第2話
「準備はできたな?」
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
結局、急ピッチで業務を片付けて荷造りを済ませ、その日のうちに港町ルビトへ向かうことになったのだが、いざ長距離の転移となるとどうしても腰が引けてしまう。
(二回転移魔法を経験しているけど……距離が遠い分浮遊感というか、あの奇妙な感覚の体感時間も長いってことよね)
数日分の着替えが入ったボストンバッグを抱えながら、シルファはスーハーと何度も深呼吸を繰り返している。
そんなシルファを見てルーカスは可笑しそうに肩を揺らしているのだが、どうしてそんなに余裕でいられるのか甚だ疑問である。いや、恐らくルーカスは何度も転移魔法を使っていて慣れているのだろう。魔法初心者のシルファの気持ちも考えて欲しい。
「大丈夫ですよ。距離がどれほど遠くても、転移魔法の体感時間は変わりません。一瞬空間に引き込まれるような浮遊感を覚えたらあっという間に目的地に到着しています。それに、魔法を発動するのはこの国で一番の魔導師です。安心してください」
シルファ同様ルーカスに同行するエリオットが安心させるように説明してくれた。
「ほ、本当に……?」
半信半疑の視線をルーカスに向けると、彼はニッと歯を見せて笑ってシルファに手を差し出した。
「ああ、俺を信じろ。不安なら手を握っているといい」
こちらに向けられたのはシルファよりも一回り小さな手。けれど、それはとても大きくて頼り甲斐があるように見えた。
「し、信じます」
シルファは恐る恐るルーカスに手を重ねた。指先が触れた途端にギュッと力強く握られて、思わず心臓が跳ねた。
「大丈夫だ。絶対に離さない。転移魔法を発動するぞ」
ルーカスは空いた手を床に翳した。すると、三人の足元に魔法陣が浮かび上がり、カッと強い光を放った。
思わずギュッと目を閉じ、繋いだ手に力を込める。シルファに応えるようにルーカスも握り返してきてくれて、彼がそこにいるのだと、存在を強く感じて安心する。
そして魔法陣に引き込まれるような感覚と、一瞬の浮遊感に襲われ、次に目を開いた時には景色が変わっていた。
「着いたぞ」
ルーカスの声を合図に、止めていた息を吐き出す。それから胸いっぱいに空気を吸い込むと、微かに磯の香りがした。
ゆっくり目を瞬きながら周囲を見渡すと、見知らぬ部屋の中にいた。
「ここは町役場の一室だ。事前に訪問することは伝えてあるから安心しろ。今日はもう夜だから、並びにある宿に向かおう」
どうやらこの場所は魔導具を管理する部屋のようだ。新しく仕入れられた魔導具や、不具合の調査依頼に持ち込まれた魔導具が棚に並べられている。
ルーカスは何度かここに訪れたことがあるようで、迷うことなく役場の廊下を進んで外に出た。初訪問となるシルファはキョロキョロと辺りを見回しながら、エリオットと共にルーカスの後に続く。
「宿もすでにエリオットが宿泊の手配をしている。二室しか空きがなかったのでな。エリオットが一室、俺とシルファで一室だ」
「えっ!?」
想定外の部屋割りに、思わずシルファは素っ頓狂な声を上げてしまい、慌てて口を噤んだ。
対するルーカスはキョトンと目を瞬いている。
「どうした? 俺たちは夫婦なのだから同室なのは当然だろう」
「そ、そうですね……?」
確かに普段から寝所を共にしているし、何らおかしいことではない、のかもしれない。
てっきり人数分の部屋が用意されていると思っていたシルファは、内心ドギマギしながら宿への道を歩く。
せめて、シルファに一人部屋を譲ってくれてもいいのではないかと思ってしまう。
「シルファが隣にいないと寝た心地がしない。俺の安眠のためにも同室で頼む」
「うぐ……わ、分かりました」
どうにか気持ちを落ち着けて冷静になろうとしていたのに、いい笑顔でそんなことを言われたシルファの心は乱れに乱れることになった。
本当に、天然タラシの夫を持つと心臓がいくつあっても足りない。
宿泊先は町役場から程近い場所にあったため、頬の火照りが冷めぬうちに到着した。
宿はこぢんまりとしつつも風情のある木造の建物だった。一階は酒場になっているようで、海の男たちがわいわいと酒を飲み交わしている。
用意されたのは二階の角部屋で、窓を開ければ月明かりに照らされた海が望める素晴らしい部屋だ。
「すごい……! 私、海って初めて見ました」
「そうなのか」
ティアード王国は広大な領土を誇っているが、内陸の都市を中心に繁栄しているため、シルファのように海を知らない者も少なくはない。海に行くには王都から最低でも三日はかかる。
夜の海をキラキラした目で見つめるシルファに、ルーカスは優しい笑みを向ける。
「シルファが知らない景色が、この国にはまだまだたくさんありそうだな。俺が元の姿に戻って、魔塔の出入りが自由になったら……新婚旅行を兼ねて王国中を旅するのも悪くないな」




