第4話
今、現在僕の目の前では信じられない光景が広がっていた。
信じるか信じないかは自分の目で確かめる――――なんて言葉をよく聞くが、これ程まで信じ難い光景というのを目の当たりにして僕はその光景を信じるのでは無く、頭を疑ってしまう。……いや、そんな事は勿論無いものの、しかしやっぱり目は塞ぎたくなった。
地獄のような光景、と言うか悪魔のような所業と言うか、まあとにもかくにもその光景を作り出した張本人であるところのクレアという人間の本質、言わば人間性を疑いたくなるのが、僕が結果として出した結論だ。
――――村長宅を訪ねて、その家主であるところの村長を捕まえて、縛って、そして屋根から吊るして冷酷に笑う少女の人間性を悪魔のようだと言ってしまっても、まず僕は正気を疑われないだろうから。
「い、いきなり訪ねてくるなり……な、何をするんじゃ!」
「別に」
クレアは別段、大した風でも無く村長の激昂に言葉を返す。
「ちょっとしたお願いに来ただけです」
……お願い。お願いねぇ。
そんな嬉々として天井から吊るした村長を見上げる、遊び道具を手にした赤子のような純粋な顔をするクレアの何処にもお願いをする立場らしい要素は見当たらない。
真正だ。真正の悪魔みたいな女だ、こいつ……。
「そ、それがお願いをする立場のする事か! 誰か! こ、こやつをとっ捕まえてくれ!」
「無理だと思いますよ?」
ふふっ、と楽しそうに笑う少女。僕はいつもの矍鑠たる姿では無い、恐怖と心労と疑問と苦痛の入り混じった複雑な表情を浮かべる村長に対してせめてもの情けとばかりに説明してやる。
「あの……村長」
「お、おう! アルミナ! お前でも良い! 早く儂をここから降ろしてくれ!」
「すいません……僕もこの少女に脅されている身なんで……」
取り敢えず火の粉が飛び火しないように保身の為の言葉を悔しそうに口にする僕。
……まあ、実際間違ってもいないしな。クレアから直接的な脅迫はされてないとは言え、今の彼女を止めようとすれば、たちまち僕も村長と同じ、いや村長以上の苦痛をこの身に受ける事となるだろう。
僕は自分大好きな人間なので、リスキーな事は避ける事とする。
それに長時間でも無い限り、吊るされていた所で村長の命が危ないという事は多分、無いだろうし。
「くっ! ならば仕方ない……」
村長は残念そうに、ともすれば僕を心配するように言う。
……まさか信じてくれたのだろうか。御大、そりゃあ幾ら何でもお人好し過ぎるだろ。
近い内に誰かしらにコロッと騙されて利用されるんじゃなかろうか、この人。女貢ぎとか気を付けた方が良いと思う。
「しかし外には警護の人間が居る筈じゃ……。何故やって来ない……?」
「村長。それはここに入る際、この女が気絶させてしまったからです」
僕は端的に真実を告げる。怒りで真っ赤だった村長の表情がみるみる内に青ざめていく。
基本的に村長は忙しい人なので、今日も村長宅を尋ねようとした際「今日は無理だ」と警護の人間に止められたのだが、クレアは意に返す事も無く殴り倒して強行突破したのだった。警護の人は唐突にそして強制的なる仮眠をしている最中なので、村長が幾ら叫んだところで異変を聞きつけてやって来る者は誰もいない。
……まあ来たところでこの悪魔を止められるとは到底思えないけど。
「ぬぅ……ッ。卑怯な……ッ」
「卑怯? そんな恐れ多い。私はお願いを聞いて貰う為の言わば最大限の努力を行っているだけです。自分の裁量で状況を作り出す事の何処が咎められるのでしょうか?」
多分、全部だと思うけど。
「……努力。成程、努力か……」
「村長……」
ちょっと考え込まないでくれよ、村長……。今後、あんたへの対応が変わってしまうじゃないか。主に馬鹿にする的な方向に。
「それももしかしたら有りなのでは……ッ」
「無しだよ、村長……」
やっぱりこの人は馬鹿なのかも知れない。
「そ、そうか。小娘、貴様のやっている事は脅迫以外の何ものでも無いぞ!」
「脅迫ですか。じゃあそれでも良いです。しかしながら、私のお願いを貴方に聞いて貰うという点では変わりが無いですよ」
「む、むぅ……。お願いとは一体……」
村長の疑問の声と共に僕もクレアの言葉に耳を傾ける。
酒場から出た後、真っ直ぐここまでやって来たが、僕は何故彼女がこんなところに来たのか少しでさえ聞いてないのだ。
クレアにほいほい付いてきたら、いつの間にか縛られ、吊るされた村長を遠巻きに眺める事となっている。……どういう事だよ。あまりの唐突的展開に頭が付いていけてない。だから彼女の目的は僕とて知りたいところではある。
僕と村長が耳を傾ける中、クレアはとんでもない事を口走った。
「まあお願いと言ってもそう大した事では無いです。魔王を倒しに行ってくるので同行者としてアルミナを連れて行く事を許可しては戴けないでしょうか?」
ちょっとそこでお花を摘みに行ってくるわ、くらいの気軽さでとんでもねー事を言ってのけた少女がそこには居た。
魔王を倒しに行ってくる? 何を言っているの、こいつ。『勇者』でも無いのに?
――――いや違う。今、疑問にすべきはそこでは無い。
「は!? 僕が魔王!? お前、一体何を――――」
「駄目じゃ」
僕の動揺の声を掻き消すようにして重く呟くのは他でも無い村長だった。
その表情は今まで見た事が無いくらい険しいものだった。
「駄目じゃ。ならん。そんな事は――ならん」
「何故ですか?」
村長の迫力に気圧される事無くクレアは問い質す。
「アルミナの職業は『村人A』。『戦士』でも『魔法使い』でも『僧侶』でも無いただの村人――『村人A』なのじゃ。そもそも魔物相手に闘う事もままならんであろう」
「そんなの分からないですよ? もしかしたら――」
「ならん」
あくまでも村長は首を縦には振らなかった。
いつもは温厚な村長がここまで一貫とした否定の意を示す事は僕の知る限りに置いておても珍しかった。
「『村人A』が魔王に挑むなどあってはならん」
「危険、だからですか?」
「確かにその意味もある。しかしそれだけでは無い」
「どういう意味ですか?」
辛抱堪らず僕も村長に疑問をぶつける。村長は僕の方へと顔を向けた。
「アルミナ。お前が言ったのか? 『村人A』であるにも関わらず魔王を倒したいなどという戯言を」
「い、いえ――――そんな事は全く……」
クレア程に肝が据わっていない僕は村長に睨み付けられて簡単に気圧された。
村長の目はすわっていた。こればっかりは主張を変える気など更々無いとばかりに、他の言葉など受け入れる気など無いとばかりに。
しかし僕は気付いた。その目に少しの恐怖が刻まれている事に。
……一体どうしたと言うのだろうか。
「そう言えばアルミナ。お前は昔、『勇者』になりたいと言っておったな? またあの頃の想いに火が付いたのか? 七年前のあの日からお前はそんな夢を見るのは止めたと、現実を見る事にするとそう言っておったでは無いか。あの言葉は嘘であったのか?」
「村長」
僕は村長を睨み返した。村長の目に少しだけ怯えの色が映ったのに気付いた。だが、そんな事に構っている余裕は僕には無かった。
「その話をするのは止めてくれませんか?」
この時の僕の目も多分、村長以上にすわっていた事だろう。
恐怖と郷愁に焼かれていた、黒々とした瞳をしていただろう。
――――そんな目をしても尚、触れられたくない場所は僕にだってあるのだ。
「……済まなかった、アルミナ。儂が無神経じゃった」
「いえ……」
僕はそれきり顔を俯いて村長から視線を外した。
村長は気を取り直し、クレアへと目を向ける。
「しかしながらアルミナを連れていくのに儂は賛成など絶対に出来ん!」
「だからどうしてと訊いているでしょう?」
苛立った口調でクレアが再度、村長へと尋ねた。村長は言葉を返す。
「世界のバランスが崩れるからじゃ」
「……バランス?」
「然様。世界にはそれ相応の決まりがあり、枠組みが定められている。それが――――バランス。不文律。絶対的な壁であり、人々はそこから飛び越えてはならないのじゃ。我々にはそれぞれ与えられた『職業』がある。『勇者』もその一つで極端な話をすれば『魔王』も一つの役割――――じゃ。誰もが誰もに自分が為すべき役割がある。それから抗っては――――天罰が下る」
「誰が天罰を下すのですか?」
「神かも知れぬし、はたまたそれ以上の何かかも知れん。儂には分からん――――が」
村長はそこで一度言葉を区切り、選ぶようにしてまたも言葉を掴み取った。
「代々、言い伝えではそうなっておる。『不文律を侵すべからず』と」
「つまり――何ですか? 明言されている訳では無いけれども、代々不文律というあやふやな表現で伝わっている事を貴方は守り続けている。だから『村人A』足るアルミナは『魔王』を倒す旅には出られない……『勇者』もしくはそれ相応の役割を与えられた者のみが『魔王』を倒す旅に出られる、と」
「然様」
「呆れましたね……」
クレアはそう言って目頭を押さえた。そして、
「アハハハハハ」と笑い出した。
「お、おい……」
僕はあまりにも唐突に笑いだすクレアを前にして声をかけずにはいられなかった。
狂ったのか、と。
そう――――思ったからだ。
しかしクレアは一頻り笑うと、再び言葉を紡ぎ始める。
「アハハハ……ハハ……ハ……はぁ、貴方達みたいな枠に収まった連中はいっつもそうです。枠の中のルールを守るのに必死になって、何が本当に重要な事なのかを少しでさえ考えていない――――本当、呆れて物も言えませんね」
「……しょうがないだろ」
僕は端的に、クレアに対し言ってやる。
「何が、ですか?」
「……僕達が何でルールを守っているか分かるか? 例えその時、ルールによって何かを妨げられたとしても結果的にはそれが良い事に繋がると皆、知っているからだよ。そもそも決められた枠組みってのは誰しもに存在しているじゃないか」
――――才能って言葉で以て、枠組みは存在している。
職業ってのは言わばその人間の持つ力の事なのだ。
『勇者』には『勇者』の為すべき事があるし、
『村人A』には『村人A』の為すべき事がある。
力と力。バランスを取る事は安全策を取る事だ。
安全とは妥協という意味合いにも繋がるのかも知れない。
だから僕は『勇者』にはなれないし、そして『魔王』も倒せない。
「だからそれが下らない――――そう言っているのですよ」
だがクレアは僕の言葉をあくまでも否定した。
「何で一々、形の無いモノに縋り、あまつさえ守ろうとするのですか? 面倒な人達ですね。そして酷くつまらないです」
「そんな事を言っていると社会の爪弾きにされるぞ」
「そんなの今更です」
「…………」
どうやら手遅れだったらしい。
……この女が微妙にやさぐれた態度ばかり取るのはその所為か。
やさぐれクレア。意外に語呂が良い。流行らそうかな、僕の中で。
「やりたい事があるのならやれば良いんですよ。やらなきゃ何事も始まらないですから」
「何、その語感だけ良い糞みてーな言葉」
この世の中が平和で、誰しもに働く意義が無いとすればあるいはそう言う事を声高々に言う人間も沢山居るのかも知れない。……まあそんな世の中、ありえねーけど。
でも、こんな魔王の脅威に晒される世の中であっても、こんな事を言いだす人間は居る訳で、そんな人間は意外にもと言うか、鬱陶しくもと言うか、僕の目の前に居る訳だ。
何だろうな、この因果関係。運命って奴はどうしてこうも嫌な奴なのかね。
「大体、何でお前は魔王を倒したいんだよ? 僕は兎も角としてお前には倒したい理由って奴があるんだろう? そうじゃなきゃそんな事言いださないからな」
僕はクレアを前にしてそう問うてみた。
このクレアという謎女が一体何を考えているのか、それを単純に知りたくなったからだ。
すると彼女は嬉々とした様子でこう答えた。
「え? だって魔王だとか『勇者』だとか、そういう偉そうな奴って片っ端からぶち殺したくなるじゃないですか?」
「…………」
魔王よりも魔王らしい言葉を吐く人間が居た。
しかも目の前に。うっはー、たまんねぇ。真正の阿呆だ、こいつ。
「それに王宮兵士辞めて暇だったし、つい」
「つい、じゃねーよ。ちょっと可愛らしく言ってんじゃねー。悪魔染みた事を平然平気で言いやがってからに……」
「そう言えば昔から悪魔だとか魔物だとかそう言う事ばっかり言われてましたねー」
「昔からそういう事ばっか言ってるからだろ」
「ええ」
にっこり、とクレアははにかんだ。僕はその様子に眩暈を覚えた。
彼女は恐れていないのだ。疎まれる事、敵を作る事を恐れていない。
それは多分、この世で一番傲慢で一番素敵な事――――なのかも知れない。
「それで――――」
僕との話は飽きたと言わんばかりの様子でまたも村長へと向きなおる。
「私のお願い、聞いていただけますか? アルミナ、連れて行きますよ?」
村長は長く天井に吊るされ過ぎたのかぐったりとした顔だったが、それでも声に張りは残っていた。
「な、ならん! ならんぞ! 平和を乱す行為を儂は許さん!」
「平和ですか。平和って何でしょうか? 今の世の中が平和と貴方はそう言えるんですか? 魔王と魔物に支配されつつあるこの世界を平和と自信を持って言えるのですか?」
「そ、それは……」
「平和とはそれ即ち変革による結果なのですよ。この世界も、強いてはこの村だって過去の人間が状況を破らんとする決断があったからこそ、こうして形となっているのです。違いますか?」
「う、うむ? それはそのう、違いはせんじゃろうが……」
「そうでしょう? では不文律を破る事もそう悪い事だと決めつけるのはあまりに野暮だと、そう思いませんか? 悪しき風習を破る決定的な一打で以てこの世界をより平和にしてみたいとは思いませんか? 世界のバランスがどうとか馬鹿らしいじゃありませんか。この魔王に支配されそうな危なげな世界をバランスが取れていると言うのであれば、それを崩してしまう事に一体どんな疑問が要るでしょうか? どうです? 世界のバランスなんてそう意味が無いと言う事がお分かりでしょう」
「な、成程。そなたの言う通りやも知れんな――――良し、アルミナ、『村人A』としてそちもそこの娘と共に魔王を滅ぼす旅に出かけるのじゃ!」
「村長……」
残念だ。馬鹿らしく感じてしまうほどに馬鹿だこの人……。
故郷の行く末が心配な今日この頃。生きるってのは闘いだなぁ……。
「では下ぼ……アルミナ」
「お前、今僕の事を下僕って言おうとしただろ」
「ではゲボ」
「それはそれで酷い……」
会ってから数時間しか経ってないのに人をゲボ扱いとか……。お前の評価基準どうなってんの? 本部にクレームかけちゃうよ? 本部ってどこだよ。
「しかしながら……。そもそも何を根拠に私の言葉を否定しているんですか? 貴方みたいな男は女を前にしていつもそうやって揚げ足を取ろうとするんですね。下劣な……立場を弁えて下さい虫けら」
「…………」
他人を罵倒する時のコイツの顔って生き生きとしているなぁ……。
何だろう、餌を前にしたハイエナみたいな舌なめずりが聞こえてくるようですらある。
「さて、そんな事はどうでも良いとしても、早くこんな汚らしい場所は出て行きましょう。天井から爺がぶら下がっているような場所になんて一秒たりとも長居したくないですし」
「…………」
何、お前自分の記憶を改ざんでも出来んの? 器用に生きすぎだろ、マジで。
クレアは言いたい事を言ったのか、すっきりとした様子で村長宅を後にした。
……え? 村長そのままなの? 放置プレイかますの?
――そんな風に心配になった僕だったが、クレアは当然とばかりに僕の耳を引っ張り一緒になって村長宅を出たので、僕には村長を慮る事はおろか、その身を同じ大地に着けてやる事すら出来なかった。
まあいかな御大でも今回ばかりは許してくれねーだろうけど、それでも僕はクレアに耳を引き摺られるという激痛に耐えながら、尚、この言葉を送ろうと思う。
――――――長生きしてね、村長。




