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こんなに釣れません裏  作者: 咲多紅衣(さきたこうい)
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裏20180528_南伊豆01

前作の読者さまが予想を大きく上回りまして、嬉しいのでこちらも投稿します。前作を男側視点で語る物語です。


終わりまで書き上げていますが、修正が必要なため、不定期更新です。

 2018年5月28日(月)。


 俺は久々の底物(そこもの)釣りに伊豆半島の南の沖にまでやって来ていた。

 地方(じかた)はずっと北にある。ここは海に突き出た岩の上、釣り師の間では沖磯(おきいそ)で通る岩礁の上だ。

 正面から見ると凸型。横から見ると岩の上に鋭い三角の隆起。その三角の頂上、前後が切り立った崖の上で、俺は崩した胡座(あぐら)をかいていた。

 今日は色々あって、悔やんで悔やんで、釣りに集中できない。当たりを待つ間の潮の流れの変わり方、日差しや風による水温の変化、船が起こす波、どれもが意識する前に逃げていく。

 ただただ幾度もため息を付きながら、穂先の鈴が微かに揺れるのを見つめているしかない。

 思い浮かぶのは、さっき見た桃。かぶりついたら果汁が口から(あふ)れだすんじゃないかと思わせる桃。ブヨブヨに熟れすぎた桃じゃなくて、傷み一つない剥きたての瑞々しい白桃。

 俺は一生忘れないと思う。この後悔もずっと背負っていくかもしれない。

 チリリンと鈴が鳴った。穂先が揺れて沈む。一気にガツンと食ってはくれないが、確実に食いが来ている。

 もう一段沈み込み、穂先がお辞儀をする。更に食っている。これは来るか。

 ぼやけた意識がみるみる内に研ぎ澄まされていった。

 胡座から一息で立ち上がり、リールへ手を伸ばした。ほんの少しだけ糸を緩め、竿掛けから石鯛竿(いしだいざお)をそっと外す。

 穂先が更に絞り込まれていく。

 無意識に全身に力が入る。

「合わせが早い。馬鹿もん」

 おっと、爺様師匠に叱られた。

 更に穂先が沈み、道糸が張る。

 せーの。

 グウン。あおった竿先がきれいに曲がった。よし手応え十分。合わせ(針掛かり)に成功。

 これは来たかも。先調子のハードな竿がグイグイ曲がる。

 横に走らず下へ下へと潜ろうとする。

 根に潜るつもりか? させねえよ。

 こいつ、デカい。 

 だが、本イシの手応えと少し違うか。石垣? いや、またアオブーかも。

 でも今は良い。戦いを楽しむだけだ。

 股間に血が集まり、ズボンをギッチギチに(ふく)らませた。

 グングン引く。相手は力が強い。良いね。好きな獲物だ。

 他人に言わせりゃ力任せ、俺自身は「パワーでのいなし」と呼ぶ竿の操り方で海中の獲物の顔を上に向かせる。

 よおし、ここで巻き上げ。

 俺のパワーに勝てるもんかよ。

 まだ潜ろうとするか。行かさねえって。

 お、ドラグが負けた。やつの反転を許しちまったか。

 巻き取った糸がジリジリとまた出ていく。

 ドラグを締めるか? いや、これで良い。

 大物の引きはたまらない。

 リールのハンドルを巻いて巻いて、靴の半分ほど軸足をずらし、竿を引いて。

 力を込めて、ゆっくりと竿を立てていく。

 上げた分を素早く下ろし、上げ下ろしの差を巻き取る。

 立てる、巻く。

 上げ、きれない。グッと耐えて、動きの緩む瞬間、竿を立てる。リールのハンドルを分回し、巻く。

 立てる、巻く。

 ポンピングだとはお世辞にも言えない動作を繰り返し、獲物を引きずり上げていく。

 浮いてきた。偏光グラス越しに影が大きくなる。

 海中の影はアオブーじゃない。色は・・・、灰色? もっと黒い?

 しぶとい。まだ逃げようとする。そこは駄目だ。道糸が海中の岩の角に触れる。瀬擦れさせて糸を切るつもりか、この野郎。

 狭い足場を蟹歩きし、岩を避ける。

 ここは動ける前後幅が冗談みたいに狭い。慎重な足運びで少しずつ移動。

「おっ?」

 磯ブーツが少し|緩≪ゆる≫くて、体重のかけ方がおかしくなり、ピンが引っ掛からず滑りそうになった。

 マジかよ。昨日点検した時は、フェルトもピンも問題なかったのに。長靴(ブーツ)の外皮のへたり、見た目より進んでたのか。もう寿命なの? 買って1年たってないぞ。デザイン重視で買うんじゃなかった。そこそこ良い値段だったのに。

 3足あったオールシーズン磯長靴の最後の1足だったのに。もう一足ある長靴は防寒用だから中モコモコで半年は使えないし。

 ・・・はあ、長靴新調するか。

 瞬時の思いが頭に浮かび、水面には魚影が浮かんだ。

 やった、文句なしの口白(くちじろ)

 雄の石垣鯛(いしがきだい)は、老成すると身体の斑点が消えて口の回りが白くなるから、底物師の間では「口白」と呼ばれる。年を経ると雌も同様に口吻(こうふん)周りが白くなるのだけれど、その範囲が小さく、「口白」とは呼ばない。大きくなり模様が広がって石垣に見えなくなっても、雌の呼び名は石垣鯛のままだ。

 小さい頃の石垣鯛は、本当に石垣そっくりの模様をしていて、顔付きも何もかも口白とは違う。2つを比べて同じ種類の魚だと当てられる素人はいないと思う。

 で、今ここで暴れている魚は「口白」。年を経た石垣鯛の雄。

 これは予想よりデカいぞ。伊豆では初めての大きさかもしれない。

 ぶっこ抜きだと上手く軟着陸させてやれないか。タモ網で拾うとするべ。

 足をずらしてリールから離した右手を下に伸ばし、(たも)()を掴み、崖下の海面へと片手で伸ばす。

 竿を操って、口白をタモ網に導き、導き、導き、・・・入れ。

 入った。

 伸ばした玉の柄を手繰(たぐ)って縮め、網を引き寄せる。片手で振り出しを戻すのは餓鬼の頃から慣れた動き。ここで落とすような馬鹿はしない。竿とタモを抱えて蟹歩きで釣り座に戻った。タモの重みが嬉しい。

 竿を竿置きに置いて、タモ網を足元に乗せた。ポケットからフィッシュグリップ(魚の口を挟む道具)を取り出す。

 石鯛(いしだい)に比べると石垣鯛の口は若干小さい。両方同じような鳥の(くちばし)状の口だが、比べるとわかる。それでも口白クラスとなるとゴツくて大きい嘴となる。この嘴の中に栄螺(さざえ)の硬い貝殻も噛み砕く歯が並ぶ。海胆(うに)(とげ)を物ともしない強靭(きょうじん)な顎をグリップで挟み、(かんぬき)を貫く18号針を抜いた。

 フィッシュグリップでぶら下げ、グリップの計量計の数字を見る。

 7.8㎏。超えた。俺の最高記録。

 歓喜の中、ここに来るまでの事に思いを巡らせた。


 伊豆急行下田駅前のコンビニで買った氷をクーラーボックスにぶちまけ、荷室のドアを閉じた。運転席に座り、エンジンをかける。シートベルトを装着し、ヘッドライトを点けた。

 空が白んできた気がする。目的地まで、あと15分くらいか。シフトレバーをドライブにいれ、ゆっくり駐車場を出た。

 俺は左大路ヴィニーチョ。

 「ひだりおおじ」ではなく「さおおじ」。下の名前で分かるかもしれないけど、母親が外国人のハーフだ。ああ、ハーフでも金髪や青い目じゃないよ。母は白色人種だけど金髪じゃない。俺の髪の毛は黒、目も茶色。ダチに聞くと顔は白人っぽいらしいけれど、自分では母方の親戚に比べて東洋人っぽいと思っている。

 母親は北イタリアのミラノ人で黒髪緑目。二番目の妹が母親より濃い緑の瞳をしている以外、上と下の妹は俺と同じ色合いだ。俺と似ていると言うと怒られるからいわないが。

 Vinicio(ヴィニーチョ)という名前は、親父が好きな歌手からもらったもの。俺が生まれてから有名になった人らしくて、先見の明があると自慢していた。意味を聞いたら、親父は名付けておいて知らなかった。スペインでは結構いる名前(綴りは同じでも読み方はヴィニシオ)なせいで、そちらとのハーフと思われることもあった。

 スペイン語だと「葡萄」か「蔓」だから、役に立ちそうなんで「葡萄」という意味だと自分で勝手に決めた。「親父がイタリア料理屋で」と説明すれば、何となく納得してくれるし。

 親戚やら知人やら柔道関係者やら、イタリア人の知り合いは沢山いるが、子供の頃から「Vinicioという名前は初めてだよ」と何度言われたことか。親父、好きな歌手ならせめて「佳祐」とか「陽水」にしておいてくれ。

 妹3人の名前は一般的なイタリア人女性の名だ。Luciana(ルチアーナ)(光)、Esmeralda(エズメラルダ)(緑玉(エメラルド))、Irene(イレーネ)(平和)。良い名前だろう? 

 妹達の名付け親である母方の祖父に聞いたことがある。

「なぜ俺の名前も付けてくれなかったのか」

「男だから」

 うん。簡潔な答えだった。

 母方一族は、お袋が数十年ぶりの女の子で、その次は妹達だから、彼女らはお姫様である。俺はその他大勢の男の一人に過ぎない。

 しかも、ミラノ人という働き者(変わり者)のイタリア人どもの癖に、妹達を「可愛い」「綺麗」「美しい」「麗しい」と南イタリア人みたいに嫌ってほど誉めるから、妹達は誉めてくれない日本人が嫌いになっていしまっている。妹らは普通の日本人とは結婚できないと思う。だが、イタリア男の三分の一はマザコンだから、向こうの男も嫌だという。さて、どんなのを見つけるのか。

「取りあえず、俺を倒せる男を連れてこい。話はそれからだ」

 と小さい頃から言い聞かせてあるから、そこそこの奴を見つけてくるとは思うんだが。

 ちなみに、数十年前に生まれたお姫様こと、家のお袋の名前は、祖父と曾祖父と曾祖父の弟達、大叔父達(祖父の弟)、更に祖父の従兄弟や再従兄弟達まで出てきて、大騒動の末に決まったらしい。母親の名前を提案した大叔父が自慢していた。Benedetta(ベネデッタ)(祝福された者)って、イタリア女性ではよくいる名前なんだが。

 妹達の名前に関しては全員、一族の長の強権を発揮して祖父が決めた。上の妹はともかく、二番目三番目の時には叔父達や大叔父達、母の従兄弟達、更に遠縁までが協力して一族会議を開催したらしいが、「おじーちゃん(Nonno)」は押しきった。二番目の妹がお袋の腹にいる頃、上の妹にそう呼ばれて感激したあげくらしい。小さい頃は、俺もそう呼んだと思うのだが。

 ちなみに名付け親と宗教的な代父母(padrino e madrina)、つまり英語でいうゴッドファーザー、ゴッドマザーは違う。長男に祖父の名を付けたりすることはあっても、イタリアに特に名付け親の慣習はない。代父母は洗礼に立ち会って後見人になるような人で、宗教的な意味合いが強い。

 俺の代父は母の親友の夫だ。つまり、俺もキリスト教徒だ。

 ちなみに俺の名付けをしようとしたのは親父だけで、反対する人は誰もいなかったらしい。まあ、一族の姫が日本人と結婚、しかも遥か東の果てに嫁に行ってしまうってことで大反対され、少なくとも祖父とは半分絶縁していたらしいけれど。大事に大事に育ててくれた父親を捨てるなんて、お袋はさすが恋愛絶対主義のイタリア人だよね。

 偏見。

 俺の略称は「Vini(ヴィニ)」。ただし親族以外は家族も誰も使ってくれない。親でさえ「Vinicio」とフルで呼ぶ。妹達も最近はVinicio呼びするようになったが、年齢によって「にー」から「デブ」まで、色々と呼び方が変わってきた。

 是非とも今の呼び捨てで落ち着いて欲しい。半分イタリア人なのだから、デブじゃなくて「Grasso」で良いだろう。それなら日本人には通じないから。

 特に成人している長女、お前だ。喧嘩してもいないのに「熊」だの「ピーーーー」だの適当に呼びやがって。それに携帯電話の登録名「Porco Rosso」にしてるだろう。お前の友達から聞いたぞ。

 イタリア語のPorco Rossoは直訳すれば赤い豚だが、俗語では悪口だ。ピーーーーよりはましだが。

 俺には渾名もある。こっちは下の名前と全然関係ない。上の名前をもじって「王子」とかでもない。もちろん「デブ」でも「熊」でも「卑猥な男」でも「ピーーーー」でもない。

 「たいこーぼー」。保育園の園長さんに釣りが好きだといったら「太公望ですね」と。保育士さん達が面白がって呼び出したら周りに広まり、そのまま上がった小学校で定着。中学でも気がついたら呼ばれていて、古い付き合いの連中が別の高校に進学して、やっと呼ばれなくなった。ずっと平仮名の感じで「たいこーぼー」だった。

 大学で言われたんだが、ハーフって都会の人というイメージがあるらしい。だが俺は、ハーフとはいえ田舎者だ。静岡県の東端、熱海で生まれ育ち、就職まで22年間、ずっと実家に居座っていた。小学校中学校は市立、高校は地元の県立。大学は神奈川県平塚市の私立学校。

 熱海は神奈川との境にある街なので、大学へは自宅から1時間ちょっとでバイク通学。バイクだと厳しい天候の日は、早くて1時間40分、大体2時間弱の電車通学をしていた。少し遠いけれど、東京まで通勤している人もちらほらいるので、辛いと思ったことはない。通勤に多い「こだま」なら、東京までだって45分だけどな。

 俺は普通に乗って小田原で乗り換えて、私鉄で名ばかりの大学前駅。そこからは基本的に30分くらい歩き。バスには乗らない。

 車を手に入れてからは、部の偉い人にバイクは止めて車にしろと言われていた。乗らない人間にとって単車は危ない代物だから仕方ない。バイクは好きで乗っているから、のらりくらり、呼ばれて(とぼ)けてジャジャジャジャーンと、避け続けて卒業した。

 就職してやっと独り暮らしになった。まあ、舎宅だけど。

 趣味はガキの頃から釣りと柔道とバイク一筋。

 一筋?

 趣味の筆頭、釣りは、熱海の実家が少し歩くと海になる場所だから、まあわかってくれるだろう。「熱海港海釣り施設」だと実家から歩いて30分はかかるが。

 あの施設、子供の頃は単なる防波堤だったんだけど。俺が小学校に上がった年だったか、高波だから帰れっていう警告を無視して2人死んで、一時期閉鎖されていたのを覚えている。気付いたら、何年後かには施設ができていた。悪質な釣り人は禁止にしても入り込んで釣って、死ぬ時に迷惑をかけるから施設化されて良かった。

 趣味というか生き方の柔道は、始めたきっかけがさっぱり思い出せないんだけれど小学校に上がる前にはやっていた。小学校でも中学校でも高校でも大学でも。学生の間だけではなくて、今年、社会人になっても続けている。

 というより実業団の柔道部がある特殊法人に入れてもらったのが正解。特殊法人の準公務員なので会社員ではなく団体職員と呼ばれている。

 一番新しい趣味がバイク。自転車じゃなくて自動二輪、単車な。これを始めたきっかけは、遠い親戚からもらったボロい原付オフローダー。高校まで1時間もかけて山登りするより、これを使って通えとくれた。

 熱海が狭い観光地だとはいっても、山の麓だから坂が多くて足のあるなしで機動力が全く変わる。俺が通っていた高校もそうで、街から外れた山の上にあるから歩きだと1時間近くかかるんだ。くれた親戚も俺と同じく、徒歩通学だと時間が掛かったらしくて、隠れてバイク通学していたそうだ。

 俺の出た高校では、バイクは校則違反じゃない。もちろん学校の許可が必要だが、申請すれば簡単に乗ることができた。ほとんどがスクーターだったけれど、バイク通学が1割を越えていたし。県立の中では、いや、市内にあるもう1校に比べても、校則がゆるい。そのことだけが唯一の美点だった。

 生徒のほとんどはバス通学だ。駅から学校まで1本で行けるから。俺も駅まで歩いて乗れば良いんだが、朝は夜明け前からバイトしていて、そこから駅に戻るとえらい遠回りだから、歩いて上っていた。誕生日が来て原付免許を取るまでの2カ月半。

 子供の頃は自転車を持っていたけれど、高校の頃にはもう壊れていた。まあ、壊れなくても小さすぎたかな。バイト代で新しい自転車を買う気はない。それなら釣具を新調する。それが高校に入った頃の俺だった。

 自分で整備から何からやっていたから、バイクはガス代と多少の消耗品代で動かせた。工業高校じゃなくて普通科だが、釣り友というか兄弟子に自動車整備工場の人がいて、教えてもらった。

 俺は柔道の負けや人間関係で悩んでも、ひたすら練習をして疲れ果てて忘れる類いの人間じゃない。満足に釣りへ行けなくて苛々しても、釣果が悪くて落ち込んでも、道具の手入れや新たな仕掛けを作って自分を慰めるタイプではない。だから、中学の頃は結構、一人でウジウジしたり、夜寝られなくて困るようなことが多かった。

 だけど、バイクに乗り始めて、通学するだけで、いつの間にかスッキリしていることに気づいた。スピードを出す訳じゃない。ウイリーだとか無駄な空吹かしをするわけでもない。ただ走るだけ。身体に風を受けて走るだけ。

 バイクは楽しいものだと知ってからは、またがる時間が増えた。前に自転車に着けていたロッドフォルダーを元に、近所の工場で曲げとか溶接とかさせてもらい、バイク用のロッドフォルダーを作り、釣行にもバイクを使うようになった。

 原付から中型、大型へと乗り換え、今も乗り続けている。流石に遠征釣行には車を使うが、それでも今でも、ふらりとバイクで釣りに行く。

 最近は、またがる時間は学生時代に比べると格段に減ったが、隙間の時間に転がしている。なので、実は車よりバイクに乗っていると思う。

 どうせ今日の獲物も親父に盗られるだろう。明日も休みだし、実家に泊まらず夜の内に舎宅に帰って、明日一日バイクをいじるかな。


 今の俺の住まいは東京。団体職員になり勤務地が東京ということで、熱海から通うのは無理。もちろん柔道の朝練があるから無理という意味で、熱海から通勤している人を否定しているわけじゃないよ。

 柔道か釣りかツーリングか遊びでしか来たことがなかった、あの「東京」に今は住んでいる。中学1年の時に妹達を引き連れてあの巨大テーマーパークに行って以来、何百回も来ているあの東京に。

 違った。「T○L」って東京じゃなくて千葉県だ。当時、保育園児だった一番下の妹に教えられて、上の兄妹3人がショックを受けたという苦い思い出が。ま、神奈川県にある母校の柔道部も東京柔道学生連盟所属だし、東京の近くなら東京で良いんだろう。とすると、実は大学への通学も東京に通うで良かったのかな?

 いやいや、東京の人(東京生まれの人ではない)から怒られそうだ。

 柔道ができる企業や官公庁は多い。実業団の大会で強い企業もそれなりの数はある。国内大会のテレビを見れば、所属企業が多種多様なのはわかってもらえるはずだ。

 卒業後の進路として多くの企業からお誘い頂いたけれど、OBに誘われて今の所に就職先を決めた。OBは「柔道だけすれば良い訳じゃないから、まともな社会人として仕事が覚えられる」と断言してくれた。柔道で会社に置いてくれるなんて若い内だけだから。

 それに、東京勤務なら妹達に何かあった時にはすぐに動けると思ったのもある。社会人運動部に関しては、本社が東京でも部の所在は九州とか色々あるから。

 実は、今の団体も全国規模で勤務地がある。当たり前だ「日本」が団体名についているんだから。3年毎に配置転換があるが、現役選手の内は都内だろう。引退したら地方転勤もあるのかな? 2年後の「東京」が終わったら現役引退するかもしれないな。ま、その頃には下の妹も高校を出ている。その頃なら兄離れをさせても良いだろう。

 舎宅に引っ越しするまでは、東京と熱海に大した違いはないと高を括っていた。熱海の観光客は東京の人が多いし、1年に何回も東京へ出ていたから、デカいビルが多いけれど暮らしは大して変わらないだろうと。

 けれど、住んでみると東京は全然違った。

 物価だ。せっかく安い舎宅に入ったのに、月極駐車場が3万円で泣きそうになっている。空き地に砂利を敷き詰めただけみたいな駐車場なんだぜ。しかも、俺の車は軽だよ。省スペースの軽自動車。実家近くなら8千円とか1万円で借りられる。実際、借りていたし。駅から外れれば、アパート借りるとただで1台分付いていても不思議はない。

 柔道が強くても給料は他の職員と変わらないんだ。つまり、ペーペーの給料。舎宅が駅から遠い場所なので、その近くの駐車場も安いと思い込んでいたから使い道を再計算。だが、どう計算しても、釣りの回数を週一程度に減らさないと収まらない。

 気落ちした時はバイク。俺の愛馬はアドベンチャータイプという種類で舗装路も未舗装路も行ける。首都高速を何周もして、(ようや)く気持ちを抑えられた。

 これが車社会じゃない都会か。

 周りに聞くと、都心や首都圏都市部出身者は、駅から15分なら車なんて要らないだろうと当然のように答えてきた。免許自体を取っていない剛の者までいた。

 地方出身者(いなかもの)は、コンビニへ行くのも駅へ行くにも車は必要だろうと、普通の感性をしているから、俺と同様駐車場代に絶望していた。


 ちなみに今日は月曜だけど仕事は休み。俺が就職した団体は土日が一番のお仕事日なので、定休が月曜と火曜日になる。

 昨日、5月の最終日曜、東京のドーム野球場の近くにある投票券販売所で、アルバイトや警備会社の人に混じって警備をしてきた。このビルは前に見学に来たことがあるけれど、本番の日は全然人の数が違って驚いた。

 将来はお前が仕切るんだぞと先輩に言われたけど、とんでもない人出に正直ビビっていて、目の前の仕事、つまり警備を必死にこなすだけだった。上司によれば、現金だけで投票券を販売していた頃の混雑は、こんなものじゃなかったということだ。かなり柄も悪かったそうで、刺青者(いれずみもの)も多かったらしい。

 俺は熱海という観光地で生まれ育ち、平塚というのんびりした場所の大学に行っていた人間だ。根が田舎者だから、花火大会以上の混雑は勘弁して欲しい。同期のL○NEによると、府中の競走現場はもっとすごかったみたいだ。負けて暴れだすやつもいたらしい。

 柔道部の先輩社員がテキパキと的確な指示を出している姿に、軽量級の彼がすごく大きく見えた。

 ・・・俺にあんな風に仕切るなんて出来るのかな?

 いやいやいやいや、仕事が明けての釣りなんだ。南伊豆の沖磯へ渡るために夜明け前に到着したんだ。今日は全部忘れて釣りに集中するぞ。

 ちなみに俺は181㎝で100㎏級の選手。上から二番目、重量級になる。

 ブカブカの服が好きだから見た目は結構太っちょ。BMIは約30と高いけど、体脂肪率は11%と低目になる。体型は力士のようではなくラグビーのフォワードに似ている。って、わからんか。

 顔付きは、怖いとか、獰猛そうとか、「何人殺した?」とか言われるけど、まあ丸顔なほうだから親しみやすいはずだ。・・・はずです。・・・そう思われたい。


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