第6話
しっかりと湯を張り入浴を済ませたシルファは、寝衣に身を包みベッドの端にちょこんと腰掛けている。
寝室にはシルファ一人。執務室に続く扉の下から、わずかに光が漏れている。
(まだ仕事中なのかしら)
昨日も気絶するように眠ったと言っていたし、流石に今日はゆっくりとベッドで寝てほしい。
これだけ広いベッドなのだ。端と端で眠れば互いに干渉し合うことなく眠れるだろう。
一応は夫婦なわけなのだから、同衾をするのもおかしなことではない。
シルファは覚悟を決めて執務室に足を踏み入れた。
やはり思った通り、まだルーカスはデスクに齧り付いていた。
「あの、そろそろお休みになったほうがよろしいかと」
「む、もうこんな時間か……もう少し……」
ルーカスはチラリと時計を見て、再びデスクに広げた無数の設計図に視線を落としてしまった。
シルファは、はあ、と息を吐いてからデスクの対面に回り込んで腰を落とした。デスクに両手を添え、覗き込むように見上げる。強引にルーカスの視界に入ろうという算段だ。
「ルーカス様」
諌めるように名を呼ぶと、ルーカスはものすごい速さで走らせていたペンをポロリと落として顔を上げた。
「ルーカス様?」
黄金色の目を大きく見開き、硬直している。どうしたのだろう。
「ようやく名を呼んでくれたな」
「あっ……」
頭の中ではすでに名前で呼んでいたのだが、確かに本人を前に言ったのは初めてだ。
特に意識していたわけではないのだが、こう、指摘されてしまうとどうも面映い。
様子を窺うように見上げていると、ルーカスは花が綻ぶような笑顔を見せた。
思わず息を呑んでいる間に、ルーカスはグッと伸びをして椅子から飛び降り、デスクを回り込んできた。
「さて、これ以上根を詰めて愛しい妻に心配をかけるわけにはいかんな。今日はここまでにしよう」
ルーカスはそんなことを言いながら、シルファに手を差し出した。
サラッと聞き捨てならない言葉が聞こえたが、無意識なのかどうなのか。ルーカスはとにかく楽しそうに微笑んでいる。
シルファはパクパクと口を開けたり閉めたりしながら、おずおずとルーカスの手を取り立ち上がる。
相手は子供だ。見た目だけは。
そう、見た目は子供。けれど、その物腰や雰囲気、そしてシルファを見つめる和やかな瞳が、彼が成人男性であると疑わせない。
つまり、子供の姿であれ、愛しいだなんて言われて平静でいられるわけがないのだ。
ただの常套句だとしても、その言葉にはそれだけの破壊力があった。
「そ、そうですよ。私たちは形だけでも一応は夫婦なのですから、妻に心配をかけすぎないでくださいね」
強がってそう言ってはみせるが、「そうだな」と微笑みを返されて撃沈してしまう。
二人で寝室に入り、ルーカスはシルファをベッドの端に座らせた。
「えっと、私はこっちの端で寝るので、ルーカス様はあちら側をどうぞ」
「承知した。俺は軽くシャワーを浴びてから寝るから、先に休んでいろ」
そう言って、ルーカスはシルファの頭をやんわりと撫で、浴室へと向かってしまった。
シルファはその姿を見送り、火照った頬を押さえながらベッドに潜り込んだ。
ベッドの端ギリギリに横たわりながら視線を上げると、魔導ランプが目に入る。
グッと手を伸ばすと届く距離にあるそれを、愛しむように撫でた。
今日は心地よい疲労感に包まれている。オルゴールの音色がなくとも、眠りにつけそうだ。
そう思いながらまどろんでいると、遠くでシャワーの水音が聞こえてきた。
規則正しい音が心地よく、うとうとと瞼が落ちてきて、まもなく意識を手放した。