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グレイゾーン1  作者: サヤカ
Act4 ブラック・プリンセス
22/36

 リリィは動けなかった。余計な動作をとれば、テッドはその瞬間に引き金を引くだろう。

 彼が銃の扱いにどれほど精通しているかは分からない。だが、肩書きや身のこなしを見る限り、達人ということはないだろうと予想がつく。――だからこそ、動くのは危険だった。今、撃ち落とされた髪の一房であり、射撃に自信がない人間が狙って当てるには難しい場所だ。少しでもずれていればリリィは死んでいたかもしれない。その事実が、それでも構わないという意志の表れなのだとすれば、迂闊な行動をとることは出来ない。

 テッドの顔面は大火傷を負ったことで、先ほどまでと一転して特徴深くなってしまった。顔面の左半分が自由にならないことに抵抗を示すように、無事な唇に深い笑みの皺を刻んでいる。だが、目を見れば分かった。キレている。

 ずっとリリィを見下していたあの余裕が、なくなっている。

「リリィ」

 笑みを浮かべたまま、テッドはまっすぐに名前を呼んできた。

「こっちへおいで」

 意味が分からず、リリィが黙ったままでいると、いくばくの間もおかずに、テッドは別人のように声を荒げた。「俺の所へ来いって言ってるんだよ!」

 声は発せなかったが、テッドは構わず、リリィが聞く姿勢を整えることを待つこともせず、吐き続けた。

「レアリス・カンパニーが嫌いだろう。ずっとお前を騙し、利用するために育てていたカンパニーが憎いだろう。そんなお前を横で見ながら、何も言わなかったレイバ・グリーニッシュや、スティア・アリビートも、恨めしくて仕方がないだろう」

 銃身を支える手を離さないまま、そのものが弾丸であるような早口だった。

「俺もだ。俺もこんな社会が嫌いだよ。なあ、リリィ。認めろよ。目標も、家族も、友達も、すべてが嘘だったお前の日常で、本物だったのは俺との会話だけだ。本音でいられた場所は、お互いにあのメールの中だけだったんだ。なあ、俺と二人でここから出よう」

 あまりの発言にリリィは目を剥くが、それに気づいた様子すらも、今の彼にはない。

「俺はお前の親だ。ガイル・ブルーノはもういないかもしれないが、お前に送った文章はすべて俺が考えた、お前はそれに影響を受けてここまで来た。なら、お前を育てたのは俺だろう」

 テッドは目を細めた。眼差しに、恍惚の影をにじませて。

「憎かったよ。ぶっ壊したかった。立場を偽っていた自分も、偽りの平和で笑うお前も。俺はお前の本当の表情がずっと欲しかった。それを手に入れるためにずっと動いていた。だから満足したんだ。あとで自分の地位が落ち込んだところで、人生が台無しになったところで、それだけで俺は満足だったんだ。だけど、やっぱりだめだ。だって、おかしいじゃないか」

 陶酔はすぐさま、煮えたぎる怒りに呑みこまれた。銃を握る手に、力がこもる。

「俺たちが親子なのに、ガイルでもセイでもないあのクソガキに――スティア・アリビートなんかに横から全てをさらわれて、俺が負けるのはおかしいじゃないか!」

 怒り狂うテッドの顔面で、大きな火傷がひしゃげていた。まだ傷を負ってから時間が経っていない。表情を歪めるだけで、想像を絶するほどに痛いはずだ。

 この傷が、彼の心をどのように傷つけたかを理解するには、リリィはテッドのことを知らなさすぎた。

 そう、知らないのだ。彼はリリィのことを知っているかもしれない。だがリリィはテッドのことなど何も知らない。

 相手の激情を見ながら、リリィは気持ちのどこかが、冷めてゆくのを感じていた。

 この距離感が、答えなのだと思った。

「……銃を突きつけないと、会話もできない親子って何?」

 低い声がこぼれた。今のテッドを刺激するのは危険だとは分かっていたが、止まらなかった。

「確かに、あなたは私に影響を与えたかもしれない。だけど、私は、あなただけに育てられたわけじゃない。絶対に」

 リリィの腿には、拳銃を収めたホルスターがある。一瞬でも向こうに隙が生まれれば、早抜きして撃ち込める自信がある。

 この自信は訓練で生まれたものだ。この学校で、ジャンやリックやエミリと共に、シモン教官の講義を受けたことで生まれたものだ。彼らの目的が何であったかは関係がない。結果としてリリィの中に残った、確かな力だ。

 その力を使って、現に今、自分と、自分以外の人間ひとりを守って、戦うことができた。

 嘘ではないことが、手のひらの中に実感として残っていた。

「今までの環境が嘘だったとしても、正解なんてどこからも降ってこなかったとしても、私は、今の私としてここにいるもの」

 まっすぐに、銃の向こうにあるテッドの顔を見つめる。

「あなたの言う通りよ。あなたの嘘が私を育てた。だけどそれは、他の全部も同じだよ。ジャンもリックも、嘘つきだったかもしれない。もしかしたらラルフやエミリだってそうだったのかもしれない。だけど、彼らと共に過ごした時間が、無駄だったなんて思わない。全部の嘘や本当から、私が感じた感情や経験は、私だけのものだよ。全部が合わさって私がいる。真実なんて、ひとつだけで出来てない」

 ここで過ごした自分の今までは、客観的に見れば無駄な時間だったかもしれない。

 だけど、顔を上げれば分かることがある。

 目の前にいる男の顔の醜さが、最初に分かる。造形や、火傷のことを言っているのではもちろんない。メーラーの向こう側にだけ存在していた、リリィ・ブルーノという他人の幻想にすがり続ける哀れな表情が、とても醜い。

 悲しくなるほどに、醜い。

「あなたは、私の父じゃない」

 自明を、きっぱりと口にした。

 それだけで目の前の男の表情は、さらに醜く歪んでいく。

「私の父は、もっと単純で、バカで、自分のことしか考えてなくて、一人でいつでも明るかった」

 テッドの手の中にある銃口は、はっきりとリリィの方を向いている。

 だけどその恐怖すらも、どうでもよかった。反論は、銃弾を叩き込むより確実な手応えでもって、リリィの中にある熱を放出させた。

「口調や言葉は真似できても、実際に会ったあなたは、特徴のひとつだって合ってなかった。だから、あなたは父さんじゃない。それだけだよ」

「うっ……」

 テッドが突如、喉に食べ物でも詰まったかのように、呻いた。ぶるぶると唇を振るわせ、貫くような視線でこちらを見る。そして。

「……うらぁああああ!」

 叫んで、銃身を掲げて、引き金にかけた指に力を込めようとした。――その一瞬で。

 彼が握りしめていた銃が、手のひらの中で弾けて、飛んだ。

 床に落ちた拳銃が暴発して、明後日の方向を打ち抜いた。その音に恐怖しながら、リリィは自分の立つ場所より右後ろ、新たな気配が近づいた場所に視線を投じた。

 スティアは、リリィよりさらにテッドから離れた距離に立っていた。

 機械で出来た右手を、テッドの方に向けている。原理は分からないが、テッドの銃が突然弾けたのも、彼が放った魔法によるものだろう。

 スティアの表情はとても静かだった。疲労も、穏やかさも、図々しさも。これまで見せた全ての感情を取り払ったような冷たい佇まいで、何も言わずにテッドを見ていた。

 突き出していた右手を握りしめて、親指と人差し指だけを立てた。子供が遊びで作る、拳銃のジェスチャーと同じように。そして。

 左手で手首を支えたかと思えば、鉄の右手の人差し指、第一関節から先が、パカリと開いた。

「!」

 細い指の奥に、小さな金属のきらめきが見えた。サイズまでは確認できないが、おそらく、空洞になっている。弾薬が通るだけの形に。

「……〈キャロル〉」

 スティアがほんの小さな声で、そうつぶやいたのが聞こえた。

 意味を考える暇も問う暇もなく、彼の手の甲が赤く光る。そして。

 銃声が響くと同時に、スティアの右手で衝撃が爆発した。

 テッドのスーツの裾が散り、銃弾は服だけを貫通した。

 身体が直接に銃と接続されていた反動か、一撃を放ったスティアの身体も、バックステップでも踏んだように弾かれていた。恐怖で完全に静止した隙だらけのテッドを前に、それ以上は攻撃できないようだった。だが、その一瞬で十分だった。

 リリィはリボルバーを握りしめて、すでにテッドに接近をしていた。気づいた丸腰のテッドが、視線を向ける。彼を守るものは、何もない。

 距離もコンディションも申し分ない。撃ち殺すことなど、造作もない。

 だけど。

 リリィは銃身を左手で握って、右手で撃鉄を下ろす。そのまま支えたグリップで、テッドのこめかみを思い切り殴りつけた。

 頭部に衝撃を受けて、テッドの身体が崩れる。強く殴りすぎたか、表皮が切れて派手に血が出た。見た目ほどたいした傷ではないが、頭に直接衝撃を与えた。ならば。

 体勢を整えたスティアが接近しているのは分かっていたので、リリィはくずおれたテッドから離れて場所を空けた。

 スティアは一瞬だけ驚いたようだが、あとは躊躇わなかった。もう一度、指で作った銃を構え、テッドの右足を撃った。硝煙と血臭とを間近で感じながら、リリィは気持ちが沈んでゆくの感じていた。

 頭が割れるような悲鳴をあげて、テッドの身体が投げ出される。湯水のように流れる血液は、やはり見ていて気分のよいものではなかった。スティアもそう思ったのか、こちらをフォローするためかは分からなかったが、彼は撃ち抜いたばかりの敵の足に、赤く光る手をかざした。次の瞬間には、流血だけが止まった。それでも、すでにスーツを染めた血や傷口、悲鳴は消えなかった。

 スティアはテッドの上半身を踏みつけた。銃口を向け、トリガーを引く。

 銃声が響く。

 ガクンと、テッドの身体から力が抜けた。

 スティアが放った三発目の銃弾は、テッドの顔面よりわずかに横にそれた、床を砕いていた。

 白目を向いて気絶したテッドの様子を確認し、スティアは多少苦痛そうに身体を折り畳んだ。倒れたテッドの胸ポケットから、何かをつまみ出す。黄色の宝石。

「撃たなかったね」

 宝石を手の中で弄びながら、スティアは軽い口調で話しかけてきた。

 リリィは、とても空しい気持ちになっていた。あれほど自分を滾らせた憎しみが、手の中で行き場をなくしたようだった。

「撃ち殺しちゃうんじゃないかって不安だったけど、しなかったらしなかったで、意外かな」

「……うまく言えないけど」

 言葉を探しながら呟いた。テッドは大量の血液を失って、真っ青になっていた。明らかに普通じゃない脂汗が浮かんでいる。

 憎い敵も、銃弾を受ければ傷を負う。

 傷を負えば、ただ哀れな瀕死人になる。

 殺しても死なないと思っていたふてぶてしさも、痛みひとつに弾き飛ばされてしまう。

 殺しても死なないと思っていた父親も、殺されればきっと、死ぬのだろう。

「父さんは、本当にもうどこにもいないんだなって……そう思ったら、すごく虚しくなっちゃった」

 笑おうとしたが、うまくいかなかった。だけど、泣いてしまえるほどには、悲しむこともできなかった。

「私ね、父さんのこと、別に好きだったわけじゃないんだ」

 スティアに告げるふりをして、くすぶっていた想いが外にこぼれる。なんとか言葉にしたくて、胸の奥がきしむ。

 言葉にした所で、すべては遅すぎたとは分かっていても。

「家庭を顧みず、母さんの死に目にも立ち会えないような、自分勝手な父親だったから、たぶん、恨んでた。だから会いたかった。変わらず私を好きでいて、好きなように気にかけてくるあのお気楽な父親に、一人前になって、会いに行きたかった。そして面と向かって言いたかったんだ。――私にはもう、あなたは必要ない。一人で生きていけるほど強くなった。ざまあみろ、ってね」

 苦笑する。スティアが横から口を挟まないのに甘えて、独り言のように続けた。

「私、まじめに頑張ってはいたけど、別にいい子じゃないんだよ。ずっとそんなことを考えてた。そんなことを、考えてた、つもりだった。でも……実際にいなくなってみると、よく分からない」

 父のことを素直に尊敬することは、どうしても出来なかった。

 だけど、自分や、世界の全てを率直に愛するあの笑顔を、嫌うことだって出来なかったのだ。

 スティアは、何も言わなかった。

 何も言わないまま、〈イエロー〉を握りしめた。そして、ちらりとリリィを見てから、軽く口を開いた。

「ちょっとこれ、貸してね」

 彼は宝石を左手に持ち変えてから、その手で右手首のくぼみに、なにやら複雑な動作で触れた。

 次の瞬間、手の甲を覆っていた鉄のパーツが、ガシャンと音を立ててスライドする。手首の部分に、隙間を広げたような空洞が開いていた。

 もはやその右腕の機能に何が追加されても驚かないと思っていたが、次の瞬間には、リリィはあっさり目を見張っていた。スティアは無造作に、開いた隙間に〈イエロー〉を滑らせて、右手の中にしまって手首のパーツを閉じてしまった。

 そしてその瞬間に、手の甲で輝いていた例のランプが、鮮やかな黄色に光った。

 装着を終えた瞬間に、ふらついていたスティアの足取りが、多少しゃんとしたように見えた。顔を見やると、表情も変わっている。重い疲労や、病人のような顔色の悪さが払拭されていた。この一瞬だけで、ずいぶん疲れが取れたように見える。

「すげえ。全然違うな、ひとつ増えると」

 満足そうに呟いて、すぐにリリィを見て笑う。「説明はあとでする」

 彼は額に手を当てて、ランプを赤に戻した。

 遠くから、足音が近づいてきた。最初に姿を見せたのはエルクだった。ジャケットの裾をはためかせながら、五階から一気に階段を降りてくる。

 セイ・ホワイトはいくぶん静かな歩調で、その後ろに続く。警備員のうちのまだ動ける数名は、また別の箇所から接近していた。非常階段から降りたのだろう。包囲するように、後ろの方から二人。

 気絶したテッドとスティアとリリィを取り囲んで、残党はじわりと距離を縮めていた。しかし。

「動かないでよ」

 スティアが得意げに、指で作った銃を、テッドのこめかみに当てた。

 吹き抜け構造の校舎の中で、先ほどの戦闘は筒抜けだったのだろう。二階のロビーに立ったエルクが、下り階段にかけた足を止める。

「最初に言っておくけど、この銃はトリガーを引いて放つわけじゃない。あんたらがよくご存じの通り、魔法のすべては気持ちひとつで放てる。ようするに、あんた達の誰かがこっちに攻撃でも加えたりしたら、俺ビックリして、自分の意志とは関係なく、うっかりこの人のこと殺しちゃうかもしれないってこと。危険物の取り扱いは、慎重にね」

 堂々と胸を張って、スティアは言った。

「ゼロ距離射撃なら外から見えないから、あんたの〈ホワイト〉も届かない。ついでに言えば、リリィは出来れば撃ちたくない相手だったけど、こっちの男はむしろ今すぐ死ねばいいのにって思ってる相手だからね。人質としての扱いは、さっきとは違うぜ」

 言葉を放たぬまま、エルクは真顔で様子をうかがっている――スティアはちらりと視線を上げた。

 リリィもそれにならって眼球を動かす。一階から最上階まで開けた校舎で、上に仰げるものは、大きな天窓だった。星は見えずとも、満月はよく見えた。リリィは初めて時間の流れを意識した。

 スティアが空を見たのも、時間の経過の確認だろう。彼はテッドに銃を突きつけたままで、セイ・ホワイトの方を見た。

「いいかげん、そろそろ救援が来るだろ。それまでこいつは人質にさせてもら――」

「!」

 唐突に、なぜかセイ・ホワイトが傍目からも明らかに動揺した。声ならぬ声で叫んだのち、彼一人だけに見える絶望的な何かを見つけたように、青ざめて瞠目したのだ。

 スティアも気づいたのだろうか。言葉を切って、ちらりとセイの視線の先を観察した。何もない。

「……やばい」

 セイはコートの襟元に手を運んで、首もとを押さえた。この初夏に室内で戦闘を終えて、寒さを感じているのだろうか? 彼以外の全員には、彼が動揺をする理由が分からなかった。

 セイはばっと視線を上げた。天窓。リリィもつられてそちらを見る。見たばかりの夜空。

 間違い探しの絵のような、違和感を覚えた。

 塗りつぶしたような真っ黒な空。星は見えない。

 満月も、ない。

「伏せろ!」

 セイが大声で吠えた、次の瞬間。

 鼓膜を突き破り、頭の中身をもすべてつんざくような巨大な破裂音が響き、天窓の全てが粉々に割れた。

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