7話 父親の目覚め?
「仕事どうなの? 随分と疲れた顔をしているけど」
「ん? ああ、いやいい方向に向かっているよ」
「ウルア様でしたっけ? 伯爵家にそんな方がいただなんてね。ショックだわ」
ケントと妻は、家に戻ってからもウルアのことを話題に上げていた。
伯爵家は領地を持っており、二人の家も当然そこにある。
そもそも、伯爵家ともあろう大貴族の血縁者が、知られていないこと自体が異常なことである。
貴族は生まれたときより強大な魔力を持ち、平民とは違う人生を歩む。
それゆえ、一人ひとりの存在が希少であり、誕生は領地の利益として喜ばれる。
もしも伯爵家に居場所が無いのであれば、カーサスに仕えている部下の家で育ているという手もある。喜んで手をあげ、養子に迎え入れる家は多いだろう。
ケントの家もその一つである。妻から先日提案もあったほどだ。
しかし、事態は大きく動いている。
あのカーサスに人の心が芽生え始めているのだ。まだまだいびつな父娘だし、立ちはだかるバーバラの存在は大きい。それでも、あんまり悲観もしていない。
「あの方は我々が思っているよりもずっと強いお人だ」
「そうは言っても……貴族とは言え、5歳なのよ。考えただけで心が痛むわ」
自分の妻がどこまでも人間らしく、心優しい人で一安心する。
しかし、貴族の子供を養うのも一苦労である。強大な魔力を持つ者は、その魔力だけで他人を害してしまいかねないし、魔法での事故もあり得る。
実際、貴族が養子に出される先は、子供の生まれなかった貴族家という場合がほとんどというか、特別なことがない限りそれが全てである。
政略的なことに使われる道具とでも言うべきか。そういう道具として使われる貴族でも、ウルア様のような扱いは聞いたことがなかった。
「そうだ。うちに魔法に関する書物があっただろう」
「ああ、ありますね」
ケントの妻は魔力もほとんどなければ、魔法も使えない。しかし、祖父の代まで遡れば、実は貴族との血縁者だったりする。没落した一家だが、つまりは魔法も使える血筋だ。子供にそれが遺伝したときに備えて、代々家には魔法に関する書物が引き継がれていた。
「ウルア様は魔法の書物が好きなんだ。うちに誘ってみるのもいいかもしれない」
「それはいいわ! 是非是非」
「君がそう言ってくれるなら、さっそくカーサス様に許可をとってみよう。養子は無理でも、うまく行けばうちで事実上うちで過ごすなんて未来もあり得るかもしれない。バーバラ様も厄介払いができて都合がいいんじゃないか?」
「素敵なアイデアね。ふふっ、服を編んであげましょう。それに料理も」
二人にも娘がいるので、子供に関することには詳しい。
一人増えても大した負担にはならないという自信もある。心優しい夫婦はいつでもウルアを迎え入れる準備ができていた。
「という訳でして、ウルア様を数日、いや数週間我が家に泊めるというのはどうでしょう? きっと魔法の書物に興味を示し、カーサス様にも感謝するはずです」
「ふむ。ちょうどあいつの扱いには困っていたところだ。おもしろい話を昨日も聞かせてくれてな。しかし、バーバラに目を付けられているようで常に視線がつきまとう」
「そうですね。この家はバーバラ様の息のかかった者が多いです。しばらく我が家に置いておくのは、ウルア様のためになるかと」
「……そうだな。そうしてくれ」
あわよくばこのままずっと我が家で。そのつもりでいるが、どうなるものか。
カーサスが手続きをはじめ、ウルアのしばらくの外出準備に入る。
もう少しで話が決まりかける頃、最大の壁となっている人物が二人の前に姿を現した。
「もし、よろしくて?」
「バーバラ」
空気が凍ったように、静かになる。
二人に愛情のようなものはない。政略結婚の後に結ばれ、結婚生活もカーサスが戦場ばかりに行っているため共に送ったことなどない。
ほとんど他人同然の関係性しかなく、今回もいきなり衝突寸前の雰囲気である。
「何をしに来た」
「当然ウルアのことについてです。あの子のことを私の許可なしに進めて貰っては困ります」
「なぜお前に許可を貰わねばならない」
カーサスの言葉は冷たく、突き放すように彼女に向けられる。
「あの子の面倒を見てみたのはわたくしです。あなたではなくね」
「ほう。あのようなみすぼらしく、栄養状態も悪く、虐待を受けているのが面倒を見ていると」
「……とにかく、これからもあの子はわたくしの手元に置いておきます。カーサス様は戦場にお戻りになられては? 今回は随分と長い滞在ですこと」
「ふん、お前が嫌がれば嫌がる程に残りたくなるな。とにかく、ウルアのことは俺が決める。それとも俺を怒らせたいのか?」
そのつもりは無いらしい。
バーバラもカーサスの怒りには触れたくないみたいだ。
実権を握っているのは自分だとしても、この家の、そして領地の支配者はカーサスだ。その影響力は領地だけでなく、国内にも、他国にさえ及ぶ。
そんな人物と争っては損しかない。
賢明なバーバラは悔しさを一度耐え、ここは引き下がることにした。
「まさか、今更父親としての愛情に目覚めたのではないでしょね? あんなに放っておいて」
「……ふん。まさかな」
バーバラとカーサスの舌戦を、肝を冷やしながら見守っていたケントは、彼女が出て行ってほっと一息ついた。
ウルアを預かると提案したのは自分である。それはバーバラにもバレているだろうから、てっきり何か言われるものと思っていた。
実際睨まれているのだろうが、それでも直接の言及がなかったのはメンタル的にありがたい。
「ではウルア様を呼んで参ります。大丈夫です。戻る頃には素直で元気な子になっています。カーサス様にも心を開かれることでしょう」
「……どうでもいいな。バーバラにも伝えたが、俺とあの娘に親子の情はない。なんならずっとお前のとこに置いておいた方がいいのかもな」
それは願ってもない。
夫婦で考えた理想的な展開である。
しかし、カーサスの顔はどこか寂しそうにも見えた。
その変化に気づかないケントではなかった。
「ウルア様。という訳で、しばらく我が家にお越しください」
事情を説明し、ウルアに自分の家に来るように伝えるケント。
自室で本を読んでいたウルアは、その言葉に首を振った。
「普通に断る」
「そう言わずに。きっとここよりも心地の良い場所になるはずです。私には娘がいますし、良き友達になると思いますよ」
これは本心だ。娘は素直で心優しい性格。妻によく似てくれた。
ウルアが悲劇的な運命を背負ってなくとも、きっとあの子なら仲良くやってくれると信じている。
「ここも悪くない。本があるし」
そうだと思い出す。それが足りなかった。
「うちには家に伝わる魔法の本があります。それを好きに読んで構いません」
「普通に行く」
はーとため息が漏れた。この人はこういう人だったのだ。
荷物をまとめ、初めて城を出ていくこととなる。
ウルアは外の世界を全く知らない。
この子は魔法のことと、人の悪意にしか触れて来なかった。
馬車を手配し、荷物を運び入れる。
これからは自分がこの子のことをしっかりと守ってやろう、ケントはそう誓って、いざ馬車を走らせようとするのだが、予想外の人物が立ちはだかった。
邪魔があるのなら、それは間違いなくバーバラ様の手のものだと思っていた。
しかし、目を疑う。
馬車の行く先を阻むのは、カーサスであった。
「カーサス様。何を……!?」
「……考えたのだが、やはりウルアはお前のとこには預けない。その、なんだ。まだ子供だし、自分の家にいた方がいいだろう。もう少し大きくなれば、数日の泊りはありだがな」
「……およ?」
ケントは一瞬、この人はなにを言っているのだと思った。
しかし、すぐに気づく。
これは、芽生えているのではと。
父親としての愛情が。そして自覚が。
「わかりました。ウルア様、残念ですが、我が家へはまた今度に致しましょう」
「ふざけるな! クソ父親、なんてことを!」
「本は明日にでも持ってきます。どうか、それで気を鎮めて下さい」
「普通に部屋に戻る」
やはりこの人はこういう人なのだ。