05 令嬢は牛車へと乗り込みます
そしてある日のこと。
私はとある準備に追われておりました。
輿入れの準備です。
道孝からはその身のままでいい、とは言われています。
が、それを鵜呑みにはせず、出来る事は我が家でも準備する事にしたのでした。
そしてその細やかな作業が、一通り終わった所で、
「そうそう智子、渡したい物があります」
そう言ってお母様が取りだしたのは大きな箱です。
「これは……?」
「これはですね、私の母、つまり貴女から見て祖母に当たる方から輿入れの際に頂いた物です。いつか貴女に渡す時が来ると思って大事に取っておいたんですよ」
そう言って古ぼけているが特徴的な模様のある衣装箱を渡されました。
そう言えばこの箱は見た事が有りますね。
昔、お母様に尋ねたら「大事な物なので決して開けないように」とか何とか言われたような気がしました。
そうですか、おばあ様から……。
私は受け取ったはいい物の、その箱をスグに開けて良いか逡巡していたのですが、
「さ、さ。開けてごらんなさい」
と、何かを期待したような目のお母様に促されます。
「あ、はい」
私は箱を『カポッ』と音をさせながら開きます。
すると何という事でしょう、中に入ってたのは純白な結婚衣装……では無く、
「……へっ!?これは……?」
「ふふふふ……。さ、さ。着てみて頂戴。智子に合うといいのだけれど」
そう言って奥の部屋へと連れていかれました。
§ § §
「えっと……ど、どうでしょう?」
「あら、素敵じゃない!まるで誂えたように貴女にピッタリだわ!」
その衣装を身に纏った私を見て、お母様はきゃっきゃと喜んでいます。
その衣装は全体的に薄く、透けるギリギリといった所でしょうか?
色は紫を基調として、所々が白、というかアイボリーホワイト?クリーム色をさらに薄くした感じになってます。
そして裾はふんわりと広がっています。
中でも極めつけは物語に出てくる羽衣のようなアクセントがついている事です。
綺麗ではあるんですがどーみてもわが国では一般的な衣装ではありません。
「これはね、私の母がその母から受け継いだ物らしいわ。今は無き国の衣装らしいの」
「はぁ……」
「ご本家なら素晴らしい衣装も用意してくれるでしょうけど、私は貴女がこの衣装を身に付けた姿を、一度で良いから見てみたかったの。うん、綺麗よ、智子」
「うんうん、お母さんも似合っていたが、お前もそれ以上だ。綺麗だよ、智子」
そう言いながらお父様もお母様も目じりに薄っすらと涙が浮かんでいます。
「……ありがとうございます、お父様、お母様」
その両親の喜ぶ姿をみた私は、こんな素敵な両親を持って世界一幸せだと思うのでした。
§ § §
そして翌日、私を迎えに道孝が牛車に乗ってやってきます。
それを見て私は半ばドン引きしてしまいました。
だって馬車では無く牛車ですよ?牛さんですよ?
こんなの物語の中でしか見た事ありません。
「ぎ、牛車ですか……」
「はははは、今どき無いとは僕も思うんだけどね、これが花嫁を迎える我が家の伝統らしくて仕方なしさ」
まぁ確かに?
牛車は貴人が乗るものとされてるんですが、もう百年以上前には廃れた風習と聞いていました。
事実として末席とはいえ、同じ藤原一族の私は牛車など乗ったことなど有りませんでしたし、一族の他の家も乗っている姿など見た事はありません。
ですが、さすがに由緒あるご本家は違うようですね。
「まぁでも牛車なんて乗るのはこういったハレの日ぐらいさ。日常的な乗り物ではさすがにないよね。馬車の方が明らかに早いし」
「は、はぁ……」
「軽く説明すると、これは『唐車』と言ってね。牛車の中でも特別製なんだ。中に入ったら驚くと思うよ」
そう言って道孝はまるでこれから悪戯をする子供のような笑顔を見せます。
私はもう一度牛車を眺めました。
うん、大きな車に繋がれた牛さんが時折「モー」と鳴きながら身体を震わせてますね。
「ではご両親にお別れを言ってください」
しばらくあっけに取られたように牛車をじっとみつめていた私でしたが、その声で我に帰りました。
「あ、はい」
私は両親に向き直ると、
「お父様、お父様。今まで愛情を持って育ててくれてありがとうございました」
「智子……絶対幸せになるんですよ」
お母様はそう言って、私をぎゅっと抱きしめます。
私もお返しとばかりにお母様をぎゅっと抱きしめました。
お母様とこうして抱き合うのも、若しかしたら最後になるやもしれません。
そう思うと自然に涙がにじんできます。
そして次はお父様の番です。
「お父様、行ってまいります。お母様の事を宜しくお願いします」
「あぁ、お母さんの事は私に任せなさい」
そしてお父様とはお互いに軽く抱きしめました。
「道孝さん、智子の事を宜しくお願いいたします」
そう言ってお父様は深く頭を下げました。
「はい、任されました」
こうして両親とのお別れの挨拶は終わりました。
牛車に一歩乗り込めば、もう両親とも気軽に合えなくなるでしょう。
そんな思いを振り切るように、私は何度も振り返りながら牛車へと乗り込むのでした。