第31話
大きな広間を奥へと進んでいく内に壮麗な扉が見えてきた。
巨大で開けるのでさえ困難な扉をクレアは闇色の長剣で叩き斬った。
相変わらずのマナーもへったくれも無い奴だ……。
壮麗な扉を破壊した中は中心に赤色のカーペットが敷かれていて、その周囲を多くの燭台の上で揺らめいた炎が照らしている。それを辿っていった先には階段、その上にはいかにも豪華な椅子が置かれている。
椅子には影が一人、鎮座していた。
「よくぞここまで辿り着いた、褒めてやろう」
重々しい口調で喋る男は立ち上がる。その姿が燭台の炎に照らされた。
「我こそが魔王だ」
魔王を名乗る者の姿形はまるっきり人間そのものだった。
大きさも人間と比べて変わらないし、身体付きもやけにほっそりしていて、魔王などとはとても思えない。鎧を着け、マントを羽織っている姿は人間そのものだ。
唯一違うのは頭に二本の角が生えているぐらいのもの。
「…………」
クレアは無言で長剣を構える。
鎧が身動ぎしてかちゃり、と沈黙を破る。
すると、
「まあ待て」
と魔王は僕らに向かって静止を促した。
「まず我の話を聞くが良い。殺し合うのはその後でも遅くなかろう」
「…………」
無言でクレアは魔王を睨めつけるが、どうやら話を聞く態勢に移行したらしい。剣を一度背負い直した。
そうなっては僕も魔王の話を聞く以外、する事など特に無い。
「単刀直入に言おう――――貴様、我の配下に入らぬか?」
「…………お断りします」
「世界の半分をやろう」
「…………」
彼女は押し黙った。それを聞いて僕は不安に駆られた。
クレアは少し前にこう言っていた。
――――私は人類を滅ぼすかも知れませんよ、と。
彼女が予想して、そして危惧していた状況が今ここにある。
魔王が口にした誘惑の言葉。勇者『カルマ』であったなら剣と共に斬って捨てるであろう、しょうもない言葉。
だが正しくない、正しく在れない彼女にとってそれは美酒よりも甘い一言かも知れない。
それが僕には不都合なのだ。
僕はこの世界がそう好きでは無いが、死ぬのは御免被りたい。
生き汚いから――――僕は敢えてここに居る。
「……クレア」
「分かっていますよ、アルミナ」
彼女はそう口にした。多分、真実を。
「貴方がここに居てくれる時点で私の心は決まっています。貴方が居る方がちょっとだけ楽しいのですから」
「……断ると言うのか?」
魔王は何故か意外そうな口調で言う。
「貴様とて我と目的を同じくした元、魔物では無いか。今は人間をやっているらしいが、馴染める筈が無い。今も世界を滅ぼしてやろうとでも考えておるのだろう? 何せ貴様は我が配下の魔物が一人、悪魔『ベルフェゴ』の生まれ変わりに違いないのだからな」
「…………」
僕もそしてクレアも魔王を前にして黙った。
ただ……ここに至れば然程の驚きは無かった。
彼女――クレアが元、魔物の生まれ変わりであるという兆候は以前からあった。
人間とは思えない冷酷にして残忍な性格。
生まれ持ったという圧倒的なまでの強さ。
そして胸に浮かんでいるシンメトリーな痣。
僕はようやくあれがどんなものであるかを思い出した
――――昔、『勇者』の文献を眺めている時に同時に幾つか魔物についての情報が載っていて、その時に僕はあのシンメトリーな痣――刻印を目にしたのだった。
あれは――――上級の魔物に刻まれし刻印。言わば恐怖の象徴だ。
更にクレアが扱う正体不明の影を操る魔法。
これを僕は嘗て耳にした事がある。古代魔法の内、余りにも凶悪にして残忍な為、封印された負の魔法。闇魔法にして禁呪とされた、特に一部の魔物が好んで使う特異呪文。
それが――――闇魔法。
クレアが上級の魔物の生まれ変わりであると言うのなら、使える事もあろう。
先の一角の魔物が口にした――魂が純然たる人間のものでは無い、という発言。
ならば――これだけの事柄が揃えば彼女が魔物の生まれ変わりと考えるのは難しくない。
「クレア……お前、知っていたのか?」
僕は彼女に訊く。
当然、ベルフェゴなどという魔物の生まれ変わりであった事を――だ。
「魔物の生まれ変わりであるという事自体は知りませんでした」
彼女は然程の動揺も無しに言葉を述べる。
「……まあ予想はしていましたけれど」
クレアは唐突に懐を探って一枚の羊皮紙を取り出した。
それはかつて彼女が僕に見せるのを良しとしなかった能力査定の査定結果が記されたものだった。
僕は羊皮紙に踊っている文字を確認する。
名前――『クレア』
職業――『元、王宮兵士』
能力――『体力……測定不能 魔法力……測定不能 攻撃力……測定不能 防御力……測定不能 素早さ……測定不能 器用さ……測定不能』
固有スキル――『測定不能』
「……僕と同じ?」
かつての――一年以上前に僕が能力査定を受けた時もそうだった。
僕が能力査定を受け、羊皮紙に記された結果はこうして測定不能の嵐だった。
しかし僕は知っている。
これが僕と同じ文字を表示していたところで中身が天と地程の差がある事に。
「能力査定で『測定不能』が表示される要因は二つ。一つは能力を数字で表せない程、弱過ぎるか。もう一つは人智を超えて強すぎるか……。そのどちらかになります。私が弱過ぎるという事はまず有り得ないので、私は人智を超えて強すぎるという事になるんですよ」
「…………」
「分かりますか? 人智を超えて、という事は人間では有り得ない、という意味です。従って私が人間で無い事を示してしまったのが――――その羊皮紙です」
「人間で、無い……」
それを文字に示され、突きつけられると言うのは一体どんな気持ちなのだろうか。
人間ではない――――人間であると思っているにも関わらず。
それは芯まで凡人の僕には察する事が出来ない。
「だから……と言う訳では無いですけれど。人間で無いと言われてしまえば私にとって人間なんてどうでも良い存在です。滅ぼす側に回ったところで大しておかしくは無いでしょう? 昔から誰ともソリが合わなかったのも頷けます。だって私は人間であって人間で無いのですから」
「…………」
「――――ベルフェゴよ」
黙っている僕を余所にして魔王が無粋な言葉を吐いた。
そうして魔王は尚も喋り続ける。
「もう一度問おう。我の元へと返って来ないか?」
「…………」
「頑なよのぉ……。ベルフェゴ、かつての貴様も同じく岩のように頑強であった。人間を正面から叩き斬るのが大好きで、卑怯な手法を嫌った。実力は我と均衡していたにも関わらず我儘で好き放題振る舞う様はしかし、我は嫌いでは無かった。苦手ではあった、やも知れぬがな。そんな貴様が勇者という若造に殺されたと聞いて我は烈火の如く怒り、そして滝のような涙を流した。勇者への復讐を遂げられなかったのは今でも心残りよ……」
しかし、と魔王は一度言葉を区切り、そして言う。
「魔界から復活を遂げて暫くすればどうであろう、勇者を名乗る青年の意志を受け継いだと抜かす『勇者』を名乗る輩が次々と現れるでは無いか。勇者は既に死んだらしいが、『勇者』はまるでゴキブリのように沸いておる。我はこやつらを滅ぼす事に決めた。滅する事を心に誓った。勇者に果たせなかった復讐を『勇者』に果たすのだと。そして勇者の守りたかった人類も同等、滅ぼすと決めた。『勇者』はかつての勇者程強くは無かった。個体差はあれどもな。だが油断は出来ぬ。『勇者』と人類を滅ぼす、それを果たす為ならば我は何でもやる腹積もりだった。古い文献を色々漁った。かつてのやり方では『勇者』にまた滅ぼされるやも知れなかったからな。そこで我は知ったのだ」
「……知った?」
魔王の言葉を僕は反芻した。
知った? 魔王は一体何を知ったと言うのか。
それを魔王は口にする。
「文献によると『この世界にはそれぞれ破ってはならない不文律がある』そう記されていた。人間には人間の、魔物には魔物の、それぞれお互いに干渉してはならない部分というのがある。それが争い合う上での最低限のルールだと」
「……不文律」
僕はその言葉を耳にした事があった。
一年以上前――僕がアルヒムの村を旅立つ際、村長から僕はこの言葉を聞いていた。
不文律。詰まるところ、それは魔物と人間が争い合う際の取り決めの事だったのか。
「だが聞くところによると貴様――ベルフェゴの横でつっ立っている人間、貴様だ」
魔王は僕を指差した。僕は核心を突かれた事に気付き、ビクンと固まった。
――――『村人A』は魔王討伐の旅に出てはならない。
それは不文律の違反であった。ならばそれ以降は……聞く迄も無い。
「貴様――貴様は『村人A』にも関わらず我を討伐する為、村を出るという違反を犯した。それはつまり我ら魔物達に対する宣戦布告だ。これより先は何をやっても構わないというルール無用の戦いへの狼煙だ。だから我はこれまでに禁忌とされていた事を幾つか犯した。いや禁忌は既に正当な手段として許されていたのだから是非もあるまい」
「私が――――」
クレアは言葉を挟んだ。
「私が直ぐに思い出せるのは――――一つ。一年程前、ウルマリンの近くの洞窟にて有り得ない強さの魔物が出現し、カルマ様が殺されかけた事ですね」
「それは――――それは我がけしかけた魔物だ。本来、そこに居た魔物を退かせ、代わりに強力な魔物を住みつかせた。我の思惑通りに事が運べば、あの洞窟に訪れた『勇者』を一網打尽に出来る筈だった。それが容易に熟せる凶悪な魔物だったのだから」
「成程……」
僕は静かに呟く。
あの時、洞窟に住みついていたのは悪魔のような巨躯の魔物。
嘗ての『勇者』カルマ=クリスタルグラントはあの魔物に手も足も出なかった。
それは魔王の策略によるものだったのか……。
「我は他にも幾つかの禁忌を犯した――――結果、『勇者』を名乗る人間はもう殆どが残っておらん。それにもう一つ……、我は決定的な禁忌を犯し、代わりに不死を手に入れた」
「不死……」
僕は胡乱げに呟く。
不死――――それはつまり絶対に死なないと言う事。
僕らのような凡俗足る人間が相手なら魔王がその実力になぞらえて不死を名乗ったところで不思議では無いだろう。
しかし、相手はかつて魔王と肩を並べた悪魔『ベルフェゴ』の生まれ変わりである元、王宮兵士――クレアなのだ。
そんな未知数を相手にして魔王が不死という言葉を軽々しく使うのだろうか。
つまり先の言葉はハッタリでは無い――――――
ならば決定的な禁忌とは一体何の事だろうか。
僕は一年前に聞いた少女の言葉、ロコの予知を思い出す。
――――世界に霧がかかったような。
あるいは村長の言葉。
――――世界のバランスが崩れる。
全ては僕の行動を引き金として魔王が犯した禁忌の事を言っていたのかも知れない。
「どうだ? 不死となった我を相手にするのはベルフェゴ、貴様とて分が悪かろう。何、無下にしたりはせぬよ。世界を半分どころか全てを我と共に手に入れようではないか。また人間を思いの通りに滅ぼしてみよう。どうだ?」
「私は――――」
魔王の誘いを前にしてクレアは――――言う。
「魔王。確かに私は貴方の言う通り、魔物の生まれ変わりなのでしょう。かつては人間を相手にして残虐の限りを尽くしていたのでしょう」
けれど。否定の言葉を僕は確かにクレアの口から聞いた。
「私は気付いたのです。人間にも少なからず滅ぼすべきでない者が居る事に」
「な……何を!? 血迷ったかベルフェゴよ! 人間など生かす価値も無い下等生物では無いか! この世界は魔物が手に入れてこそ相応しい世界に為り得る。一緒にこの大地が魔に染まる様を見ようではないか!」
「確かにその景色には心惹かれるものがあります。……それに人間は醜い。よってたかって秀でた強者を潰し、人が並列である事に安心感を覚える。その安心を得る為なら人は少し飛び抜けている者、ズレている者を徹底的に叩く。あるいは潰す。それは醜いです」
「なら……ッ」
「そう――――人間は醜い、だからこそ美しいのです」
クレアは一瞬だけちらりとこちらを見遣る。
しかし直ぐに視線を外して魔王を再び睨み付けた。
「人間はお互いが醜い。けれどそれを自覚して、補い合い、懸命に生きている。汚いながらに楽しく生きる為の努力はきっと美しいのです。更に例え虫のような――凡俗で凡人で全く以て実力も無い癖にでしゃばる人はそれ以上に屑でゴミ以下でしょう。しかしそれでも自分を変える為に、あるいは世界を変える為に行動出来る。異常な行動であっても、それを躊躇したりしない――――その行動は評価出来ます。懸命にもがく様子に私は感嘆を覚える。……私は醜いものが好きです。故にそれを滅ぼそうとする貴方を私は滅します。完膚無き迄に塵芥へと変えてやりましょう」
「ベルフェゴ……貴様、変わったのう」
「……魔王。私はベルフェゴという名前ではありません」
――――僕は。
僕は彼女の言葉を聞いて確信した。
そうだ――――彼女はベルフェゴなどという魔物では無い。
魔物の生まれ変わりだとか、人智を越えた力とかそんなのはどうでも良い。
彼女はクレア――――僕の仲間である血と肉を持った人間なのだ。
だから僕は彼女の名前を呼ぼう。
彼女が人間である事を示そう。
「――――クレア」
「……何でしょう、アルミナ」
「クレア。お前は僕と同じ人間だ。だから一緒に魔王を倒そう。僕と同じ立場で僕と同じ想いで以て魔王を滅ぼそう」
「…………アルミナ」
彼女は少しだけ相好を崩した。
その表情はやはり人間の熱を持ったものに違いなく。
それがとても――――可愛らしかった。
「……貴方がそういうセリフを吐くと非常に似合いませんよね。少しだけ吐き気がします」
…………こういう事、言わなければ本当に可愛らしい奴なのだが。
まあ、これが彼女――――クレアなのだ。
それを合わせて愛おしいと思う事にしよう。
「ぬぅ……仕方あるまい。クレアという人間如きに成り下がってしまったのであれば、滅ぼすのが我の使命よ。『勇者』は全て滅ぼす。我は我の使命を全うする」
「私は元、王宮兵士。あそこに居る虫は『村人A』。『勇者』など何処にもいませんよ」
「人間であるという理由だけで滅ぼすには事足りる」
「なら私もクレアという人間である以上、戦わざるを得ませんね……」
クレアは長剣を背中から抜き放った。




