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林檎の味は嘘  作者:
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ごわ

 人間の三大要素――――昔の偉い人は肉体、精神、魂と定義した。

 ならば生きながらして精神に破綻を来たしている人間は、人間ではないということだろうか。ならば何だ。生きた死体、リビングデッドとでもいうのだろうか。コミュニケートが取れるものが人間だというのか。なら高度に発達した人工知能もまた人間か。……遺伝子、有機物。ならば高度な記憶装置に人格を移したアンドロイドやサイボーグは人間ではないのか。世界中の人間がそうなったとしてもそれは人間ではないといえるのか。自分自身がそうなったとしても。

 しかし確かに人間本位な理屈であることは否めない。本来、人間が人間を、いや他人が他のものを定義することも、優越も、悲壮も、全てを感じること自体がおこがましいのだとぼくは思う。

 しかし、人は試せるならばそれを実行せずにはいられない。それが自身を破滅させる禁じられた行為であったとしても。忌避するべき行為だとしても。恥ずべき行為だとしても。

 ――――人は林檎を齧らずにはいられない。自分自身を裏切る行為だとしても。

 

 ぼくにとって世界は優しくなかった。

 

「挨拶はいらないわ、入って」

 そういってゆかり姉さんはにっこりと微笑む。ぼくは外気の寒さにさらされた身体がゆっくりと室内のあたたかさに侵食されるのを心地よくかんじた。

「おじゃまします」

「それで今度は何があったの?」

 ゆかり姉さんは湯気のたったトウキのカップを両手に一つずつもってよたよたとあらわれた。

「まあ、神託をあずかろうと思いましてな」

「あー、はいはい。で何があったの?」

 スルー力全開だった。ぼくははソファーの前におかれたカップをうけとる。

「たぶん、かなえはアスペルとかいうの」

「ええっと、なんだっけそれ。いまアクセス繋げる」

 そういってゆかり姉さんは親指をしゃぶった。ゆかり姉さんのアクセスのしかたは少しかわいらしいと思う。いったら絶対なぐられるので注意がひつようだ。

「アスペルガー症候群。症状は主にコミュニケーション能力や他者への関心の欠如などが顕著に見られる。健常者とは違った価値観、特別な関心を持ち、数字や音など別の感覚として捉えられる共感覚、異常な計算能力や集中力、映像記憶などの特殊な能力を備えた人間を指すものである」

「多分、それですな」

「ようは自閉症ね。ふうん……いいじゃないの? 頭よくになりたかったんでしょ、彼女。なら願いが叶ったんじゃない。お兄ちゃんと一緒になれて喜んでるじゃない?」

「……ぼくは弟だよ」

「ふふ、そうだったね。で、困ることあるの? 大人しくなって万々歳じゃないのかな」

「ぼくに対するいぞんが半端ないのだ」

「オースリィ?」

「それはオゾン。あいかわらず興味ないことには冷たいんですなぁ」

「君だってそうだよ。自分の見えることと数字にしか興味がない。周りの人間にとったら気づいてほしいことも君は気づいてくれない」

 つんとそむける顔。

 なんとなく悪意のこもった言い方だなぁと思った。

「まあ何とかなるんじゃないの? 正直な話、私は君に対する依存が激しいっていわれてもここにいる時点でそうも思えないんだけど」

「今はお昼寝タイムなのだ」

「なるほど」

 カップに口を付けてぼくは白いひげを鼻のしたに浮かばせる。それをおかしそうにゆかり姉さんは笑った。

 ぼくは少しむっとしてうででぬぐう。

「あーあー、そうじゃないでしょ? ほら、こっち向いて」

「んむ」

 やさしくゆかり姉さんはティッシュでぼくの白ひげをふき取った。

「もしも、さ」

「もしも?」

「もしもぼくがしんじゃったり行方不明になっちゃったりしたらあとは頼んだ」

 ゆかり姉さんは相変わらずぶあいそうにほほ笑む。

「なにをさ」

「なにかいろいろ」

「わかったよ。何かあったら私が全て受け持つよ」

「うん」

「君の財産も家も土地も名前も全て私が受け持つよ」

「え」

 ぼくにとってせかいはやさしくなかった。

 

 僕にとって世界は優しくなかった。

「容態はどうですか? 女たらしさん」

 にこやかにほほ笑みながら僕にその人は聞いた。彼女は白衣を着ている辺りブラックではない方の医者である。かといって人を殺す方でもない。

 ここは保健室であり目の前の保健医はほほ笑みながらベッドを覗いた。当の覗かれている彼女は疲れているのか、静かに寝息を立てていて起きる気配は見えない。ただのしかばねでないことは確かである。

 もう寝てから三時間は経っている。僕は付き添いという名のサボータジュ行為にせっせと励む若人という役柄を満喫していた。

 今日は短縮日課であり、校内には生徒は殆ど残っていない。早く帰りたいのだが、当事者としてさっさと帰宅するのもどうかと思い、僕はここにいるわけだが早く起きないものか。

「なんか今日は医者っぽいですね」

「一応、医師の免許持ってますよ。うーん、まだ寝ているみたいですね」

 団子状にまとめた髪を先生はほほ笑みながら揉んだ。実は取り外しができて迷子の動物たちに分け与えたりできるのか。

「先生、相変わらず保健室は誰もきませんでしたね」

「みんな健康ということです。よろこばしいことですよ」

 以前、先生が赴任してきた時は若い女性ということもあり、世の男子生徒は入り浸っていたようだが、先生は体調が悪いと言い張る生徒には問答無しに注射をし始めるという奇行が知れ渡った今はそれもぱったりと無くなった。

 先生は注射が非常に下手だったのも要因のひとつではなかろうか。

 先生と僕の出会いは諸説あるのだがここでは割愛させていただこう。

 少しして先生は席を外しますねといってどこかへ旅立った。僕は低い声でもう帰ってくるなよ、と小さな声で呟いた。

「さてさて」

 僕は保健室に備えつけられた本棚を適当に漁る。健康的な食生活についての本を数冊引っ張り出して、彼女の眠っているカーテンをゆっくりと開く。

 お邪魔しまーす、とね。

「…………ベッドはもぬけの空だったとさ」

 それと同時に後ろの方でかしゃりと保健室の鍵が閉まる音。僕はとりあえず、ため息を肺から捻り出しながらベッドの上に本を置く。

 カーテンが素早く閉まる音が室内に鳴り、真後ろで笑い声が聞こえた。

「ふふふふふふふふふ」

「おはようございます姫様」

 振り向きざまに執事の如くうやうやしくいってみる。しかし、彼女はサービス精神旺盛な僕の優しさを無視して、舐めるよに全身を眺めた。

「うおっ」

 彼女の足が僕の足を払い除け、僕はベッドに後ろ向きに倒れる。

 次に彼女は舌なめずりしながら僕の制服を脱がしにかかる。やばい、予想外に早くて動作が追いつかない。

 というか異様に手馴れてるな、おい。

「まさか、私に会いにここまで来てくれるってことはそれはオーケーと捕らえていいですよね? ノーでも無視しますけど」

 僕はワイシャツの第二ボタンに手を掛けた彼女の両手を掴んで止めた。ハァハァと彼女の生暖かい吐息が頬を撫でる。

「いやいやいや、君と僕って同じクラスだし。同級生だし」

「え?」

「しかも、中学も一緒だった……みたいな?」

「本当、ですか?」

「よーく、僕の顔見て思い出して」

「私、必要ないことは覚えない主義なんです」

 どう考えても必要だろ。どうやってこいつは世間様を渡り歩いてきたのか。

 ささやかな第一歩は無神経な一歩によって相殺された。

 

 とりあえずカーテンを開く。彼女が落ち着いた頃、僕はさっきの続きを誤魔化す意味も含めてとりあえずいろいろ話し合った。

 彼女がいうにはあの後、今日の朝まで僕を探し回っていたらしい。

 結局僕の足取りは掴めず残念に思っていたところ、突如現れた僕に驚き、何をしていいか分からず、骨髄反射よろしく動いたとのこと。

 いろいろ突っ込みたいが突っ込むと墓穴を掘りそうなので疑問は遠くに投げ捨てる。

「それでどうして貴方まで保健室に?」

「あのままクラスに残れるほど僕の神経は太くない」

「いいじゃないですか、他人の目なんて」

「お互い恋人であるという前提の発言をするな」

「でも私いったじゃないですか? 好きだって」

 彼女は楽しそうに笑っているところ悪いがだからどうしたというのだ。

 呆然と僕が見ているのをどう勘違いしたのか彼女は頬を赤くして俯いた。

「続き……しますか?」

「いやいやいや。ほらなんだ、先生も来るし学校だし」

 何を思ったか彼女は微笑みながら銀色のナイフを取り出した。それは僕の掌をぶち抜いた無骨なそれだった。

「邪魔者は私が――」

「オーケーとりあえず落ち着け、ナイフをしまえ」

 こいつは放置しておけば絶対にやるだろうなという奇妙な確信が沸いてくる。何故なら彼女は現役殺人鬼。好きなことはクラスメイトを男子生徒を犯すことときたもんだ。

 彼女が熱い眼差しで僕を視姦してくるのに耐えながらこの後どうしようかと思考を巡らせる。とりあえず勝手にコーヒーメーカーを使い、汚濁色の水をこいつにプレゼントしてみる。

「まあ、これでも飲んで落ち着きたまえ」

「あら、カフェインで私をこれ以上昂らせてどうするつもりですか?」

 結構、逆効果のようだった。

 上品に小指を立ててコーヒーを啜る様だけを切り取って見れば、校内にファンがいると言われる柏原泉であると納得できる。どこで彼女は入れ替わったのか。

「それ飲んだら、とりあえず帰ろうか」

「そういえば、今日は短縮日課でしたね。じゃあ一緒に帰りましょうか」

「なぜそこで“じゃあ”となるのか理解できないんだけど」

「物事はもっと単純に考えればいいんですよ」

「単純な疑問だと思うのだけど」

「もっと単純でいいんです。私が服を脱いだら貴方も脱ぐ。そんな感じで……」

「君のシナプス系は相当単純化されてるようですな」

 きっと直列回路に違いない。


 一応、保健室に柏原が起きたので帰宅すると書置きを残していおいた。

 僕をトイレに連れ込もうとする柏原を無視しつつ、誰もいない廊下を歩く。どの教室もいつもの喧騒はどこにもなく、静寂さと強い光が教室に差し込んでいた。

 自分たちの教室にたどり着いた僕らは鞄を手に取り、下駄箱へと向かった。

「どうしたんですか、ひめちゃん」

「その名前で呼ぶな」

「あら、可愛いじゃないですか。名前を呼ぶだけでムラムラしてきます」

「ニンフォなマニアはお黙り下さい」

「それでどうしたんですか?」

 全然黙らない彼女にため息をはきつつ僕はそれを指差した。僕の下駄箱にはあるはずのスニーカーが無かった。

「いじめ、ですか」

「うーん、どうだろう。どの道、もう慣れたからどうでもいいんだけどね」

 どうせ、明日には変なおまけ付きで帰ってくるし、下穿きも一緒になくなっていた昔と比べれば余裕である。

 あの時はコンクリートのあり難さをひしひしと感じものだ。まあ、それも舗装されている道があるところまでだったけど。

「困ってますか?」

「そりゃ、困ってるけど」

 彼女は微笑を浮かべながら僕を見つめる。

「止めたいですか?」

「何を?」

「今起こっていることを、です」

 彼女はまだ僕を見つめ続ける。柏原は何かを知っているということだろうか。

 僕は柏原の奇妙な圧力に首を縦に振っていた。こういう時は流されるに限る。

 すると彼女は鞄の中からトランシーバーのようなものを出した。それに繋がれたイヤフォンを耳につけ、ラジオよろしく周波数を合わせる。

 どんな願い事でも叶える七つの宝玉でも捜しているのだろうか。

「こっちですね」

 そう一言いうと彼女は僕を引っ張り、真っ直ぐ体育館の方へと歩く。

 体育館は鍵が掛っておらず、すんなりと開いた。

 中には誰もいない。

 まさか、僕を犯す為に? と身構えていると彼女は一子相伝の暗殺拳よろしく人差し指で少し離れた器具庫を指差した。

 僕はそこまで歩き、引き戸のそれを開ける。室内は少し薄暗い。

 一瞬、奥で何かが動いたような気がした。僕はとりあえず室内の明かりを点す。室内の電気は調子が悪いのか、明かりが少し弱々しい。

 僕は気にせず奥へと進んだ。

「…………や、やあ」

 そして、パンチの強い映像に僕は固まった。

 変態ホモ野郎もとい高橋が下半身裸になりながら、僕のスニーカーに何かをしていた。

「……………………」

「ここここここっ、これは誤解なんだ!」

 片方の靴を口元から話し、下半身丸出しの男は僕に近寄る。

 僕は少し後ろに身を引かせる。

「ま、待って! 話せば…………あ、あれ? もしかしてひめちゃん一人なのかなァ」

「一人だったらどうだというんだ?」

「いや、別に……」

 じりじりとにじり寄る高橋に奇妙な笑みが浮かんだ。僕はそれに危険な何かを感じ、身を翻して走った。

 高橋はタックルをかまし、僕は転がった。そして起き上がろうとする僕に高橋はのしかかる。

 あれ、これって凄くヤバイ状況じゃないのかな。

 ぎらついた瞳が僕を見下ろす。

「……いいいいい、いいだろ? ひ、ひめちゃんだって満更じゃないだろ? 大丈夫、優しくするから。痛くしないから」

 高橋は僕の口を手で押さえ、喉から漏れる生暖かい息が僕の頬を撫でる。

「す、凄く綺麗だ……。スベスベでそこらへんの女よりきききき、きれいだよ。そんなに暴れないで、今“よく”してあげるから……!」

 やばい、これは――――犯される。

 犯される犯される犯される犯される犯される犯される犯される。

 男に。

 僕の体とは違う、熱く蠢く何かが体の上で湿っぽい息を漏らす。

 そしてゆっくりと僕の体をごつい指先が――――

 一瞬、何かが光った。

 僕と高橋は光を放った方向へと目を向ける。

 それが何かと視認した時、柏原泉のデジタルカメラは僕と高橋に向けて二度目の光を放っていた。

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