裁判
1. ブラジャーとショーツとコンドーム
夫の死から約半年が過ぎた。
二つの不倫が発覚して奔走していたのは、春から夏に向かってどんどん暑くなる時期だった。そして気が付くと、秋から冬に向かってどんどん寒くなる季節になっていた。
やっと半年が経ったのだと思った。色々な事があり過ぎて、毎日が長く感じられた。 早く十年くらい経ってくれたら少しは楽になれるのにと思った。
夫の姿だけがポツリと居なくなったような、相変わらずの家の雰囲気に嫌気が差して、模様替えをする為に家具屋に行った。
久しぶりにその店内に入ってハッとした。昔、夫とよく来ていたのだ。
特に家を新築した時には、まだ赤ん坊だった息子を連れて毎週のように訪れ、ベッドや食器棚や雑貨などを購入したり、隣接するイタリアンレストランで食事もした。
その頃は、念願の子供が出来て、家も新築し、夢のように幸せだった。
その頃の情景が次々と頭に浮かんだが、なんとか涙を堪えながら店内を歩いた。
だが、結局、何も買うことが出来ずに店を出た。車に乗り込むと涙が込み上げて来た。
帰り道は涙で前が見えなくならないように運転するのに精一杯だった。
このような地方都市では出かける場所は限られていて、どこに行っても夫との思い出の場所ばかりだと気がついて、また絶望的な気持ちになった。
まだまだ夫の遺品の整理は続いていた。
夫は収集癖がある上、紙切れでも何でもとにかく取っておくタイプで、大量に遺品があった。
物置を物色していると、ディズニーリゾートのお土産の袋が出てきた。私はギョッとした。
ディズニーと言えばA子だからだ。最近はディズニーリゾートのテレビCMを見るのも嫌になっていた。 恐る恐るその袋を開けてみると、ベージュ色のブラジャーと黒のショーツ、そして、その奥にコンドームが三つ入っていた。
ひと目でこの前見つけた、ラブホテルの写真でA子が身につけていた下着だと分かった。
—— いったい、どういうつもりなのだろう。二人でラブホテルに行った事があるとしても、どうしてこんな物をA子は夫に渡す必要があるのだ。
ブラジャーもショーツもそれなりに使い古されたような雰囲気だった。
それから、三つのコンドームはそれぞれ種類が違う物で、『ぶつぶつが気持ち良い』とか、『極薄で生感覚』などと書いてあった。
A子が「どれが一番良いか、色々試してみて」と言いながら、夫に渡す情景が目に浮かんだ。
—— 私をどこまで馬鹿にすれば気が済むのか!
それを受け取るあの男もあの男だ。写真や下着を受け取って、倉庫の引き出しにこっそり隠しておいたのだろう。だが、その後S子に夢中になっているうちにその存在を忘れてすっかり埃を被っていたようだ。
そんな事があるのかと人々は思うかも知れない。だが、夫の遺品の異常な多さを見れば納得してもらえるだろう。
—— なんて馬鹿な男なのだ! こんな物を何年も前から家に置いておくとは!
それにしても、A子はこれだけの事をしておいて、平気で私の家に何度も遊びに来て、バレたら『旦那さんと内緒で連絡取っててごめんね』で済まそうとした。
—— それだけで済まされる訳ないだろう! 『ごめんね』で済ませられないことを思い知らせてやる必要がある!
A子がこれだけ大胆な行動をとっているのに、私が何を遠慮する事があるのだろうと思った。
私はまず、A子に手紙を書き、彼女の勤務先のカメラ店に送ることにした。
「この前は話に来てくれて、知りたいことが分かって良かった。それから、母と姉が押しかけて悪かった。やり過ぎだったかも知れない。私は決して脅したり、声を荒げたりしないからもう一度だけ会って話がしたい」というような内容だった。
悔しいが、A子に会ってもらうために低姿勢でお願いをする事にした。A子に会ったら、きちんを謝罪して欲しいという事と、慰謝料50万円請求するつもりだった。
彼女が言うように、月一回位の頻度で夫に会い、一年足らずの関係であれば、S子に比べて程度が軽いとみなし、100万円くらいだろう。
その半分を請求出来るとすれば、50万円とすることにした。S子に比べるとだいぶ安いが、彼女の家が母子家庭で、二人の子供がいるという事も考えざるを得なかった。
ところが、一週間経っても、二週間経っても返事が来なかった。会えないなら会えないという返事でも来ればまだしも、無視されていることに腹が立った。
このまま引き下がるわけにはいかないので、勤務先のカメラ店に電話をすることにした。
手紙を受け取ったかどうかと、私に会うつもりがあるかどうかを訊くためだった。
「○○と申しますが、A子さんはいらっしゃいますか?」 まずは、名前を名乗ってから、できるだけ丁寧に言った。
「本日は出勤していません」
だいぶ長く待たされた挙句に言われた。
『嘘に決まっている』と思ったが、どうしようもなかった。
「明日は出勤されますか?」
「一応…… 出勤する予定ではありますが」と歯切れが悪かった。
「それでは、明日またお電話させていただきます」と言って、電話を切った。
一日待って、再び電話をした。今度は電話に出た女性の声色が急に変わった。
「まだ出勤していません」
営業時間の11時を過ぎていたので嘘だと思ったが、丁寧に訊いた。
「何時頃に出勤されますか?」
「11時半に出勤予定ですが、その時間に撮影の予約が入っているので電話には出られません」と、またもや長く待たされた後に言われた。
「じゃあ、ずっとお電話お待ちしておりますので、手が空いたら必ずお電話いただけるようにお伝えください。お電話いただかなければ、こちらからまた何度でもお電話します」
そう言って、こちらの電話番号を伝えて電話を切った。
数時間後、先ほどの女性から電話がかかってきた。
「本人は怖くて電話に出られないと言っているんです。ここは職場ですし、迷惑なのでやめてもらえませんか?」
「私は訊きたいことがあるから、電話に出て欲しいと言っているだけです。彼女が電話に出てくれれば五分もかかりません」
「彼女は怯えているんですよ! 営業妨害じゃないですか⁉︎」
A子はおそらく、『頭のおかしな女に脅されている』とでも言っているだろう。
これ以上は無理だと思った。そして、そのような場合にはどうするかも考えていた。
「分かりました。それでは、彼女に弁護士を通じて通知書を送りたいので、自宅の住所だけ教えてください」
しばらく待たされてから、電話口の女性は言った。
「怖くてあなたに住所は教えられないそうですが、こちらに送っていただければ彼女に渡します」
弁護士と言ったのは、彼女に電話に出てもらうための半分脅しのつもりだったが、こうなったら弁護士に連絡をするしかなくなった。このまま引き下がるわけにはいかなかった。
事の顛末を話すと、母や姉も「絶対そうした方が良い! あの女に負けるな!」と言った。
私は誰に連絡をしたら良いのか分からなかったので、地元の弁護士会に電話をして内容を告げると、地元のある弁護士を紹介してくれた。
その四十代後半くらいに見える男性の弁護士は、とても気さくで明るい雰囲気だった。
「それはとんでもない女ですね。懲らしめてやった方が良いと思いますよ。とりあえず、300万円請求しましょう」
「300万円⁉︎ そんなに取れません! 母子家庭ですし、子供達の進学とかに影響があるといけないので…… 」
「いや、とりあえず300万円請求しますが、普通は交渉して金額が下がっていくものですからね。落とし所は100万ぐらいじゃないですか?」
数週間後には、A子の自宅に通知書が送られた。その住所は弁護士の権限で簡単に調べられた。
内容は、私が夫の死後、夫とA子の不倫関係を知って苦しんでいる事、その慰謝料として300万円を十日以内に指定の銀行口座に振り込む事、そして、その件についての質問や不服があれば、その弁護士に連絡をしてもらう事などであった。
私は当初、A子がその通知書を見て、慌ててこちらの弁護士に連絡をし、「そんな大金は支払えないから減額して欲しい」と言ってくると思っていた。
そうしたら、私は100万円に減額してあげるつもりだった。その半分近くは弁護士費用に消えてしまうがそれで良かった。
だが、そう簡単にはいかなかった。
弁護士から連絡があり、A子が自身に弁護士をつけた事、それから、今後は弁護士同士の話し合いになるから、直接A子に連絡できない事などを告げられた。
—— なんて馬鹿な女なのだ! 連絡をよこせばすぐに減額してやったのに……
これで、私もA子もお互いの弁護士に相当のお金を支払わなければならなくなった。
でも、彼女にしてみれば、通知書を見てどうして良いか分からず、とりあえず弁護士に連絡したのかも知れなかった。
その弁護士事務所はテレビでしょっ中、CMが流れる有名な事務所だった。
さらに数週間が経ち、A子の弁護士から初めての反論書が届いた。
向こうの言い分としては、私と夫の結婚生活が消滅したのは夫が死亡したからであり、A子と夫の不倫関係には気付いていなかったわけだから、婚姻生活を害してはいなかった。従って、慰謝料は発生しないというものだった。
そして、過去の不倫の慰謝料の請求が退けられた判例を挙げてきた。
私は憤慨した。
—— 何を言ってるんだ! あれだけ大胆な事をしておいて。たまたま不倫がバレなかっただけだろう! 不倫を知って、今、苦しんでいる私のこの気持ちはどうなるのだ! それに対する慰謝料は無いのか!
こちらの弁護士によると、気付いていたかどうかに関わらず、不倫をしていた事、それ自体が婚姻生活を侵害していたことなるから、そんな言い分が通るはずもないということだった。
それに、向こうの弁護士が挙げてきた判例も今回と全く違うケースだそうだ。
次は、A子がどのように婚姻生活を侵害していたかという具体的な事柄を示して反論した。
そして、真摯に金額の交渉に応じれば、減額を考える旨も記載した。
それから手紙で、私が今どのように苦しんでいるかという事を書いて、一緒に送ってもらった。
すると、さらに数週間後、相手はまた別の判例を出し、婚姻生活が大きく害されてはいない事と、精神的苦痛を受けたとする具体的な内容が明らかではないから、慰謝料は発生しないと主張してきた。
前回の判例も、次に持ち出してきた判例も、婚姻生活が既に破綻していて、別居した後に別の人と関係を持っていたというような事例で、今回の事には当てはまらないようなものだった。
弁護士が言った。「相手側の意図がよく掴めないんですよね。相手が不倫を認めていないならともかく、不倫の事実を認めていながら、自分には非がないと言ってるわけですからね。私が相手側の弁護士なら、『不倫をしていたのは事実だから、全くお金を支払わないという訳にはいかない。だから、交渉をしてなるべく低い金額に抑えるようにしましょう』と提案して、早く解決させてあげようとしますけどね。A子さんが『私は絶対に1円も支払いたくない!』と主張しているんですかね?」
—— どこまで私を馬鹿にすれば気が済むんだ! A子がお金を支払うまで徹底的にやるしかない!
私は強い憤りを感じた。
そこで今度は、時系列で詳しく起きた事柄を示し、不倫発覚後にA子が我が家に来た時の会話の様子も詳しく記述した。
それから、私に具体的にどのような精神的苦痛があるかも述べた。
すると相手は、またもや同じような主張を繰り返すものの、夫にも不貞行為の責任があり、もし仮に慰謝料が発生したとしても、極めて低額なものになると言ってきた。
それから、私のA子への報復とする行動で、A子が多大な精神的苦痛を受け、社会的に制裁を十分に受けていることを考慮すると慰謝料は発生しないとも主張してきた。
相手の言う私の報復行為とは、私が彼女の裸の写真を職場に送りつけた事、彼女の職場に何度も電話をした事、それから、共通の友人達に不倫の事を暴露して、A子の友人関係を崩壊させたとする事であった。
それにはこのように反論した。
私が彼女に裸の写真を送りつけたのは、写真を発見して苦しんでいる事をA子に知って欲しかったからであった。
メールも電話もブロックされ、住所も分からなかったから、職場に送るしかなかった。
本当に報復する気なら、A子様と書かず、職場の誰かが目にして大騒ぎになるようにする事も出来た。
それから、職場に電話をしたのは、やはりメールも電話もブロックされ、手紙を出しても無視され、職場に電話せざるを得なかったからだった。
そして、何度も電話をしたのは、「出勤していない」、「まだ出勤していない」、「予約が入っているから電話できない」などと言われ、電話に出なかったからである。
A子が職場に迷惑をかけまいと、一度でも電話に出て用件を済ませていれば、私が何度も電話をする必要はなかったのである。
共通の友人達に暴露した件は、最初はママ友の一人だけに打ち明けたが、その彼女に「他の人達にも事実を打ち明けなければ、誰かがバーベキューや飲み会などに彼女に声をかけてしまうかも知れない。それに、彼女がその場に居なくても、いつ彼女のことが会話の中に出てくるか分からない。その度にあなたが辛い思いをすることになる。だから、このまま隠し通していくことなど無理だし、皆に事実を打ち明けるべきだ」と言われて、打ち明けることになった。
その際も、事実をそのまま告げただけで、陥れようと嘘や作り話は一切していない。
もし友人関係が崩壊したというならば、彼女が行った行為そのものが友人関係を崩壊させるような行為だったということになるだろう。
このようなやりとりが数回続いたが、A子側は『慰謝料は一切支払う必要がない』の一点ばりだった。
少しは私に申し訳ないと思って、お金を支払うつもりはないのだろうかと強い憤りを感じた。
もちろん、このまま引き下がる訳にはいかなかった。私にもプライドがある。こうなればやれるところまでやるしかなかった。
そして、ついに裁判提起をする事になった。
それにしても、A子が何を考えているのかさっぱり分からなかった。
普通に考えれば、A子が慰謝料をいくらか支払わなければならないのは目に見えていた。
インターネットで検索しても、不倫をして、相手が死んだ場合でも慰謝料を支払わなければならないと出てくる。
それに、A子はその段階で相当な弁護士費用をすでに支払っているはずで、裁判となればさらに費用がかさむはずだった。
しかも、裁判となれば時間もかかるし、A子が不倫で裁判提起されたという記録が一生残る。
ひょっとしたら、相手の弁護士にそそのかされて、手数料を余計に取られているのではないかと思った。
2. 裁判
そうこうしているうちに、夫の死から約一年が経とうとしていた。
義母から夫の一周忌法要の連絡があった。
私は気が重かったが、寺の住職達や世間の手前、出席しないわけにはいかなかった。
ちょうどその頃、新型コロナウイルスが猛威を奮い始め、世界中が大騒ぎになっていた。
世間的にも自粛ムードの最中だったので、法要の後の会食はしないことになった。もちろん、皆で食事をするような雰囲気では無かったのでちょうど良かった。夫の両親も同じ気持ちだったことだろう。
その法要は平日に予定されており、息子は学校があるので出席しないことになった。当日はどんな雰囲気になるか分からなかったので、それもちょうど良かった。
本来なら、妻である私が施主となり、夫の一周忌法要の準備をするはずなのだが、あんな事があり、仏壇も夫の両親の家にあるので、夫の両親が仕切るのが当然の雰囲気だった。
その法要の当日、手ぶらで伺うのもどうかと思い、仏壇に飾る花束を買い、母から渡されたお菓子も持って行った。
まずは、仏壇に手を合わせた。夫の遺影の写真を見るのは久しぶりだった。 我が家には遺影どころか、夫の写真は一枚も飾っていなかった。
『こんな顔だったっけ?』と不思議な気がした。
その後、夫の両親と義弟の四人で寺に向かった。その寺に行くのはこれが初めてだった。
小さな寺だったが、五十代くらいに見える住職とその奥さんが感じよく迎えてくれた。
本堂でのお経の後、墓に向かい、納骨もした。その墓を見るのも、もちろん初めてだった。
その後、また夫の両親の家に戻り、皆で30分ほど他愛もない話をした。
皆、一切あの話はせず、何事も無かったかのようにしていた。 誰もあの話には触れたくなかったし、考えたくもなかったのだろう。そうする他なかった。
義母は私に色々と話しかけてくれたが、義父が私と目を合わせることは無かった。
帰り際に義母からお菓子を渡された。本当に私は分家の人間のようだと思った。
「今度、○○ちゃん(息子)を連れて遊びに来たらどうだ?」と義父が帰り際に言った。
「そうですね」と答えた。だが、そのつもりは無かった。
夫の両親の事は気の毒だと思っていた。
二人とも七十歳を過ぎたところで長男を失い、しかもその長男が不倫をしていた事で、私や私の母や姉に散々責められ、可愛がっていた孫にも会えなくなったのだ。
でも、私にもプライドがあった。
たとえ言葉の綾だったとしても、「ただの浮気じゃないか」、「モテていい人生だったじゃないか」、「お前にも原因があったんじゃないか」、「もう終わった事じゃねえか」などと義父に言われて、簡単に許す気持ちにはなれなかった。
それに、顔を合わせて、何事も無かったかのように皆で楽しくおしゃべりをしたり、食事をしたりする事など二度とできないだろう。
夫の両親には悪いが、次の三回忌法要まで会う事は無いだろうと思った。
それからしばらくして、ちょっとした出来事があった。
小学校の同学年の児童の母親達で構成された30人以上のライングループがあった。
普段、用事がなければ誰もメッセージを送る事は無いのだが、学校の準備や宿題等で疑問などがあると、誰かがメッセージを送ってくることがあった。
その日も、ある母親が「子供に訊いても、週末の宿題の内容が分からないから、誰か教えて欲しい」というメッセージを送ってきた。
すると、すぐにS子が宿題の内容を伝えるメッセージを送ってきた。
『ありがとうございます』、『私も知らなかったので助かりました』という内容や、可愛いスタンプなどがその後、数人の間でやりとりされた。
私はそれを見て驚愕し、怒りに震えた。
—— いったいどういうつもりなのだ! そのライングループに私がいることを意識していないのか! お前が他の人達と楽しそうにメッセージのやりとりをしているのを見て、私が何とも思わないとでも思っているのか!
S子の笑顔の記憶が蘇り、怒りが治まらず、よく眠れないまま翌日の朝を迎えた。 そして、明け方にそのライングループを退会した。
他のお母さん達から変な風に思われるかも知れないと思ったが、もうどうでも良かった。
次の日の夜になっても怒りが治らず、S子にメールを送った。住職に言われて、二度とメールをしないつもりだったが、我慢出来なかった。
「あなたは一体どこまで私を馬鹿にすれば気が済むんですか⁉︎ もし、悪気は無く、ただの天然なのだとしたら、度が過ぎて殺人的ですね! 私が毎日、どんな気持ちで過ごしているのか想像すら出来ませんか⁉︎」「あれから、息子の幼稚園の写真で、あなたも写っている物は全て捨てました。それから、皆でワイワイ言いながら作った思い出の卒園アルバムも捨てました。表紙を開くとまず、園長とあなたの大きな写真が目に飛び込んで来るので。無理に決まってますよね?」
「それから、あの公園の前の通りは、あなたと夫が会っていた駐車場があるし、その先には、あの忌まわしい幼稚園が見える角があるので、通らないように遠回りをして、毎日、仕事に行っています。もちろん、あの公園に息子を連れて行くことも出来なくなりました」
「それでも、なるべくあなたと夫の事を頭から取り払い、息子と前向きに生きていこうと毎日、努めています。でも、あなたが一昨日の夜、小学校のグループラインでの質問に普通に答えているのを見て、驚きと怒りに震えました。昨日も一昨日もよく眠れていません」
「そのグループラインの中に私がいるのですから、あなたが何事も無かったかのようにメッセージのやりとりをしているのを見て、あなたの存在を感じて、私が何とも思わないとでも思いましたか? もう一周忌も終わったし、それくらいは良いだろうとでも思いましたか? ただラインの会話に入っただけ、それだけの事かも知れませんが、それだけであなたが今、どういう気持ちで暮らしているのか手に取るように分かりました」
「私がこの先、どれだけの悲しみ、苦しみ、怒りを抱えて生きていかなければならないのか見当もつかないというのに、あなたにとってはもう終わったことですか? 私の気持ちを考える事も出来ませんか? どこまで私をないがしろにし続ければすれば気が済むのですか⁉︎」
「あんな事を何年もし続けて平気な顔をしていたのですから、あなたにとっては当たり前の事なのでしょうね。自分の夫や生活に不満があって、そのストレスを解消したり、一時に癒される為なら、周りの人達や子供達の事は一切、考えなかったんですよね? あなたが幼稚園の副園長をやっている事が本当に恐ろしいです」
「これから先の小学校での運動会や作品展を、私がどのような気持ちで迎えるのか考えた事があるのですか? 息子の卒園式も、小学校の入学式も、運動会も、作品展も、その他の様々な思い出も、全て踏みにじられたんですよ! 私は今まで、これほど人に馬鹿にされたと思ったことも無ければ、これほど人を憎んだこともありません!」
「150万円を渡したのだから気持ちを切り替えろと言うのなら、いつでもお返しします! 口座番号を教えて下さい!」
「あなたが夫に向けたような笑顔で笑っているところや、人と楽しそうに会話をしている様子なんて二度と見たくありません! あなたの気配を感じたくもないし、同じ空間にいる事など絶対に無理です! それが、これからの子供達の小学校や中学校の生活に多少の支障が出るとしても、それは全てあなたが撒いた種です! それをよくご承知おき下さい!」
私は狂ったように、ずっと抑えていた気持ちを次々とS子にぶつけた。
だが、数時間経ってもメールが既読にならなかった。
—— グループラインにはすぐに返事をしたくせに! 馬鹿にしやがって!
怒りが頂点に達した。
「早く私からのメッセージを見てください! さもなければ次の行動を起こします!」
しばらくすると、S子から返事が来た。
「軽率な行動をしてしまい、本当に本当に申し訳ありませんでした。N子さんのことを考えない日はありませんし、自分の過ちを毎日、悔いています」
「あの日、たまたま息子の家庭学習カードを見ている時にグループラインを見ました。息子に分からない子がいることを話したら『教えてあげて』と言われたのですが、『N子さんを不快にさせるのでは』と、送信を躊躇していたら、息子が送信を押してしまいました。N子さんを不快にしてしまい本当に申し訳ありません」
—— 嘘くさい言い訳を並べやがって! さすが、今まで私や周りの人達を欺いてきただけの事はあるな!
都合の良い言い訳を聞いて、ますます腹が立った。
「なんでもかんでも子供をダシにする、あなたの言い訳なんか聞きたくありません! 私の事を毎日考えているなら、絶対にそんな事は出来ないはずです! まともな人間のフリをするのはやめて下さい!」
「今後、グループラインにはもう返信しません。本当にすみませんでした」と返事が来た。
その後、よく考えた末にそのグループラインの一人に連絡をし、『機種変更したらグループから退会してしまったので、またグループに誘って欲しい』とお願いをして、 再びそのグループに入った。
苦しかった。人を恨み続ける事がこんなに苦しい事だとは思わなかった。
そして、人を恨み続けることが、自分にとってどんなに損な事なのかも分かっていた。でも、どうしてもS子への恨みを頭から追い払う事ができなかった。
そして、ふと思った。私が夫と結婚して幸せ絶頂の時、夫の前妻のIさんは小さい子供を抱えながら、どんなに私達二人を恨み、苦しんで生活していたことだろうか。
夫が私に離婚していたと嘘をついていたにせよ、子供がその当時2歳位だったことを考えれば、離婚をして何年も経っていなかったはずなのに、私は深く考えなかった。それに、夫に離婚した理由や経緯についても深く追及しなかった。
私は周りが見えなくなって、有頂天になっていたのだ。
私にA子やS子を責める資格など無いのかも知れない。私も奴らと同等の人間なのかも知れないと思った。
同じ頃、A子との裁判が始まった。裁判といっても、私がすることはそう多くはない。
月に一度、一方が反論し、それに対して翌月、もう一方が反論をする。つまり、二ヶ月に一度、反論をする機会が与えられるのだ。
弁護士と反論文の内容を話し合ったりするが、今までのやりとりに毛の生えたようなもので、反論する内容もだいたい決まっていた。
それに、裁判期日には弁護士が裁判所に行き、反論文の内容を読み上げるだけで、私が裁判所に行く必要も無かった。
A子側の主張は相変わらず、不倫をしていた事は認めるが、家庭を崩壊させていた訳ではないから、慰謝料が発生したとしても少額であり、私や母が職場に連絡をした事で精神的苦痛を受けているから、慰謝料は発生しないといった内容だった。
ただ、苦し紛れなのか、今までとは少し違う事も主張してきた。
『A子はK男とは親しくしていたが、妻であるN子は大勢のママ友の中にいた一人で、特に親しい友人関係だったわけでない』とか、『A子からフェイスブックを通じて誘ったと言うのは嘘で、本当はK男から誘われた』などと言ってきた。
もちろん、これらは交渉の段階では全く主張してこなかった事なので、嘘であることは明らかだった。
相手は裁判を有利に進めようとしていたのだろうが、A子が反省しているどころか、嘘をついて私をさらに傷つけようとしていることに激しい憤りを感じた。
だが、裁判をしたおかげで一つだけ新しく分かった事があった。
相手の反論文の中に『A子がK男と最後に関係を持ったのは、平成三十年の一月十五日であった』とする供述があったのだ。
夫と関係を持っていたのは一年間ほどだったとA子は言っていたが、私はA子が自分の地元に引っ越した後も、二人が時々関係を持っていたのではないかと思っていた。 だが、確証が無かったので、そう主張する事ができなかった。
でも、これで数年間に渡り、二人の肉体関係があった事がはっきりした。
『地元に引っ越した後は、たまにK男に会って色々と相談していただけで、肉体関係は無かった』とA子が主張することは十分に出来た。それなのに、そうしなかったのは不思議だった。
単に、『K男が死亡する直前まで関係を持っていたわけでは無い』と主張したかったのだろうか。
それにしても、最後に関係を持った日付をよく覚えていたものだと思った。ラインメールの記録でも残っていたのだろうか。
そんなものをいつまでも消さずに取っておいて、気味の悪い女だと思った。他にどんな内容のやりとりが残っていたのだろうか。
それにしても、やはり、夫は恐ろしい人だった。
A子が地元に引っ越した後、新たにS子との関係が始まっていたが、同時にA子とも時々、関係を持っていたのだ。
裁判が始まってから約半年後の年末、A子が私に和解金50万円を支払うことが裁判所から提案され、それで和解することになった。
とは言っても、実際の慰謝料損害金は80万円と判断された。
ただ、やはり夫が半分悪いということで、A子がこの先、その二分の一の40万円を夫の遺産を相続した私に対し請求することになる。
だからその手間を省き、一度に解決を図るために案として、和解金50万円をA子が私に支払うことが提案されたのだ。
私の方が10万円分有利となっているのは、A子が慰謝料の半分を私に請求する際に、弁護士費用が10万円ほど発生すると予想され、その手間を省く代わりに、その費用を私の方に上乗せしたのだそうだ。
私が支払った弁護士費用は合計で46万円だった。
まず、着手金が税込で11万円、印紙代などでさらに2万円を支払った。 そして、解決したら20万円と報酬金額の20パーセントを支払うことになっていたので、和解後に消費税を含めて33万円を支払った。
つまり、50万円が支払われても、プラス4万円にしかならなかった。
でも、そもそも金額の問題では無かったし、弁護士から『ほとんどプラスにならないかも知れない』と聞いていたので、不満は無かった。
A子の方はどうだろう。
依頼した弁護士事務所はテレビCMが頻繁に流れている大手だ。ウェブサイトを検索して見てみると、不倫で慰謝料を請求された場合の弁護士費用が載っていた。
それによると、基本費用が20万円、報酬金額が成功報酬金額の18パーセント、弁護士が出廷する度に3万円、その他に事務手数料が1万円だった。
こちらの弁護士から聞いたが、300万円の請求が50万円で決着したので、相手の弁護士の成功報酬は250万円となるそうだ。
つまり、報酬金額は250万円の18パーセントで45万円、基本費用が20万円、3回の出廷で9万円、事務手数料が1万円、それに加え、私に払う慰謝料の50万円を加えると、合計で125万円位を支払うことになったはずだ。
私にはほんのわずかなお金しか残らなかったが、A子にはたくさんのお金を支払わせ、いくらかの精神的な苦痛を与えることができた。
それに、不倫をして訴えられた事があるという、一生残る不名誉なレッテルも貼ってやる事が出来た。
A子にとっては、ママ友の夫と関係を持つという、ドキドキするような思い出の一つとして片付けようと思っていたかも知れない。だが、『旦那さんと内緒で連絡取っててごめんね』では済まないことを思い知らせてやる事ができた。
A子の件はこれで区切りをつけて、前に進むしかなかった。