7
施設を出ると、空気が静かだった。
いかにも遺跡然とした見慣れぬ造りの町並みだが、リリィがいた場所の近辺にはコンクリートビルがパラパラと存在していた。このあたりは探検隊の拠点だったとスティアは言っていた。人の手が入った区画なのだろう。
区切りのようなコンクリートの壁を越えると、先日見た遺跡街と同じ整然とした白い景色に変わった。すべての建物が石で出来ているようだ。デカルトは確かに天災の少ない地域だが、それにしてもここまでしっかりと残っているのは驚きだ。かと思えば。
ある一角だけ工事現場のように、石の遺跡が無惨に破壊されていた。付近の道路は、白い砂のような石のかけらでじゃりじゃりとしていた。
スティアは、そこにいた。
無惨に壊された家らしき建物のひとつ、ちょうど腰のあたりの高さで崩れた塀のような場所に腰掛けていた。考えごとでもしているように見えた。
リリィは思わず、足を止めていた。
人気のない白い街は、あまりにも静かで、生命感といったものが感じられなかった。こんな時代であれば街中でも動物は少ないし、石の建物しかない場所となれば、羽虫も植物も寄りつかない。
滅んだ街。……周囲を埋めつくす石と同じほどに、スティアの横顔も白かった。生まれついた人種や、長い室内生活の影響など、原因はいろいろあるのだろうが……外見からは単純に、血色が悪く不健康な印象が強かった。
だけど、その青白さは透き通っていて、滑らかだった。染みの一つもなく、整った形をしていた。
(きれいな人)
今さら、そんな事を思った。出会った時から分かっていた事だし、だからどうしたというわけでもないはずなのだが、この遺跡はまるで彼のために用意された舞台のようだった。
滅びた街。誰もいない廃墟。未知の技術が形にした、温度のない造形美。
スティアの持つ雰囲気は、それに近い気がする。
なんだか歪んでいる。自然ではないと思う。健康な肉体からにじむ溌剌とした魅力というものが、彼にはまったく感じられない。思い出した。初対面の瞬間に感じた近寄りがたさ。氷みたいで、金属みたいで、手を伸ばすのを躊躇してしまう。
違う世界の人。
――だが、ここで足を止めれば、出会った頃と何も変わらない。
リリィは、きゅっと唇を引き結ぶ。
砂のような石が混ざる地面の上で、わざと靴を滑らせて歩いた。スティアは、音の接近に気づいて、顔をこちらに向けた、
拒絶されることも覚悟はしていたが、彼はいたって平静だった。あるいは追われることも起こりうると想定していたのかもしれない。足を止めたリリィに向けて、彼は皮肉げに笑いかけた。
「点数稼ぎだったんだよ」
「え?」
「最初に、あんたの部屋でした話」
出し抜けにそう切り出されて、リリィは返事を見失う。
スティアは特に説明はしないままで、苦笑した。学校の様子を伝えてくれた今朝の会話を指しているのだろうと気づいた時には、次の言葉に移っていた。
「贖罪だなんて、大げさなことは言わないけどさ。ちょっとゴマ擦っとこうって、心のどっかで思ってたんだと思う。本当は、ガイルさんの娘に会うことも、ガイルさんの娘に、彼と俺の関係を伝えることも、気が進まなかった」
よく見れば、彼が腰掛けている壁面は、ぼこぼこと隆起しており、とても座りやすそうには見えなかった。だが、器用にも、平らな箇所を選びとって体重をかけているらしい。この場所に慣れているのだろうか。
「だから、俺にちょっとでも恩を感じちゃって、それを気にしてくれてるなら、いいよ。最初からその恩だって計算で売ったんだから」
「……そんなこと、言わないでよ」
リリィは、自分で思っていた以上に静かな声が出るのを感じた。
「あなたは、私に憎まれたいの?」
「憎まれるだけのことはしたと思うし、その行動を謝罪する気はないよ」
「でも、点数を稼ごうと思うくらいには、人に憎まれるのが怖いんでしょ。だったら、そんな卑屈なこと言わないでよ」
目を合わせてそう告げると、スティアは少し驚いたようだった。派手なリアクションは見せないが、ほんの少しの間だけ、表情を固める。
リリィは伝えるべきことを探しながら、ゆっくりと口を開いた。
「私は、別に怒ってないよ」
なんだか、しどろもどろな言い方になってしまったが、スティアは先を急かさなかった。だからリリィは、なんとか己の気持ちを見つけることができた。
「……むしろ、ちょっとほっとした」
「ほっとした?」
「父さんが死んだって話を聞いた時は、なんの実感も沸かなかったの。カンパニーの人が言う、秘密だとか計画だとか、私にはなにも分からなかったし、まるで別の人間の話をされてるみたいで、落ち着かなかった」
意識して笑みを作りながら、スティアの顔を見る。きっと晴れやかな顔はできていない。先日までメールを続けていた父親がもうこの世にいないという現実は、あくまで、とても辛かった。
「それでも、自分の大切なものを守りきって死んだって言うなら、父さんらしいって、初めてそう思ったの」
苦笑するリリィの顔を、スティアは真顔で見つめていた。
「うまく言えないけど、父さんが、最後まで私の知ってる父さんのままだったのは、嬉しいよ」
「……めちゃくちゃだ」
スティアは、視線を道路に投げて、派手にため息をついてみせた。
「やっぱりあんた、ガイルさんの娘だよ」
「そう?」
「うん。そういう所、似てる」
スティアはきっと、人の目を見つめるのが癖なのだろうとリリィは思った。今の彼はこちらの瞳を見ずに話していて、その姿を物珍しく感じたからだ。出会ってからこれまでを振り返れば、超然とした印象がどうしても勝るが、初めて繊細な部分を見つけられた気がした。
まったく新しいそんな印象が、すとんと腑に落ちるのが不思議だった。彼が淡々と語った、凄惨な生い立ちのイメージが関係しているのだろうが。
(……それだけじゃないかな)
リリィは胸中でつけ加えた。おそらく彼の言うところの点数稼ぎは、彼自身が計算していた以上に、リリィの中で高得点を積み上げたのだ。リリィは彼の言葉に救われたし、そう思うと邪険にする気にはならない。
見方が変わると、これまでは捕らえどころがなかったスティア・アリビートという人間が、急速に身近な存在に見えてきた。なんだか、少し嬉しかった。
顔をあげたスティアは、リリィの表情を確認して、居心地悪そうに唇をむすっと尖らせる。そのリアクションを見て、リリィは初めて、自分が微笑んでいたことに気づいた。
「かっこ悪」
ぼそりとそう呟いたかと思えば、スティアは立ち上がった。
背筋を伸ばしてから、今度はリリィの顔をまっすぐに見た。話題を変える。
「ここらへんの建物、壊れてるでしょ。俺、このへんで魔法の練習してたんだ」
言いながら、ごつごつと無秩序な断面を覗かせる、塀を左手で指した。爪の形がとても綺麗だった。
この左手と同じ形をしていたであろう右手は、もう永遠に失われてしまってこの世にない。それは、とても悲しいことである気がした。
「なんでもできるって断言はしたけど、葉っぱを飛ばすのも、熱戦を撃つのも、時間をかけて修得したひとつの技なんだ。頭の中にあるイメージを確信するのって、思ってたより難しくてさ」
「そうなの?」
「先入観がないからね。たとえば銃なら、引き金を引けば、銃弾が飛び出るでしょ。もちろんあんたみたいな専門家に言わせれば、それだけじゃないだろうけど。でも、『引き金を引いたら銃が撃てる』ってイメージは、素人でも子供でも共有している。『引き金を引く』というアクションがあるからだと思う」
「……どういうこと?」
「引き金引いたんだから、銃弾が出るだろっていう確信。原因に対する結果を想像する無意識だよ。魔法にはそれがないんだ」
スティアはリリィの隣をすり抜けて、二歩ほど進んだ所で、足を止める。
正面にある大きな建物――先ほどまでいた、テンプルの施設――を見つめながら、彼は右手を掲げた。
「たとえば、俺がここから手をかざして、なんでもいいからテンプル滅べ! って思った所で、そんなことはできないんだ」
視界に入れたその施設を覆い隠して、握りつぶすような動作をしてみせる。
「属性の問題を抜いても、出来ない。俺の想像力が追いついてないから、具体的な手順が何も浮かんでいない」
「結果のイメージが出来てれば、不可能が可能にできるって言ってなかったっけ」
「俺の性格のせいかもしれないけど、手順のイメージがまったくない状態で結果を確信するのって、けっこう難しいんだよ。願い事に根拠がなければないほど、実現を信じることは困難だ」
スティアは、かざしていた右手を下ろした。
「子供の頃に読んだ本ではさ、森人は、呪文を唱えて魔法を使ってたんだ」
「あ、私が読んだ本もそうだった」
「賢いよね。それが引き金の役割なんだよ。ひとつの能力を、好きな時に出せる条件として、ひとつの言葉を鍵にしてる」
「あなたもそうすればいいんじゃない?」
「残念ながら、森人が実際に使っていたという呪文の資料は何も残っていない。で、俺は自分で創作した呪文に、力があるなんて思いこめるほど詩人じゃない。生まれた時から当たり前に魔法使いだった奴らとは違って、二年前までは普通の人間だったから、どうしても価値観が追いつかない。それに……」
「それに?」
「肺活量がない」
堂々と断言しながら、彼は肩をすくめた。
「大声を出すの苦手なんだ。走ってる時なんか絶対無理だし、どう考えても向いてないと思ってやめた」
リリィは斜め後ろから、スティアの姿を見つめた。肺が強そうに見えるかと問われると、ノーと言わざるを得ない。
「……聞いていいかな」
「うん」
「ご飯が食べられなくなったのって、レイバがあなたを改造してから?」
率直に訪ねると、スティアは一瞬だけ黙った後、苦笑した。
「まあね」
「どうして? 改造したのは腕だけなのに」
「腕はアニマを蒸留させる事と、出力させる事を可能にする装置だけど、増やしたアニマを貯蓄しておく場所は俺の全身なんだよ。学校ではさ、すぐに息が上がってたわりに、けっこうしぶとかったでしょ。カラーストーンから体中に流れているアニマが、体をつなぎ止めために力を底上げしてるんだ」
リリィは、エルクに攻撃を受けて気絶したスティアを思い出した。ダメージは受けていたし、疲労は打ち消せなかったようだが、それでも目を覚ますのだけはやけに早かった。
「アニマを定着させるために、薬を飲んでる。それが昨日、朝の目覚ましに使ってた液体のボトル。レイバは定着剤って呼んでる」
「それが、どうしてご飯が食べられないって事と関係するの」
「正直に言えば、はっきりとした理屈は分かってない。どれも仮説。でも摂食行為ってのがすごく不快なんだ。出来る限り食べたくはない。栄養剤はもらってるけど、本当はそれだってサボりたい。無理だけどね。とにかく、人間としての仕組みからちょっと外れてるわけだし、体質が変わったんじゃないかな。筋力とかはさすがに壊滅したけど、生命活動は維持できてるわけだし。森人は必ずしも食事をとらなくても生きていけたらしい。アニマが生かしてくれるから」
「……それで、いいの?」
「いいんだ」
断言しながら、彼は振り返った。その表情に迷いはない。
「確かに、日常生活に支障が出るくらいに体力は削られたけど、日常生活以外の所で必要とされる力は必要なだけ出せるようになってる。俺がこれまで、普通に生きてただけじゃ、決して得られなかっただけの力がね」
まっすぐに前を見る、その瞳に込められた意志が、彼の覚悟なのだろうか。ならば、リリィには止められない。
止められる強さじゃない。こんなに鋭い眼光は、他に見たことがなかった。
「タダで願いを叶えようなんて思っちゃいないよ。これが最適だと思ったから、俺の意志でレイバの話に乗ったんだ。だから、これでいい」
「……そう」
「でも、ロールは普通にメシが食えるんだけどね」
スティアは口調を崩した。
「あいつは感情だけで魔法を解き放てるんだ。逆に、感情にしか従ってくれなくて、厄介なくらいさ。意識して操ることができないくらい、本能のひとつとしてあいつに忠実らしい。摂食にもなんら問題はない。生まれたときから〈ブラック〉と共にあるのがデフォルトだったわけだから、力が体に馴染んでる」
ぎゅっと、右手を握りしめる仕草をしてみせた。その動きは義肢としては見事なものだったが、生身の左手に比べると、やはりどこかぎこちなかった。
「それが魔法と機械の差なのかな。でも、こうやって格差を感じてる限り、レイバは満足しないし、俺も願いを叶えることは出来ないんだと思う」
そして、再び苦笑した。
「何が言いたいのかって言うと、こうして不満を感じる限り、〈キャロル〉はまだ未完成だってことさ。強気に振る舞ってはいたけど、俺の力は穴だらけだし、他人のフォローなしでは機能しないんだ」
どきりとした。
「今だから言うけど、学校で戦ってて、笑いそうになったんだ。何度も」
彼は、握りしめていた手をそっと上げた。腕時計でも確認するように、甲を上に向ける。
さまざまな色に変わる例のランプは、消灯されていた。だが不意に、黄色の明かりが灯った。鮮やかなイエローの、宝石のような光。
「あんたには、あんまり期待してなかったから、正直――びっくりした」
言ってから、しばらく黙って、やがてスティアは小さく吹き出した。可笑しそうに、くつくつと笑う。
リリィは動揺してしまう。
「な、なに? なんかおかしい?」
「いや、ごめん、なんでもない」
にやけ面で言われても、説得力もなにもない。視線の圧力で意志が伝わったのだろう。スティアは笑いながら、弁解するように左手を振った。
「ほんとごめん、悪い意味じゃないんだ。ただ、いろいろ思い出した」
「思い出した?」
「俺あんたのこと天才だと思った。いや、天才じゃちょっと違うか。なんにしろすげーって思った」
「なんの話?」
「普通、ついていけないでしょ。我ながら変だったよ。あの戦い方」
明るく断言されて、リリィは言葉を失った。
スティアはいくぶんスッキリとした表情で、種明かしでもするように手を広げた。
「自信満々に見えるように努力したけど、マジで初めてだったんだよ、あんな大規模な戦闘。魔法なんて遺跡でひとりで練習してたくらいにしか使ってないから、どんだけ効果あるのかも分かってなかったし。混戦の時なんて立ち位置すらよく分からなくてめっちゃ混乱してたし。派手な目くらましでごまかしてたけど、自分がなにやってんのかほんとに分かってなかった。全部、行き当たりばったり」
あまりの激白に、リリィはあんぐりと口を開けてしまう。確かに、あらゆる意味でスティアの戦い方は規格外だったが。
なんの筋書きもなくあれをしでかしたということなのだろうか。それはリリィには絶対に無理なことだった。発想もなければ、度胸もない。
「でも、ミスって助けて欲しいと思った時にはあんたがいたし、動けないと思った時にはすでに動いてくれてたし、勉強してる人は違うなって思った。こんな扱いにくいのと、打ち合わせもせずに合わせられるんだから、基礎ってすげーって感心したよ」
スティアは、こちらの胸中とは真逆のことを誉めてくる。リリィの無意識が心がけた、マニュアルのすべてを。
「この二年間ずっと、力の使い方が分からなかったんだ。魔法を放てるようになった所で、一人じゃどうにもならなくて、〈ブラック〉を越えるイメージなんて、うまく固まらなかった。でも、おかげさまで、ようやくいけるかもって思えたよ。使い方次第で、めっちゃ役に立つんだって分かった」
そう言ってスティアは、とても嬉しそうに笑った。昨晩から今までにかけての、リリィを気遣うような様子とは、まったく違う顔だった。こっちの方が素だろうとは、ようやく見当がついてきた。
リリィは少しだけ萎縮した。罪の意識が、この喜びを覆い隠していたのだろうか。努力が実を結ぶ瞬間の手応えをリリィはよく知っている。そのかけがえのない喜びさえも、塗りつぶしてしまうほどに、気を遣わせていたのだろうか。
そう思うと、自然に言葉が滑り出ていた。
「……私も、あなたと一緒に戦って分かったことがあるよ」
「なに?」
「自分を守る事と、人を守る事は違うってこと」
唐突に変わった話題に、スティアはきょとんとした。
「シモン教官に言われたことがあるんだ。攻め急ぐなって。その意味が、実際にあなたを守るために戦ったことで、ようやく分かった」
自分のことばかりを考えていた。敵を掃討し、立場を守ることだけを考えていた。他人を守ることは、自己顕示の手段だった。生きる手段であり知恵だった。
現場で必要とされる覚悟は、そんなものではなかった。それがよく分かった。
「周り、見なきゃね」
頬から緊張が解けて、自然に笑った。
スティアは何も言わない。意味が分からなかったのかもしれない。それならば、それでいい。
「分からなかったことが分かって、しっかり実現できたから、これでも自信ついたんだよ。今までの私がしてきたことが、役に立ったのが嬉しいの。嘘じゃなかったことが、ここにもある」
それは簡単なことだった。これまで思い悩んでいた実態のない理屈よりも、ずっと。
「まだ実感はないけど、父さんが死んでたことは悲しい。でも、あなたには感謝してる。だから……」
続ける言葉が見つからず、息を吸う。結局は、格好をつけずに率直に告げた。
「落ち込まないで欲しいし、気に病まないで欲しいよ」
リリィは照れくさくなってきて、ごまかすように髪をかきあげようとした。
だが、テッドの銃で爆ぜ落ちた箇所だけ、不格好に空虚な感触がした。ほんの少しだけ、顔をしかめてしまう。
スティアはその仕草の一部始終を見ていたようだった。唇から言葉が滑る。
「あんたの髪が切れた瞬間もさ、恨まれる要素がまたひとつ増えたって、思った」
「これは別に、あなたのせいじゃないよ」
「俺が現れなければ、あんたがテッドと対面することもなかったからね」
告げてから、スティアは気が抜けた笑いを浮かべた。
「分かってる。たぶん、俺は考えすぎなんだよね」
「本当に分かってる? なら、いいけど」
降参を告げるように軽く両手を上げたスティアに向けて、リリィはなるたけ明るく、威張った風に笑った。
「この髪は切らないよ。あんな奴のために、せっかく伸ばしてたのを短くするのは癪だもの」
「けっこう格好悪いことになってるけど?」
「毛先だけなんとか整えてごまかすから、平気。私けっこう、こういうの上手いんだよ」
リリィはスティアに近寄った。右手を挨拶のような仕草で折り曲げる。
意図が理解できなかったのか、スティアは黙った。ぎこちない仕草で、右手を上げる。握手でも求められたのかと思ったのだろう。何かを言われる前に、リリィは首を振った。
「違う、そうじゃなくて。こう……」
自分の手のひらを肩の高さまで上げてから、スティアにも同じ動作を要求した。
「こうしてから、勢いよく、こう」
指示に正確に従ったスティアの右手と、リリィの右手が、空中で勢いよくぶつかった。これが生身の手だったら、パシンと小気味よい音が鳴っていただろう。
お決まりのハイタッチは、リリィにとっては馴染んだ動作だったが、スティアにしてみれば目新しいものであったようだ。あの生い立ちにこの体質では、競技スポーツなどをした経験はほとんどないだろう。
機械の手のひらの冷たさを感じながら、リリィは笑う。
「私たちはいつもこうするの。チームプレイに勝った時」
困惑する碧い瞳に向けて、力を込めて説明をする。
「あなたは私に謝れないって言ってたよね。別にいいよ。それでいいんだよ。だって、今は謝って欲しいなんて思う場面じゃないもの。だから私から言うことは、二つだけ」
リリィは晴れやかな気分で、にっこりと笑っていた。
「お疲れさま。ありがとうございました」
スティアはしばし面食らっていたが、やがて、破顔した。
今度こそ憂いを感じさせない造作で、声を出して笑った。
「ほんっと体育会系だね」
その笑顔に言葉を返しながら、雑談で盛り上がりながら、リリィはほっとしてた。
やっぱりこの人は、笑顔がいい。
強気に前を見据える顔も、後ろ髪を引かれるような後悔の顔も、人形のような容姿と、人気のない遺跡に、とても似合う。だからこそ、もっともっと、顔が崩れるくらいに笑っていて欲しい。それだけで彩りが差すことを、知って欲しいし、知らせて欲しい。
今朝のスティアはリリィに言った。リリィの世界は、リリィが思っている以上に優しかったはずだと。周りの人間が、どれだけリリィのことを想っていたかを証明した上で、そう言ってくれた。
きっと、スティアが見ている世界は、彼にとって優しくなかった。だからこそ、彼には見つけることが出来たのだろう。リリィが見逃していた人情の欠片が、眩しいほど目に映ったのではないだろうか。
彼はきっと、父親の問題を置いても、自分の生い立ちなど話したくはなかったはずだ。哀れまれるのを嫌うというレイバの評が、哀れみを糧に生きてきたという彼の言葉の裏を、そのまま表している。
リリィもまた、心のどこかではスティアを哀れと思っているに違いないのだ。それがきっと失礼に当たると、分かっていても。
(なら、せめて)
正直であろうと思った。それならば、嘘がつけず、ろくに空気が読めない自分にも、今すぐに出来る。
彼に救われたことや、彼に助けられたことへの感謝を隠さず、きちんと伝えようと思った。彼にとってこの世界が優しくないのだとしても、せめて誠実であろうと思った。
嘘つきであると自ら言った彼が、こちらに本当の言葉を届けてくれた誠意と同じくらいには、まっすぐでいようと、そう思った。




