第1章③ 蝋燭の町
足音や声が聞こえなくなってから、一時間くらい外に出るのを待った。その間に三人は自己紹介などをし、時間を潰していた。ヒューが周囲の安全を確認するとヒューに連れられ、地下室を出た。
路地裏の窓と蝋燭も少ない暗い道を選びながら、ヒューは移動すると意外にも町の中心部に近いところにきていた。大きな道の一本となりといったところだろうか。
しばらく歩くと大量のガラクタが周りに積まれている建物が見えた。ヒューはそこで足を止めた。
「ちょっと埃臭いけど、我慢してな」
そう言って今にも崩れそうな物と物が積まれた隙間を横歩きで通っていった。
セレスは物に手を当てながらゆっくりと横歩きで進む。左右の物の山がお互いに重心を預けあっているようで、見た目よりは安定しているように思えた。それを確認するとスゥに手招きする。スゥは物のタワーをつんつん触っていたが、セレスに気づくとついてくる。狭い隙間を抜けると風化した色褪せたレンガの階段があった。階段を上るとドアがあり、ヒューはドアを開けた。
「ただいま」
中からは何も聞こえてこない。家の回りはごみ屋敷だったのだが、中は逆に生活必需品のような必要最低限のものしか置いていなかった。玄関のすぐとなりの棚から蝋燭を取り出すとヒューはマッチで火をつける。火のついた蝋燭を燭台にのせるとヒューはこちらを向く。
「ニーナが眠っているのはこっちだ」
そう言ってセレスとスゥを部屋に案内した。
部屋に入ると簡素な壊れかけのベットに七歳くらいの小さな少女が眠っていた。この少女がヒューの妹、ニーナなのだろう。ベットの足は折れており、板などで高さが均等になるように調整されていた。
セレスはニーナに近づき様子を観察する。ニーナはよく眠っており、起きる様子はない。部屋を見渡すと、物が少ない部屋だが、特におかしなことはない。ナイトメアが作り出した幻想が具現化してないように見えた。
通常、ナイトメアに寄生されると宿主の願いを具現化し、幻想を作り出す。その状態はナイトメアにとって『願い』をすいとりやすい状態になっており、宿主の『願い』が枯渇するまですいつくす。しかし、寄生されたからと言って必ずしも、幻想が具現化するとは限らない。
窓の外から見える明るすぎる蝋燭をセレスがじっと見ていると、ヒューが不安そうに声をかけてきた。
「ニーナ、起こせそうか」
「……やってみる」
セレスは蝋燭を見るのをやめ、ニーナの額に手を当てた。目を閉じ『願い』を込める。すると、セレスの予想とは裏腹にあっさりとニーナから黒い霧がでていく。目を開き、黒い霧を確認すると蒼く光る水の玉を作り、近づけた。黒い霧はあっという間に消えていってしまった。
あまりにも拍子抜けのできごとに、ニーナが本当に目覚めるか心配になり、セレスはニーナを見た。しかし、ニーナは首を動かしながらゆっくりと目を開いた。
「ニーナっ!」
ヒューは妹の名前を呼んだ。ニーナはゆっくりとヒューの方へ目を向ける。そして、口が動いた。
「……お、にい、ちゃん」
「ニーナ、そう、お兄ちゃんだよ」
ヒューはニーナの手をぎゅっと両手でつかみ、ベットに崩れた。
「お兄ちゃん、心配したんだからな」
「おにいちゃん、なんで泣いているの? 泣いてばっかりいたら、立派な蝋燭職人になれないっておとうさんが言ってたよ」
「うるさい、今はいいんだよ、今は」
兄妹の再会をセレスは見届けると廊下に出ていった。それを見ていたスゥはつられるようにセレスについていく。
「ヒューくん、ニーナちゃんに会えてよかったね」
「うん、よかったと思う」
セレスは静かに言った。ニーナを浄化した後、窓の外を見た。蝋燭の光は異常なほど明るく輝いていた。おそらくあの蝋燭は本物ではない。だとしたら、これは誰の夢なんだろうか。
「セレス、あんまり嬉しくなさそうだね」
「よかったとは思っている。けれども、根本的な解決にはなっていないと思う」
「どういうこと?」
「この町にはまだ、ナイトメアがいるんだと思う。それも、すごく強力なやつ」
兄妹達がいる部屋のドアを見ながら、セレスは言った。
数分後、ヒューが部屋から出て来てセレスにお礼を述べた。しかし、ヒューは歯切れ悪そうに明日も来てほしいとだけ、セレスに伝えた。セレスはあっさり浄化できたニーナの様子が気になり、了承した。
ヒューは追われているんだったらここを使うといいといったが、セレスは断わった。グローに一度、ルチャーナの町の現状を報告するために町の外にでることにしたからだ。ルチャーナは現状、帰って来た希灯師がいない。中の様子を伝える方が先決かと考えたからだ。
スゥとセレスは路地裏を歩きながらこそこそと来た道を歩いていた。一時間くらい歩いたと思われるが、町の外に出ることはできない。
「ねえ、セレス、さっきもこの道通らなかった」
「僕もそう思う。でも、ずっとまっすぐ歩いている」
一時間もあれば町の外に出れる距離にいたはずだった。それなのに、どこからかずっと景色が変わらない。
「この町、変だよ。なんか生きているみたい」
「……そうだな」
吊るされた燭台の蝋燭はセレスを嘲笑うかのように頭上で揺らめいていた。
「希灯師が誰も返ってこない町か」
ルチャーナは誰も帰ってこない町ではない、誰も出られない町だった。
「戻ろう」
「う、うん」
セレスは体を翻し、来た道を戻り始めた。セレスもスゥも追われているため、ルチャーナの宿屋に泊まることはできない。他に泊まれる場所は思い当たらないのでヒューの家に戻ることにした。
ヒューの家に戻り、事情を説明するとヒューは驚きながらも快く二人を受け入れた。
部屋に入ると机の上に蝋燭が灯っていた。その明かりから、うっすらとベットから体を起こしているニーナの顔が見えた。ニーナはセレスとスゥに笑いかけていたが、その顔は少し衰弱しているように見える。起きたばかりなのだから無理もない。スゥはニーナにかけより、大丈夫? と心配そうに声をかけていた。
セレスは隣にいるヒューに尋ねる。
「ルチャーナから出られなかったんだけど、心当たりとかないか」
「オレにもわからない。ルチャーナの外にでようと思ったことないからな」
「そうか。ニーナ以外にナイトメアに寄生された人に心当たりないか」
ヒューは首を横に振った。
「オレは知らない。でも、誰に聞いても無駄だと思う」
「この町の人の反感を買ってるからそうだとは思うが」
「違う!」
セレスが言い終わる前に、ヒューは強く言葉を吐き捨てた。
「違うんだ。町のみんなはナイトメアになんて寄生されるわけないっ、そう思ってるんだ。ナイトメアに寄生されたと言っていること事態が頭がおかしいって。父さんや母さんにすら、信じてもらえなかった。ルチャーナの蝋燭があればって。みんな蝋燭に囚われてるっ!」
ヒューが大きな声を出したことで、スゥとニーナは驚いてヒューを見て固まった。
「ヒュー、ちょっと」
セレスはヒューの腕をつかみ、部屋の外に出た。
ドアを閉めると廊下でセレスはヒューから話を聞く。
「ヒューはこの町や人がおかしいって自覚あるんだな」
「当たり前だろ、あんなの蝋燭じゃない。光源だけが蝋燭じゃないだろ」
「ヒューにとっては違うのか」
セレスが聞くとヒューは強く頷いた。
「確かに希灯の発達で蝋燭の時代は終わった。けれど、人の心や願い、それを灯すのが蝋燭だろ。オレは蝋燭を信じている」
「……そうか」
ヒューが信じている信念、プライドというものはセレスにはわからない。けれども、ヒューにとってはそれが大切だということが言葉の力強さから読み取れた。ヒューはヒューなりの蝋燭に対する想いがあるのだろう。
「あんまりヒステリックになっても状況は変わらない。この町の状況を打破するにはナイトメアの浄化が必須だ。まずはそれを考えないか」
冷静にセレスが言うと、ヒューは顔を伏せながら、こくりと頷いた。
「悪い。ちょっと、どうかしてた」
「この環境にいれば無理もない。ヒューも疲れているのだろう。ニーナは起きたんだ。休んだ方がいい」
ヒューは目を反らしながら、頭をかいていう。
「おう、そうするよ。いろいろと悪かったな」
そう言って、ヒューは部屋に戻った。それに続き、セレスも戻る。
ヒューとニーナ、スゥが楽しく談笑する様子をセレスは部屋の端に座ってぼんやりと見ていた。何度かヒューが話しかけてきたが、適当に返したため何を聞いてきたか覚えていない。しばらくするとヒューとニーナは疲れたようでそのままベットで眠ってしまった。スゥがセレスに近づいて来て、セレスの前に座った。
「セレスはどうして混ざらなかったの」
セレスは顔をあげ、スゥに言う。
「そういう風に見えた?」
「うん」
「出してるつもりはないんだけど、そう見えたならすまない」
セレスは表情のないまま軽く謝罪をすると、スゥがセレスの顔を見ながら迫ってきた。
「実際はどうなの?」
スゥの表情には心配や不安、そういった感情は読み取れない。ただの好奇心でスゥはセレスに聞いているようだった。セレスは目を閉じ、薄く目を開いた後に、静かに答えた。
「確かに、混ざりたくなかった。それは決して手に入らないものだから」
「どういうこと?」
セレスは少し口を閉ざした後、ヒューとニーナを見ながら答える。
「僕にも妹がいたんだ。……スゥとよく似ていた妹が」
「そうなんだ、会ってみたいな」
スゥはぱあっと明るくなり嬉しそうに答えた。それを見るとセレスはぎこちなくも柔らかい表情を作った。
「それはできない。妹は死んだんだ」
「死って何?」
「……もう会えなくなることとでも言っておこう」
スゥは肩をすくめた。
「……そっか、残念だね」
「うん、そうだな」
無機質にセレスは答える。
「スゥは寝ないのか」
セレスが聞くとスゥは体が思い出したようであくびをした。同時に眠気もやってきたようで目を擦り始めた。
「……うん、眠いかも」
セレスはベットを指差す。ヒューとニーナが寝ているが、二人とも幼く体が小さいため、半分くらいスペースが空いていた。
「スゥはそこで寝るといいよ」
「セレスはどうするの」
「僕はここでいい」
スゥが困った顔をして眠そうなのに動かないので、セレスは言う。
「僕はここがいい。それならいい?」
「そうなの? じゃあ、おやすみなさい」
スゥはあっさりベットに移動した。眠すぎて思考ができていないようだった。
「おやすみ」
セレスが言う頃にはスゥはもう眠っていたのかもしれない。そのくらい早く眠りについてしまった。スゥも長い移動の末、疲れていたのだろう。
セレスは三人が眠っているのを確認すると窓を開け、二階にもかかわらず飛び降りた。希灯術で水の玉を作り、それを踏む。その反動から勢いよくジャンプし、向かい側の屋根の上に着陸した。セレスはルチャーナの町を見下ろしながら、歩き始めた。
***
翌日、スゥとヒューは起きたがニーナだけは十時を過ぎても目覚めなかった。ヒューはニーナをみて悔しそうに呟く。
「やっぱりだめだったか」
「知っていたのか」
セレスがヒューに聞くと、ヒューはニーナを見ながら答える。
「アイザックさんに何度かニーナを浄化してもらったことがあるんだ。でも、必ずニーナは眠ってしまう。どうしたらいいか考えているうちにアイザックさんは町の人に捕まった」
「アイザックって希灯師?」
ヒューは頷き、答える。
「うん、この町に常駐する希灯師。希灯師ってだけでみんなに毛嫌いされてたけど、すごく真面目でいい人だった。みんながおかしくなっても決してアイザックさんは町のみんなを批判したりしなかった」
ヒューは悲しそうに説明した。セレスはその話を聞きながら、手を口の近くに持ってきた。
「そのアイザックって人、今どこにいる」
「町の牢獄だよ。見張りがいるから助けられない」
「へー」
セレスは静かに言った。
「ヒューはその牢獄の場所は知ってるのか」
セレスの言葉を聞くとヒューはセレスの方を向いた。
「まさか行く気か」
セレスは感情を高ぶらせることなく平然と答えた。
「数人程度なら黙らすことは可能だ」
「見かけによらず、血の気が多いんだな」
ヒューは顔をひきつりながら答えた。セレスはヒューを無視し、思考を巡らす。
「この町に常駐している希灯師なら、事情も詳しいだろうし、僕達の気づいていること以上に気づいていることがあるだろう。僕はその情報がほしい」
意識を現実に持ってくるとセレスは言う。
「ヒュー、僕を牢獄へ案内してくれないか」
「わかった。でも、無理はしないでくれよ。今、この町でナイトメアと戦える希灯師はお前だけなんだからな」
「わかった」
命令を遂行する機械のようにセレスは答えた。