第3話
『始まりの村』と呼ばれ始めた辺りからここ、アルヒムの村では酒場と呼ばれる情報交換所兼旅人の社交の場が営業している。僕はまず、そこへと鎧姿の少女を連れてきた。
……ただ十六歳である僕がここに来るのは実の所、初めてなのだけれども。
お酒は二十歳になってから。酒を呑んでも、捕まるな。そんな感じ。
僕としてはこう言った場所に連れてきて、そのままフェードアウトを決め込みたかったのだが、彼女がそれを許してはくれなかった。物言わぬプレッシャーを持って僕に席を勧め、止む無く座らざるを得なかった。
何、この人。世紀末覇者なの? 超怖いんですけど……。
だってこの女ってば酒場に居る自分が場違いである事なんてお構いなしに毅然とした面持ちで振る舞えるんだぜ? 顔付き見る限り年齢は僕と大差無いようにしか見えないのだから、普通はビビるじゃん。でも彼女は酒場に入るや否や我が物顔で酒場の奥に入って行って、小さなテーブル席にどかっと鎮座してしまったのだ。
彼女の瞳は冷血な光を帯びていて、氷のように澄ました態度をするばかりである。
「お嬢ちゃん。酒場なんかに来て大人ぶっちゃってどうしたの? それよりお兄さんと良い事しない?」
僕がビクつきながら少女の対面に座ると、やがて一人のおっちゃん――恐らく旅人だろう。無精髭が野性味を醸し出している――がにやつきながら僕らの方へと寄ってきた。
……まあそうだよな。僕らみたいな青二才のガキが来るところじゃないよな。
僕がどうにか平静を装って、実際は「ぶひー! お願いします、見逃してくだせえ!」みたいな心境で居ると、鎧姿の少女はまるで汚物を見るかのような鋭い目をして一言、
「獣臭いですよ。人間の真似をするならもう少し上手くやった方が宜しいかと」
と言った。ひえー。ところでホントその目、氷塊でも入れてんの?
「……おい。ガキだと思って調子扱いてると――――」
当然旅人のおっちゃんは青筋を立てて、少女を殴り飛ばさんとばかりに肩に掴みかかる。
刹那。旅人のおっちゃんは軽業師宜しく駒のように回りながら、空中へと吹き飛ばされていた。そのまま向こうの壁に叩きつけられ、ずるずると床に落ちて行った。
え? 何? 今、どうなったの?
もしかして――――この女が殴り飛ばしたの? 座りながら?
鎧姿の少女は色味の無い声で一言、「……汚らわしい」と呟くと、それ以降、殴り飛ばした旅人のおっちゃんとは何ら無関係と言ったような顔をした。
おいおい怖すぎだろ、お前……。対面に座っている僕が漏らしちゃったらどうすんの? 介護してくれんの? もしそうなら僕、紐っちゃうよ? 良いかしらん?
「あの、お客さん……」
少し間が空いた後に酒場の店主が僕達に声を掛けてくる。
まあ当然、咎められて当然だろう。店主とて問題を起こしそうな奴を客と見做したくないに違いない。すると、
「今のはあっちで転がっている汚らしい豚が悪いのであって、私は何ら咎められるような行いをした覚えは無いです。……違いますか?」
「…………ええと、その」
「ミルク」
「…………え?」
「ミルクを一つ、下さいませんか?」
――――と少女は店主に対し端的な対応をした。
……可哀想に。店主、足、震えてんぞ。半泣きで動揺しながらミルクを淹れてるし。
そして僕には注文、訊かないんだな。別に良いけど。
店主は手負いの獣並に素早い動きでミルクを卓上に持って来ると、そのまま店の奥へと引っ込んで行った。今頃、さめざめと泣いているのかも知れない。
ちなみに店主。僕の存在、忘れてますよ、おーい。
「――――それで」
いつまで経っても注文を取りにこない店主に対し早々に見切りをつけた僕はミルクを岩のような表情で呑む少女に対し、話を切り出す。
……と言うか、こんな女と一緒に居てはそろそろ僕の繊細な心臓が割れちゃいます。
「一体何の用なんだ、お前は? 酒場に来て騒ぎを起こしにきた訳じゃないんだろ?」
ミルクを飲んでいた少女は僕の言葉を受けて、コップをことりと置く。そして、
「……クレア」
と。まるで何気ない独り言でも言うかのように呟いた。
「……へ?」
「聞こえなかったのですか? クレア――私の名前、です。これだから低脳は困りますね。同じ話を何度もしなくてはならない……。その頭、いっその事、売り飛ばしてしまえば貴方が一生の内に働いて得られる賃金よりも高いお金が得られるのでは無いでしょうか?」
「……僕が低脳なのは放っとけ。ええと……」
僕は鎧姿の少女――クレアと目を合わさないようにしつつ、言う。
「僕の名前は――アルミナ。アルミナ、だ。宜しく」
「……あら。案外、ちゃんと話が出来るじゃないですか。自分の名前さえ喋れない愚図なのかと思いましたが」
「記憶喪失かよ。……自己紹介くらい、出来る」
「貴方――アルミナ。言葉は省略するものでは無いですよ」
さらっと呼び捨てにされた事に若干ドキドキしながら僕は首を傾げた。
「…………?」
「正しくは『自己紹介くらいは出来る。むしろ自己紹介くらいしか出来ない』でしょう?」
「お前、僕を馬鹿にしているだろ……」
「いえいえ。私は貴方を馬鹿になどしていません」
「そうかな……」
「ええ。見下してはいますけど」
「……一緒じゃん」
どうやら僕は初対面の相手に対し、下に見られていたらしい。
…………でも、何だろう。そこまで反論出来ない。いえー。
「歳は幾つですか?」
「十六」
「ちなみに私は十七です。敬うに越した事はありませんよ」
クレアはそう言って胸を張る。……態度が不遜な事この上無い。
「さて、お互いに自己紹介が滞りなく済んだところで訊きたいんですが……。少しばかりこの村の主要な施設が何処にあるかを教えては下さいませんか? ……貴方に出来れば、ですけれど」
「……教えて貰う態度じゃないよな、それ」
クレアの態度に僕は心底、溜息を吐いたが、しかし僕は世が世なら聖人になれる程の優しき心を持った人間ではあるので彼女に対し簡単な村の様子を教えてやった。
「成程。分かりました。やはり村の事を知るなら、村に住んでいる者に話を聞くのが一番手っ取り早い。それが例え低脳であったところで同じ事です」
「お前はどうあっても僕を低脳にしたいんだな」
的を得ているけど。えー、少しは言い訳しようよ、僕。
「ところでお前、鎧とか着けちゃってるし腕も立つみたいだけど……」
僕はさっきから訊きたかった事を、尋ねてみる事にした。
「もしかして『勇者』?」
先程から見る限りに置いて、女の癖して常人の遥か上をいく実力を備えているらしい。その細腕の何処に大男を吹っ飛ばせる程の腕力があるのだろうか……。それはそれとして、もしも『勇者』であるならば…………女だてらに見上げた奴である。
「…………」
クレアは不思議そうに僕を眺める。そしてこう言った。
「気持ち悪いですね。女性に対して詮索ですか?」
「…………」
何この女の貞操観念の高さ。鉄なの? かてーの?
「……いやいや。純粋な興味だよ」
「興味だとかいやらしい事を言うのは止めて下さい。剥ぎ取りますよ」
「何を!?」
「……まあ質問にはお答えしましょう。一応、村の事を訊いたので借りはありますし。美少女を前にして訊いた質問に答えて貰う……。良かったですね、貴方が人生で最も輝いている瞬間ですよ」
「僕の人生、どんだけくすんでんだよ」
と言うか、こいつ今、自分の事美少女って言ったか?
……確かに頷ける程の美人だけど。自己主張が激しい奴は僕的にちょっとね。
「貴方の質問は勇者であるか否かですか。答えは否です」
「違うのか?」
僕は予想外れの答えに少々面食らう。
アルヒムの村に訪れる武芸の立つ人間なんて皆、『勇者』とばかり思っていたけれど。
「私は帝国、クリスタルグラントで兵士をやっていたんです。……と言っても先日、辞職致しましたけど。今はしがない旅人の身ですよ」
「クリスタルグラントで――――って。つまりは王宮兵士って事じゃん」
王宮兵士と言えば『勇者』に続くエリート職で少年の憧れの職業の一つとして数えられるだろう。
「言うなればそう言う事かも知れませんね」
それを何でも無いかのようにさらりと口にするクレア。
とんでもねー奴だとは思っていたが……まさか王宮兵士とは。
「でもええと……クレア、さん?」
「クレアで良いでしょう。その鬱陶しい敬称を付けるのは些か理解に苦しみます。何故一々言葉の字数を増やして呼び辛くするんですか? 気持ち悪さが少しでも抜けると思っています? 残念ながらそんな事はありませんよ。どちらにしろ気持ち悪いです」
だから好きに呼んで構いません、と凍りついた言葉を口にするクレア。
…………極寒の大地で喋っているようである。気持ち悪いとか言うなよ、うっかり死んじゃうかも知れねえじゃねえか。
「――――クレア」
「呼び捨てですか? 失礼な人ですね、気持ち悪いです」
「…………」
「冗談ですよ」
クレアは全く冗談に聞こえない様子で口を開く。
僕の女性幻想が彫刻刀で削られるが如く――いや、彫刻刀で乱暴に穴が開けられるがごとく崩れ去っていっている。
「……クレア。ならどうして王宮兵士を辞めたんだ? あれ程のエリート職を辞めるなんて勿体無い事をする」
「別に」
「別にって……」
「敢えて言うなら私の居場所はあそこではありませんでした」
「無気力な若者の常套句みたいな事を口にするな」
「だって考えても見て下さいよ。王宮兵士と言えば集団生活の末路みたいな場所なんですよ? 貴方は私みたいな人間が集団に馴染めると思います?」
「僕はお前という人間を全く以て知らないけど敢えて偏見で言わせて貰うなら有り得ないな」
特に肩を掴まれたくらいで人を殴り飛ばしてしまう人間には集団生活は難しいのです。
「……っは。笑わせますね。底辺の癖していきなり人を罵倒ですか。何たる気持ち悪さです、死んでくれませんか?」
「色々理不尽な事を言われている気がするが、それはさて置き。お前ってウニかそれとも針山の生まれ変わりなの?」
人を傷つけずに会話する事が出来ないのだろうか、この女。
「…………前世なんて、知りませんよ」
「それはそれとして。だったら『勇者』にでもなれば良かったんじゃねえの? お前の実力ならそれも可能だったんじゃないか?」
知らんけど。第一、僕のような人間に人の強さを計る事なんて出来っこないが、それでもそう言わずには居られなかった。
「何です? もしかして貴方、実は『勇者』に憧れている口なんですか?」
「……昔の話だよ」
そう――――昔の話だ。
僕はもう現実を見据えて、客観的に自分を見る事の出来る人間なのである。
自分を見て絶望を覚え、それでも前に進める大人なのである。
だからこそ僕は『村人A』になった。
今の僕の夢は『勇者よ。死んでしまうとは情けない』とか言える事である。
それって誰が言えるの? 王様? 夢、大きすぎだろ、僕。早く諦めろ。
「昔の話ですか。私が『勇者』にならなかったのは契約を交わすのは色々と面倒だったからですが……。アルミナは違うでしょう?」
「違うって?」
「昔のアルミナは何故『勇者』になるのを諦めたんですか? そもそも今は一体何をやっているんですか?」
「『村人A』」
「……は?」
「『村人A』」
「……やっぱり底辺じゃないですか」
クレアは心底、蔑むような目付きを僕に向けた。
「ばっか、お前! 『村人A』だって立派な職業だよ!? 僕がどれほどの想いを『ようこそ、アルヒムの村へ!』に込めていると思っているの!?」
「……ああ。さっきの仕事だったんですか? てっきりとち狂っているのかとばかり……」
「こっちは狂いそうになりながらも仕事だから頑張っているんだよ! 汗水垂らして毎日毎日、自分の仕事に精一杯だよ。底辺かも知れないけれど蔑まれる謂れは無いぜ!」
「自分の仕事に誇りを持っているんですね、立派です」
「そうそう」
「でも自信は持っていますか? 自分の仕事にきちんと胸を張れますか?」
「ええと……それは……」
僕はちょっとばかり躊躇いを覚えてしまう。クレアはそれを見逃してはくれない。
「アルミナ」
「……何だよ?」
「『働いている』と『働かされている』は違いますよ?」
「…………」
僕は躊躇いを覚えてしまった自分を酷く恥じた。返す言葉も無く項垂れる。
「今からでも『勇者』になれば良いじゃないですか」
クレアは多分、この世で一番残酷極まりない事を口にした。
…………うっわ。こいつ、何も分かってねー。
「お前、『勇者』になる為に何をしなければならないか知っているの?」
「勿論。私だって先日まで帝国の王宮兵士だった人間ですから。『勇者』になるには魔法基礎理論、魔物への知識、各街や村の地理、歴史、文化への理解、長い旅に耐え得る豊富な知識、etc、etc……。それが必要不可欠です。そしてそれらの知識を試す筆記試験に合格しなければなりません。次に純粋な魔物との戦闘適性――――つまりは実技試験ですね。確か試験管として用意された王宮兵士を相手にして完勝しなければなりません。確か精神的側面に置いてのチェックもパスしなければなりません。全てを潜り抜けてようやく帝国、クリスタルグラントの王、アルマ=クリスタルグラント王より『勇者認可証』を受け取り、『勇者』を名乗る事が出来ます」
「……僕にそれが可能だと思うか?」
「無理でしょうね」
クレアは即答した。一切の躊躇も気遣いも無く。だが、
「……今のままでは」
最後に言葉を付け足した。そんな情けは要らねーのにな。
「…………努力すれば良いってか?」
「……まあ。努力もせずに結果を語るなんておこがましいとは思いませんか?」
「思わねーよ」
今度は僕が即答する番だった。一切の躊躇も気遣いも必要は無い。
言葉も一々付け足したりはしない。事実は濁す必要さえ、無い。
「どうしてですか?」
「努力ってのは一部の才覚ある連中にこそ許された行為だからさ」
努力ってのは多分、この世で一番優しくて、そして馬鹿を耽溺させ、結果狂わす事の出来る魔性の言葉なんだろう。
だって努力ってのはどうしようも無く無駄な時間だからだ。
努力が必要だと豪語する連中は沢山居る。成功した人間は努力をしてきたから今ここに居ます、なんて訳知り顔で口を利く。
でもさ、あれって基本、成功した人間しか口にしないよね。
成功した人間は才覚ある人間だ。だからああいう事を平気で口にする。
僕はああいう連中が一番嫌いだ。反吐が出る。
天才は努力する前から天才なのだ。故に努力する事に意味がある。努力する前から見込みがあるからこそ、天才は努力を欠かさない。努力をするだけ成果が出るのだから当然だ。意味のある努力ほど楽しいものは無いんだろうな。
でもそれは一部の人間だけだ。一部の人間にのみ努力は許される。……いや、努力するだけならば凡人にも許される。凡人にも夢を見る事は許可される。
――――だが結果は決して満足のいくものにならない。
それを受けて凡人は「努力が足りなかった所為だ」と自己防衛に入る。自分が凡人であると認めたくないから。人間は自分の所為にしたくないから形の無いものに逃げがちだ。
行きつく先は努力によって無駄に浪費した時間への後悔なのにな。
僕はそうはならない。凡人である事を理解している僕は時間の無駄な浪費はしない。
「『勇者』になる為に努力するのは素敵な事かもな。絵にもなる。応援されるかも知れないし、何より――――滑稽だ。万人を喜ばせる事が出来るかも知れない。けれど結果は付いて来ない。凡人にとって努力で無し得る結果は幻想でしか無いんだ」
「へー。つまりアルミナは凡人だから努力しないと」
「天才なら僕の言っている事が理解出来るだろ?」
「多少は。しかし私は最初から何でも出来ましたから努力とか必要ありませんでしたけど」
「…………」
こいつは空気を読むとかそういうのを知らないんだろうか。
よくもまあ僕を前にしてそう明け透けに真実を口に出来るものである。
「……とそう言う訳だ。僕は『勇者』にはならねーし、なれねー。人間ってのは分相応、その中でどう生きていくかが重要なんだ。檻の外に手を伸ばすだけ無駄だ。頑丈な檻は決して外れたり壊したり出来ないんだし、手を伸ばす労力は檻の中でどうすれば楽しく愉快に人生を生きて行けるか、考える事に宛てた方がよっぽど有意義だよ」
「言わんとしている事はよく分かりました。しかし――」
クレアは少しだけ間を開け、僕を睨み付けた。
この時、クレアの目は今まで見てきた中で一番冷たい、絶対零度の色を持っていた。
睨み付けられただけで痛みを感じる程に。
「気に入らないですね、その考え方」
「才覚ある人間は多分、そう言うだろうな」
逆を言えば才覚の無い人間は多分、分かってくれるだろう。
ただ才覚が無いと自覚していない凡人は認めてくんねーだろうけど。昔、親から聞いたお伽噺。馬鹿には見えない何とやら。そんなもんだろう。
「さて……」
クレアはすっくと立ち上がる。ようやく帰ってくれるか。さらばクレア、二度と会う事は無いだろう。何だったらミルクは奢ってやっても良い。
そんな事を考えて油断していると、クレアは突然僕の腕を掴んだ。そして、そのまま引き摺るようにして僕を立ち上がらせて、歩かせる。
耳を引っ張らないだけマシだが……。でもお前、僕に決定権握らせるつもり無いのかよ。僕って何、飼いならされた獣かなんかだと思っている?
「お、おい……何処に行く気だよ?」
僕は声に詰まらせながら、訊く。決して女の子と手を繋いで、心臓が早鐘を鳴らしているからじゃないよ。ホント、ホント。
「ちょっと付き合って貰いたいところがあります。貴方の腕を掴むなんて鳥肌が立ちそうですけれど……、まあついてきて下さい」
「僕の腕は汚物か何かかよ」
やっぱりこの女はどうあっても僕を言葉の暴力で切り裂き続けるらしい。
その事に半ば諦めに近い気持ちを持ちながら、ついていくくらいの事は別に構わないので、引き摺られながらも抵抗するような真似はせず、二人して酒場を出て行った。
……そう言えばミルク代払ってなくね? 食い、いや飲み逃げ?
店主、心労で店を畳まなければ良いけどな。




