8話 父と娘の時間
(なんか今日はやたらとうるさいですね)
そう思わせるのは、自室にやってきたカーサスである。
自分の部屋で読めばいいものを、なぜかここで一緒に本を読んでいる。
そして……。
「本当に本が好きなんだな。一日中読んでいる」
「うむ……」
時折話しかけてきては、こちらの集中力を阻害してくる。
「天才の秘訣はその集中力か?」
「知りません」
「そういえば、その金色の髪の毛はお前の母親に似ているな。たしか、あいつもきれいな金髪をしていた」
「母には会ったことないので、知りませんけど」
「……む、それは申し訳ない」
最近、ウルアの前ではどこか人間性が復活しつつあるカーサス。
ウルアの母であるカナテと出会った時にも一度芽生えかけた感情だが、あの頃は帝国との戦争が忙しくあまり会う時間もなかった。
気づけばこの世を去ってしまい、忙しさの中にその存在を薄れさせていた。
「しかし、カナテの瞳は黒色だし、俺は青だ。お前は瞳もきれいな金色だな」
「意地悪な使用人たちが言っていました。禁呪の子だと」
「禁呪……ああ言ってたな。お前、そんな特殊なものまで」
「よくわかりませんけどね」
魔法以外のこととなると、途端に疎くなるのがウルアである。
悪口のように言われていたので、あまりいいことではないのは知っている。しかし、それが実際にどういうものなのかは知りもしないし、聞いたこともない。
「禁呪を知らんのか。その瞳で見つめた相手の魔法を封じる力だ。むかしから災いを齎すと言われ、忌み嫌われている力だな」
「ふーん。……かっこいい!」
急に眼を光らせて、話に興味を示す。
始めて本から視線を外したタイミングだった。
「やれやれ。普通の子供なら恐ろしくて泣き出しそうなのだがな。……それにしても、お前は泣かない子供だな。普通、子供は泣くものだろう」
「泣いても誰も助けてくれませんし、解決もしません」
「……そうか」
家のことに無頓着だった自分を少しだけ責めた瞬間、ケントがいれば主の様子に気づけただろう。
今までこんな感情を抱いたことはなかった。
けれど、今はなぜかウルアの身に起きたことが気になるし、これからどうなるかも気になる。
そして過去に起きたことを想像すると、なぜか感情が揺れるのだった。
「禁呪の力は非常に強いものだ。今度その力について記された本を持ってこよう」
「興味ないです」
「禁呪は魔法と直結する力だ。魔法に関する本と同じようなものだ」
「早く持ってきてください!」
「現金なやつめ」
けれど、それが少し面白くて、カーサスは今日初めて微笑んだ。
ケントですら見たことのない笑みを、些細な日常で零した瞬間だった。
戦場での彼を知っている者が見たら、そのギャップにさぞ驚いたことだろう。
二人の親子水入らずの会話は、扉のノック音によっていったん遮られる。
入ってきた使用人はカーサスに一礼し、食事を運び入れる。
「カーサス様、本日はこちらにいるとお聞きし、食事を運んできました」
「ご苦労。下がれ」
食事さえ運ばせれば彼女らに用はない。
目ざわりだからされと言わんばかりに手で追い払う。
しかし、そこで気づく。
運び込まれた食事は、カーサスの食事と酒だけであることに。
「おい、待て」
「はっはい! ……なにか、不備がございましたか?」
「不備がありましたかだと?」
カーサスの表情には怒りが見て取れた。
魔法も剣術の鍛錬も受けたことのないただの使用人だ。氷の鬼人に睨まれれば、まさしく蛇に睨まれたカエルのごとく動けなくなる。
「ウルアの分はどこだ」
「そっそれは……ございません」
「なぜだ」
「いえ……だってその子は禁呪の子で……庶民の子でもありますし……」
次に鳴った音は、机をたたき割る音だった。
なぜこんなにも激情が沸いたのか、カーサスにも理解できなかった。けれど、どうしてもウルアのこととなると感情が揺れるのだ。
自分でも不思議で仕方ないが、どうしても制御しきれない。
「次、舐めた態度をとってみろ。貴様の首が物理的に飛ぶと思え」
「すっすみません! 今すぐお運びしますので、どうか、どうか命までは」
「すぐに行け。長くは待たぬ」
「はっはい」
命を賭けた3分クッキングのスタートである。
おそらく厨房に駆け込んでなんとか用意するのだろうが、カーサスの機嫌持つかどうかは分からない。
「別にいりませんけど」
カーサスが求めるほどウルアは食事を必要としていない。空腹にはなによりも慣れているからだ。
「……俺が必要なんだよ」
「大食い!?」
「いいか、お前くらいの年齢はな、普通は貪るように食事を食べるものだ。空腹になれるのなんて、戦士たちでさえ訓練が必要なことだ」
言っていて、更に感情が荒れてくるカーサス。
厳しい訓練の中でも、部下たちは特に食事にありつけないことを想定した訓練をもっとも嫌がる。単純な話だ。
腹が空けば力がでないし、人はいずれ動けなくなる。
戦うことが好きな連中も、その部分だけは苦手な人間が多かった。
それをこの少女は5歳で克服してしまった。全ては、自分が守ってやらなかったせいだからだ。
「これからは、遠慮なく食べろ。お前は伯爵家の人間なのだ。他の誰よりも優先して食べる権利がある」
「他の人より先に食べたいとは思いません」
「いいんだよっ! 俺がそう言っている。今後も使用人たちから何かされたら俺に言え。というか、今後はこんなことが無いように言っておく」
「……うむ」
態度のかわりようが不気味だが、悪いことではない。適当ではあったが、とりあえず返事はしておいた。
「お食事をおもちしました」
カーサスの逆鱗にぎりぎり触れない時間に、使用人たちは急いで食事を運んで来た。
嬉しそうに食事をウルアに差し出すカーサスの姿に、全員が不気味さを感じる。この変わりようは何なのだ。
そして、ウルアの立場の向上は、それつまり自分たちの立場の降格である。
今までウルアにしてきたことを考えると、その仕返しが恐ろしくなってくる。
そんなことを考えていると、カーサスからにらまれた。
「いつまでいる」
「すっすみません!」
「出ていけ」
彼女らが去ると、二人の静かな時間が戻る。
本を読みながら食事を始めるウルアを見て、カーサスは本を取り上げた。
「なっ! 何をする!」
「食事は食事。読書は読書。それぞれ分けて、一緒にやらないことだ」
「ちっ」
舌打ちしつつも、素直に従う。
むかつきはしたし、本は読みたかったが、こればかりはカーサスに言い分があると思ったからだった。
「舌打ちなんてどこで覚えたやら」
「使用人」
「あいつら……」
またふつふつと怒りが湧いてくるカーサスだった。
逃げるように去っていった使用人たちは、その足で直接とある場所へと向かった。
ウルアの復讐を恐れ、カーサスからの懲罰も恐ろしい。となれば、庇護者の元に駆け込むばかりだ。
そう、彼女らはバーバラの元に駆け込んだ。
そして今日あったこと。カーサスの心情の変化などを事細かに話す。
「あらあら、あの冷たい男にそんな情があったとはね」
「どういたしましょう、奥様」
「わたくしに良いアイデアがあります。まあ見てなさい。あんな男、またすぐに追い出してやるわ」
バーバラの自信たっぷりな様子に、使用人たちが胸をなでおろす。ホッとしたのも束の間、次はバーバラの毒蛇のような笑みに背筋をぞっとさせた。
「ふふふっ。禁呪の子ウルア。あの子だけには、一生地獄を見て貰わなくちゃ」