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グレイゾーン1  作者: サヤカ
Act2 ホワイトアウト
9/36

 父親は奔放な人間だ。自由を愛し、束縛を嫌った。その身軽さは他人に制御できるものではなく、妻と一人娘ですら、彼を手元に留めることは叶わなかった。

 地元ではちょっとした有名人だった。その身軽さで他者の心も軽くして、気軽に引き寄せる不思議な魅力があったのだ。幼い頃のリリィと外で遊ぶたびに、近所の男の子も勝手に巻き込んで、自ら輪の中心で遊びを楽しむような大人だった。来るものを拒まず、去るものを追わず、ひたすら自分勝手に笑っていた父は、近くにいる人間をも自然と笑わせてしまう人だった。

 ロマンチストであった事もまた、他人を引きつける要因のひとつだろう。だがリリィは、父のその一面は好きではなかった。彼の言う所の「ロマン」を追い求めた末に、父はいつしか、トレジャー・ハンターなどという職を、恥ずかしげもなく名乗ることになっていた。

 文字通りに、財宝を掘り出すことを生業としているかと言えば、違う。彼が呼ぶトレジャーとは、旅先で出会う全てのものを指していた。その日暮らしをすることそれ自体が、彼が人生をかけた、最大の宝だった。

 ふらふらと町を出ては、荷物運びをしてみたり、用心棒をしてみたり、様々な手段を用いて金を稼ぐ。その行き先で拾った噂を元に、宝石の採掘に参加をしたり、峡谷の写真を取ってみたり、動物の高級な毛皮を手に入れてみたり、何でもやる。独身時代はずっとそうして過ごしてきたらしい気ままな生活を、結婚して、子供を得てもなお、やめることができなかったのだと言う。

 リリィが生まれるより前に、父はそうした冒険の末に、著名な富豪の依頼を達成させて一山当てたことがあるらしく、家財には余裕があった。だから父は足元に不安も覚えず調子に乗った。リリィは自分の家のささやかな裕福を、何度となく恨めしく思ったものだった。年に何度かしか帰宅せずに、好き勝手に人生を謳歌している父親を、家庭に縛り付ける道具が欲しかったのだ。

 周りの幼なじみたちは皆、「かっこいいお父さん」として羨ましがるから、他人の理解はほとんど得られなかった。かといって大人に同情されるのも屈辱的で、幼い日のリリィは父親に対して、どこか鬱屈とした感情を持て余しながら育ってきた。

 そして父は、本当に家に帰れない人になってしまった。

 八年前、世界に激震を与えた〈グランドクロス〉――それ以降、徐々に数を増やしたビーストによって、閉ざされる街。社会全体が、旅人が自由に道を選べるような仕組みではなくなってしまったのである。

 〈グランドクロス〉とはなにか。それは過去のどんな例とも異なる災害だ。ある日突然、前触れもなく街中で起きた大爆発を核に、周囲の大地が大規模な激震に見舞われた。

 北大陸ノースグラウンドのハウアー・タウン。八年前のその瞬間に、壊滅した街の名前だった。

 はじめは、発電研究所から生じた事故によるものだとされていた。しかし、都市の一区画を荒野にした途方もない威力、連動するように発生した植物の異常活性化や野生動物の性質変化など、世界の法則が書き換えられたような未知が、政府の発表を素直に信じさせなかった。異常事態が激化していく過程で、ついに大統領からの公式発表で認められた。原因はまったく分かっていない。調査も一朝一夕には終わらない。我々は未知の災害に直面している。打開策を探し、戦っていく必要がある……

 その災害を〈グランドクロス〉と最初に呼んだのは、どこのメディアだったのか。今となっては曖昧だが、由来は爆心地の遠景写真に起因する。不毛の地となり果てたかつての都会――一面の荒野に、巨大な十字型の亀裂が入っていた。それが空の凶星と形を似せていたことが、この事件の名前を決めた。

 ハウアー・タウンは、なにもその一撃だけで全てを無くしたわけではなかったが、その事件以後、大陸じゅうの野生植物と動物が、異常な活性化をたどり始めた。

 大災害の直後に、森と侵食と猛獣による被害に追い打ちをかけられ、交通網に見放されたハウアーはすぐに機能しなくなる。生き残りは難民として他の都市に逃げ去った。残されたその場所には、廃墟が残されるのみで、復旧のめどは全く立っていない。

 旅に出ていた父は、事件の当日、ハウアー・タウンにいた。

 この偶然を、天罰だと思うことはどうしても出来なかった。自治体の記録より発見された行方不明者名簿がラジオで流れるのを聞きながら、リリィは母親と抱き合って、心の底から恐怖した。

 レイバと初めて言葉を交わしたのも、この頃だった。

 両親を亡くしていた父にとって、付き合いのある血縁者は、娘であるリリィを除けば、弟のレイバが唯一だった。消息を絶った父の行方を詳しく調べるために、家族で協力しようと呼びかけた。だがその時にレイバが返した言葉は、とても冷淡なものだった。

「宿の場所を調べたけど、現実的に考えて、生きてるとは思えないんだ」

 悔恨も、悲哀も感じさせない口調で。

 電話口に立った幼いリリィに、彼はこう言ったのだ。

「この状況下で、遺体が無事に返ってくるとも思えない。お母さんに、『諦めて、あなたは仕事を探すべきだ』と、伝えてくれる?」

 ――あまりに淡々としていて、よく意味が分からなかった。

 なにがなんだか分からないまま、涙が止まらなかった。泣きながら、家に帰ってきた母親に伝言を告げると、彼女は怒りとも悲しみともつかぬ腕の力で、思い切りリリィを抱きしめた。抱きしめられたまま、リリィは泣いた。

 時間が経った今なら、もう少し好意的に解釈もできる。レイバはああいう性格だし、あの時は大学を出て間もない、どこかの企業で身を粉にして深夜まで働く、年若い青年だった。自分のことで精一杯な生活の最中に肉親を亡くし、その家族を気遣う余裕もなかっただろう。

 絶望をよそに、やがて父の無事を伝える連絡が届いた。二ヶ月も後のことだ。

 近くの街に難民として逃げ込んで、なんとかやってるから安心してくれ、という旨の電報が送られてきたのである。情報網も乱れていたために、連絡が届くのが遅くなってしまったのだ。

 どこからどう見ても、父本人の性格を映していた文面は、母とリリィを本当に安心させた。今度こそ喜んでくれるだろうと思って、リリィ達はその旨をレイバに伝えた。だが彼の返答はやはり、期待していたようなものではなかった。

「この状況じゃ、その情報が確かかどうかが、信頼できないんだよな。なにか、本当に兄さんからっていう証拠はある?」

 単に現実的な性格で、悪気はどこにもないのだとは、同居生活を経た今だからこそ、納得が出来ることだ。

 子供に対する気遣いもできない彼の態度を、母が快く思わないのは当然だった。リリィ自身も、叔父を近寄りがたく思った。それから、彼とは交流をすることがなくなったように思う。

 まもなく、レアリス・カンパニーが〈シェルター〉を開発する。

 導入実験の結果として、ビーストを忌避する効果は絶大だった。自治体が〈シェルター〉の生産を支援し、カンパニーが権力を大きくしていく。これが七年前だ。

 そもそも〈グランドクロス〉に関係なく、当時は技術革新の過渡期だったのだ。十三年前にカンパニーにより開発された、アニマを閉じこめた人工燃料〈ストーン〉が、これまで不可能とされていた多くの技術――あるいは魔法――を形にしている真っ最中だった。

 〈グランドクロス〉による難民の増加で労働力を得たことも手伝い、数を増やしていた工場が活発に回転していた。必要に迫られていた新しい発明が、異常な速度で生活に馴染んだ。後の歴史には、第二次技術革命とでも呼ばれるのだろうと、メディア誰かが言っていた。

 あらゆる整備の過程で、ビーストとの戦闘は日常的に発生せざるをえなかった。革新的な武器や防具が、めざましい速度で開発されたのもこの頃だ。ビーストの行動をコントロールできる〈シールド〉。〈ストーン〉を配合した銃弾。

 そして街から街への移動が困難になったことで、テレパス能力を模倣した、通信技術が発展する。立案したのがまたもレアリス・カンパニーだったとくれば、支援者だったはずの政府の権威が、食われ始めるのも無理のないことだった。

 通信波を利用した、通信テレパス通書メール、ラジオなどが、これまで以上の精度で実用化されていくにつれて、カンパニーの地位は確固たるものになった。その事実を示す決定的な新案が、〈ガード〉や〈ハンター〉だ。もとは帝政時代から続く銃器開発の企業であるレアリス・カンパニーは、築き上げたノウハウを背景に、ついに商品開発以外の分野でも、国のあり方へ意見する力を得たのである。同社の役員の何人かが、政治家へと転身したのもこの頃だ。

 情報の整備が進むと、リリィが今持つような携帯型の通信機も発明された。会話による通信テレパス。機械文書による通書メール。はじめは個々に発展していた二つの通信手段が、一つの機械に束ねられて、特殊な職業の人間にとって都合のいい形の、連絡網として機能する。

 専門家への局地的な需要を想定した商品だった。だが新しいもの好きの父は、どこかのツテをたどって、開発初期から早々にそれを手に入れていた。すぐに通信を利用して、家に自慢してきたのだ。俺の趣味にすげー合ってる、などと。

 それから、旅先の父は家にメールを入れるようになった。

 どうということもない生存確認が主だったが、文面から伺える父の様子を見ると、やはりとても安心できた。レイバに見せる気にはならなかったが。

 そして。

 生活の変化に、なんとか世界が適応しつつある時期に。

 父は突然、我が家に帰ってきた。


「大きくなったな、リリィ。俺が分かるか?」

 十二歳になっていたリリィの目の前に、いきなり現れたその男は、ずいぶんと雰囲気を変えていた。

 ざっくり切った栗色の短髪。伸びっぱなしの無精ひげ。大柄でたくましかった肉体は、その強靱さをそのままに脂肪だけを減らして、岩のような印象を受ける。機能性ばかりを追求した旅装束の上から、軽く武装をしていた。全体的に装備品はくたびれていて、歩いた旅路の長さを感じさせた。

 リリィは自宅の玄関前で完全に停止し、箒を持っていた手から握力が抜けたのを感じた。秋。落ち葉を掃除していた自宅の玄関。いつも見ている夕焼けの景色と、堂々と歩み寄ってくるその男の、懐かしい笑顔。

 連絡なんかひとつもなかった。

 何がなんだか分からなかった。

 父は一方的なわけ知り顔で、破顔した。

「……あなたっ!」

 沈黙を破ったのは、家の窓から放たれた、母親の驚愕だった。

 飛び出してきた彼女もまた、連絡は受け取っていなかったようだ。歓迎の笑顔ひとつ作る余裕もない妻子を眼前に、父はひとりで幸せそうにだった。

「けっこう変わっちゃったなぁ」

 母は困惑とも怒りともつかない顔で父を見つめていたが、長年連れ添った経験もあってだろう、リリィよりは平静を保っていた。人目や近所の迷惑を考慮して、家の中にあがるように家族を促した。だが、父はきっぱりと首を振った。

「人を待たせてるんだ。あまり長くはここにいられない」

「待たせてるって……」

 唖然とした様子の母は言葉を続けられず、リリィはその息を継ぐように口を開いた。

「また行っちゃうの?」

「リリィ」

「帰ってきたんじゃないの⁉︎ どうしていつもそう、自分勝手なの! 外の世界は、今は本当に危ないのに!」

 怒鳴ったつもりだったが、声が震えてしまった。

 驚いた母の視線にかまう余裕もなく、リリィはその勢いで箒を投げ捨てた。空いた両手で、父の体にしがみつく。

 顔面で受け止めた父の腹は服をごしでもとても堅くて、母親とも、リリィ自身とも全然違う。

 同じ人間とは思えなかった。彼の無事を心配していた日々が馬鹿馬鹿しく思えた。泣きそうなほど、たくましかった。

 リリィの首の後ろに、父の大きな手が触れた。

「ごめんな」

 そのまま、頭の方に触れて、くしゃくしゃと髪をかき回す。

「エリィも聞いてくれ。今日は近くに来たから寄っただけなんだ。今はまだ、この家には帰れない」

「……どうして」

 呆然とした母の声が聞こえてきた。リリィは顔をあげられなかった。頭の後ろに触れる父の手が、ポン、ポン、と、あやすようなリズムで動いている。

「いい夫になれなくてごめんな。そんで、いい父にすらなれそうにねぇわ」

 お前たちのことは愛してるんだけどなぁ、と、まるきり他人事のように、父は苦笑したようだった。

「リリィ」

 呼びかけられたが、返事をすることができなかった。父は気にせずそのまま続けた。優しい声。

「この街、どう思う」

「どう……?」

「〈シェルター〉に閉じこもって、通信以外の情報をつかまないで、空だけ見ている安全地帯。どう思う?」

 どうもこうもない。リリィにとってはその仕組みは当たり前のものだった。〈グランドクロス〉以前の社会がどのように回転していたかなんて、よく知らない。危険と安全のどちらが良いかと問われれば、安全と答えるに決まっている。それは常識であり、それ以上でもそれ以下でもない。何を言っているのか、質問の意味がよく分からなかった。

「父さんは、欲張りなんだ」

 触れあう箇所から感じられる温度と、語りかける声だけは偽りなく優しい。

「お前も、母さんも、大好きだけど、世界にあるいろんなものも、捨てられないくらい大好きなんだ。世界ってのは、本当に面白いのに、回りきれないくらい広いんだぜ」

 父はリリィの小さな背中を、ぽん、ぽん、と叩いた。リリィはその腕の中で悔しくなった。触れ合っていても、いつだってこの人はすり抜けていく。こちらから掴むことは絶対にできない。

「今さ、ややこしい任務についてるんだ」

「任務?」

 いぶかるような母の声に、ああ、と父は補足した。

「ハンターの任務だよ。そっちの仕事を貰ったんだ」

「……まだ、トレジャー・ハンターなの?」

「さすがにそれは無理だな。続けられるもんならいつまでも続けたいけど。今度のハンターは、職業としての〈ハンター〉さ。こんなご時世じゃ、外を出歩くには専門家としてのライセンスが必要だから」

 父はいつまでも離れようとしないリリィの顔を優しく剥がした。リリィは抵抗したが、勝てるはずもなく顔を覗きこまれる。

 泣いていたわけではなかったが、今にも泣いてしまいそうな自分と必死に戦っている真っ最中であった。顔を真っ赤にした娘のしかめ面を見て、父はなんだか痛ましく苦笑する。

「……本当に、大きくなったな」

 父はそっと、リリィの顔に顔を近づけて、額に口づけた。家族も友人も分け隔てなく、どんな相手にも明るく接する父親にとって、そういった湿っぽい愛情表現は、非常に珍しいものであったように思う。わずかに触れた髭のチクリとした感触が肌に残った。

「ごめんな。リリィ」

 父はくしゃりと微笑んだ。間近でそれを見て、リリィは責めた。

「お父さんにとって、私とお母さんは一番じゃないの」

「一番だよ。それだけは何があっても変わらない」

「じゃあどうして、一番近くにいてくれないの。今度こそ、死んじゃうかもしれないんだよ」

「そうだな。でも、父さんは父さんであることをやめられないんだよ」

「私とお母さんが、今までどんなに心配したか知らないくせに」

「ごめんな。父さんを待ってる人は、今本当に父さんを必要としているから」

「私たちだって必要としてるよ」

「うん。でも、お前たちの言う必要とは、ちょっと種類が違うんだよ。なんというか、その――せっぱ詰まってるんだ」

 父の口調は、あくまで穏やかだった。悪びれる様子すらない。

 彼にとっての放浪は、人生そのものであり、人格そのものだということを、リリィは悲しく実感したのだった。この人は、ひとりでも生きていけるのだ。そんな寂しい確信が、胸を突いてしまった。

 父にとっては、世界にはびこるビーストや、街を守るシェルターですら、障害ではないのだ。

 この大陸のどこにだって、行きたいところに行く。生きられるように生きる。どこまでも自分勝手で自由だ。その性格を変えることは、誰にもできない。

「リリィ」

 父は、ごそごそと荷物の奥を手で探り始めた。

 取り出したものは、小さな布だった。かわいらしいピンク色の、手のひらに収まるサイズの小さな塊。巾着ではないかと思いつくまでには、時間がかかった。つまりは、形が拙かったのだ。

 どこにでも買えるような厚手の布を、お世辞にも上手いとは言えないような手縫いで、袋状にしたらしい。中に何かが入っているとは分かるが、開け口は糸が通されていて、きつく縫いつけられている。はさみでも使わなければ、開きそうにない。

「お守りだ」

 父はそう言って、リリィの手のひらにそれを押しつけた。思っていたよりも、重みがあった。小石でも入っているのではないかと、思った。

「中身は内緒だ。開けないで、捨てないでほしい」

 リリィが父の顔を睨むと、非難の意が伝わったのだろう。彼は苦笑した。

「父さんはこの家にしばらく帰れないから、これを父さんだと思って置いておいて欲しいんだ。俺、悪運だけは強いから、ご利益があるかもしれないぜ」

「お裁縫、へただね」

 せめてもの抵抗で、リリィは毒づいた。

「私の方がずっと上手いよ」

「そっか? まあいい。頑丈にしたしな。いつかさ、俺が落ち着いて、もう一度お前たちに会えたその時にさ、一緒に中身を見よう」

 父はそんなことを言いながら、どこまでも曇りなく笑った。

「願掛けみたいなものさ。俺がそうしたい」

「……勝手な人」

 これは母だった。

 彼女は、心の底から呆れた様子で、父を見ていた。先ほどまで顔を占めていた、驚愕や、憤りといったものが、もう見えない。ただ、ひたすら呆れていた。

 リリィは覚えていた。母がこの表情を見せた後の、父のわがままは通ってしまうのだ。

「エリィ、ついていけないか。俺みたいな男はもう嫌い?」

「あなたのそういう所だけは、今も昔も、好きではないわよ」

「じゃあ、娘にこんなお守りを託すのは迷惑かい。俺なんかもう、消えてなくなった方がいいか」

「それを決めるのは、私じゃない。リリィよ」

「俺は、お前のそういう所、好きなんだよなぁ」

 軽口のようにそんなことを言いながら、父はリリィの頭をもう一度、ポンと押した。反動で立ち上がるようにこちらから距離を開いて、母とリリィを交互に見て、晴れやかに笑っていた。


 その日、背を向けて家を去った父の姿が、この目で彼を見た最後の記憶だった。

 背中は大きかった。一人で歩き出すその姿は、悲しくなるほど、清々しかった。

 武装した姿も、触れたその肉体も、歩き方も、話し方すらも、強靱だった。まっすぐな瞳で、リリィが想像したこともないような外の世界を見つめていたのだ。

 父を、素直に尊敬することは今でも出来そうにない。

 だけど、眩しく思う。成長と共に、リリィは父の言葉の意味を考えた。シェルターで閉ざされた世界。それが及ぼした影響。見えない外界。氾濫する情報。

 母が死んで、残された自分。

 一人で生きていくということ。

 強くなるということ。

 そして、今から三年前に再び起きた激震〈セカンド・グランドクロス〉が、さらに事態を変えた。

 〈グランドクロス〉と同質の爆発事故だが、以前のものよりは被害が小さかった。だが、以後の変化は、より劇的だった。この事件を契機に、野生動物と森の暴走は、本当に深刻なまでに規模を広げたのだ。

 父はまたも、現場の近くにいたらしい。

 悪運が強いという言葉が聞いて呆れる。この事故で再び行方不明の電報を流された父は、母の死で落ち込んでいたリリィの心に、さらなる負担を伸し掛けてくれた。

 だが、今度は比較的に早く連絡がついた。現場で通信機を壊してしまったらしい父は、職場のメーラーから、こちらのアドレスまで、生存報告のメールを送信してきた。

 母の件も相まって、それからはメールで話す機会が増えた。

 父も、一人暮らしを始めたリリィを気遣うようになって、以前よりは、こまめに連絡を取り合うようになった。

 〈セカンド・グランドクロス〉でハンティングの仕事に区切りをつけたという父は、今度は遺跡調査の職について、各地を転々としているらしい。ガードと一緒に、いろいろな場所を見て回るのだと言っていた。

 その報告は、将来を憂えていたリリィにとって、ひとつの指標になった。

 ガード。

 護る者。

 リリィは、強くなりたかった。

 自分を守れるだけの強さが欲しかった。この世界を生き抜くだけの知恵が欲しかった。

 街を出る資格が欲しかった。技術とその証明が欲しかった。

 家を出て、好き勝手に生きて、こちらを顧みなかった父親に、言いたいことがあった。文章や通信ではなく、直接言ってやりたいことがあった。

 父に会いたかった。

 父に負けないくらい、強くなりたかった。

 答えが見えてからは、単純だった。父にメールで進路を伝え、親戚であるレイバに報告をして、デカルトの学校への入学を勧められて、現在にいたる。

 レイバに、父親のことに関する諸事情は報告していない。どうせ証拠がないと信じやしないだろうし、気にかけているわけでもなさそうだったからだ。単に嫌な思い出の味が抵抗をしていると言われれば、それまでだが。

 だが、現実主義者の叔父は、筋の通った行動をとる限りは、決して冷たい人間ではなかった。リリィが学校に通うために自分の家に住まうのは、彼にとっては負担でもなんでもないらしい。これまでこちらが抱いていた苦手意識が滑稽に思えるほどあっさりと同居を勧めて、友好的な態度で、だが余計な干渉するでもなく、とてもよくしてくれた。ガードは現場で動く仕事ではあるが、所属はレアリス・カンパニーグループの一員となり、手厚い保護が約束されている。叔父として、就職を決めてくれたら安心なのだと言っていた。

 そんなものだ。人間関係も、人生も、きっと全てそんなものなのだ。

 同じように、父を拍子抜けさせてやりたい。

 リリィは学校に通って、外で生きるための知識を貪欲に学んだ。

 学校に入学した時の試験はトップだった。今は志を同じする生徒たちと切磋琢磨している。スピノザ・シティを出て、この街でたくさんの人に出会った。たくさんのものを見た。

 今なら言えるだろうか? 予定より早くなってしまった父との面会を前に、気持ちが急くのを強く感じる。早足で進みながら、心臓の音が聞こえる。ガードの資格はまだ得ていないが、今でも、言いたいことが言えるのか。

 大丈夫だ。

 会えるなら、今すぐにだって会いたい。それはこちらも同じだった。


 ――リリィは、顔を上げた。

 走っていた速度を緩めて、足を止める。

 たどり着いた〈教区〉を囲う鉄柵が、メールに書かれていた通り開かれていた。

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