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熱を帯びた空気のかたまり

作者: 弁夜民

駄作ですが残しています。

 かつて、この地球上に夏が存在していたことを身体で知っているものは、誰一人残っていない。今の人類と呼ばれるのは、極寒に打ち震える28億の人々のみである。一部の民族は移動を余儀なくなれ、おしくらまんじゅうの要領で人口は密集した。太陽は陰に覆われ、夜が一日を支配するようになった。空はいつも暗く、雲すら星々を裏切った。

 青年になる前のある少年は、夏の正体を突き止めるべく、図書館に通っていた。その当時、もっぱらおすすめされていた書籍は人工太陽に関するものばかりだったから、少年は少し疎外感を覚えた。しかし夏への関心は尽きることがなかった。

 ある日、少年がいつもの席に着こうとすると、その椅子に同い年ぐらいの少女が座っていた。少年が右隣に座ると、少女は少年を避けるように左側の席にひとつ動いた。今度は少年がさっきまで少女が座っていた席に座り直した。

 「ちょっと」少女が幼い声で話しかけた。

 「なに」少年は無関心そうに応対した。

 「なんで近づいてくるの」

 「ここは僕がいつも座ってる席だからだ」

 「……勝手にして」

 「勝手にしてるよ」

 二人は喧嘩腰に会話をしたが、席は動かなかった。少年が少女のほうを見ると、少女と目があった。

 「なんでこっちを見るの」

 「見てないよ」

 「今、目があった」

 「たまたまだよ」

 「じゃ、なんで見てないって言ったの? 偶然だったって最初から言えばいいのに」

 「どうだっていいだろ」

 二人はまた黙りこくって、読書を続けた。今度は少年が目線を感じ、少女のほうを向いた。ぴったりと目があった。

 「なんで見てるんだよ」

 「それって、夏に関係する本?」

 「えっ……うん、そうだけど」

 「やっぱり!」少女はぱっと明るくなった。「わたしも夏の本読んでるから」

 「へえ、そうなんだ」少年も少し心を開いた。

 「ね、それって何ていう本?」

 二人は夢中になって夏への憧れを話した。あまりに熱中していたので、司書から三度も注意されるほどだった。

 「ね、いつか本物の夏を探しに行こう。そこで一緒に遊ぼうよ」

 「それ、いいね」

 二人は目を合わせて微笑んだ。

 

 少年は立派な青年になった。彼は研究職に就くため、一日の多くを勉学に費やしていた。場所はもちろん図書館である。

 「よっ。来たね」

 その席にかつての少女が座っていた。彼らは四年前に恋仲となっていた。少年の友人が、どちらから告白したのかと聞くと、どちらも『向こうから告白してきた』と言った。誰から見ても仲の良いカップルだった。

 青年は金を貯めていた。二人で住む場所を買うためである。しかしそれだけではなく、もう一つ目的があった。

 「ね、最近人工太陽の当たる土地が安くなってるんだって」

 「それでも、まだとても高いよ。貯金を全部使っても、トイレより狭い土地しか買えない」

 人工太陽の技術が進化したおかげで、季節という概念が地球に復活した。本物の太陽よりも扱いやすく、紫外線を考慮せずにすむので、太陽光に焦がれる誰もが欲しがった。幸いにも広い土地は山ほどあった。人工太陽を用いたドーム型の生活空間は徐々に普及していった。しかし、学生風情に買える値段ではなかった。

 「最近、頑張ってるね」彼女が言った。

 「試験も近いし。そっちもでしょ」

 「うん。何か飲む? 外で」

 「そうだな、そうしよう」

 二人は防寒具を着込み、外に出た。青年は、はちみつレモンを買って、美味しそうに飲んだ。彼女はココアを手にしていた。

 「そっちも美味しそう。ちょーだい」

 「ええー。まあいいけど」

 二人にとっては定番のやり取りだった。

 

 「ねえ、わたし、夏って雨だと思う」彼女が言った。

 「雨?」青年より少し歳を取った、かつての少年が言った。

 「うん。人工太陽のある生活は、確かに暑さがあって、湿気がある。でも雨は全然ない」

 「それはしょうがないよ。降らす必要ないし、そもそも雨なんてめったに見たことがない」

 「オーロラの雨」

 「なんだっけ、それ」

 「夏が無くなってから、この地球に起こるようになった気象現象。空にオーロラが現れて、虹色の雫がぱらぱら降ってくる」

 「ああー、それか」

 「嘘だ、絶対覚えてなかったでしょ」

 「勉強してたときは覚えてたよ」

 彼は学者にはならなかった。二人の生活を優先し、平凡な職務に就いた。それでも、人工太陽の当たる土地を購入し、立派な家を建てた。結婚を申し込んだのは彼の方からだった。

 

 彼女が急病で倒れた。病院は、彼女がもう助からないことを告げた。彼は彼女を連れて自宅へ帰った。

 「もっと……。もっとお金があれば、君の病気は治るかもしれないのに」

 「違うよ。お金が無かったら、こんないいところに住めなかった。わたしたちは幸せを買ったんだよ」

 彼女は病床の窓から外を見上げた。人工の太陽が空間を照らしていた。

 「でも違う。違うよ。あれは本物の太陽じゃない。直接見ても目が痛くない。肌が焼けない。この空間自体、適切に管理されてる。ここの夏は偽物だ。そんなものに金をつぎ込むより、君に、君の、君の病気を……もっと幸せな暮らし方があったはずなんだ……」

 「なんで……なんでそんなこと今、言うの。そんなこと言わないでよ」

 「……ごめん。本当にごめん。違うんだ、これは……」

 二人は押し黙った。

 夜になると、太陽はその光源を弱めた。決められた夜の始まりだった。

 

 彼女の生命があとわずかだと知り、彼は彼女を車椅子に乗せて、ドームの入り口まで歩いた。管理者に許可を求め、ドームの扉を開け放したままにしてもらった。外は異様に冷たい空気が張りつめていた。オーロラの雨が降っていたからである。

 人工太陽と虹の雨の温度が混ざり合い、二人の周りは、熱を帯びた夏の空気に包まれた。二人にとっては、それが本物の夏だった。

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