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林檎の味は嘘  作者:
2/5

にわ

 ぼくにとっては世界はやさしくなかった。

 今日はかなえねえさんのけんさの日。なぜ、ぼくもついてこないといけないのだろうかというぎもん。なぜ、けんきゅうじょのかべはしろいのか。じゅん水ないみでの原色とはなにか。本当のとうめいとはなんなのか。

 ぼくはふくのまいすうをたしかめる。もしもまちがえて四まいだったとしたらぼくはきっと気がくるってしまう。

 目の前のカレンダーの十一月というすう字が目に入る。

 一月から十二月までを足すと、七十八だ。それを十一回同じすう字を足すと八五八。カエサルによってせいていされたユリウスれき八五八年といえば日本では一五一八年である。

 などと僕は一人むそうした。ほんとうにどうでもいいことだった。

 がちゃりと音をたててぎんのドアノブが回り、ねえさんとお母さんとめがねのおじさんがでてきた。お母さんとおじさんはおいしゃさんがきる白いふくをきてニコニコしてる。

 ねえさんはどことなくきげんが悪い。

 なぜだろう、すごく笑顔なのに。

 

「――やはり博士の子供だけありますね。前回と違い、素晴らしい指数です。香苗ちゃん、もうふざけちゃだめだよ?」

「はい、先生」

 笑うねえさん。

「そうですよ、香苗。何でも真面目に取り組まなくてはいけませんよ?」

「はい、母さま」

「おや、そちらの彼は……初めて見ましたが、博士のお子さんで?」

「ええ、もちろんです。あ、そんな目をされてもダメですよ。この子は先天的に発達障害があるので……」

「というと“二才一劣の法則”から行くと……」

「ええ、彼は“劣”でしょうね。……それでも私とあの人の可愛い息子です」

「すみません、込み入ったことを聞いてしまいましたね。……ええっと、今度のテストはPQ値を測ろうと思いまして」

「ええ、それでは日程の調整を――――」

 きゅうにねえさんがぼくを引っぱった。

「あ、遠くにいってはいけませんよ?」

「すぐ戻ってくるから心配しないで」

 ぼくはあんまりいったことのない道はすきじゃないんだけど。というかぼくのいしはかくじつにムシされているのはごあいきょうだ。

 行きたくないなんてとうぜん言えなかった。

 

 ねえさんはしせつの中にあるこうえんのような広場で止まってふりむいた。たてものの中なのにしょくぶつや土があってふしぎだなぁと現実から目をそむけてみる。

 ちらりと見るその表情はさっきの笑顔とはちがってあからさまにおこっているのがわかる。というか目がつりあがってるし。

「ねえ、お前は何であの問題が出るって分かったの? いや、それだけじゃないわ。何で答えを知ってるの?」

「え、あ。ぼく悪いことしたかな……あっ」

 ねえさんはぼくの足を強くふんで、そのままぼくのむねをこづいた。当然ころんだ。

「いたいよ」

「あのね劣等種。お前は私がいってる言葉に答えてればいいの」

「…………お母さんがファイル見てたからそれをよこでのぞいて、おぼえてただけだよ」

 そういいながらぼくは立ち上がってお尻についたどろをはらう。むこうにベンチがあるけど、かってにすわったらかなえは怒るだろうなぁ。と顔いろをうかがうことしんちょうだった。

「……その時、私もいたわ。お前は確かに一瞬覗いていたけど、……まさかそれだけで覚えたの?」

「うん」

「……まあ、それはいいわ。それで何で私にそれを教えたの?」

「かなえが前のテストが上手くいかなくてなやんでたから――――」

「……………っ!!」

 ぱんと空気がしんどうした。それにつられてほおがじんわりといたむ。いっしゅん、きいんとまわりの音がとおくなるのをかんじた。

「私は……お前より頭がいいから姉さんなの! 私はお前より優れてるから姉さんなの! お前は、お前みたいな劣等種は私の兄様じゃない!」

「かなえ“ねえさん”いたいよ」

「いい? このこと母様に喋ったら承知しないわよ!」

「うん」

「何よ、劣等種の癖に!」

 そういってねえさんはぼくをまたつきとばして走っていった。足速いな。しょうらいゆうぼうなオリンピックせんしゅこうほだひゃほい。

 善意のうらがえしは悪意。

 ならば悪意のうらがえしは善意なのだろうか。

 ぼくにとって世界はやさしくなかった。

 

 

 僕にとって世界は優しくなかった。

 もしも世界が愛と優しさで出来ていたのなら僕はこんな酷い目に遭うことはなかっただろう。

「刃が小さいのでよかったよ」

 しかしステーキナイフのような鋭い金属のそれが僕の掌を貫通していることはまごうことなき事実である。

 彼女はそんな僕を見つめて目を少しばかり目を丸くした。恐らく本当に一欠けらくらい。

「……凄いですねえ。痛くないんですか?」

「痛いよ。すげー痛い。今の動作で借りてきたビデオが川に落っこちてしまたのだ。ううむ」

「いえ、そうじゃなくて掌のことですけど……。もしかして馬鹿にされてます? 私」

「僕は生まれてこのかた人生で一度もこれからもいままでも人を馬鹿にしたことなんてありませんですはい」

「嘘つき」

「嘘だよ。これで僕は正直者ということだね」

 彼女はにっこりと微笑んだ。僕もそれにつられてにやりと歪ませたかったが落ちたビデオが気になって表情は変わり映えないままだった。けっして彼女の後光が差した美しい微笑みに魅了されたわけではない。たぶん。

 しかし、どうしても落ちたビデオの袋が気になる。じっとりと汗が額と掌で踊りだし、心拍数が上がるのを感じる。胃腸は自身を締め付け、悲鳴を上げる。それに伴い発汗が施されるが体温は秒単位で低くなるのがわかる。

「あーあーっ、やっぱりあのビデオを僕は取りに行かないとダメだ。どうしようどうしよう。そうだそうだ取りに行けばいいじゃないかそうだそうしよう――――ってことで行ってくる」

 彼女の右手を掴んでナイフから手を引き抜き、首の間接を鳴らす。そして深呼吸。ひっひっふーってこれはラマーズ法である。僕はいつからご懐妊なさったのか。受胎告知かこの野郎。

「え、ちょっと一体あなたは何をいってるんで――――」 

「直ぐ戻ってくるから」


 そして僕はコンクリートの端を蹴り上げ飛び降りた。

 所詮こんなものは二十メートルくらいの高さ。落ちても骨折くらいだろう。

 ふわりと重力が体から消失する浮遊感。空気の見えない膜が僕の顔と体を押し上げ包み込む。

 誰かが叫ぶ声と僕の鼓動が内側で響き合う。

 何だか爽快であっけなくて笑う余裕すら出てくる。

 まだ着かないなぁということで少し目を瞑ってみる。

 体感で10秒くらい経って、やっとぐしゃりという泥の湿ったような音と石の擦れる音が鼓膜をつんざいた。実は僕の体と血液の音でしたなんてバッドエンドはご免被りたい。いつだって人はハッピーエンドを望むのだ。

 そして次に感じたのは鈍い痛みと全身の熱さ。腹と額と足と手。

「って全部かよ」

 目を開いて手と膝で這い上がる。

 ううむ、ぼろぼろだけどどこも折れてもない。実に僥倖である。

「あ、あなた! 何を……いやその前に何で階段を使わないんですか!!」

「……あっ」

 確かに下に降りるための小さな階段は行政の方々のささやかな親切心か税金をより多く使うためか所々にあったりする。

「あっ、ってあなた……」

「まあ、遠いしショートカットということで」

「……死んだらどうするんですか! 命を大切にして下さいよ!」

 実にうるさい人殺しだ。というか殺人犯に命の尊さを問われるとはこれいかに。いや、第一彼女は僕を殺す気まんまんでしたよね。ナイフとか出しちゃってましたし。

「そもそも何で直ぐ横の水があるところじゃなくて岩場が剥き出しのところに落ちたんですか!?」

「おー」

「何したり顔で納得してるんです!」

「男とは時として命を張らねばならぬ場面があるのだ」

「全然かっこよくないですし、その時っていうのがビデオを拾うための今なんですか!?」

「我、武士道とは――」

「あなたは武士じゃないです!」

「お国のために玉砕覚悟で――」

「軍人でもありません!」

「軍人と武士って同じじゃないのかな? そこのとこどう思う?」

「そんなことはどうでもいいんです! それ以上講釈足れてますと内蔵えぐりますよ!?」

 人殺しがいってはいけない部類の脅し。そんなことばっかりいってるとキスしちゃうぞーなんて言ってしまえば即座にばら肉行きなのは想像に難くない。ということでこれは胸のうちに閉まっておくことにする。

 とりあえず僕はごつごつした石ころ畑を進み、青色のレンタルビデオの袋を拾った。

 うむ、浸水した様子もないし、中のディスクが割れている形跡もない。プラスチックの装甲の厚さとその技術力の高さに感謝感激感涙の嵐である。喜びの舞でそれを体現しよう。してどうする、と独り悲しみに明け暮れる僕であった。

「中身は浸水破損なし、と。んじゃ戻るから暫し待たれよ」

「あー、もうハイハイわかりましたよどうぞご勝手に。貴方のような壊れた人なら問題なさそうですし、行っていいですよ」

 そういって少女はそこにへたれ込んで手をひらひらとさせた。僕は階段を上るには十一月の鋭い冷水の道と無駄にでかい岩だらけの道を歩かなければ行けないこと気づき嘆息した。

「……世界は優しくないなぁ」

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