第3話
その日の夜、予定通り全ての魔導具のメンテナンスを終えたシルファは、一人部屋に残って業務日誌を記していた。週替わりで担当している作業であり、今週はシルファの担当だ。
サイラスは綺麗にデスクを片付けた後、しっかりと定時で帰宅した。
シルファの住居は魔塔に併設されている職員寮だ。王都の外れに聳え立つ魔塔には、王国中から魔導師が集まっている。領地の遠いものは住み込みで働き、近くに住むものは通いで仕事をしている。転移魔法が使えるものは例外であるが、上級魔法であるためその使用者は限られている。
今日持ち込まれた魔導具の状態から作業内容まで事細かに記していきながら、ここまで細かくまとめる余裕があるのも依頼数が少ないからよねと苦笑する。
魔導具の寿命は五年から、長くて十年と言われている。ただし、それも魔力の滞りを解消し、綻びた回路を修復してやればもっと長く使うことができる。
今日持ち込まれた魔導具はどれも年季が入っていたが、持ち主に大事に使われているであろうことがよく分かった。
シルファは魔導具を通して、持ち主の生活に想いを馳せるのが好きだ。
自分が作業した魔導具は我が子同然であり、これからも持ち主のために頑張ってねという気持ちを込めて送り出す。誰かの生活に深く関わることができる、とてもやりがいのある仕事だ。
「よし。あとは戸締りをしっかりして……」
書き終えた日誌を閉じて所定の位置に戻し、ぐるりと室内を見渡す。
二人しかいないし作業自体もあまり物を多く使うものではないため、この部屋は比較的片付いている。今朝訪れた製品開発部の散らかりぶりを思い出し、きっと明日も片づけに呼ばれるだろうとため息が漏れる。
魔導ストーブを消すと、途端に室内は冷え込んでいき、シルファはブルリと身震いをした。
もうすぐ雪解けの季節になるとはいえ、地下は冷える。
さて、早く帰ろうと、カバンを肩にかけて立ち上がったタイミングで、重い鉄の扉がギィッと音を立ててゆっくりと開いた。
「サイラス? 何か忘れ物でも……」
「やあ、シルファくん。もう帰るところかな? 今日もお疲れ様」
「スペンサー部長……お疲れ様です」
するりと重い扉の隙間から室内に入ってきたのは、上司のデイモンだった。
シルファは無意識のうちにショルダーストラップを両手でギュッと握りしめた。
デイモンはにこやかな笑顔を携えたまま、後ろ手で鉄の扉を閉めた。
バタンと重たい音がして、扉に押し出された空気がシルファの足を撫で付ける。
(ここで二人きりというのはまずいわね……)
最悪なことに、出口はサイモンの後ろの鉄の扉のみ。万一災害が起こった際に脱出するための非常口ぐらいは作るべきだろう。管理部門に進言しなくては、とどこか冷静な自分が考える。
「職員寮に帰るのかい? よかったらこのあと食事でもどうだい?」
「いえ、昨日の残りが部屋にありますので」
「狭い部屋で一人寂しく食べるよりも、僕と共に来た方がきっと心もお腹も満たされる。ほら、遠慮しないで。君と僕の仲じゃないか。控えめなのは君の美点でもあるが、たまには甘えてほしいなあ」
一体どんな仲だというのか。
デイモンとシルファはただの上司と部下であり、それは今も昔も、この先もずっと変わることのない関係だ。
シルファに確かに後ろ盾となる存在を失った。だが、だからといって貴族の男性に囲われて尊厳までも失いたくはない。
デイモンは優しく手を差し伸べながら、ジリジリとシルファの方へと歩みを進めてくる。
シルファは少しずつ後退りをしているが、すぐにガタン、とデスクに腰がぶつかった。
「君に焦らされるのももう飽きてしまったよ。さあ、僕と一緒にうちに帰ろう」
「わ、私の家は職員寮です」
頑なに拒絶の意思を示すシルファに、とうとうデイモンに苛立ちの色が浮かぶ。
「だからもう焦らしプレイは終わりだと言ったろう? ほら、来なさい」
「いやっ!」
デイモンはスウッと目を細め、口元から人の良い笑みを消した。
追い詰められたシルファは、我が身を守るようにギュッとカバンを胸に抱きしめた。
どうにか隙を突いて扉に向かわなくては。
体当たりをする? あるいは、何か物を投げて――
冷たい汗が背中を伝い、デイモンの手がシルファの手首を掴みかけたまさにその時。
「うっ」
「きゃっ」
目の前でパアッと眩い光が弾けた。
シルファとデイモンの間に割り入るように光を放ったそれは、やがて光を収束させて宙にふわふわと漂った。
あまりの眩さに咄嗟に閉じていた目を恐る恐る開き、それを視認する。
「手紙?」
宙を漂う手紙は夜空のような濃紺の封筒に、金の装飾が高級感を滲ませている。
「な……その蝋印は……!」
両手で目を覆っていたデイモンもようやく手紙を認めたようで、凝らすように細められた目が、一転して大きく見開かれた。
(蝋印……? スペンサー部長の様子からして、どこかの上位貴族のものかしら)
手紙をまじまじと観察すると、星をモチーフにした蝋印で閉じられていた。どこかで見たような気もするが、誰のものだろうか。
得体の知れない手紙をどうするべきか逡巡していると、手紙がくるくると回転して、宛名を示すようにシルファの目の前で漂った。
「私宛……?」
手紙の送り主が誰なのか悟ったらしいデイモンは顔を青くしながら固唾を飲んで様子を見守っている。
とにかく、これがどういったものかは分からないが、シルファの窮地を救ってくれたことには違いない。
手紙に『掴め』と言われているような気さえする。
シルファは覚悟を決めてその手紙に手を伸ばした。
そして、手紙の端を掴んだ瞬間、視界がぐるんと回転し、気がつけば見知らぬ部屋にいた。