりも逞しくてずっとずっとかっこいい。
子供の姿であれ、ルーカスには違いないので、彼を愛する気持ちに偽りはなかったのだが、元の姿に戻ってすぐは、側に来られたり触れられたりすると心臓が飛び出そうになって慣れるのに時間がかかってしまった。
元の姿に戻ってからというものの、ルーカスはこれまで我慢していた分、事あるごとにシルファに愛を囁いてくる。それが嬉しくて、くすぐったくて、恥ずかしくて、シルファは幸せで仕方がない。
「ルビトではデートどころじゃなかったからな。落ち着いたら、二人でゆっくりと出かけよう」
いつか一人で街を歩いていたときに願ったこと。
元の姿に戻ったルーカスと並んで外を歩きたい。
ようやくその願いが叶うのだと、シルファは胸が熱くなる。
「はい! そのためにも、まずは開放市を成功させましょう」
「ああ、そうだな」
「たくさんの人が来てくれるといいですね」
ギュッとルーカスの大きな手を握ると、優しく握り返される。
穏やかな黄金色の目に見つめられ、シルファは笑みを深めた。
「一人でも多く、シルファの魔導具を手にして欲しいな」
「ふふ、誰か一人にでもいいので、いいなと思ってもらえると素敵ですね。私のように、運命的な出会いがあるかもしれませんし」
少しおどけて言ってみせると、ルーカスは僅かに唇を尖らせて頬を掻いた。これは彼が照れた時によく見せる仕草だ。
その時、チン、と昇降機が到着を知らせるベルが鳴った。
二人は並んで昇降機に乗り込んだ。
肩に重力が掛かる不思議な感覚には未だに慣れない。
そっと寄り添うと、ルーカスは優しく肩を抱いてくれた。肩を包む手が大きい。
「シルファ、笑わずに聞いてくれ。あの日、俺の未来を明るく照らしてくれたのは、シルファの笑顔だった。君が魔塔にやってきた時、俺を救ってくれたように、俺も君を救いたいと思った。夫婦という形で君を守ろうと考えたが、気がつけば心から愛おしいと思う存在になっていた」
「ルーカス……私も、あの日からずっとあなたに救われてきました。少しでも私の存在があなたの安らぎになるのなら、それ以上に嬉しいことはありません」
グッと肩を抱く手に力が入った。
「シルファ、愛している。これからも俺と共にいてくれるか?」
「はい、もちろんです。私も愛しています」
愛おしげに互いを見つめ合う二人を乗せて、昇降機は魔塔の最上階に向けてグングン上昇していく。
互いの未来を照らし、これからも二人は手を取り歩いていく。
<おしまい>
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