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グレイゾーン1  作者: サヤカ
Act6 ディパーチャーズ
31/36

 夕方になってから、これまでずっと好調だったスティアの表情に、急に疲労の色が覗きはじめた。

 施設に戻ったのちに、彼はリリィに別れを告げて自分の部屋に下がっていった。日が沈み、夕餉の頃合いになっても、食堂には現れなかった。

「なんつうか、超寝てる」

 様子を見に行ったレイバが帰ってきて、そう報告をくれた。

「あの様子だと数日は目覚めないと思うから、今晩のうちに勝手に体調検査しちゃうつもり。ちょっと今回は、定着剤を投与しすぎたかもしれない」

 テーブルにつきながらリリィは、スティアの様子を想像した。きっと出会った次の日の朝と同じように、昏々とした深い眠りについているのだろう。

「定着剤って、アニマを定着させる薬だよね」

「お、よく知ってんじゃん。なになに、ようやくリリィも俺の仕事の魅力に気付いた?」

「スティアに聞いただけだよ。とにかく、それがどうしてあの寝起きの悪さにつながるの?」

 レイバは、実に楽しそうに腕を組んだ。

「詳しい説明をするとそれなりに長くなるから簡略バージョンな。あいつの右腕〈キャロル〉は、人間が先天的には持たないアニマ制御能力を、人間の体と連動させて実現する装置なんだ。天賦にない力を操るわけだから、アニマを扱うことはそれなりに使用者の体力を削る。でもスティアには、とにかく基礎体力がない。それは見れば分かるよな」

 リリィが頷くのを、確認したかしないかのハイペースでどんどん言葉が続いてゆく。

「アニマってのは、ざっくり言うと、結合した生物の身体能力を増強させる方向に働きかけることがあるんだ。ビーストってのはそれが過剰に出ちゃってぶっ飛んでる野生動物をさす。〈ブラック〉や〈ホワイト〉というアニマ結晶体を眼球に持ってるロールやセイは、配列に絶対秩序があるから発狂もせず、さらに肉体強化が働いてほとんど不死身だったりするんだ。同じ原理で」

 強調するように、息を継ぐ。

「スティアが腕から発生させてるアニマも、定着剤を糊にしてあいつに宿ってる限り、体を効率よく生かすのに最適な形で動く。だから定着剤を飲んでいる間は、疲労の類がアニマに分散されて肩代わりされるんだよ。ただし、蓄積された疲労は、薬が切れてアニマが離れた時に顕著に現れるんだ。それを睡眠で補おうと、体があがく」

「基礎体力を底上げすることはしないの? トレーニングとか、そういう単純な手段ならいくらでもあるでしょ」

「手遅れだね。食事がとれないようじゃ、筋力を増強する材料がそもそもない」

「……聞いていいかな」

 リリィは、思わず目を細めてレイバを見る。

「どうしてわざわざ、スティアみたいな人を実験体に選んだの? うちの父さんみたいに頑丈な人の方がいいに決まってるのに。魔法使いを作る実験への参加者って名目で外から募れば、私の学校の男子でも絶対に志願するよ」

 言いたいことは人道的な問題だったが、レイバはそうには受け取らなかったらしい。特に悪びれるわけでもなく、堂々と返事をくれた。

「人体実験の材料の調達ってのは、たぶんお前が思ってるより面倒くさいんだ。昨日も言ったけど、スティアなら立場的な条件が最高だった。こっちの事情を知り尽くしている上に戸籍がないから、社会的に隠蔽できる」

「戸籍がない?」

「そ。都合が悪いから、生きてることはなんとか濁して、三年前の日付で死亡届も偽造した。死人が最近多いからね。バレることはないだろ」

 異常事態を利用して隠蔽工作に走るのは、カンパニーだけでなくテンプルも同じらしい。

「他にも色々と事情はあるけど、結局、スティアの体力や体調がどうこうって話で、俺たちの側には、今の状態でデメリットがないんだ。だから、今から社会的・費用的な問題を全部クリアしてまで、新しい人間を調達するまでもないってことだ」

「モラルとかないの、それ」

「この施設でのスティアは、限りなくゲストに近い労働者さ。基礎給に上乗せして、おとといの救出劇みたいな時間外労働にはちゃんと手当も出してる。そういう契約だから、何も問題はない」

 社会的地位は隠蔽して、労働基準の法令は意識するのが滑稽だった。だが、レイバは特にそうは思わないらしい。朗らかな笑みを浮かべて、話題を変えた。

「まあ、スティアの話はそんなもんでいいか。お前はこれからどうするつもりなんだ?」

 リリィはどきりとした。

 今いるこの食堂は、〈教区〉にある、テンプルの施設の中だ。

 事情を聞いてなおリリィは、自宅には戻らなかった。戻ることが出来ないのだ。学校は騒ぎになっているようだし、リリィが事件に巻き込まれたことを知る級友が多いという報告も、スティアがくれた。

 リリィの住所として、レイバの家の場所は、教員や級友に知られている。友人であるエミリから失態を犯したテッドまで、今この瞬間も、リリィを探している人間は多い。そして、今のリリィは、それら全ての人間に漏らせない事情を多く知ってしまっていた。

 テンプルとしては、リリィを自由にして、情報が漏洩するのは避けたいらしい。よって、昨晩に引き続いてゲストルームを貸すから、しばらくはこの施設から出るなと、注意をされたばかりだった。

 状況だけ見ればほとんど軟禁に近いが、リリィ自身にも異論はなかった。

 異論を持つべきなのだろうが、意見を述べるだけの材料が、何もなかった。

「…………」

 ガードになること。

 父に会うこと。

 自分の全てだった夢は、もう叶えることができない。

 そんな状態でこの街にいても、他の過ごし方なんて、分からなかった。

「俺としては、この街に留まることは勧められないかな。どうしてもって言うなら、騒ぎのほとぼりが完全に冷めるまで、一ヶ月くらいはここにいた上で、住所は変えた方がいい」

 レイバはあくまで、現実的な提案をくれた。

「スピノザに戻るって言うなら、こっちのツテでガードを調達するよ。カンパニーにお前の居場所が把握されたら面倒だからね。でも」

 気楽な調子で、叔父はにっこりと笑った。

「第三の選択肢もある」

「え?」

「俺がお前に、仕事を斡旋できるかもしれない」

 ――ちょうど、その時。

「あ」

 後ろから、小さな声が聞こえた。

 振り返ると、眼帯をつけた銀髪の美少女がそこにいた。ロール。

 彼女は会話を止めたリリィを見て、なにやら恐縮したようだった。

「ごめんなさい。邪魔しちゃいました」

「そんなことないよー」

 答えたのはレイバだった。

「むしろナイスタイミングと言うべきかな。俺ちょっと、これから作業に出なきゃだし。ロール、リリィに食堂の使い方教えてやってくれない? もう行かなきゃ」

 唐突な話の流れに、リリィはレイバをじっと見てしまうが、彼は意味深に笑うだけだった。

「仲良くしてやってね」

 それだけ言って、言葉と同じくらいの唐突さで、ひらりと手を振って去っていった。

 残されたリリィは呆然とその姿を目で追うが、ロールの方はさらにあっけにとられているようだった。なんとか気を取り直して、話しかける。

「ごめんね。こっちの都合で」

「いえ」

「よかったら、レイバの言う通り、食堂の使い方教えてくれないかな。それで、一緒にご飯にしよう」

 こちらがそう申し出ると、ロールはとても驚いたようだった。

 厨房に繋がるカウンターに、トレーや食器が置かれている。まとめて用意された食事を、もらいにいく仕組みらしい。職業柄、施設を利用する各人の作業時間がバラバラであることから、こういった体制になっているとロールは説明してくれた。

 普段はセルフサービスのようだが、比較的人が多い時間だからか、給仕役の女性がいた。先日も見た人だ。大柄な体をせわしなく動かしながら、鍋に入ったスープを皿に注いでいる。彼女がケイトだろう。カウンターごしに、こちらに親しげに笑いかけてくれた。

「はい、女の子にはおまけだよ」

 チョコレートをひとかけら、トレーの上に載せてくれた。気持ちが嬉しくて、リリィは礼を言った。

 席につく前に合流するため、ロールを待とうと立ち止まる。そしてリリィはあっけにとられた。

 当然、メニューはリリィと同じだ。だが、その量が尋常じゃなかった。薄切り肉の炒め物も酢キャベツも、文字通りの山盛りになっていた。自分の分量ではまったく気にならなかったガーリックたちが、一致団結してリリィの鼻にまで刺激を届けた。重ねに重ねられた肉の層が、脂でテラテラと光っていた。

 ライスも同じだった。たぶんリリィの皿の二倍はある。

 ロールは嬉しそうに肉を見つめながら、リリィに一言告げて、ケイトが働いている方のカウンターに向かった。ケイトはにやりとしながら、ドンと音を立てて新しい具材を置いた。芋だった。茹でた芋を丸ごと一個、メインディッシュのように追加した。スープの具の残りなのだろうが……

 さらにドン、と追加される。リリィももらったチョコレートだった。ただし個数が違った。鷲掴みにしたものをバラッと置いた、そんな感じだ。

 ロールは満面の笑顔で礼を言って、すべてをトレーに載せてこちらに戻ってきた。

 リリィも体を動かすので、同じ年頃の女性の中では、よく食べる方だとは思う。思っていた。だけど。

 食事をする前から、ちょっぴり胸やけがするような気持ちになった。


 味は、可もなく不可もなく――いや、料理を得意とするリリィに言わせれば、けちをつけたくなる部分がちらちら感じられる程度には不可がある、というのが正直な所だった。スティアが微妙にそんなことを言い含めていたことを、思い出す。

 大きさがバラバラな野菜や、少しばかり香ばしすぎる黒い肉などを噛みしめつつ、ケイトはきっと豪快な人なのだろうなと思った。

「リリィさんは、わたしのこと、怖くないんですか?」

 出し抜けに、ロールがこう言った。

 思わず、彼女の顔を見返してしまう。場違いなほどの料理に囲まれた、眼帯をつけた美しい顔。

 その表情は、卑屈さではなく、純粋な疑問の念で埋められている。

「あ、ごめんなさい。失礼ですね、こんな聞き方」

「いや、別にいいけど……でもそうだね。驚いちゃった」

「お兄ちゃんから、わたしのこと、聞きましたよね。学校でも怖がらせちゃったし、ちゃんと話してもらえるなんて思ってなくて」

 すんなりと言葉を滑らせる。リリィはその仕草を見て先ほどのスティアを思い出した。戸惑いの箇所が、リリィの基準とはずれている。要するに。

 慣れている。

 恐れられることにも、避けられることにも、人間扱いされないことにも、彼女はきっと、慣れている。

 胸が痛くなった。だが、こればかりは単純にロールの肩を持てる問題ではないと分かった。学校で目にした〈ブラック〉の威圧感は、覚えている。凶悪な肉食獣に睨まれた時に似た、指一本動かせなくなる類の恐怖を、確かに感じた。

(今はこんなに、普通なのに)

 むしろ、あの時の光景が幻だったのではないかと思えてくる。彼女自身に言われるまで、リリィはこの少女と、学校で見た光景を同一視することができなかったし、それをしていない自分にも気づかなかった。人間の形をしたものは人間にしか見えない。左目さえ隠していれば、彼女はごく普通の少女だった。その意志ひとつで大陸を割るかもしれないと言われたところで、現実味がない。

 どう言おうかと悩んでいると、不意にロールが微笑んだ。その反応を見て、心赴くままに百面相をしていたことに、ようやく気づく。

「やっぱり、いいです。答えてくれなくて」

 分かりましたから、とでも言いたげな笑顔で見られて、リリィは無性に恥ずかしくなったが、あえて言い訳をするのはぐっとこらえた。ロールは嬉しそうだった。出会ってから今までで、本当に嬉しそうな彼女を初めて見た。

「でも、ごめんなさい。学校では怖がらせちゃいましたよね。それに、ガイルさんのことも……」

 静かな口調ではあったが、ロールは驚くほどあっさりと、率直にそう言ってきた。

「お父さんがずっと家に帰れなくて、大変な思いをさせてしまって、ごめんなさい」

 さっきのスティアと同じ想いを表しているだろうに、言っている内容がまるで正反対だった。ロールがこんなに率直な一言で謝るのに対して、スティアがどんなに回りくどかったことだろう。それが年齢の差か男女の差か、性格の差かは分からないが。

「いいよ、もう」

 素っ気なく聞こえないように微笑みながら、だけど話題を変えたくて、リリィはそう言った。

「気にしてないし、あなたたちのせいじゃない。それより、学校ではびっくりしちゃった。……空から来るなんて思ってなかったから」

 静かにそう告げると、ロールはぴたりと食事をとる手を止めた。顔をあげて、こちらをじっと見つめてくる。

「ビースト……じゃないよね、あなたが乗ってた、狼みたいなやつ」

「えっと……」

「セイ・ホワイトはキメラって呼んでたっけ。少なくとも私は見たことない。あれは、なに?」

 責めている風に聞こえないように、おだやかな口調を意識した。だが、ロールは目に見えて萎縮した。たどたどしく、口を開く。

「わたしには、うまく説明できませんけど……キメラは、人が作った発明品です」

 リリィは目を見張った。

「異常発生したビーストを、ユニオン現象で掛け合わせた動物だって聞いてます。昨日のは、この施設から連れ出しました」

 必死に暗記した教科書でも暗唱するように告げるその言葉の中身が、場違いに重い。

「施設の地下に、ここの人たちが作った発明品がいくつも置かれているから、そこに、たくさん……」

「……どういうこと?」

 質問がとても形にならなかったが、それでもリリィは頭を回転させた。

「あの生き物が、人が作った発明品で、人の言うことをちゃんと聞くって言ってるの?」

「人間の言うこと、聞くって言うと少し違って、でも、わたしの意志には、逆らわないんです」

 ロールは見ていてかわいそうになるくらいに困惑しながら、それでもなんとか説明をしてくれた。

「動物はわたしのアニマを恐れるから、それを利用してプログラムしたって、レイバさん、言ってました」

「レイバ……?」

 先ほどここを立ち去ったばかりの叔父の、気楽な笑顔が頭をよぎった。

 それ以後に食べたものからは、ろくに味が感じられなかった。咀嚼をしながらリリィは考える。知らなかったことがたくさんある。知らない方がいいことが、この施設にはきっと、ごろごろと転がっている。だけど、いまさら素通りすることができるだろうか。父を殺し、スティアたち兄妹を苦しめた事件のすべて、日常の裏にひそんでいた欺瞞の存在を、いまさら無視して、知らないふりをして普通に生きていくことが、自分にできるのか?

 答えは否だ。

 レイバに聞かなくてはならないことがまた増えたと、リリィは静かに、そう思った。

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