1.ファイルC
「ホントウだって!」
自分でも驚くほどの大声を発してしまい、敷地内を往来する所員らの目に気付いた俺は、気まずさを憶えてちょっと肩を竦めた。ただでさえ、半袖TシャツとGパンなんぞという古代の遺物的姿をした、俺の存在は目立つのだ。いや、目立ちたいからしている訳ではないのだが。
皆にはそれ以上気にされなかったので、俺は再び、一緒に並木の下を歩くヤな野郎に食ってかかったのだった。
「見たんだよ! 資料室C辺りの廊下に、ゆらゆら浮いてたんだ! 女の子が」
どこかの班のイタズラか実験かと思ったが、少女には質感も量感もあった。透けてもいなかった。いや、少女と言うより娘って感じだったが。
慌ててこいつ、カドゥアを引っ張って行った時にはもう遅く、信じてもらえなくなったって訳だ。
南国を意識して植えられたヤシとフェニックスの木々が、整然と敷地に並んでいる。その向こうに冷ややかな雰囲気を持つドーム型の建物が、面白い程似合わない。
一生懸命“夏”を主張するむっとした空気の中で、それに応える様にじっとりとTシャツを湿らせて、眼鏡と鼻の間に塩水を溜めているのは、俺だけだ。他の奴らは皆、夏を無視した長袖スーツやワンピース、白衣などの格好で涼しい顔をして歩いている。実際、涼しいのだ。装着型携帯エアコンは、今や世界の常識だ。俺が変わり者なだけなんだ。
だからと言って、面と向かって変わり者呼ばわりされるのは、やはり腹が立つので、
「暑さでボケたんじゃないのか?」
と、言われてしまうと、当然ムッと来る訳で。
俺は更に発汗しながら、同僚のカドゥアに噛み付いた。
「Cファイルの中に居るかも知れないじゃないか!」
「百聞は一見に如かず、だな」
カドゥアは落ち着き払った声で、俺を右手で制した。
「取り敢えず、じゃあ仕事が終わってから再度見に行くとしよう。それで何もなかったら、諦めろ。OK?」
昼下がりの暑苦しい空気がよどむ科学研究所内を歩く俺達の左手には、仕事が握られている。いまいましい書類の束を見つめ、俺は小さく、
「……OK」
と、呟いた。カドゥアの、俺をなだめる様な言い方が気に入らなかったが、口論で勝った事のない俺は、発言を控えた。歳も下だから、仕方がないのだろうか。
女の子はいなくなっちまった。見に行ったって仕方がないかも知れない。だが、心のどこかに期待が残っている。希望的観測と言うヤツだが。
じゃあまた後でな、と手を振ってさっそうと歩き出すカドゥアの背を見ながら、俺は淡く長い髪をした娘の、閉じた瞳が何色なのかを想像した。
◇
大学院に隣接してはいるものの、俺はちゃんとした科学研究所にちゃんと就職した研究所員である。なのに3年居座っているにも関わらず、すぐ大学生と間違えられるのがささやかな悩みだった。実際スキップで院を卒業したし、顔も日系だから仕方がないのかも知れないが。
そんな俺を、息子と間違えてんじゃないかと思う程こき使ってくれるのが直属の上司でもあるドルネ博士である。
この日も嫌々ながら、午後の熱気こもる機器の間をぬう様に歩いて、俺はジジィの言い付けに従い、チェックしていた。のだが。
「汗が落ちる! コンチップを着けろと何度言ったら分かるんじゃ!」
バインダーを横からかっさらい、ジジィは言った。ガマの油よろしくドロドロに汗をかいて仕事する俺の姿に、ドルネ博士は顔をしかめた。先程説明した携帯エアコンの正式名称がコンディションチップだ。略して、コンチップ。
「機器が傷むじゃろうが!」
博士は俺を睨み付けてから、人程の大きさがありそうなアヤシゲな機械達を、あやす様に撫でた。俺が息子だとすると、さしずめ機器がジジィの孫だな。
俺はコンチップを着ける気はない、と、何度言ったら分かってもらえるのだろう、と思いつつ無駄な発言を試みると、
「でも博士、夏の汗は新陳代謝の現れであり、健康面でも、」
「おーまえの信念なんぞ、どーでもえーわい!」
遮られた。
新陳代謝もさる事ながら、夏熱く冬寒いのが感じられるってのは、情緒があって良いと思うんだがなぁ。と言う俺の意見には誰も賛同してくれないのだった。
確かに個人エアコンは余計なトコまで冷やさなくて経済的かも知れないが。俺の汗ごときで、室内湿度が変わって機器がイカれるとも思えん。
だがドルネ博士は真っ白になった髭面を俺の前にぬいと出し、
「お前にはもう頼まん!」
と言うと、俺の右手にあったペンをもぎ取り、きびすを返したのだった。
「カドゥアが待っとるぞ」
ボソッと言って。
腕時計を覗いたら、定時を過ぎていた。
俺は眼鏡がずり落ちるのを直しながら、ジジィの言葉を反すうした。怒って俺から仕事を取り上げた様に見せかけた博士の仕草が可愛く感じられた。何か良い事でも、あったのだろうか?
「どう言う風の吹き回しですか?」
「どうゆう風も吹いとらん」
振り向きもせず憮然と博士は言い、バインダを抱え直し、機器の数値を確認し出した。ご機嫌の心当たりを1つだけ知ってる俺は、試しに、
「あ、そうだ」
と言ってみた。
「ドルネ博士。例の実験、どうでした?」
昨日の夕方からほぼ1日掛かりで彼が手がけていた装置の実験があった筈なのだ。今彼がここにいると言う事は、その実験が終了してると言う事なのである。
小さくああ、と言った博士の言葉が低かった為、俺はまずい事を聞いちまったかと心臓をドキンとさせたが、肩越しに見えた彼の表情は、ほころんでいた。
「成功、じゃったよ」
笑みを洩らしているらしい穏やかな雰囲気が読みとれ、そう言う風が吹いたか、と思った俺までつられて笑みを洩らしてしまった。




