妻は温かい人だ
突然の俺の告白に、びっくりした様子のイザベル。
「疎まれていたって…」
「母は他国から嫁いできた姫だったんだ」
「あ、遠くの国の第三王女様だったと聞いています」
「そう。だから、ちゃんと理解していなかったんだ」
「もしかして…この国の始祖が、エルフと人間の夫婦だったことを?」
俺は頷いた。
「我が国が、エルフと人間の混血の一族が治める国だとは聞いていたらしい。でも、それは〝箔をつけるための御伽噺〟だと思っていたそうだ」
「…」
「まあ実際。エルフの血は長年の人間との交わりでほとんど薄れて、俺のような先祖返りのハーフエルフは貴重。本来ならそんな認識でも問題はなかった。…でも、俺が生まれてしまった」
そう言った俺の言葉の続きを、イザベルは遮る。
「ユルリッシュ様」
「どうした?」
「生まれてしまった、なんて言い方しないでください。少なくとも私は、ユルリッシュ様に救われています。幸せな結婚なんて考えられないと思っていたのに、今は穏やかな結婚生活に満たされています。…まだ、二日目ですけど」
「…ぶはっ」
イザベルの下手な慰めに、思わず吹き出した。
「た、たしかにまだ二日目だな。うん。イザベルは面白いな」
「むぅ…」
笑われてちょっと拗ねるイザベル。やっぱり我が妻は愛らしい。
「そう拗ねるな。そういうところも可愛いから」
「本当に思ってますか?」
「思っているとも。俺がイザベルの救いになったなら、本当に良かった」
こんなに可愛いのは、我が妻とバステトくらいのものだ。
「…けどな。イザベルはそう言ってくれるが、母はそうではなかった」
イザベルは俺の手をそっと握る。それだけで少し気持ちは楽になる。
「母は、耳の尖った俺を見てびっくりしたらしい。まさか本当にハーフエルフなんかが生まれるなんて、しかもそれが自分の子だなんて。だが、我が国では貴重なハーフエルフを生んだ素晴らしい国母と讃えられ、母も賞賛を受けてからは俺を自慢に思っていたらしい」
「…」
化け物を生んでしまった母は、それは悩んだだろう。母は悪くない。その後の顛末も、全部俺が悪い。
「だが、兄や弟たちがすくすく成長する中で俺はこの姿で成長が止まった。正確には、今後またゆっくりと成長していくんだけどな。で、母は俺を化け物だと言った」
「…そんな」
ショックを受けるイザベル。でも、この国ではハーフエルフは大切な存在でも、他国では違うんだ。
「化け物。ある意味正しいかもな。エルフでもない、人間でもない、ハーフエルフ。国にとっては貴重な存在、皇室にとっては大切な存在、教会にとっては象徴となる存在。でも、母にとって俺は異物だった。兄や弟は普通の人間だったから、余計にそう見えたんだろう」
「ユルリッシュ様…」
賢いイザベルは、下手な言葉を寄越してこない。優しい子だ。俺をよく見てくれている。
「それでも、父は俺を自慢の息子だと言ったし、兄は可愛がってくれたし、弟達は懐いてくれたし。だから俺を疎む母との交流はなくとも、寂しくはなかった」
「…」
「でも」
少し、この先を話すのは怖い。でも、イザベルには話しておきたかった。それに、共に人生を送るなら、いつかは話すことだ。
「母は、異物を排除しようとした」
「え…」
「母は晩年、病気で弱って離宮で療養し、その後すぐ死んだことになっている。でも、違うんだ」
「…まさか」
「そう。母は俺を殺そうとした。その罪で幽閉され、毒杯を与えられたんだ。…こんな醜聞、表には出せないから病気ってことにされたけどな」
なんなら俺よりもショックを受けたような様子のイザベル。
「母はその日、珍しく俺をお茶の時間に呼んでくれたんだ。そして母は俺に毒を盛った。どうしても、自分が化け物を生んだことが許せなかったらしい。消してしまいたかったんだと」
「…酷い」
「…そうだな。でも、母も俺の存在のせいで精神的に壊れていたんだろう。母だけが悪いわけじゃないと、俺は思う。俺も悪かったんだ。…俺は気付かず、毒を飲んでしまった。だが、ハーフエルフとして生まれた俺は魔力が桁違いだ。魔力が俺を毒から守った。血と嘔吐とともに毒をすべて吐いて、俺は三日寝込んだだけで済んだ」
「三日も…」
「その時からバステトを飼ってるんだけどな、バステトは俺が目が覚めるまで自分の魔力を俺に少しずつ分けてくれていたんだ。だからバステトは、俺の恩猫なんだ。だから、俺の永遠に近い寿命の半分を与えて、俺の使い魔にしたんだ」
「そうだったのですね…バステト様には感謝ですね」
イザベルがそう言えば、いつのまにか寝室に来たらしいバステトはにゃあんと自慢げに鳴いた。可愛いバステトを撫でてやれば、バステトは俺に寄り添ってくれた。
「目が覚めて俺は、何が起こったのか把握した。その頃には母は離宮に幽閉されていた。完全に体力と魔力を回復して、リハビリも終わる頃には母は墓地に埋葬されていた。母の葬儀は規模が小さかったらしい。墓地もひっそりとしたものだ。それでも、罪人としてではなく皇后として死ねたのはまだマシか」
「ユルリッシュ様」
イザベルは俺を急に抱きしめた。そんなイザベルに俺は、どう返したらいいかわからない。
「イザベル、俺は」
「ユルリッシュ様は何も悪くありませんよ」
悪くないわけがない。
「でも、母の精神を壊したのは俺の存在だ」
「そんなことはありません」
「母だけが悪いわけじゃない」
「それはそうですね。でも、ユルリッシュ様が悪いんじゃありません。お義母様の嫁入り前に、ちゃんと皇族のことを理解させられなかった周りの人間全員の責任です」
「…そうかもしれないけど、俺だって悪い」
そう、全部俺が悪いんだ。
「そんなことはありません。現にユルリッシュ様は、みんなに望まれてここにいるでしょう?」
「それは…」
「ユルリッシュ様に救われた者はたくさんいます。今日治癒を受けた平民達だって、ユルリッシュ様を慕っているのがわかりました。みんなユルリッシュ様に感謝して、ユルリッシュ様を頼りにしているんです。ユルリッシュ様は必要な人です。少なくとも私はユルリッシュ様が必要です」
俺は、ぎゅっと拳を握った。泣くのを耐えるために。
「なら…俺が悪くないのなら、俺は誰を恨めばいい?」
「…」
「母は悪くないと、俺が悪いと、自分を恨んできた。じゃあ、俺が悪くないなら、このもやっとした嫌な感情はどうすればいい?どこに向けたらいいんだ」
「…そんな感情、私とバステト様で癒して差し上げます」
「…え」
俺を抱きしめる力が、強くなる。
「私はユルリッシュ様に救われています。だから、今度は私がユルリッシュ様を救って差し上げます。時間はきっとかかりますが、必ず。そんな嫌な感情は、私が消して差し上げますから。だから、自分を許して差し上げてください。泣いてもいいんですよ、ユルリッシュ様」
「…ぅ、あぁ」
イザベル以外が言えば陳腐にしか聞こえないだろう慰めは、けれどイザベルの心からの言葉だと伝わった。
「…なんで、どうして」
涙が勝手に溢れてきた。俺を抱きしめる力が、さらに強くなり少し苦しい。でも、その苦しさが今はちょうどいい。
「どうして、俺を愛してくださらなかったのですか、母上…」
ぽつりと漏れたのが俺の本音だと、初めてちゃんと自覚した。
静かに泣いて、泣き続けて、俺は泣き疲れてそのまま寝てしまったらしい。
目が覚めると、イザベルは俺を抱きしめるようにして寝ていた。バステトは、俺のお腹の上に乗っていた。
すっきりとした目覚めに、胸に抱えていたもやもやが晴れたような、そんな気分だった。




