女王の愉快な仲間たち(2)
「カトレア殿下!夜分遅く申し訳ありません、失礼致します!」
扉の外のドニ君という近衛が、焦った声を上げた。
ちょうど一人でくつろいでいたところだったが、驚いて部屋を出た。
「何事です」
「あ……申し訳ありません、実は宰相様が……」
ドニ君曰く、エルメスが酔って手が付けられないらしい。
それで一緒にいたルイが『止められそうな人を探してこい』と言ったそうで。
何その面白そうな状況。
「わかったわ、では私も参加するわね」
「えっ?ちょ、殿下!」
私は部屋にあったグラスとワインを抱え、急いでエルメスの元へ向かった。
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「ねぇ、扉の外の衛兵さんに、ここでエルメスとルイが酒盛りをして面白いことになってると聞いたのだけど?」
上等なワイン瓶とグラス片手に、夜の女王が舞い降りた。
カトレアは、スカートがストンと落ちる形の、青の黒のシンプルなドレスを着ていた。
緩く巻かれた髪はそのままおろされ、まさに『銀河』のよう。
「……確かに止められそうな人を探してこいと言ったけど、まさかカトレアが来るなんて」
「うふ、私は止めに来たんじゃなく、引っ掻き回しに来たのよ」
今とんでもないことを聞いた気がする。
「エルメス、エルメス。そんなふうに飲んでも美味しくありませんよ。きちんとソファに座ってしゃんとなさい」
床に座り込んで俯いているエルメスに、カトレアが優しく話しかけた。
エルメスは呆けたように彼女を見返す。
「かとれあさま……私きょうは酔いたいのですよぅ」
「もう十分酔ってるわ。貴方はよく頑張ってるわ、もう少ししたら私が手伝ってあげられるから、辛抱してね」
「でもそれもドラクールのせいでポシャったじゃないですかぁ」
エルメスはぷくっと頬を膨らませた。
いい年した大人がする顔じゃないが……無駄に似合ってるのが憎たらしい。
「私とルイの前では構わないけど、ほかの人の前でポシャったなんて言葉使っちゃダメよ、貴方は宰相閣下なのだから」
「はぁい……」
エルメスはふらふらと立ち上がってソファにかけた。
僕は水差しから水をそそいでエルメスに渡す。
「エルメス、話があります。酔いを覚ましてください」
「わかりましたよ……」
エルメスは両手でグラスを持ってちびちび水を飲んだ。
カトレアはどこから出したのか油紙に包まれた何かを取り出し、エルメスに手渡す。
「エルメス、酔い覚ましです。飲みなさい」
「はい〜」
エルメスが酔い覚ましを飲むと、口をへの字に曲げた。
どうやら美味しくなかったらしい。
それをカトレアは半笑いで見ていて、どうやら確信犯的みたいだ。
「だいぶ良くなりました、ご迷惑をおかけしましたカトレア殿下」
「今更殿下なんて付けなくていいわよ、ルイと同じくカトレアでいいわ」
「……わかりました」
僕はお誕生日席に座って、ようやく落ち着いたエルメスの前に昼間の一覧表を置いた。
首を傾げて覗き込んだエルメスの眉が、どんどんつり上がっていく。
「………なんですか、これは」
「私が概算した、クソ貴族どもの横領額よ。それは少なくともここ一年分だけど」
それを聞いて僕も眉がつり上がった。
「なんですって?」
「もしかして、獅子の王死亡後から今までのすべてだと思ってた?残念、不正解よ。それはここ一年分」
カトレアは、懐から折りたたんだ紙を数枚取り出した。
一見何も書かれていない紙をカトレアが持ってきたランプの火にかざすと、瞬く間に文字が現れた。
「おや、カトレアも随分古典的なものを使いますね」
「用心には用心を重ねてね。古典的なのもむしろ見抜かれにくいのよ」
スッと差し出された紙を覗けば、……それは計画書だった。
「……これまた、ぶっ飛んでますね」
「うふ、でも面白いでしょう?」
まず貴族達の横領の予想総額に始まり、それを諌めた時改める者の予想と改めない者の予想、改めなかった者の取り潰し方、その時の出費と見返り、取り潰した場合の罪状の重さによる罰の種類、見返りとして手に入る資金を使って、カトレアがやりたいこと。
それはつまりカトレアの即位後の計画書だった。
「ちなみに、猫を使ったのは横領の予想額と取り潰す時の理由集めだけよ」
「……なにか見つかった?」
カトレアはにぃっと笑って答えた。
「叩けば叩くほど出てくるわ。今日も猫は外出中だけど、これまでの調査結果だけでボンヌフォワとポリニャックの現当主、それからアルバネルにジェフロムはまず確実に潰せるわね」
隣のエルメスが俯いて震えだした。
どうしたのかと思えば、…笑っていた。
「……素晴らしいっ……くくく、っふ、カトレア、いえカトレア様。
貴女って人はほんとに……本当に9歳で隠居してた女の子ですか?」
エルメスは立ち上がり、カトレアの前に跪いた。
「陛下。この私め、命を賭して貴女にお使え申し上げます。
どうか陛下の偉業の一端を、私めに担わせて下さい」
「勿論ですとも、エルメス·ジョエル·ド·クロー。貴方の働きに期待していますよ」
カトレアは優雅に右手を差し出し、エルメスはその甲に口付けた。
僕は計画書への衝撃から立ち上がれなかったけど、エルメスがカトレアへ抱いた畏怖や敬意や親しみは痛い程よくわかった。
だけど僕は、どうしてか彼女の前に跪きたくはなかった。
その理由は、……よくわからなかったけど。
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ジャカランダの花がとても美しい季節になりました。
ジャカランダとは、桜のような立ち位置の紫色の花。
私の前世にもたしかにあった。
日本には、静岡と宮崎にしかなかったけれど。
『ぽと恋』の製作者はジャカランダが好きだったのか、レインディアの王都·アーレインにはジャカランダの花がたくさん咲いている。
咲くのは桜より少し遅い5月から6月、つまり戴冠式まであと少し。
私は庭園のジャカランダの下で、のんびり戴冠式の練習をしている。
「──我、カトレア·イヴォンヌ·アレクサンドル·ド·レインディアは、レインディアの剣となり、盾となり、我が国をあまねく愛し、守り、王として君臨せん。
国神バートルディエールよ、我と、我が国レインディアに、等しくあなたの祝福を授けたまえ…」
バートルディエールというのは、レインディアの神様。
レインディアの宗教はゆるい大地信仰なので、大地の神様だ。
たしか龍神だったと思う。
戴冠式は一週間後、私もそろそろ忙しくなってきて、やっと私のそばで働けるようになったリディアとお茶をするのもままならない。
まあ、予想はしていたけど。
「マリッジブルーみたいなものね、いざ戴冠式が近づくと、憂鬱で仕方がないわ」
誰もいない空間にポツリと呟くと、上から薔薇の香りが降ってきた。
「なぁに、今更後悔?」
「違うわ。不安と期待…そらから興奮?もどかしいのが一周回って燻っているのかしら」
「まあ、気楽に生きなよ。はいこれ、俺からの餞別」
ノアが、綺麗な銀色の鍵を渡してきた。
羽を広げたバートルディエールが透かし彫りになって、目の部分は国石のアクアマリンになっている。
「これはなんの鍵?」
「王様の王冠が入った箱を開ける鍵だよ、ローゼ家が管理する約束なんだ」
「どうりでエルメスが変なこと聞いてくると思ったわ、猫は元気かとか、鍵を失くしたとか」
ノアはくすりと笑って、もうひとつ何かを渡してきた。
手を開けば、そこにあったのは指輪。
デザインはシンプルだけど、不思議な文様の入った金の台座に、見るからに高そうなオレンジ色のような黄色のような不思議な色合いの石がとても美しい。
「……プロポーズかしら?」
「ぶはっ、違うよ!っはは、ごめんね、説明不足で……」
ノアは私の右手の中指に指輪をはめながら話した。
「ローゼ家は王家を守る棘でもあり、毒でもある。
けれどそれと同時に、最も忠実な下僕でもあるんだ。
これは、当代ローゼ家当主が己の主となる王に贈る、はなむけの指輪。
トップはカトレアの誕生石のインペリアルトパーズで、台座はイエローゴールドだよ、高いから大事にしてね」
インペリアルトパーズ!
偶然か必然か、私の誕生日は前世でも今世でも11月。
インペリアルトパーズ、綺麗で大好きな石だ。
「……ありがとう、ノア。嬉しい、大事にするわ」
「うん、そうして。台座の文様は古い古い幸運を祈るおまじないだよ」
古い古い、遠い昔のおまじない。
この世界にはその昔、魔法と呼ばれるものがあった。
それは既に廃れて、知識としてしか残っていないけれど。
私はノアのプレゼントに感動して、指輪をじっくりと眺めた。
インペリアルトパーズの石言葉のひとつは、希望。
私は、傷ついたこの国の希望となる。
希望は、この国を明るく照らすだろう。
戴冠式が終わったら2章に移れるでしょうか。
どんなに調べても戴冠式でやることとか出てこないので、サラッと流します。
エリザベス女王とかが錫杖と一緒に持ってる丸い玉、なんて言うんでしょうね?