2.アウル
遠慮なく退出させて頂いてCファイル室の前まで行った俺に、チャリンとキーホルダーの付いたそれを掲げて見せたのは、カドゥアじゃなかった。
電子キーを俺の前に突き付け、怖い程ニッコリと笑った彼女の後ろで、カドゥアが苦虫を噛みつぶしている。
「セディエ。何で」
「あーら、そりゃ可愛い不思議な女の子が飛んでた、なんて聞いたら、ひと目見たくなるわよぉ」
と言いつつ、段々セディエの目が座って来るのに合わせて、俺の口は段々への字になった。
「ご、誤解だ! 俺、可愛いなんて言ってないぜ」
「じゃあどうして慌ててるのかなぁ? ミスター・ネクス?」
確かに可愛かったかも知れないが、口に出しては言ってないし、俺の興味は彼女が可愛いかそうでないかではなく、科学的に……ああ、もう、どうでも良いや。
どうもセディエとは相性が悪いのか、俺は勝てた試しがない。と言うか、勝てない相手ばっかりと言う話があるかも知れないが。
この野郎、カドゥア。後で憶えとけ。
だが。
観念してCの扉を開ける役を彼女に譲ると今度は、彼女は先程の勢いをすっかりなくして、怖じ気づいてしまったのだった。
「どうしたんだよ」
セディエは上目遣いに俺を見やって顎に手を添え、おどおどとしていた。カドゥアも彼女の後ろ隣りに、彼女を包む様にして立ち、気遣っていたのだが、
「ねぇ、その女の子って……幽霊じゃない?」
俺達2人の目は、瞬時にして1本線になった。漫画なら、バックをカラスが飛ぶ所だろうか。
超ナンセンスな台詞に言葉をなくした俺達を、何よ、と言いたげな顔でセディエがじっとりと睨み付けた。
「だったら俺が開けるよ」
チャリとキーを取り上げ、カドゥアがためらいなく扉にあてがった。
脳裏に妙な予感が走った気がした。
彼女が、いる!
カドゥアがキーを全て差し込んだ。
ノヴの横に付いている赤いランプが青に変わり、甲高いピーと言う電子音が響いた。
俺はカドゥアを押し退ける様にして、慌てて扉を開け、叫んだ。
「待ってくれ、行かないで!」
電子音に驚いた彼女が消えてしまうのではないか、と懸念したのだ。
果たして彼女は、そこにいた。
俺の言葉に動きを止め、彼女はきょとんと俺を見降ろしていた。
若草色だ。
俺は真っ先に思った。
不意に、涙が出そうになった。
セディエの小さな悲鳴に、やっと我を取り戻した俺は、室内にゆっくり入った。
ファイル室の全ての電源が入っていた。基本的に消し忘れがない様に、1つでも電源が入っていたら鍵が閉められない造りになっている筈のこのファイル室で、彼女の後ろで全ての明かり、全てのコンピュータが煌々と輝いているのだ。
「こ……。これは」
思わずカドゥアが呟いてしまうのも、無理はなかった。
彼女の若草色の瞳が、動いた。その動きに合わせて、コンピュータが唸りを止めた。ガクン、と力を失った機械の音にセディエが肩を震わせたのが、目の端に映った。ひどく怯えている。俺は彼女の名を呼び、彼女の肩に手を置いた。
セディエの肩を抱きながらも、宙に浮いた少女から俺は、目を離さなかった。
離さない、と言うのは違うな。離せないのだ。俺はその豊かに育った麦の穂がそよぐ様な髪や、新緑の森を思わせる彼女の瞳から、目が離せなかった。
何だろう。
何故だろう。
初めて見る彼女の姿が、もの凄くすんなり心に染みついた。
戸惑う様な、驚いた様な顔をしながらも彼女は逃げず、それどころか俺達の側にふわりと降りて来た。明かりが消えた部屋の中央に、俺達と同じ目線になった彼女の姿が、カドゥアが付けた光に再び浮かび上がった。若干、未だ足が地面すれすれに浮いてはいるものの、しっかり肉感を持ってそこに存在する少女は、悪びれた様子もなく、優雅に微笑んでお辞儀をして見せたのだった。
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったの。ここがどこなのか、調べられるかと思ったものですから」
花の様なそれは全く普通の声で、宙に浮いていた以外に彼女に不審点はない様に見えた。だが浮いているのが既に不審だ。部屋の機械全て、手を使わずに操作したのも、彼女だろう。
「私はアウル。2588年から来ました、アウル・ディアンズと言います」
彼女がわざわざ西暦を付け加えて名乗った事には、大きな意味があった。俺達が思わず、互いを見回してしまう程に。
タイムトラベルは物理上不可能だとされているし、可能だとしてもそれを実行するだけの技術は、少なくとも俺達が知る限りでは地球上の何処にも存在しない。
419年後なら、出来ると言うのか?!
そう。
今は未だ、2169年なのだ。
「信じてもらえるかしら」
俺達の驚愕を察して、肩を竦めてアウルが付け加えた。
「あ、あなた、どうしてここに?」
果敢にセディエが話しかけ、1歩前に踏み出した。肩に回していた俺の手を払い、なるだけ背筋を伸ばしている。先程怯えた事を振り切るかの様な彼女の姿勢が、少し可愛かった。
「分からないんです……」
困惑した様に眉をひそめつつも、アウルははにかみながら手を差し出した。握手の意思表示である事を察してセディエも、笑顔を作って手を出した。
「あ……。私は、セディエ……」
が。
俺は思わず彼女達の手元に、自分の目を疑った。
ユラリ、と。
「きゃ!」
セディエが手を引っ込めた。思いがけない物に触れてしまった様に。
いや、様に、ではない。思いがけなかったのだ。
「ただ分かるのは、実際の肉体ごと過去ここに来た訳じゃないって事だけなんです」
そう言いながらアウルが引っ込めた手の先はまだ形を成しておらず、無重力にゼリーが漂う様な形状を模して、やがて小さなするりとした手の形に戻った。セディエは完全に異形の妖怪でも見ている様な恐怖の目になっている。彼女は幽霊よ! と叫んだ。
「セディエ」
俺の腕にしがみつきセディエは、
「だってそうでしょ、実体がないなんて! 未来からなんてのも、嘘なんじゃない?!」
ちょっとしたパニック状態になってしまっている。彼女には悪いなと思ったが俺は、少し乱暴に彼女の両肩を掴み怒声を上げた。
「落ち着け!」
元々、道理の分からない人間じゃない。セディエは一喝で自分を取り戻し、俺の目を見た。
「落ち着いて。話し合うんだ」
セディエの様子を確かめてからカドゥアを見やると、彼は興味本意で戸口から覗き込んで来た他の所員ら数人の相手をしていた。
幽霊呼ばわりされて不安げな面持ちをしているアウルに、俺は微笑んで見せた。大丈夫だよと口に出して言いたかったが、それを俺が言うのも変な様な恥ずかしい様な気がした為、言葉は素っ気ないものに変わった。
「少し、質問をさせてもらうよ。先ず君は何年生まれ?」
「2570年。……9月です」
即答だった。あらかじめ準備してあった回答とも取れるが、未来の生まれ年をすんなり言えたって事は、可能性もあると言う事だ。
俺は少し意地悪な問いも混じえつつ、彼女の事を知ると言うよりは互いの緊張をほぐす為に会話を工夫した。どのみち、彼女本人が自分には超能力があると発言した時点で、理論的に話を進める事は半ば不可能になったのだ。
堂々と初対面の俺達に危険な発言をしてしまう彼女の真意は、正直、分からない。分からないが、肉体のない今の彼女の姿が彼女本来のものであると信じた上で見る分には、全く悪意はなさそうだ。むしろ自分の事をきちんと知ってもらいたいとする熱意が、彼女からは感じられた。
「信じて良いんじゃないかねぇ、取り敢えずは」
後ろでカドゥアらがボソボソと相談していた言葉の中から、そんな台詞を見付けた。俺は部屋の雰囲気を読みながらなるだけ気軽に彼らを呼んで、アウルを紹介した。
アウルはにこやかに皆と挨拶を交わしてくれ、ようやっと機嫌を直したセディエも彼女に詫び、改めて挨拶をしたりなどした。
そんなアウルがここに馴染むのに、3日とは要らなかった。




