第1話
季節は巡り、木の葉が茜色に色付く季節となってきた。
シルファとルーカスが契約結婚をしたのが春を迎える前のことなので、すでに半年近くの月日が流れていた。
「最近、メンテナンスの依頼が落ち着いてきましたね」
メンテナンス対象の魔導具を運びながらエリオットが呟いた一言に、確かに、と振り返る。
新規の魔導具開発に注力できるのも、手が空く時間ができたからだ。
少し前までは毎日二十件近くの依頼をこなしていたが、今は一日あたりの対応件数は十件にも満たない。シルファが地下にいた頃の水準に落ち着いてきている。
「まあ、季節がら保冷庫や冷風機といった依頼が多かったからな。暑さが和らいで魔導具の利用頻度も減っているのだろう。本格的な冬を迎えたら、魔導ストーブといった防寒具の依頼が増えるだろう。今は閑散期といったところか」
ペンを走らせていた書類をパサリとデスクに投げると、ルーカスはデスクチェアから飛び降りてシルファの元へと近づいてきた。
「来年の春を迎える前に、開放市が開かれる。どうだ、シルファ。例の羽ペンで出店してみないか?」
「えっ、私がですか!?」
魔塔の開放市は二年に一度、冬の終わりに催される。シルファが魔導ランプと出会った場でもあり、市場に出ない突飛な魔導具に出会えるため、毎回欠かさず訪れている。
魔塔の職員となってからは、主に雑務要因として裏方に徹していたが、まさか自分が出店する機会を得られるなんて思いもしなかった。
「開放市を実施する頃には特許も降りているだろう。春には実用化をして製品として売り出したい。その前に顧客の生の意見を聞くことができるいい機会だ。エリオットと、もちろん俺もフォローする。どうだ?」
窺うように顔を覗き込まれ、慌てて何度も頷いた。
「や、やりたいです! 嬉しい……私、頑張ります!」
頬を上気させて食い気味に答えたシルファに、ルーカスは一瞬驚いた様子で目を瞬いてから快活な笑い声を上げた。
「ははっ! いい心意気だ。エリオット、出店申請をしておいてくれ。手軽な魔道具だから多くの客の手に渡るように数を揃えておかねばならんな。開放市まではまだ時間があるが、少しずつ作り溜めをしていこう」
「はいっ! よろしくお願いします!」
実際に回路を刻むのはルーカスになるのだが、土台となる羽ペンを用意したり、回路を刻んだ後の魔力の揺らぎを吸い取って整えたりと、シルファにもできることはたくさんある。それはここ数ヶ月、魔塔の最上階で仕事をしてきた成果として、確かにシルファの中に根付いている。
意気込むシルファの頭を優しく撫でてから、ルーカスは「ちょうどいい、休憩を取ろう」とソファに腰を下ろした。
即座にエリオットがキッチンに消えていったので、お茶と茶菓子の用意に向かったのだろう。手伝おうかと思ったが、ルーカスに手招きされたので彼の隣に座った。
「実はな、近々視察で港町のルビトに行こうと考えている」
「えっ!? 魔塔を離れて大丈夫なのですか?」
予期せぬ話を切り出され、思わずシルファは目を見開いた。
魔塔の最高責任者として、この場を離れてもいいのかという心配ももちろんだが、ルーカスがもう何年も魔塔を出ていないのは、彼が退行魔法により子供の姿になってしまっていることによる。魔塔の主が子供の姿から戻れない現状を、知られてはならないのだ。
そんなルーカスが王都から離れた港町とはいえ、外を出歩くなんて危険ではないだろうか。
「シルファの心配はよく分かる。だが、こればかりは自分の目で確かめたいのだ。魔法省の許可を取るのに時間がかかったが……なに、対策はもちろん考えている」
そう言ってルーカスが胸ポケットから取り出したのは、色付きガラスの丸眼鏡だった。
ルーカスが眼鏡をつけると、透け感のある黒いレンズが彼の黄金色の瞳の輝きを抑えて見えた。それだけでなく、なんだか別の誰かがいるような奇妙な感覚に襲われる。
「どうだ? この眼鏡には認識阻害の魔法を組み込んである。悪意あるものに悪用される可能性があるから実用化はできんが、今の俺にはうってつけの魔導具だろう?」
「すごい……! ルーカスだって分かっていても頭の中の認識が微妙にズレているような、変な感じがします」
目を輝かせるシルファを前に、ルーカスは得意げに鼻の穴を膨らませた。
「そうだろう。これがあれば少しの間ならば外に出ても問題あるまい。流石に王都は魔塔勤務者が多くて出歩けんが、港町であれば俺を知る者も少ないだろう」
ルーカスの言う港町ルビトは、王都から馬車で五日ほど離れた場所にある。漁業が盛んで、レトロな町並みと海が美しい景観に優れた町である。
「それで、どうしてルビトに視察へ行くのですか?」
「ああ、これを見てくれ」
ルーカスが取り出した分厚い紙の束を受け取る。表紙には調査報告書と書かれている。
パラパラと紙を捲って内容を確認すると、どうやらメンテナンス依頼や魔導具の利用状況についての調査結果がまとめられているようだ。
「メンテナンス依頼件数が増えた時に気になってエリオットに調べさせた。地域別でメンテナンスの依頼数を算出したところ、ルビトがここ数年で魔導具の不具合が急増していることが分かった」
トン、とルーカスが指差したページに視線を落とす。
地域別にメンテナンスの依頼件数がグラフ化されており、ルビトだけがグラフが突き抜けている。確かに、これは明らかにおかしい。
「メンテナンス依頼が落ち着いている今のうちに、ルビトの実態を探りたい。シルファ、君も着いてきてくれないか?」
「え……私もご一緒していいのですか?」
ポカンと惚けるシルファをおかしそうに笑いながらルーカスが見つめる。
「当たり前だ。君は俺の妻だろう」
「――っ!」
そうだ。シルファは今、ルーカスの妻なのだ。
胸に熱いものが込み上げ、息をひとつ吐いてからシルファは満面の笑みを浮かべた。
「はい、私も連れていってください」
「よし、せっかくだから港町で視察と評してデートでもするか」
「デッ……!?」
「ああ、あと最低でも一泊はする」
「泊まり!?」
「お茶の用意ができましたよ」
ルーカスに爆弾を投下されて固まっているシルファの前に、カタン、とティーカップが置かれた。小ぶりな花が描かれた可愛いカップは、シルファ専用のものとしてすっかり定着している。
「ちなみに私も同行します。ルーカス様、デートは仕事を片付けてからですからね」
「分かっている。シルファとのデートのために、さっさと片を付けてやる」
動機が随分と不純なように聞こえるが、ルーカスはやる気十分のようだ。
「あ、出発はいつになりますか? 五日間の馬車旅ですよね。着替えの用意をしなくっちゃ」
腕組みをして顎に指を触れさせつつ、シルファは脳内のトランクにあれやこれやと必要な持ち物を詰め込んでいく。
「ん? 馬車は乗らんぞ。俺の転移魔法で行く。出発は……そうだな、準備ができれば今夜にでも。今日の仕事を片付けて、荷造りが済んだら出発しよう」
「転移魔法!? 今夜!?」
目を剥くシルファをルーカスは楽しそうに見つめている。ここまでくると、シルファを驚かせるために色々と準備を整えているのではと疑いたくなる。
「て、転移魔法って……上位魔法ですからね。近い距離の移動ならともかく、馬車で五日の距離の転移は流石のルーカスでも難しいのでは?」
「ふん、俺を誰だと思っている。主要な都市はおおかたマーキング済みでな。その印を辿ればどれだけ離れ場所でも転移は容易い」
簡単に言うが、きっとそんなことができるのはこの大陸中探してもルーカスだけではないだろうか。
ルーカスという存在の規格外さを再認識しつつ、シルファは業務の合間に慌てて荷造りをすることになったのだった。




