出会い 1
ここからが本編開始となります。
~出会い 1~
「シア! こっちよ!」
「ええ!」
王都『グレンガルム』から少し離れて隣接した、とある小さな町『クララット』。
そのクララットの町中、細い路地裏とも言えるような道を、私は今親友のシンシアとともに全力で駆けている。
そう、全力で。
なぜなら、足を緩めてしまうと即捕まってしまうから。
私たちを追いかけてくる、俗に言う『ならず者』というやつに。
普段運動などすることのない鈍った身体では、ちょっと走るだけであっという間に息が上がってしまう。
着飾ったドレス姿ではなく、学院の制服だからまだ幾分かマシではあるものの、圧倒的な運動不足である令嬢の貧弱な身体では服装による重量が多少減った程度では何の変化もないも同然なのだ。
おまけに、前世でも基本引きこもりの完全なる在宅ワーク(たまに出社してミーティングするけど)のクリエイティブな職業だったこともあって、運動していた頃の記憶なんて遥か彼方に消え失せていると言っても過言ではないだろう。
それら諸々の理由から、基本走ることに慣れていない私の弱っちい身体は早々に限界を迎え悲鳴をあげた。
そしてそれは私だけではなく、ともに逃げているシア───シンシアも同様だった。
……こんな非常時に何ですが。
まずは簡単な自己紹介をば。
私の名はマチルダ・バッカス。
つい先日、ドラグニア王国の王立魔法学院に入学したばかりの15歳。
王都から少し離れた北東地方に領地をいただき、広大な穀倉地帯を有しているバッカス侯爵家の娘です。
まぁ一言で言ってしまえば田舎貴族と揶揄される自然豊かな領地出身の田舎娘なわけですけど。
そしてともに逃げているシア、ことシンシア・コールマン。
私と同じく、王立魔法学院に入学したばかりの15歳。
シアの出身は、やはり私と同じく王都から少し離れた東方に領地をいただいている伯爵家。
肥沃な土壌で質のいい野菜を中心とした農業で領地を繁栄させている。
私の住んでいる領地とシアの住んでいる領地とは隣同士で、幼い頃母に連れられて行ったお茶会の席で知り合った。
そこから仲良くなって幼馴染み兼親友という関係に発展し、今に至る。
ちなみに、互いに前世の記憶持ちの転生者であることは出会ってすぐに発覚した。
その件はまた別の機会に。
……だって。
今の状況はとにかく『ピンチ』の一言に尽きるのだ。
全体的に治安がいいとされるドラグニア王国だけれど、それでも絶対に安全だとは言い切れないのは重々分かっているつもりだ。
いかに世界が平和であろうとも、トラブルに巻き込まれる時は巻き込まれる。
運悪く、私とシアはそれに引っ掛かってしまったというわけだ。
ちょっとタチの悪いナンパとかなら、簡単にあしらうこともできただろう。
だが、今追ってくるやつらはそんなナンパ野郎とは比べものにならないくらいに悪質だ。
ナンパ野郎の方が可愛く見えてくるレベルの悪辣さなのだ。
カツアゲをすっ飛ばして、いきなりの人攫いときたもんだから恐怖するのは一瞬。
……いや。
それどころか、人攫いから更に発展して他国の奴隷商人に売り飛ばすという、人身売買にその身を置く正真正銘の悪党だったのだから、恐怖の上に恐怖を上塗りされて半分パニックに陥ったほどだ。
故に。
捕まったらジ・エンド!
前世もそこまで長生きできたわけでもないのに、生まれ変わった今世でも成人前に死ぬような目に遭うなど冗談ではない。
何が何でも逃げ切らなければいけないのだ。
人生終わらせないためにも。
だけど。
やっぱりどこの世でも現実っていうのは残酷だと思うんだ。
『ピンチはチャンス』とか前世ではよく言ったものだけど、この世界で言うピンチは所詮ピンチでしかないのだ。
そもそもが前世と今世とではピンチのスケールがあまりにも違いすぎる。
チャンスに変える要素などほぼほぼないに等しいのだから。
とにかく、今私たちができることは逃げること。
それしかない。
捕まりさえしなければ、人生が終わることはない。
ここはそんな極端な二択しか用意されていない、ある意味、非常~~~~~に人に優しくない世界なのだ。
どんなに国が豊かで治安が良くても、隅々まで行き届いてなければ100%安全とは言えない。
もっと言うならば、100%安全だと言えるほど平和な国ならば、犯罪などまず発生するはずがないのが当たり前。
平和な中でも、必ず年に〇〇件と事件は発生する。
ドラグニア王国が平和だと言われるのは、あくまでも他の国から見て遥かに犯罪率が低く、国民にとって暮らしにくい地ではないと思われているからだろうと私は思っている。
「……は、ぁ…………ッ!」
息が、苦しい。
足がもつれそう。
気を抜いたら転んでしまうかもしれない。
でも、転んだら、そこで捕まる。
それだけは絶対に嫌……!
チラリと後ろを振り返る。
その瞬間、見えたのは金属の照り返り。
ナイフか。
それとも短剣か。
どちらにせよ、あれを向けられてしまったら私たちは動けない。
刃物を向ける相手に対処する方法を、私たちは知らない。
護身術なんて、習ったこともない。
わざわざ覚えなくても、私たちはいつだって守られる側だったから。
だから、両親に言われるままに身を守る術など習ってはこなかったのだ。
こんなことになるのなら、頼み込んででも護身術を習っておくんだった。
そう思ったところで今更だ。
「……あ、ッ……!?」
思考が後悔で占められそうになったその瞬間、シアの焦った声が耳に飛び込んだ。
ハッとそちらへ振り向いたと同時に、シアの身体が傾いでいくのが目に入る。
「シアッ!!」
咄嗟に手を伸ばし、転びそうになったシアを支える。
けれど、その僅かな時間ロスが、私たちとならず者たちとの距離を容赦なく埋めていった。
────もう、ダメ……追いつかれて、捕まってしまう……ッ!
でもこのままシアの手を離すなんてことは絶対にできない。
決して、シアを見捨てたりなんてしない。
互いに抱き合うようにしてシアと身を寄せ合い、それでも必死に走りながらも迫りくる絶体絶命のピンチに震えたその時だった。
「……こちらへ」
────え……?
控えめな、囁くような呼びかけと同時に強く手を引かれ、まるでそこへ隠すように物陰へと押し込まれたのは。
「そのまま動かないで。小さく身を屈めていてくれますか?」
そう言われて、同時に押し込まれたシアの身体を抱き寄せる。
『小さく身を屈めろ』と言った声は、最初に私の手を引いた誰かとは違う別の人の声だった。
「ちゃんと隠せてる? 大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。あとはお任せてしもよろしいですか?」
「もちろんだよ! 絶対に逃さないから!」
「お願いね、エマ!」
「りょーかい! まっかせて!!」
何かを打ち合わせるような会話が続いたと思ったその直後。
元気な掛け声と同時に小さな身体が一人、この場から勢いよく飛び出していく。
────子ども……?
────って、しかも女の子じゃないの!?
それも、私たちよりもまだ小さい、前世の感覚で言うなら『小学生の高学年にやっと差し掛かったかどうか』というくらいの年の頃の。
「……待って! 危ないわ!」
咄嗟にそう声を上げ、身を乗り出そうとした私をグッと押さえ込むようにして制止をかけたのは、飛び出していった子と同じくらいの年の女の子だった。
「大丈夫。あの子はとっても強いから」
そうやって笑いかけてくれた目がやんわりと細められる。
それは前世で見慣れた懐かしい黒。
光の加減で紫がかって見える、神秘的でどこか落ち着いた色。
「……だから。まずは自分の身の安全を最優先に考えてくださいね、お姉さまがた?」
茶目っ気を込めてウインクされて、思わずポカンとその子の顔を凝視してしまった。
「もしあの子がしくっても、ちゃあ~んとフォローに入れるように構えてますから。ねっ、ミラ?」
「はい。レイさんの仰る通りです。大事なのは、己自身の身を守ること。それに、心配なさらずともエマさんはお強いですから」
『ミラ』と呼ばれた子が、説明をしてくれた『レイ』という子の言葉に頷きながら私たちに笑いかけてくれた。
どうやらこの子が私の手を引いた子らしい。
安心させるように柔らかい笑みを浮かべたこの子の目の色は、最高級のルビーを並べても何ら遜色のない見事な緋色をしていた。
私の手を引いて、物陰に隠してくれた子『ミラ』。
自分の身の安全を最優先にしろと言ってくれた子『レイ』。
それから『任せて!』と、この場を飛び出していった子『エマ』。
この三人の女の子たちは、私たちよりもずっと小さいというのに、その小さな身体を張って私たちを助けようとしてくれている。
「あの……」
たぶん、お礼を言おうとしたのだと思う。
シアが口を開きかけたと同時に、ミラと呼ばれた子が苦笑しながら立てた人差し指を自身の唇に当てた。
『静かに』という指示だろう。
物陰に隠れている以上、見つからないためにも会話は極力避けるべきなのかもしれない。
それに頷き、シアが口を噤む。
今はまだお礼を言うには早すぎる。
とてもそんな状況ではないから。
とにかく、今はこの子たちの言うように自分たちの身の安全の確保が最優先だ。
無事に事が終わった時に、きちんと話をしてお礼をすればいい。
そう己を納得させた時だった。
「何だぁ~、このガキは!?」
「女どもはどこに行きやがった!?」
「「!!」」
ガラの悪いダミ声が響き、思わず抱き合った状態のシアと同時に震え上がってしまった。
追いかけられていた恐怖から、反射的に身が竦んでしまったのだ。
……でも、待って!
あのならず者は今、何て言っていた?
『このガキは!?』って。
そう、言ってなかった?
今あの場にいる子は、さっきここから飛び出していった『エマ』と呼ばれた女の子しかいないはず。
私たちがいないとなると、確実に狙われるのはあの『エマ』という女の子になってしまう。
「ダ、メ……身代わり、とか、そんな……」
呻くような呟きが漏れ、思わずフラフラと出ていきそうになった時、最初にここへ引き込まれた時と同様の強さで手を引かれた。
「……ッ!」
「大丈夫です」
「でも……」
「どうか、彼女を信じてください。絶対に、大丈夫ですので」
じっと見上げてくる、力強い緋色に飲み込まれてしまった。
真剣な顔で見つめられているわけじゃない。
柔らかく笑んだまま、ただただじっと見つめられているだけなのに。
なぜか、縫い止められるように動けなくなってしまった。
まるで優しくこの場に拘束されているかのよう。
「……はあ~? 『ガキ』とか失礼しちゃうな、全く。町の平和を乱すアンタらよりよっぽどできた人間だ、っての」
「こ、の……クソガキ……」
「生意気言ってんじゃねぇ! 女どもはどこだ!? 言え!」
「言えばテメェは見逃してやらぁ!」
怒鳴るならず者たちの手には光り物。
間違いない。
さっき私たちの目にも止まっていた刃物だ。
あんなに小さな女の子に刃物を向けるなんて、なんて男たちなのだ。
だけど、そんなならず者を前にしながらも『エマ』という子に動じた様子が全くないのはなぜなのか。
「そんなの言うわけないじゃん。バカなの? っていうか、バカなんだよね。あとさぁ、見逃すとかなんとか偉そうに言ってくれちゃってるけど。見逃す見逃さないってのはこっちのセリフなんだよねぇ」
「あ゛!?」
「んだと、クソガキ!」
「3……」
「あ゛ぁ!?」
「2……」
「何数えてやがんだ、恐怖で頭イカれちまったのか? 所詮はガキだな、ギャハハハッ!」
「1……!」
突如聞こえたカウントダウン。
最後に力強く言い放たれた『1』のカウントを耳にしたその瞬間、私たちは驚愕のあまり目を見開くこととなる。
……なぜなら。
『エマ』という小さな女の子が。
勝ち気な笑みを浮かべつつ、その小さな体躯には到底似つかわしくない、身の丈ほどもある鋼鉄製の巨大ハンマーを大きく振りかぶりながら、目の前のならず者たちに飛びかかっていったのだから……─────
このお話の時間軸は「悪役令嬢に転生したけど、家族と友情の方が大事だからシナリオぶっ壊すことにした!」(現75話時点)の大体5年後くらいです。