女王の出発
ガタゴトガタゴト。
揺れる馬車の中、私はここ数年しまっておいた『女の子』な私を引っ張り出していた。
「サラ!やっとよ、やっと私女王になるの!長年の勉強の成果がやっっと、出せるわね!」
「そうですね、カトレア様」
十年だ。
十年、長かった。
前世では五十年以上生きた私だが、十年の隠遁生活は長いし退屈だ。
子供たちと遊び呆けていたと言っても、十年とは本当に長い。
最初の数年は帝王学やら政治学やら経済学やらナントカ学でてんてこ舞い、その次の年は礼儀作法や所作、その次の年は楽器や歌やダンスで、それをすべて終わらせてもそれでも5年だった。
まあ学問は巨大な土台があったからいいけれども、父の暗殺騒ぎや政争の余波で色々と邪魔はされたものだ。
そう、父は既に亡くなっている。
あの子のおかげで私だけは逃げたものの、父は王都に残って国王暗殺後も必死に政治を引っ張っていた。
そこに来て、バカな貴族の政権争いに巻き込まれ、父の働きは徒労に終わった。
可哀想に、ひどく苦しまなくてはいけない毒薬を飲まされたらしい。
何より、父を一人で死なせてしまったのが残念だ。
父も完璧真っ白政治家というわけではなかったが、クソ貴族どもに比べれば買ったばかりのシルクのシーツほどの白さだった。
それなのに、ああ、本当に悔しい。
「カトレア様、……これで、亡き旦那様も報われますね」
「……そうねぇ、死人はもう二度と喋らないもの、たとえ私が女王になっても、父様は歯をむきだして怒っているのでしょうね」
馬車の中に沈黙が落ちる。
……言うべきことを間違えた。
「…王都、どうなっているのかしらね」
「どうでしょう…荒れ果てていたならば、とても寂しいですね」
「そうね、そうしたら私がクソ貴族どもから領地を毟りとって、得たお金で王都を復興するわ」
「ふふっ……その意気です、カトレア様」
政争が終わっても、クソ貴族どもが消え失せた訳では無い。
この国に深く根を張って、生き続けている。
そうしたら洗いざらい罪状を調べあげて、爵位剥奪をして全て王家直轄領として、彼奴等の薄汚い財産を売り払って……。
そんな黒いことを考えていると、窓の外は美しい丘陵地帯へと変わった。
緑の波が幾重にも重なり、まるで大海を泳いでいるようだ。
この豊かな国を、守らなければと思う。
私にはその力がある、権力がある。
それを、惜しげも無く使えばいいだけだ。
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翌日になって、やっと王都へついた。
馬車は巨大な門をくぐり、アプローチへと近づく。
ゆっくりと止まり、少しの間を置いて扉が開かれた。
使者の手が差し出され、私は馬車を降りそこに立つ人物を見上げた。
長身、薄茶色の長い髪を一つにまとめ、オレンジ色の瞳を細めて笑っている。
すっと高い鼻が綺麗な男性。
ちょっと狐っぽいかも。
斜めにかけたサッシュは、彼がこの国の宰相であることを示す色をしていた。
「ようこそ、おかえりなさいませカトレア殿下。
私は新宰相、エルメス·ジョエル·ド·クローで御座います」
彼は攻略対象の一人。
腹黒い宰相閣下だ。
「はじめまして、ご存知でしょうがカトレアよ。お噂はかねがね」
「おや、私のことをご存知でいらっしゃいますか。ありがたい事です」
儀礼的な世辞を挟みながら城へ入り、ホールを見回した。
……よかった。どこも変わっていない。
天井も欠けていないし、床はつるつるのまま。
かけられた初代国王の肖像画も、十年前のまま。
今日からここは、私のものになる。
「宰相閣下も紹介してもらえたなら、侍従長くらいは紹介してもらえるはずよね?」
「……おや?侍従長の紹介はお済みでないので?」
「…聞いてないわよ」
ふむ、と唸ったエルメスは、仮面の使者を睨みつけた。
「生娘じゃあるまいし、あなた何やってるんですか」
「……え、あの、だって」
「だってもクソもありませんよ。さっさとしてください」
エルメスは仮面の使者をギロリと睨みつけ、使者は仕方がない、と言うようにため息をついた。
ゆっくりと、仮面を取る。
そこにいたのは、私がよく知る人物だった。
「名前を隠すような真似をし、申し訳ございませんでした。
メルラン公が次男、ルイ·アントワーヌ·ド·メルランで御座います」
仮面を取ったら攻略対象でした。
彼は攻略対象、それも攻略難度最高のクールドライ侍従長。
しかし残念なことに私は存命中に彼を攻略することが叶わず、ルートの内容を知らない。
しかし実際に見る彼は本当にカッコよく、透き通る白金の髪は触れたら溶けてしまいそうで、瞳はこっくりとしたターコイズブルーだった。
憎らしいくらい白い肌は白磁のようで、思わずため息が出そうになる。
「ルイ、ね……私とそれほど歳は変わらないようだけれど、その年で女王付侍従長なんて、あなた随分なやり手のようね」
「……恐縮です」
可愛らしい反応だ。
くすりと笑って、もう一度ホールに目を向ける。
初代国王に深くお辞儀をして、私は振り返って二人に言った。
「どうぞよろしく、ルイ、エルメス」
二人は目を伏せ、私に応えた。
これから長い付き合いになるだろう。
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「ヤバくないですか。」
「……急にどうしました」
未だに男装のカトレア殿下を風呂に放り込んだ僕とエルメスは、控え室で二人茶を飲んでいた。
突然そんなことを呟いた宰相閣下に僕は眉を顰める。
「三十路すぎの宰相閣下がヤバいとか言うんじゃありません」
「うるさいですよ。10歳年下のくせして生意気を言うんじゃありません」
そう言って、ぷいとそっぽを向いたエルメスはこう続けた。
「それでも、すごいですよ。迫力あり過ぎでしょ、しかもあの美人さ。ほんとに19ですか?」
「綺麗な子じゃないですか」
男装姿もすらりとして似合っていたが、着飾ったら夜の女王の如く輝くだろう。
「そういえば、今夜の顔見せ会食には結局誰が来るんですか」
「……来て下さるのは、ヴァリエール卿、カシミール卿、ブーゲンビリア大公、ボンヌフォワ公と令息、ポリニャック公令息、その他令嬢令息がちらほら…。
ベルトラン卿は最後まで粘ってくれましたが、この間のシャロン伯の件のせいでダメになりました」
「酷いもんですね」
「ええ、まったく。」
ヴァリエール卿は、アレクサンドル公と旧知の仲だったらしいから当然か。
カシミール卿は柔和な性格だから、ブーゲンビリア大公は立場を弁えているから、ボンヌフォワ公は女王に息子を婿入りさせたいから、ポリニャック公令息は気まぐれだろう。
政争のせいで王家への信頼は最早ないに等しい。
それをカトレア様がどこまで立て直せるのか、見物とまでは行かないが、興味はあった。
そのうち、扉が叩かれてカトレア殿下が戻ってきた。
春らしい若葉色に花が刺繍されたドレスはとても似合っていて、蝶の髪飾りが銀髪に映えた。
「久しぶりにドレスを着たのだけど、……どうかしら」
「……素晴らしいです、大変似合っておりますよ」
「はい。とても綺麗です」
「あら、ありがとう」
カトレア殿下はちょっと頬を染め、はにかんだ。
その様はまるで花が咲くのを見ているようで、女性に見とれたことなんかない僕でさえじっと見つめてしまうほどだった。
「…ところで、今晩からの予定を聞きたいのだけれど」
「はい、本日夕刻から、関係者各位による晩餐会が開かれます。
明日は戴冠式準備のため丸々一日を使い予行演習、明後日は王室御用達の仕立て屋が参りまして戴冠式のドレスのデザインを選びます。それから……」
いつの間にか会食が晩餐会になっていた。
さすがは宰相閣下、今すっと部屋を出た侍女は、ヴァリエール卿達に予定変更を伝えに行くのだろう。
「……とりあえず、この先二週間の予定をお伝えしました。
戴冠式は1ヶ月後になりますので、かなりキツい予定になっておりますが」
「問題ありません。
私とて、とっととクソ貴族どもを……失礼、横領や人身売買で薄汚い金を蓄えている貴族様方に爵位返上して頂きたいの」
クソ貴族どものところでエルメスが吹き出した。
僕は吹き出さなかった。よくやった僕。
「それではカトレア殿下、城の案内の後寝室へご案内致します。
そこで着替えられた後、晩餐会となりますのでよろしくお願い致します」
「わかったわ」
ほぼ身内しか来ないとはいえ、ボンヌフォワ公や得体の知れないポリニャック公令息などがやって来る晩餐会。
こと彼女に関してはなめられることなどはないと思うが、どうか頑張って欲しいと思った。